上 下
19 / 41
孤独な青年編

トラウマの麻酔銃

しおりを挟む
 アルフレットが言う。
「君は殺されるかもしれないんだぞ?」
 ベルクルはそれでもうなずいた。
「ゲルデ先生のライフルが一番怖いみたいです。何かトラウマがあるんじゃないですか???」
 ベルクルはライフルを凝視しているアケロミの表情を見た。
「…。」
 ゲルデのライフルを持つ手が汗をかいている。何か思いある節があるようだ。
「あれは仕方がなかった。それが無かったらアケロミは確実にユーズを殺してた。」
 ゲルデは何かを思い出すようにつぶやく。やはり何か思い当たるふしがあるようだ。
 アルフレットがゲルデに目配せした。ゲルデはかなり動揺していたようだった。しかし、ゲルデは生粋のプロ。こんなことで銃を構える手を降ろすわけにはいかない。アルフレットはユーズに目配せした。そしてゲルデにも視線を向ける。何かあれば頼む。ゲルデはアルフレットからのメッセージを理解するとゆっくりとうなずいた。そしてアルフレットはアケロミを放した。拘束を解かれたアケロミはその場にドッと崩れ落ち、床にしゃがみこんだ。頭をひっかいている。

「大丈夫か?アケロミ。」
 ベルクルが話しかけるが返事はない。「アケロミ…いったん落ち着こうぜ。」
 その時だった。
「死ね!!!!」
 アケロミはガバッと立ち上がってベルクルに飛び掛かった。危ない!!!とその時…。パーン!!!!!鋭い音が教室内に響き渡った。
「うっ!!!」
 アケロミの背中に赤い房の付いた麻酔銃の針が刺さっている。アケロミは麻酔銃の飛んできた方向を振り向いた。ゲルデが構えているスナイパーライフルの銃口からうっすらと赤い煙が立ち上っている。
「今日も脊髄は外した。前みたいにぐっすり眠ることはないから安心して、アケロミ。おやすみ。ごめんね。」
 アケロミはゲルデを見つめた。そして…どっさりと倒れてしまったのだ。
「っと!」
 アルフレットが慌ててアケロミの体を支える。
「危なかった…。大丈夫かいベルクル君。」
 ゲルデはベルクルに話しかける。
「は、ハイ…。俺は何とか。」
 アルフレットはアケロミを肩に担いだ。アケロミの腕が力なくダランと垂れ下がっている。眠っているようだ。ベルクルにはアケロミの表情一瞬だけ見えた。彼はとても悲しそうでかつ苦しそうだった。一筋の涙がアケロミの頬っぺたを伝って流れ、床にしみていく。ベルクルはただそれをじっと見つめているだけだった。

「先生。」
「ん??」
 アケロミがアルフレットとゲルデによってどこかに連れていかれた後、ベルクルはユーズに話しかけた。
「アケロミはどうなるんですか?」
「…学習所は少し休ませようと思う。このままじゃ、あの子も皆も学習所ももたない。」
「…俺のせいです。」
 ベルクルの目から大粒の涙が零れ落ちた。
「べ、ベルクル…!?!?」
 ユーズは少し動揺した。ベルクルはここに来てから一度も泣いたことがなかったのだ。祖母が亡くなった時も彼は泣かなかった、とミンから聞いている。その鉄壁の精神を持つベルクルが涙を流したのだ。
「俺がそっとしておいてやればアケロミはこんなに怒ることもなかったのに。カンペキに俺のせいだ。」
「悲しむ必要はないよ…。あの子がちょっと過敏になっていただけさ。」
 ユーズはベルクルの肩にそっと手を置いてやった。
「それに…君はあの子に真剣に向き合ってくれた。それだけで僕は感謝したいくらいだよ。」
「……。」
 ベルクルは目の端から流れ落ちた涙を拭いて言った。
「あいつに会いたいです。」
「…。」
「アケロミに会いに行くのはだめですよね。」
「…すまない。今回ばかりは我慢してくれ。」
 今、ベルクルがアケロミに会いに行ったらどんなことになるかは大体予想できる。アケロミは起きるなりベルクルを殺すだろう。
「そうですよね…、わかりました。ありがとうございます。」

