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第一部 一章
廊下を走ってはいけない
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第一部 一章
廊下を走ってはいけない。
なぜなら、ヤンキーとぶつかって目をつけられてしまうかもしれないから。
なぜなら、夏の魔物に連れ去られた女の子と曲がり角でぶつかって恋に落ちてしまうかもしれないから。
なにより、廊下を走ると「廊下を走ってはいけない、という常識を破る俺カッケー」と勘違いしているイタい奴と思われるかもしれないからだ。
そういった諸々の危険性を加味した結果、やはり廊下を走ってはいけない。
ただ、例外が三つある。
一つ、お腹が空いているとき。腹が減っては戦、もとい午後からの授業は集中出来ず。成長期の高校生には死活問題だ。お昼のチャイムが鳴ると同時に購買へ急ぎ、大人気の焼きそばパンを手に入れるため、法を犯してしまうのも許されるべき。
二つ、クラスから飛び出していったあの子を追いかけるとき。これは緊急事態である。「なんであいつばっかり責めんだよ!」とクラスメイトに捨て台詞を吐いたのち、すぐに走って後を追うべき。
そして三つ、それは。
両手に凶器を持った女の子から逃げるときである。
☆ ☆ ☆
生徒も教師も誰もいない、無人の廊下を全速力で走る。
くそ。こんなことなら普段から運動しておけばよかった。今日一日、走ってばっかりだ。
肺が苦しい、滴る汗が気持ち悪い、先ほど食らった一撃のせいで腹部が痛む。
カラスは泣いていない、雨も降っていない、野球部がグラウンドで練習をしてもいない。静寂に包まれた高校、その四階にて自分の靴がリノリウム張りの廊下を踏みつける音と荒々しく呼吸をする音だけが響いた。
駆ける廊下の左手側には窓ガラスが並んでいる。透明な四角の板に走っている制服姿の自分が映り、その姿と向こうの夕焼け空が混じる。学校の敷地を仕切ったフェンスの先には、住家があって工事中のマンションがあって畑があって奥に山があって、そのどれもが夕日に染められていた。
今この景色を校舎から眺めているのは俺一人だけだ。こういう光景のことを、のどかと人は呼び、気分と目尻を緩ませるのだろう。けれど、ガラスに反射した半透明の男の顔はどうしようもなく歪んでいた。
今の俺に景色を楽しんでいる暇はない。
ただ一つのことに集中する、集中しなければならなかった。たった一つのことに。
奴から逃げることに。
背後で大きな破裂音が響く。入ってきた。ここは四階だというのに。奴は、彼女は、空を飛んで、俺の、四組の窓ガラスを割って。
「入ってきた」
ピシャリと後ろで教室のドアが開く音。
控えめだが確かに聞こえたそれに、熱くなった頭は冷やされ思考回路と足を止められる。
磁石みたいに首が引き寄せられて、開かれた扉から目が離せない。電池を抜かれたおもちゃのように、ただただその場で呆然と立ち尽くす。
分かっている、彼女が廊下に姿を現すことを。けれどもしかしたら、今まで起きたことが全部幻か何かで、追われていることも俺の勘違いか何かで、話し合えばもう追われずに済むんじゃないかって淡い希望を一瞬抱いてしまった。
そして期待してしまった。教室から出てくるのが、例えば俺の家族や友達や幼馴染や恋人なんじゃないかと。
まぁ独り身だから最後のは絶対ないのだけれど。
とにかく、違う人であって欲しかった。一年の時は同じクラスでそれなりに仲は良かったけれど二年にクラス替えしてから廊下で声を掛けて良いか分からなくなった気まずいあいつでも。
とにかく、彼女以外の人間なら誰でも良かった。
だが、そんな希望もすぐに砕けて四組の教室から出てきたのは紛れもなく奴だった。
彼女の姿を瞳が捉え、ついその容姿に息を飲み、時間がまるでコマ送りのように流れていくのを感じる。
恵まれた四肢。透き通るような白い肌。自分と同じ学生服の胸もとには一年の青い紀章。顔は和風の美人。体型は欧州風。きっと彼女は和室で淑やかにお茶をたて、茶店で爽やかにアールグレイを飲むような女だ。知らんけど。
整った日本顔、だからその銀髪が余計に不釣り合い。数時間ほど前までツヤのある黒髪だったはずだ。けれど今は銀髪が、神々しく輝く。それが彼女のもつアールグレイオーラと混ざって神秘的な空気を纏っていた。
どこかこの世と隔絶した存在。
先ほどまで俺がいつも通う高校の廊下だったはずの場所も、彼女がそこに立っているだけで未知の場所に思える。自分がこの目で見ている世界と彼女がいる世界は別のものなのではないかと錯覚してしまう。
雪原に咲く桜とか砂漠に咲くバラとかアスファルトに咲くタンポポとか。
やべぇ、例えが全部花だな、脳内お花畑なうだわ。
凡人が好意を抱くことさえ憚られる美しさ。触れてしまえば壊れてしまうような儚さ、手を伸ばしても届かない切なさ、時に凍ってしまうような冷たさを帯びながらも、そこには確かな温もりが存在するような。
それを人はアールグレイオーラと呼ぶ、はず。
銀髪の彼女はどこか聖女を連想させる。きっと迷える子羊なら即、眼前にひれ伏して教えを乞うだろう。
ただそれは彼女の見た目やオーラの話。
断言しよう。奴は聖女なんかではない。
聖女は、マリア様は、俺の、俺たちの聖女たんはきっと---。
聖女は両手に銃なんて持たない。
ましてや善良な一般市民に向けて発砲するなんて、もってのほか、だろ?
