八角館殺人事件

天草一樹

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8:起床と凶事

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 ドンドンドン。ドンドンドン

 どこからか強く扉を叩くような音がして、僕は深淵に沈んでいた意識を浮上させていった。脳が覚醒し、まともに思考が回り始めるまでの間も、絶え間なく扉を叩く音が聞こえ続ける。

 目を開け体を起こした僕は、一瞬自分がどこにいるのか分からず困惑するものの、すぐに記憶を取り戻した。幸いにも、初日の夜は何事もなく過ぎ去ってくれたらしい。

 しかしこの扉を叩き続ける音。生きて朝を迎えられたことを祝福する兆しでなく、何らかの凶事を告げる音に聞こえて仕方がない。

 扉を叩き続けている何者かには悪いと思いつつも、僕は軽く身支度を整えてから扉を開けに行った。

 扉を開けると、ひどく差し迫った表情の友哉の顔がそこにあった。彼の手を見てみると赤く腫れており、今の今まで彼が扉を叩いていたのだと一目でわかる。

 友哉は僕の姿を見ると、心底ほっとした様子で顔をゆるめ、その場にへたり込んだ。

 何がなんだかわけがわからず僕がオロオロしていると、扉が開く音がしてホールに佐野先輩が入ってきた。先輩は僕の姿を見ると友哉同様安心した様子で、「一之瀬は無事だったんだな」とほほ笑みかけてきた。

「おはようございます。佐野先輩も無事だったんですね。それで、あの、今がどういう状況なのかもし分かっているなら教えて欲しいのですけど。なんで友哉はこんな焦った様子で僕の部屋を叩いてたんですか? ……そういえば今、一之瀬は無事だったんだなって言いましたよね。もしかして、無事じゃなかった人がいるんですか」

 僕の問いかけに対し、佐野先輩は憂鬱そうに顔をしかめて見せた。それだけである程度のことには察しがつき、僕はテーブルの上の人形へと視線を移した。予想通りと言うべきか、前日は整然と並んでいた六体の人形のうちの一体が、テーブルに横たわっていた。

 僕がそれをよく確認しようとテーブルに近づくと、佐野先輩が憂鬱な顔のまま話し始めた。

「どうやらもう察しがついたようだが、昨晩の夜から今朝までの間に、ゴーストと思われる人物の手で――根津が殺されてしまった。最初に見つけたのは俺と谷崎の二人で、時刻は今から五分ほど前、七時ちょっと過ぎのことだった」

 左腕にはめた腕時計を見ながら先輩は言う。

 僕は自分でも驚くぐらい冷静にその話を受けとめると、倒れた人形を見つめながら聞いた。

「見つけるまでの経緯はどのようなものだったのですか。佐野先輩と友哉と、どっちが先に根津君の部屋を見てみようとしたのです。その行動に至った理由は?」

「それは――」

「俺から説明しますよ」

 ようやく落ち着きを取り戻したのか、へたり込んでいた友哉が立ち上がり僕の隣に並んでくる。

「俺が起きたのは大体六時半くらいだったな。昨日からほとんど飯は食ってなかったけどやっぱり食欲はなかったんで、冷蔵庫にあった水を飲みながら目が覚めるのを待ってたんだ。それでやることもないんでホールに出てみたら、栗栖が床に倒れていた」

「栗栖君が床に! それで無事だったの?」

 まさか昨日、栗栖は鍵を受け取った後もホールに残っていたのだろうか。そして根津を殺しにやってきたゴーストに邪魔に思われ、狙われていなかったにも関わらず殺されてしまった……。

 僕の中で絶望的な想像が膨らむ。すると友哉は、「特に怪我とかはなかったんだ」と嬉しい情報を伝えてくれた。

「理由はよく分かんねえけど、床で寝てたみたいでさ。何とかして起きないものかと声をかけたんだが全然目が覚めないんで、仕方なく部屋に運ぼうとしたんだよ。そしたら佐野先輩もホールに来たから、部屋に運んでくれるよう協力を頼んだんだ」

「ああ。少しばかり驚いたが、死んでいないことはすぐにわかったからな。栗栖の部屋は鍵もかかってなかったし、取り敢えずベッドまで移動させておいた。そして、その後だ。俺と谷崎がテーブルの上で一体だけ倒れている人形と、その横に根津の部屋の鍵が置いてあるのを見つけたのは」

 根津の部屋の鍵がホールのテーブルに置いてあった? なんとなく違和感を覚えるものの、その正体ははっきりしない。僕は思考を放棄して、取り敢えず話の続きを聞くことに専念した。

「倒れてる人形は根津の名前が書かれたものだったし、テーブルに置いてあった鍵も根津の部屋番が刻まれた鍵だった。それで最悪の事態をイメージした俺と先輩は、根津の部屋の扉を叩き、反応がないんで扉を押してみたんだ。そしたらすんなりと扉が開いて――中には根津の死体があった」

「……どうして、根津君が死んでるってわかったの? まだ生きて助かる見込みとかは……」

 僕は根津の名前が書かれた人形を見つめながら、震え声で尋ねる。もしこの人形が死者の姿を模しているのなら、きっと根津の死体は……。

 この当たってほしくない予想は、無情にも、あっさりと肯定された。

「残念だが、絶対に根津は死んでいる。司も何となく予想はついてるんだろ。その人形と同じように。根津の死体には、首から上が存在しなかった。所謂、首なし死体があの部屋にあったんだ」

 首なしの死体。そんなもの、現実ではまずお目にかかることは絶対にないはずのもの。もしかしたら推理小説が好きだった根津にとっては、幸せな死に方だったんじゃないか。そんな現実逃避をしながら、僕はふと意識が途切れるのを感じた。
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