 ベルクルはすっかりうなだれて自分の席に戻った。クラスの仲間はアケロミのことは忘れろと言った。でも自分の席の後ろにある割れた机がどうしても気になって忘れることができない。それはアケロミの机だった。いつもならアケロミがそこに座っていて突っ伏して眠っていて…。この机が原因でその記憶を思い出してしまうのだ。そして何よりも彼を傷つけたのはあの言葉だった。俺はカスで何もできない奴だって思われていたんだ。それが何よりもショックだった。まるで自分は人間じゃないみたいな言い方。そっか…、俺はあいつの友達になる資格すらないんだな。…そりゃそうか。アケロミみたいに強い人が俺なんかと友達になるわけないもん。俺が間違っていたんだ。悪いのは俺だ。自分のわがままでアケロミを傷つけてしまった。俺は…あいつら以下だ。ベルクルはダイアナ達を見てため息をついた。流石のダイアナ達も今日は大人しい。何やらこちらを見てコソコソと話しているが話の内容までは聞こえてこない。…どうせ俺の悪口でも言っているのだろう。
「…ごめん、今日は帰るよ。」
「分かりました…気を付けてくださいね。」
「うん、ゆっくりしなよ。色々あったもんね…。」

 友人二人に謝ってベルクルは早退し、いつもよりも早く家に帰ってきた。…勉強する気が怒らなかったのだ。それに何となくクラスの雰囲気も悪かった。居心地が悪いというのはこんなにも精神的な苦痛を味わわせるものなのか…。
「あら、お帰りなさい。早かったのね、どうかしたの?」
 優しい姉の言葉も耳に入らない。ベルクルは姉を無視して自分の部屋にこもってしまった。俺のせいだ。俺が悪いんだ。俺があんなことしなければ…。
「ベルクル…どうしちゃったのかしら。」
「どうしたのかね。」
「…分からないの。今さっき帰って来たんだけど…。ちょっと様子がおかしくて。」
 ミンは心配そうにヒョウユを見た。
「…様子がおかしい??」
「…そうなの、なんだか…とても悲しそうだった。もしかして学習所で何かあったのかしら。」
「…ううん、そうかもしれんな。クリスさんに聞いてみたらどうじゃ。あの人なら何か知っているかもしれん。」「…そうね、そうしてみるわ。」

 ミンはそう言うと髪の毛をまとめて家を出て行った。向かう場所は…もちろんクリス医師がいる診療所。あの子があそこまで落ち込んだことなんてあったかしら。きっと何か良くない事でもあったんだわ。本人に聞いてみるのが一番良いのだけれど…今のあの子に話しかけるのはやめておいた方が良さそう。これ以上傷ついてほしくないものね。「…クリスさん。ちょっといいかしら。」
「おや、ミンじゃないか。…今日はシフト入っていたかな…??いやはやまた確認し忘れかな…。」
「いえ、今日は入っていませんわ。明日の午後から出勤です。」
「おやおや、ではどうしてここに来たのかな??」
「…ベルクルの事ですわ。」
 ベルクルという名前を聞いた瞬間、クリス医師の顔色が変わった。
「…そうか、ベルクル君の事か。…ではここではちょっとまずいので場所を変えよう。」

