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一章
9話 王子は容赦をしない
しおりを挟むエヴァンが再度目を覚ました時、既に牢の前に来ていたエリオットは何も持っていなかった。とりあえずまた何か食べさせられる事はないと安心したが、胸焼けがひどいと、エヴァンは顔をしかめる。
「…今度は何しに来たんだよ」
「何って、退屈だろう?」
「お前のせいでな」
ああ、そうだったなとエリオットは白々しく笑った。
馬鹿にしに来ただけか!と怒るエヴァンに、彼は、いや、と続け、
「今日はお前のためにゲストを呼んだんだ。喜べ、退屈じゃなくなるぞ?」
「は?…ああ、プロのお出ましってことかよ」
拷問のスペシャリストでも呼んだのか、と身構えるエヴァン。
しかし、エリオットが連れてきたのはヨボヨボの老人だった。
「ではご老人、現在14時なので、16時まで宜しくお願いします」
「ありがたい事ですじゃ。まさか王太子殿下のお役に立てる日が来るとは」
身なりからして普通の平民らしいと、エヴァンは眺めていたが、油断はできないとも思った。エリオットが普通の老人を連れてくるはずがない。
老人はエリオットが用意した上等な椅子に腰かけ、その隣に用意された茶菓子と紅茶で一息ついてから話し始めた。
「儂の若い頃は、食べ物もまだ今より多く無くてのぅ。みんなで協力しあって、それでも足りない分もあったりしてなぁ」
成る程、お説教でどうにかしようってか、とエヴァンは分析した。情に訴えかける作戦がどうやら自分に効くと思っているらしい。
改心したフリでもしておくか。
とエヴァンは余裕を持っていた。
数分後。
「今より野菜も美味しくてなぁ。
…あの頃の味は忘れられんよ。そんな頃に出会ったのが、婆さんじゃ。
いやもう可愛くってのう。村一番の美人なんて言われて…でもなぁ、いつから好きだったのかと聞くと、その頃から婆さんは儂のことが好きだったらしくてなぁ。いやはや、あの頃婆さんに恋文を渡していたやつらに申し訳がないくらいでのぅ。でも、儂も若くてそんな事を気づく…」
雲行きがあやしいとエヴァンは目を老人から逸らした。説教というか、ありがたいと言える話が一つも出てこないのだ。
「こら!年長者の話をそんな態度で聞くものではないぞ!!きちんとこちらを見なさい!」
「え、あ、はい。すんません」
老人は目を逸らす事を許してくれないようだ。まったく最近の若いもんは、と言いながらまた話しはじめた老人。
どうやら話題が「最近の若いもんは」に変わったらしい。
1時間後、エヴァンはそろそろ限界を迎えていた。
「でなぁ、どこまで話したかのぅ。
ああ、そうじゃそうじゃ。昔はなぁ。今より野菜も美味しくてなぁ。…あの頃の味は忘れられんよ。そんな頃に出会ったのが、婆さんじゃ。
いやもう可愛くってのう。村一番の美人なんて言われて…でもなぁ、いつから好きだったのかと聞くと、その頃から婆さんは儂のことが好きだったらしくてなぁ。いやはや、あの頃婆さんに恋文を渡していたやつらに申し訳がないくらいでのぅ。でも、儂も若くてそんな事を気づく…」
勘弁してくれとエヴァンは引きつった顔で老人の話を聞いていた。
さっきから話題が永遠ループしている。
エヴァンが目を少しでも離せば、最近の若いもんはと怒鳴られ、その話題になり、そして婆さんとやらの馴れ初め話を再開する。
「なんじゃ、後50分しかないのか」
と、懐中時計をチラリと見た老人が残念そうに呟くのをみて、いやまだ後50分もあんのかよ…!とエヴァンは軽く絶望していた。
50分後、エリオットが老人を迎えにきた時にはかなりのグロッキー状態になっていた。
(やっと、やっと終わった…)
と、エヴァンは一息ついたのもつかの間。
「次のゲストを連れてきたぞ」
「え?」
エヴァンが顔を上げると、エリオットは幼稚園児くらいの女の子を連れてきていた。
ゲストがどうとかいう問題じゃなくて、とエヴァンは違う意味で目を細めた。
「お前それ、まさか誘拐…」
「馬鹿言うな、親御さんに許可はとった」
「許可ってお前、…なんて言ったんだよ?」
「あ、私、エリオット・クラウ・オールハインと申します。いきなりですが、ちょっと娘さんを私と遊ばせてくださいませんか?と丁寧に頼んだだけだ」
「なぁお前そんなやつだったっけ?」
本当は、王城の召使いの娘が、話したい盛りで大変という話を聞いたので話す場を用意しようと言っただけなのだが、エリオットはおちょくるつもりらしい。
ぽつんとのこされる、幼女と牢の中のエヴァン。
「…おにいちゃんが、あたしのお話聞いてくれるの??」
「え?ああ、うん、そうらしい」
流石に目の前の子供に悪態をつくわけにいかず、頷くエヴァン。
まあ、子供だからさっきよりかはと思っていた。
「えっとね!あのね!この前ね、お友達のね、エルサちゃんがね、公園にいってね、ん?あ、ちがった、えっとね、あのね、この前ね、エルサちゃんがね、私とね、公園にいってね、それでね、えっとね、あれ、えっと、遊ぼうねって、えとそれは前だから、あのね、」
エヴァンは笑顔で話を聞いていたが、なんとなくもうわかっていた。
(あの性悪殿下…!)
