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偶然見てしまったもの
しおりを挟む最近、学園では不穏な噂が飛び交っている。
「婚約者を差し置いて、カイル殿下の隣にはいつも幼馴染の公爵令嬢がいる。ノエル様のことはどうされる気なのだろうか」
幼馴染の公爵令嬢とは、王妃陛下の生家であるローレンツ公爵家の令嬢、ドロテア様のことだ。
王太子殿下を含め、幼い頃から交流があるカイル殿下とドロテア様は、お互い気心が知れているからか学内でもよく一緒にいる。
ドロテア様はふた月前まで隣国に留学していたこともあり、学園での生活に慣れていない。王妃陛下からしばらく面倒を見てほしいと頼まれたそうなので、彼女と親しいカイル殿下が親切心からいつも一緒にいてもそこまで不思議な話ではなかった。
ところで――私、ノエル・ヴォルガノスは、現在学園の裏手に造られた庭園に足を運んでいる。
学徒の憩いの場としても利用されている庭園の隅……小川のせせらぎを耳にしながら視線を向けると、木陰に二つの人影があった。
後ろ姿でもすぐに分かる。
あの場に立っているのはカイル殿下。そしてカイル殿下のシルエットと重なるようにいるのは――ドロテア様だ。
「あ、あの……ノエル様……」
隣に立つ友人のミーナ様が青ざめた顔をしている。
無理もない。おそらくミーナ様の目には、二人が顔を近づけてキスをしているように映っているだろうから。もちろん私だけ景色が違うということはなく、同じものが見えている。
「ミーナ様、行きましょう」
「へっ!? で、でもノエル様!」
小声で慌てるミーナ様の手首を掴んで私は来た道を引き返す。
あんな場面を目撃して、どう行動をとるのが正解なのか分からないけれど。二人の間に割って入る勇気が私にはなかった。
(ああ、不甲斐ない……崇高な精神を掲げるヴォルガノスの者が、逃げるしかできないなんて)
あれは、いわゆる……横恋慕というものなのだろうか。浮気……とは違う。婚約はしていても結婚はしていないし。
(そもそもお二人が互いに想い合っているのなら、横恋慕という言葉も少し違う気がするけれど)
なんだか、胸の奥がつきんと痛くなる。
息苦しさもほんのりと感じて、私は学内に入ったところで歩みをとめた。
「ミーナ様、強引に手首を掴んでしまい申し訳ございません」
「いえ、それは全く構わないというか、むしろ光栄といいますか」
「それと、先ほど見たことは忘れてくれませんか?」
「えっ」
「むやみに話が広がって、騒ぎを大きくしたくはないので……」
「で、でも。そもそも、おかしいです! 殿下とドロテア様があんなことっ」
「ただ、学園を案内していただけかもしれないですから」
「案内といっても、ドロテア様が学園に入ってからもうすぐでひと月です! 今さらどこを案内すると……いえ、まずなにかの間違いですよ!」
気遣ってくれているのか、ミーナ様は見たものは勘違いかもしれないと言ってくれる。でも、握りしめた両手は震えていて、同様の色を隠すことはできていない。
私はくしゃりと泣きそうな顔のミーナ様の肩に手を置き、安堵させたくて笑顔を浮かべた。
「では、落ち着いたら……殿下に聞いてみます」
「はい! 絶対に、絶対に目にゴミが入って見てもらっているの図だったに違いありませんから!!」
私の友人ミーナ様は、そう強く意気込んだ。
彼女は王都に構える大きな商会長の一人娘であり、在学中も商業を手広く学んでいる影響か、少し気の強いところがある。そんなところも魅力なのだけど。
今回は、そんな彼女の性格にすごく救われた気がする。
……しかし、それから三週間が経ってもカイル殿下を問いただすことができなかった。
***
「ノエル、お前……どうかしたのか?」
