キラースペルゲーム

天草一樹

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困惑の一日目

一触即発

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 廊下に出て、本館にある大広間に向かって歩き始める。
 廊下にはすでに佐久間の姿はなかった。どうやら無事にⅩ号室のプレイヤーと対話に持ち込めたらしい。
 他のプレイヤーが佐久間相手にどう対応しているのかは気になるが、さすがに盗み聞きするほどのことではないだろう。
 Ⅹ号室の前を素通りして、二人は連絡通路に入る。以前通った時は二度とも他の参加者と出会ったが、今回は誰とも出会わずに本館へとたどり着いた。
 本館にも人影はなく、壁に飾られた薄気味の悪い絵画だけがこちらをじっと見つめてくる。彼らが放つ不気味な気配に悪寒を感じ、足早に廊下を駆け抜け大広間の前まで移動する。
 佐久間の言葉に偽りがなければ、目の前の扉の先には数人のプレイヤーが待ち構えているはず。あり得ないとは思うが、扉を開けた瞬間にキラースペルを唱えられるかもしれない。
 そんな最悪の想像が勝手に脳内を駆け回り、ドアノブを握る指先に震えが走る。明は隣で心配そうな顔をしている神楽耶の顔をかすかに盗み見た後、大きく一度深呼吸をし、一息に扉を開け放った。
 以前見た時とほとんど変わらない、真っ白な円卓が四つ置かれただけの殺風景な部屋。少し違うのは、佐久間の言葉通り数人の参加者がまばらに立っていることだろうか。
 佐久間の呼びかけに応じた人間が全てここにいるのかと、明は軽く彼らを見まわして――

「大脳爆発!」

 突如。
 明の真横から。
 短く、簡素で、冷徹な。
 死の呪文が聞こえてきた。
 一瞬頭が真っ白になり、全身にかかっていた重力がすべて消えたかのような浮遊感が明を襲う。
 喜多嶋がデモンストレーションで見せた、名も知らぬ男の死に様。その彼の死に様に、自分の姿が重なって――。
 呼吸すらできず、明はただ立ちすくむ。すると、その明の姿を嘲笑うかのような、けたたましく耳障りな笑い声が大広間に響き渡った。

「ぷ、あはははははははは! マジだっせぇ! こいつ本気で今死んだと思ったみたいじゃねえか! いやぁ、マジ最高の反応だわ。こんな殺しがいのあるやつが参加してくれてるなんて、このゲームはかなり楽しめそうだわな」

 声の主は、扉のすぐ横で新たな参加者が来るのを待ち伏せていたらしい金髪の男。趣味の悪い紫色のタキシードを着込み、見るかに意地の悪そうなにやけ面を浮かべている。
 ニタニタと笑みを浮かべて明を眺めていた金髪の男だったが、ふと明の後ろに佇む神楽耶の存在に気づき、だらしなく頬を緩めた。

「おいおいおい。あんたは確か――神楽耶ちゃんだったよな。喜多嶋に対して自分は無実ですーって訴えかけてた。あん時は自己中なバカ女が騒いでる程度にしか思ってなかったが、なんだよ。よく見りゃ随分な別嬪さんじゃねえか。なあなあ。俺は藤城孝志ってんだが、そんなビビり男じゃなくて俺と――」

 ブワッ
 唐突に。藤城の頬を微かに切り裂きながら、鈍色の包丁が壁に深々と突き刺さった。
 時間が止まったかの如く、大広間は物音一つない完全な静寂に包まれる。
 だが、その静寂を作った本人は、この雰囲気の中でも実に堂々と歩みだし、壁に刺さった包丁を回収した。