30分後。
「つくったお団子がすごいおおきくてね!それでね!あれ?おおきくなかった!それマリーちゃんのお話だ!ええとね、この前ね、お友達のね、エルサちゃんがね、」
エヴァンは笑顔でウンウンと頷きながら、エルサちゃん一体公園で何したんだよ、と思っていた。
間違うことが気にくわないのか、一度でも間違えたと認識すると話が最初からに戻ってしまう。この30分ずっと、この繰り返し。
やっと話が進んだと思ったらエルサちゃんじゃなくてマリーちゃんだった。
そもそもエルサちゃんもマリーちゃんも知らねえよとはエヴァンは言えない。
口も出せないまま、残りの2時間半ただ頷くしかなかった。
仕事を終えた召使いと共にエリオットが幼女を迎えに来た時、エヴァンは二度目の解放を喜んだ。もうだいぶ神経は磨り減っていたが。
「気分はどうだ?」
「結局エルサちゃんがどうしたのか気になり過ぎて夜も眠れなそうだ」
「は?」
訳がわからないとエリオットは首を振った。
しかし、計5時間ずっと座りながら何かを聞かされ続けていたエヴァンは相当参っているらしい。
エヴァンはもう限界なのかもしれないな、とエリオットはやれやれとため息を吐いた。
「なあ、エヴァン。
喜べ新しいゲストが来たぞ」
「ねぇ、お前悪魔の生まれ変わりか何かなの、ねぇ」
この悪魔王太子!という抗議を無視して、エリオットはゲストとやらを連れてきた。
今度はどんな奴がと、エヴァンはそのゲストに目線を向けるが、
「…お前んとこの門番じゃねぇか」
見慣れた王城の門番が立っていた。
しかし、何故か俯いている。
「流石に見知らぬものと話すのも疲れただろう。顔見知りと話してリフレッシュするといい」
とエリオットは門番を座らせて階段を登っていった。顔見知りといっても、門番と侯爵家の子息だ。話したことなどあまりない。というか、無い。
だが、とエヴァンは内心で嘲笑った。
門番なら、こちらも強く出れると。改心したフリをしてここを出た後に、どうなるか?と脅せばいい。
「おい、お前、エリオットに何を言われたのかは知らないがな。俺はエヴァン・イルフェインだ。門番ごときが…」
そこまで言いかけて、エヴァンは門番の様子がおかしいことに気がついた。
俯いたままなのだ、ユラユラと揺れているが。
「おい、聞いてんのか!?おい!」
何度か問いかけると、門番はやっと顔を上げた。そして、エヴァンをこれでもかと睨みつける。
「ちっ、うるせーなぁ!」
「え?」
「お前、◎△$♪×¥●&%#?!◎△$♪×¥●&%#?!なんらよ!