ヴォルガノス侯爵邸敷地内に建設された騎士団訓練場。
我が家門は建国より王国の剣として名を馳せる騎士の一族であり、私も幼少から剣を手にしていた。
並行して貴族の子女としての嗜みを一通り学んでいるものの、頭をすっきりさせたいときは無我夢中で素振りをしている。
今日も学園から帰宅したあと、個人の訓練場で剣を振っていた。
その最中に一番上の兄、エリック兄様に背後から声をかけられた。
「エリック兄様、おかえりなさい。いつからそちらに?」
「5分ほど前からだな。珍しいな、ノエルが気配の察知に遅れるとは……って、なんだよその手は」
「手?」
私はようやく気がついた。剣を握る両手から、血が滲み出ていることに。
エリック兄様は私の手を取ると、眉を顰める。
すぐに訓練場の外に控えていた騎士の一人に救護箱を持ってくるように指示を出し、救護箱を受け取るとエリック兄様は処置を始めた。
「一日や二日でできたものじゃないな。一体いつから無茶な振り方をしていた?」
「それは……えへへ」
「その顔、言う気ないだろ」
三週間前、学園でカイル殿下とドロテア様の逢瀬を目撃してからだと、素直に言うことができない。
しかし、いつまでも一人で悶々としていたところで仕方がないので、それとなくエリック兄様の意見を聞いてみることにした。
「エリック兄様、例えばの話としてご意見をお聞きしたいのですが……カイル殿下と婚約解消をするというのは、現実的に可能でしょうか」
すると、エリック兄様は鳩が豆鉄砲を食ったような顔をする。
声を荒らげそうになっていたが、すんでのところでぐっと堪えていた。そして額に手を当てると、それは深い息を吐いた。
「………………あの意気地無し」
「兄様?」
「ああ、いや。なんでもない。それよりノエルは婚約解消をしたいということか?」
「そのほうが、カイル殿下のためになるかと思ったんです」
「やっぱり、何かあったんだな?」
「…………い、いいえ?」
「誤魔化しが下手すぎる」
無意識に視線を逸らすと、軽く指で額を突かれた。
その後、両手の手当てが終わりエリック兄様に再び尋ねられる。
「何があったんだ。兄様に言ってみろ」
「誰とは言いませんが……カイル殿下には、慕っている女性がいるかもしれなくてですね」
「な……は!? 女性って、誰のことだ!?」
「誰とは言いませんと先に伝えたじゃないですか」
「いや、まず、そんなことがあるはず……あり得ないだろう? カイル殿下だぞ」
そう言われても、あの場を見たあとではあり得ない話ではない。
どうしてエリック兄様がこんなにも取り乱しているのか私には分からなかった。
「エリック兄様は、最近カイル殿下とお会いしました?」
「……ああ。変わりない様子だったが」
「そうですか」
「そもそも、何がきっかけでカイル殿下に慕っている女性がいると、そう思ったんだ」
いくら兄とはいえ、カイル殿下の沽券に関わることなので、軽々しく打ち明けることができない。
私室で話すならまだしも、ここは屋外。誰が聞き耳を立てているのか分からないのだ。
「うーん、そうですね。色々と思うところがありまして」
笑って言葉を濁す。
正直に胸の内で抱いていた気持ちを言うのなら、私はカイル殿下の婚約者としてふさわしいのかと、考えることが多々あった。
家門を考慮して定められた婚約に本人同士の意思はなく、貴族に生まれたからには当然の義務だった。
婚約者になってからというもの、カイル殿下との交流の場を設けられる機会が増えたが、私をどう思っているのか本人から聞いたことはない。
(最初はもう少し、和気あいあいと話していた気がするのに。いつの間にかカイル殿下は私の前で常に張り詰めた顔をされるようになった)
思わずため息をついてしまう。