 二人がやって来たのは薬品倉庫だった。密閉された空間で外に声が漏れ出すことはない。内緒話をするのにはちょうど良い場所だ。
「…も、もしかして何かありましたの??学習所で…。」
「そうだな…何から話せばいいのか…僕もユーズから聞いただけだからそんなに詳細には話せないんだけど。」
 クリスは首をかいて言った。
「…ちょっとしたいざこざがあってね。アケロミ君とケンカしたんだ。それで落ち込んでいるんじゃないかな。」「…っ。」
 ミンは悲痛な表情を浮かべてうつむいてしまった。
「あの子が何かしたのかしら。」
「いや、なんというか…ベルクル君はアケロミ君にあげる弁当のことを話したそうだ。だがそこから彼に関わるか関わらないかの話に発展して…。アケロミ君が癇癪を起してしまってね。結局大暴れしてユーズは手の甲に切り傷を作り、ベルクル君のシャツのボタンが千切れ…、挙句の果てにアケロミは麻酔銃でゲルデ君が眠らせた。無傷なのはアルフレットと他の生徒だけだった。アケロミ君も…今は隣の部屋で休んでる。後30分は起きないだろうね。」
「…そんなことが…!!!」
 ミンは口に手を当てた。
「きっと…正義感の強いあの子ですからアケロミ君が放っておけなかったのでしょう。それにお弁当の事となるとあの子はとても敏感になってしまうんです。…食べ物を粗末には絶対しない子ですから。」
「あぁ、それは分かっているとも。彼はとても優しい子だ。」
「えぇ、えぇ、そうですとも。だからこそあんなに傷ついていたんだわ。」
「…ベルクル君の状態はどうかね??」
「…いつもなら私たちにただいまを言ってから家の手伝いをしてくれるんですけど、今日は自分の部屋にこもってしまったわ。だからちょっとおかしいな、と思ってここに来ましたの…。」
「…そうか…。」
 クリス医師は頷いた。
「とにかく時々状態は見てやってくれ。そして…あまりにも状態が悪かったら僕が話してみよう。」
「えぇ、お願いします。」

 ミンは家に戻るとクリス医師が行ったことをすぐに祖父に伝えた。
「アケロミ君が暴走したか…。」
「そうなんですって。けが人も出たみたいで…。」
「…しょうがないことだ。今日は新月。…なんとなく心が騒いでいたのじゃろうな。」
「…新月…??」
「さよう、今日は新月の日じゃ。…ほれ、新月の日になるとなぜか不安定になりやすい体質の人が居たりするじゃろう。だから…余計に癇癪を起したのかもしれん。」
 ヒョウユはそう言って固く閉ざされたベルクルの部屋のドアをじっと見つめた。
 中ではベルクルがベッドに入ってうなだれていた。
「…うぅん……。俺のせいだ、俺のせいだ…。」
「ベルクル…!!!

 ミンはたまらなくなって呟いた。……ベルクルが葛藤し、苦しんでいるころ、また、アケロミも耐え難い罪悪感に苦しめられていた。麻酔薬は一時間ほどで効果が切れ、アケロミは失意の中で目を覚ました。
「熱がある。」
心の中の怒りはすっかり消えて、今ではクリスの声がはっきりと聞こえる。
「う…ん?」
「目を覚ましたかね。」
クリスの声はいつもよりも優しかった。
「俺は………一体どうしちまったんだ……。…!!!!!!べ、ベルクルの野郎は???」
「早退したそうだ。」
「…!」
アケロミはすっかり脱力して枕に身を任せた。体に力が入らないうえに舌もあまり回らない。まだ麻酔薬がきいているのだろう。…最悪の状況だ。もはや…自分が何を言ったのか、何をしたのかすらはっきりと思い出すことができない。ただ、良くないことをしたのだけは分かった。
「はぁ…。」
アケロミは力なくため息をついた。
「あいつは…あいつは大丈夫なんですか。」
「大丈夫だよ。ベルクルは強い子だから。」
「ベンジャミンのことだってよく分かりましたね。…でも嘘つかないでください。」
「正直に言ったら君はどうかなってしまうよ。」
「言われなくてもどうかしているんで大丈夫です。…慣れていますから。」
アケロミの目の下にクマができている。
「…だいぶ落ち込んでいるよ。君を傷つけてしまったってずっと言っているらしい。今さっきあの子の家族から連絡があった。家族の人にはあまり話していないみたいだけどね。」
「…。」
アケロミは急に不安になった。ベルクルの家族から連絡があった…?それってやべぇんじゃねぇの?俺…ここから追い出されるのかな。そうなってしまったらどうしよう。やっと、やっと手に入れた安息の毎日が崩れる!!!決して幸せな生活じゃないけど外の暮らしに比べればマシだ。あんな寒くて何もない場所に放り出されるなんて嫌だ。そりゃ外は自由で好きだ。でも生活する、となると話は別だ…。
しおりを挟む

処理中です...