☆%\○+^<〒「○+\¢£%#&□△◆■○×△☆♯♭●□▲★※ぁぁ!」
もはや言語が聞き取れないほど門番は泥酔していた。飲むとキレるタイプらしい。
「…エリオット!ねぇ!エリオット謝るから!今から酔っ払いの相手は無理だって!限界!ねぇ、殿下!ちょ、殿下!王太子殿下!俺もアイリス様ちょー好き!味方味方!すげぇアイリス様愛してるから!」
階段の上から、梱包材に包まれた何かが転がってきた。
酔っ払いがそれを手に取る。
「こいつはいい酒だぁ!」
酔っ払いは更なる酒を手に入れた。
「エリオットォォォォォォォオ!?」
「お前人の話を○×△☆♯♭〒○+\¢●□▲★※!!」
結局門番が寝たのは、早朝5時になってからのことだった。
つまり、10時間ほど、酔っ払いの相手をさせられていたエヴァンは気を失ったように眠りについた。
「すまなかったな、どうやら酒癖が悪かったらしい」
その後やってきたエリオットの言葉に、エヴァンはもう返す気力も残っていなかった。
そんなエヴァンにもエリオットは拷問の手を抜かない。
3日目の拷問ダイジェスト。
「エヴァン、チョコレートだ」
「いや、…それコオロギだろ?」
「3分の1食用コオロギ。
後は、チョコレートでつくった偽物だ。
安心しろ、安全なものを用意した。
ほら、選べ」
「は?」
「選べ。早く選ばないと倍にする」
「な!?…い、一番右!」
「これか、ほら」
「…持った感じ完全にコオロギなんだが」
「おお、あたりじゃないか」
「大外れだろ!?」
「ほら、早く食べないとコオロギ10倍。」
「…それは…くそっ…うっ、これは…」
「気に入ったか」
「…まっずい」
これを一日中。
4日目。
袋に入った紙の束を牢の前に持ってきたエリオット。
「お前、ミシェルがセバスと結婚する前、ミシェルにずっと言いよってたよな?」
「…それがなんだよ」
「ミシェル、君の瞳の威力は、月明かりなんて月ごと消してしまうほど力強い、正にそれは恋の機関銃。ミシェル、君の唇は全てを引きつける磁石のごとく俺の心を巻き込んで離さない、正にリップマグネットパーティだ。
なんだろうな、このポエムの書かれた手紙」
「お前…、それ、どこで…」
「なんか道端に落ちてた」
「いや嘘つくな!ミシェルに直接渡して、返事もきてないんだぞ!?」
「ミシェルが道端に捨てたのを俺が拾った」
「あっ、聞きたくなかった…」
「なんだかこの表現気に入ったから、ちょっと今度夜会で披露してくれよ愛のポエマー」
「その呼び方やめろ!」
「夜会の名前は…そうだ!
《リップマグネットパーティ》なんていうのはどうだろう?」
「ヤメロォォォォォォォォォ!!」
「あと、ミシェルからの伝言」
「…え?」
「ほんと迷惑だったので殿下に渡しちゃいました。私にどうしても会いたいとおっしゃるなら、お嬢様を夜会にでも招待して差し上げたらどうでしょう。従者として私もついていく事になると思いますので。
ああ、そうだ、夜会のタイトルは《リップマグネットパーティ》なんていうのは如何でしょう。p.s.セバスチャン愛してます」
エヴァンの心が折れる音がした。
その後、すぐにエリオットはエヴァンを牢から出した。
もちろん彼は逃げ出すつもりも起きない。
しかし、リリスを売る気は絶対になかった。
エヴァンが連れてこられたのは、王城のとある一室だった。隠し部屋があり、隣の部屋の様子がこちら側から分かるようになっていたのだ。
しばらくすると、セバスチャンに連れられたリリスがその部屋に入ってきた。
もしかしたら、自分を助けにきてくれたのかもしれない。そんな淡い期待がエヴァンを包む。
俯いているリリスに、優しくセバスチャンが話しかけた。
「それでは、やはり、様子はいつもと違ったのですね?」
「はい、最近、急にですけど…」
「リリス様は知らなかったんですか?」
「ええ、でも、まさかあんな風になるなんて。というか、あんな人だったなんて。知らなかったとはいえ、私も悪いですよね」
「リリス様は全く身に覚えがないのですよね?」
「ええ、でも、正直なところ、いつか何かやると思ってました。付き合いは短いですけど、なんだか変なところで、暴走するところが目立ちましたから」
そう言って、リリスは泣き始めた。
「すみません、リリス様もう大丈夫です。お辛かったでしょう。心中お察しします」
と、セバスはリリスを連れて部屋を出ていった。
エヴァンは声が出なくなった。
リリスは自分を売ったのだ。
そんなこと馬鹿でもわかる。
彼の中の優しいリリス像が音を立てて崩れ去っていった。