目を落とすと、包帯で巻かれた自分の手が見える。
「こんなに手をぼろぼろにしてしまって、淑女としてみっともないですね。カイル殿下も……」
今さらという気もするけれど、カイル殿下は剣を扱うような女を好まないのかもしれない。女性らしさという面では、私はきっとドロテア様に敵わないだろう。
「こら、ノエル」
私がこぼした弱音を、エリック兄様は許さなかった。
「お前の我慢強さ、忍耐強さは騎士道においては美徳だ。だけどな、今は少し悪い方面に出てしまっている。相手の意見を聞かないうちに自己完結してはいけない」
「ごめんなさい」
「謝る必要はない。ただ、そうだな……一度殿下と話してみてはどうだ」
「カイル殿下と……」
「ああ。ちょうど明後日は殿下との約束の日だろ。ゆっくりティータイムでもしながら、御心をたずねるんだ」
「ま、真正面からですか」
たしかに思い悩んでいたところで現状が変わるわけではない。
ここは当たって砕けろの勢いで胸の内を聞いてみよう。
(カイル殿下は、いつも私に誠実に接してくださっていた。恐縮してしまうほど沢山届く贈り物の数々、口数は少なく淡白だけれど二人きりの茶会は毎回出席してくれて、真摯に向き合ってくれる)
今まで蔑ろにされたことなど一度もなく、向き合えばきっと答えてくださると信じている。
それが、どんな理由だったとしても。
たとえば「好きな女性がいる」と言われたとしても。カイル殿下から直接打ち明けられる気持ちであれば、私は潔く受け入れたい。
(潔く、ヴォルガノスらしく)
ちなみに、当初の質問である婚約解消は可能なのかという話だが、できなくはないらしい。
自分で聞いたのに、いざカイル殿下と婚約解消することになったら……と想像したら、心臓がぎゅっと掴まれたように苦しくなった。
***
昨日はエリック兄様と話せたおかげで決心がついた。
そして、明日はカイル殿下とのお茶会。婚約者同士の交流を図ることを目的としたものなので、二人きりでゆっくり話すことができる。
「ノエル」
明日のことを考えるとどうしても落ち着かない。
気分を変えるため、昼休憩の時間を利用して学園内をあてもなく歩いていたら、中庭に出たところでカイル殿下に声をかけられてしまった。……隣には、当たり前のようにドロテア様がいる。
なんだかんだこの三週間、顔を合わせづらくて接触を避けていたのに、どうしてこうもタイミング悪く鉢合わせてしまうのだろう。
「カイル、殿下。ドロテア様、こんにちは」
「ごきげんよう、ノエル様」
会釈すると、ドロテア様はふんわりと微笑んだ。
「君の顔を見るのは、久しぶりな気がする」
「そうですね。ええと、お元気ですか?」
「ああ。……君は?」
「はい、私も特に変わりなく」
「そうか。その手は――」
「まあ、ノエル様! どうなさったの、この手!」
突然、ドロテア様に手首を掴まれ、手のひらを上向きにされる。
包帯が巻かれた手を大袈裟に晒され、私は驚いて言葉を失っていた。
「女性の手がこんなに傷だらけなんて、一体どうしたのですか?」
「これは、剣を振っていてできたものです」
「剣? ヴォルガノス侯爵家は、女性が剣を取らねばならないほど人材が不足しているの?」
「……、そんなことはありません」
すべての発言に敵意が含まれているように感じた。
ドロテア様が不憫そうに私を見るたび、周囲を歩いていた学徒たちに「なんだなんだ?」と注目を浴びてしまう。
「どちらにせよ淑女の手がこんなに汚れていては、社交界の場で婚約者であるカイル様に恥を欠かせ――」
「やめてくれないか、ドロテア嬢」
「えっ、カイル様?」
「ノエルが俺の婚約者だと分かっていての発言なのだとしたら、不愉快極まりない。この手も、今すぐに離せ」
私の手首を押さえ込んでいたドロテア様の腕を、カイル殿下は冷ややかな目をして掴む。