廊下を走ってはいけない。
なぜなら、ヤンキーとぶつかって目をつけられてしまうかもしれないから。
なぜなら、夏の魔物に連れ去られた女の子と曲がり角でぶつかって恋に落ちてしまうかもしれないから。
なにより、廊下を走ると「廊下を走ってはいけない、という常識を破る俺カッケー」と勘違いしているイタい奴と思われるかもしれないからだ。
そういった諸々の危険性を加味した結果、やはり廊下を走ってはいけない。
ただ、例外が三つある。
一つ、お腹が空いているとき。腹が減っては戦、もとい午後からの授業は集中出来ず。成長期の高校生には死活問題だ。お昼のチャイムが鳴ると同時に購買へ急ぎ、大人気の焼きそばパンを手に入れるため、法を犯してしまうのも許されるべき。
二つ、クラスから飛び出していったあの子を追いかけるとき。これは緊急事態である。「なんであいつばっかり責めんだよ!」とクラスメイトに捨て台詞を吐いたのち、すぐに走って後を追うべき。
そして三つ、それは。
両手に凶器を持った女の子から逃げるときである。
☆ ☆ ☆
生徒も教師も誰もいない、無人の廊下を全速力で走る。
くそ。こんなことなら普段から運動しておけばよかった。今日一日、走ってばっかりだ。
肺が苦しい、滴る汗が気持ち悪い、先ほど食らった一撃のせいで腹部が痛む。
カラスは泣いていない、雨も降っていない、野球部がグラウンドで練習をしてもいない。静寂に包まれた高校、その四階にて自分の靴がリノリウム張りの廊下を踏みつける音と荒々しく呼吸をする音だけが響いた。
駆ける廊下の左手側には窓ガラスが並んでいる。透明な四角の板に走っている制服姿の自分が映り、その姿と向こうの夕焼け空が混じる。学校の敷地を仕切ったフェンスの先には、住家があって工事中のマンションがあって畑があって奥に山があって、そのどれもが夕日に染められていた。
今この景色を校舎から眺めているのは俺一人だけだ。こういう光景のことを、のどかと人は呼び、気分と目尻を緩ませるのだろう。けれど、ガラスに反射した半透明の男の顔はどうしようもなく歪んでいた。
今の俺に景色を楽しんでいる暇はない。
ただ一つのことに集中する、集中しなければならなかった。たった一つのことに。
奴から逃げることに。
背後で大きな破裂音が響く。入ってきた。ここは四階だというのに。奴は、彼女は、空を飛んで、俺の、四組の窓ガラスを割って。
「入ってきた」
ピシャリと後ろで教室のドアが開く音。
控えめだが確かに聞こえたそれに、熱くなった頭は冷やされ思考回路と足を止められる。
磁石みたいに首が引き寄せられて、開かれた扉から目が離せない。電池を抜かれたおもちゃのように、ただただその場で呆然と立ち尽くす。
分かっている、彼女が廊下に姿を現すことを。けれどもしかしたら、今まで起きたことが全部幻か何かで、追われていることも俺の勘違いか何かで、話し合えばもう追われずに済むんじゃないかって淡い希望を一瞬抱いてしまった。
そして期待してしまった。教室から出てくるのが、例えば俺の家族や友達や幼馴染や恋人なんじゃないかと。
まぁ独り身だから最後のは絶対ないのだけれど。
とにかく、違う人であって欲しかった。一年の時は同じクラスでそれなりに仲は良かったけれど二年にクラス替えしてから廊下で声を掛けて良いか分からなくなった気まずいあいつでも。
とにかく、彼女以外の人間なら誰でも良かった。
だが、そんな希望もすぐに砕けて四組の教室から出てきたのは紛れもなく奴だった。
彼女の姿を瞳が捉え、ついその容姿に息を飲み、時間がまるでコマ送りのように流れていくのを感じる。
恵まれた四肢。透き通るような白い肌。自分と同じ学生服の胸もとには一年の青い紀章。顔は和風の美人。体型は欧州風。きっと彼女は和室で淑やかにお茶をたて、茶店で爽やかにアールグレイを飲むような女だ。知らんけど。
整った日本顔、だからその銀髪が余計に不釣り合い。数時間ほど前までツヤのある黒髪だったはずだ。けれど今は銀髪が、神々しく輝く。それが彼女のもつアールグレイオーラと混ざって神秘的な空気を纏っていた。
どこかこの世と隔絶した存在。
先ほどまで俺がいつも通う高校の廊下だったはずの場所も、彼女がそこに立っているだけで未知の場所に思える。自分がこの目で見ている世界と彼女がいる世界は別のものなのではないかと錯覚してしまう。
雪原に咲く桜とか砂漠に咲くバラとかアスファルトに咲くタンポポとか。
やべぇ、例えが全部花だな、脳内お花畑なうだわ。
凡人が好意を抱くことさえ憚られる美しさ。触れてしまえば壊れてしまうような儚さ、手を伸ばしても届かない切なさ、時に凍ってしまうような冷たさを帯びながらも、そこには確かな温もりが存在するような。
それを人はアールグレイオーラと呼ぶ、はず。
銀髪の彼女はどこか聖女を連想させる。きっと迷える子羊なら即、眼前にひれ伏して教えを乞うだろう。
ただそれは彼女の見た目やオーラの話。
断言しよう。奴は聖女なんかではない。
聖女は、マリア様は、俺の、俺たちの聖女たんはきっと---。
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