「お……い。お前今、俺に」
「悪いな。手が滑ったんだ」

 かすかに血が流れる頬に手を当てながら藤城が言葉を発するも、明の軽い謝罪の前に再び言葉を失う。
 誰もが言葉を発せず黙り込む中、明は包丁に付いた血を布巾でぬぐい取る。そして、何事もなかったかのように包丁をポケットに差し戻すと、神楽耶の手を引き扉の前から離れていった。
 ここにきて、ようやく藤城は自分に起きたことを正確に理解したらしい。先ほどの軽薄そうな表情とは打って変わり、顔を真っ赤にして怒りをぶちまけた。

「何が手が滑っただ! ふざけんなよ! 明らかに俺を狙ってナイフを投げつけたじゃねえか! つうかこれって立派な暴力だろ! さっさとこいつをルール違反で処分しろよ! おい喜多嶋! 運営! ぼさっとしてないで仕事しろよ!」

 明に当たり散らすだけでは飽き足らず、藤城は天井に取り付けられた監視カメラに向かって叫び声を上げる。
 だが、どれだけ叫び声を上げようとも明の身には何一つ起こらない。そのことにより苛立ちが高まったのか、さらに声を荒げ藤城は叫び続ける。
 扉からやや離れた壁に寄りかかった明は、その姿を冷めた目で見ながら淡々と言った。

「さっきから馬鹿みたいに叫んで見苦しいな。あくまで今のは手が滑っただけなんだ。別に暴力を振るったわけじゃないし、処罰される筋合いはないだろう」

 明の言葉を受け、藤城は叫ぶのをピタリとやめる。しかし勿論、それは怒りが収まったからではない。怒りが限界を超え、声を荒げるだけでは済まなくなったためである。
 目に強い殺意を宿らせ、藤城は無表情で明に迫っていく。そして、残り数メートルというところで急に駆けだしたかと思うと、ポケットに右手を突っ込み――

「ここで手を出したら、あなたは確実に処分されてしまいますよ」

 不意に大広間に響いた、幽玄な波紋。
 怒りに我を忘れかけていた藤城も、ポケットに手を入れたままぴたりと動きを止める。そして長い眠りから目が覚めたかのように、どこか呆けた表情で一人の男に視線を送った。
 明以外のほぼ全員に見つめられたその男――鬼道院充は、相も変わらず開いているのか閉じているのか分からない細目を藤城に向け、悠然と口を開いた。

「藤城さん。彼の挑発に乗ってはいけません。今ここで東郷さんに手を上げれば、ルール違反を犯したとみなされ確実に処分されることになるでしょう。ここは一度深呼吸をし、心を落ち着けるのが得策だと思いますよ」

 人の心を引き付ける、深く荘厳な声色。
 藤城は憎しみに満ちた視線を明に向けつつも、鬼道院の言葉に従い大きく深呼吸をした。それにより少しばかり心が落ち着いたのか、表情に冷静さが戻ってくる。
 一度では完全に落ち着かなかったのか、何度か深呼吸を繰り返す。
 十分に冷静さを取り戻した藤城は、再びにやけ面を浮かばせると、楽しげに鬼道院に礼を言った。

「サンキューな、止めてくれて。危うく処分されるとこだったわ」

 鬼道院はゆるゆると首を横に振る。

「いえ、当然のことをしただけです。いくら殺し合いのゲームとはいえ、みすみす人が殺されるのを見過ごすことは、『心洗道』の教祖として許されざる大罪ですから」
「へえ! あんた宗教団体の教祖様なのか。そりゃ珍しい。助けてもらったのも何かの縁だし、せっかくだからあんたの話を聞かせてもらえねぇか?」
「ええ、構いませんよ。聞きたいことがあれば何でも聞いてください」

 鬼道院が頷いたのを見ると、藤城は明のことなど忘れたかのように笑顔で彼の元まで歩いて行った。
 一触即発の状態が解かれ、ホッとした空気が大広間を漂う。
 数人のプレイヤーは、今の一連の流れに乗じて誰かがキラースペルを発動させるのではないかと警戒していたが、その後は特に何も起こらず佐久間の到着を迎えることとなった。
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