そんなことを言われるとは思っていなかった、と言いたげな顔で瞠目するドロテア様は、取り繕うように発言する。
「ど、どうしてなのカイル様。あなたは彼女をよく思っていないのでしょう。だからわたくしは、」
「――は? 誰がそんな馬鹿げたことを言った?」
「それはっ」
「君はノエルの手を汚れていると言ったが、俺は気高く美しいと常日頃から思っている。恥だと感じたことも一度だってあるものか」
驚いた。まさかカイル殿下の口から乱暴な「は?」を聞くことになるとは。そしてこんなに饒舌に語る姿も。ドロテア様もびっくりして後ずさってしまっている。
私と話すときのカイル殿下は、いつも気性を荒らげることはなく、何をするにもクールな人だったから。
そんな人が目をカッと開いて表情を崩しているので、まじまじと見てしまう。
その視線に気がついたカイル殿下は、我に返ったようにバツの悪い顔をしていた。
「あの、カイル殿下……」
言いかけたとき、私たちの頭上から悲鳴があがった。
見上げて、鉢植えが目に入る。
「殿下!」
「ノエル!」
その瞬間、同時に声があがった。
私はカイル殿下をその場から退けようと体を押し、カイル殿下は私を落ちてくる鉢植えから守るように腕を引く。
結果、二人分の重心が後ろに傾き、私たちは揃って中庭の芝生に倒れ込んでしまう。
ドサッという衝撃音のあと、私は急いで上体を起こした。
カイル殿下に怪我はないか確認したかったから。
「痛っ!」
カイル殿下の体を避けるように地面に両手をついたけれど、昨日の今日で癒えていない手のひらの傷が悲鳴をあげる。
ゆえに再び、カイル殿下の体に覆い被さるような形で密着してしまった。
「カイル殿下、お怪我はありませんか!?」
「………………ダメだ、心臓がもたない」
「心臓!?!?」
ひゅっと背筋が冷えていく。背中から倒れ込んでそのまま強く打ち付けてしまったのだろう。
しっかり呼吸はできているのか、今度こそカイル殿下の体から退いて確かめる。
「で、殿下、顔が」
「頼む、見るな」
「いえ見ます。ダメです、顔が赤いです。どんな症状なのか私には判断がつきません、すぐ医務室に」
「待てっ……!」
立ち上がろうとすると、カイル殿下は私の手首を掴んで行動を制止してくる。
一体どうしてとカイル殿下に目を向ければ、顔がさらにブワワッと赤く染まった。
「ノエル、ひとまず離れて差しあげなさい」
「ハルト兄様……?」
戸惑っていると、学園在学中の二番目の兄、ハルト兄様がやって来てカイル殿下から距離を取らせた。
「ハルト兄様! カイル殿下のお体を診てください、どこか強く打ってしまったようで」
「まあまあ、落ち着きなさい」
ハルト兄様は学園の備品室を私物化し、研究に没頭するためよく引きこもっているが、王室医療班顔負けの知識と腕を持っていた。ちなみに今年で二度目の留年となっている。
ハルト兄様は「まず落ち着きなさい、ほら飴だよ」と包装された飴玉をくれる。このとおりマイペースな性格なのだが、怪我人や病人に対しては真摯に向き合うことのできる立派な人だ。
それなのにいまだ天を仰いでいるカイル殿下の容態を確かめることはなく、ちらりと視線を投げるだけだった。
「殿下、ご無事ですよね?」
「……大丈夫だ」
ハルト兄様の声掛けで、のっそりと起き上がったカイル殿下。顔を片手で隠しているのでどんな表情をしているのか分からないが、やっぱり耳まで真っ赤になっている。
不意に覆った指の隙間から目が合う。ああ、首までも真っ赤に。
カイル殿下は挙動不審な動きを見せ、この世の後悔をすべて煮詰めたような深いため息をついた。
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