茫然自失のまま再度牢に入れられたエヴァンに、エリオットは餞別だと、あるものを静かに牢の中に入れた。
そもそも精神的に限界が近かったエヴァンはあれがエリオットの仕組んだ罠だと気づかなかった。リリスがエリオットに恋をしてしまった父親のことについて話していたことを。
そんなことを知らないエヴァンは自分はなんのために動いていたのだろうと、何も信じられないと、床に倒れこんだ。
「私は、エヴァンの味方ですからね!」
「エヴァンはエヴァンらしくいたらいいんです!…元平民の私だから、エヴァンが気にしてることちょっとわかる気もしますけど」
「エヴァン!すごいです!そんなことエヴァンにしか出来ないです!」
彼女がかけてきた優しい言葉が頭の中をぐるぐると巡った。運命だと思った。自分を理解してくれる人がやっと現れたと。
しかし、思い返してみれば、彼女はずっとエリオットを見ていたではないか。エリオットがいないと嫌だ、エリオットも連れて行こう。
エリオットの気を引くために、自分は利用されていたのだと、彼はやっと気づく事になる。もう、嫉妬すら起きなかった。だが、心に大きな穴がぽっかりと空いたような気分だ。
ああ、なんて馬鹿馬鹿しいと、顔を横に向けるとエリオットが餞別だと置いていったものが目に入った。
「人、形…?」
なんだか、小さめの人形。
手に取ったエヴァンは、それが誰かに似ているような気がした。
暫く見つめていた彼が、これアイリス・ニーベルンそっくりだ。と、知り合いに似ていた事に気がつくまでそう時間はかからなかった。
もちろんエリオットが何故そんな人形を持っていたのか疑問に思うほどの余裕は今の彼にはなかった。
むしろ、"どこでもアイリスちゃん人形"を手に取って、それをまじまじと見つめていた。
奇行が目立つ少女だったが、容姿はとてつもなく美しいのだ。それに、冷静に考えてみれば、結構好みのタイプかもしれない。
彼がそんな事を考えていても余るほどに時間はあった。
段々と、アイリスが自分を見守ってくれているような気になってくる。与えられすぎていたこの数日に、何も話さず、ただ見つめてくる(ように見える)人形は貴重な存在だった。
空いてしまった心の穴を埋めるように、エヴァンは美しい人形を見つめていた。
その後ろに、アイリスを思い浮かべながら。
やがて彼に、恋のような感情が芽生えてくる。思い込みの力は人を変えることもあるのだ。
でも、とエヴァンは悩んだ。
(でも、アイリスはエリオットの…)
自分が敵う相手ではないと、ここ数日で思い知らされた。ならば、この芽生え始めた恋心をどうすればいい。何か、何かないか。
そして彼は、心を決めた。
その後、迎えにきたエリオットに、エヴァンは人形を大事そうに握りしめ、ゆっくりと頷いた。
アイリスが学園に戻ったと同時に、エヴァンも学校に復帰した。
教室にやってきたエヴァンに心配していたとリリスが駆け寄る。
「あ、エヴァン!心配していたんですからね!!急に何も言わずに公欠だなんて!
聞いていたより1日多く休むから何事かと…」
エヴァンは無視して、目的の場所に歩いていく。
「…え?」
と、何が起こったかわかっていないリリスを残して。
目的の場所まで歩いてきたエヴァンは、その人物の前に跪いた。
「このエヴァン・イルフェイン。
貴女に一生を捧ぐことを神に誓います。
全ては、アイリス様の御心のままに」
騒然となる教室。
今、エヴァンは服従の誓いを立てた。
他でもない、アイリス・ニーベルンに。
今まであれほど毛嫌いしていた彼女に。
アイリスは流石に困惑していたが、上位貴族に対する誓いはたとえ学校内とはいえ、覆せない。エリオットを見ると、楽しそうに一度だけ笑い、クラスに合わせて驚いたような顔を作った。
「エヴァン!?何でですか?!
まさか脅されて…!」
と駆け寄ったリリスをエヴァンは、
「…脅された?まさか、アイリス様はそんなお人じゃない!俺を癒してくださった。俺を救ってくださった。そんな恩人に、俺が仕えるのは当然だろ?」
と突き放した。
アイリスは身に覚えのない事に目をパチクリさせていたが、リリスはアイリスが何かやったのだろうと信じて疑わなかった。
だがエヴァンの気持ちは嘘ではない。
エヴァンは決めたのだ、恋心を忠誠心に変えようと。
かくして、エリオットは、もとい次期国王は、敵から削いだ手足の一つを自分の手足としたのだった。
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