平凡雑音日記。

赤屋カル

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電話越しで

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 久々に友達と長電話した。
「話したいことあるんだよね。電話しよ」
そんなメールを1週間以内にそれは実現した。

その友達と私は北と南で真逆の県にいる。
距離があるのに感じさせないくらい落ち着いていて,何日も何ヶ月も話していないのに,あたかも昨日話したかのようにすぐに会話が始まる。
お互い何があったのか,ただの近況報告。
恋愛や学業,バイト。
くだらない話もしたし,真面目な話もした。
その中には,「進路」という文字も含まれた。
「不安」と「現実」という2つはわたしたちを苦しめる。
親に話しても返してほしい言葉は出てこず,いつも求めているものとは真逆の言葉を突きつけ,私たちに「現実」をみせてくる。
「逃げてもいい。」
そんな言葉が欲しかった。
「間違ってもいい。」
やり直すことができるから,失敗してもいいからっていう,言い訳みたいな言葉が欲しかった。
でも大体親が書ける言葉は
「自分が選んだ道なんだから仕方ないじゃない」とか
「もう戻れないよ」
とか。私に後退りをさせてくれない。
そんな言葉を求めて親に電話をしたわけじゃない。
泣きたい。
叫びたい。
不安から逃げたい。
ただその思いで電話をする。
でもくるのは違う。
一方,この友人は,私とタイプは違っても「現実」と「不安」を抱いてともに進路を歩んでいる。
まだ同い年。
その「まだ」が「同い年」が大体私の欲しい言葉と私と同じ似た「不安」を抱いている。
ただそれだけを知ると,「私だけじゃないんだ」という感情が飛び込んで,少し心が軽くなる。
今まで友達なんて「されど」と思っていたけれど,今思えば「同い年で同級生で友達」という,3要素が私のなにかを軽くする。
不安が募って食べ物を押し込んでそれでもこの「穴」は決して消えない。
けど,それでも立ち向かっていかなきゃいけない。
この「不安」と「現実」を目の前に,前の見えない道を歩くために私たちは今なにをしなきゃいけないのだろう。
ネガティブに考えれば,きっと夜は眠れないし,星がこんなにも多いんだ。今日は曇ってる。とか,そんなことも気づけない。
わたしたちが欲しい「安心」は多分2度とない。
就職したって,「お金」面や「リストラ」とか別の「不安」が増える。
退職したって,「健康」とか「寿命」とか別の「不安」が出る。
こういう「不安」は一生消えなくて,中身だけが変わって,わたしたちを襲ってくる。
もし仮に「安心」という文字を手に入れたいなら,私たちは,「不安」という気持ちを「仕方ない,頑張ろう」という安らかな心を持つことなのかもしれない。
無理にポジティブになろうとしなくていい。
無理に現実に向き合わなくていい。
「不安」という感情が芽生えるという事は,自分が「現実」と「自分自身」と向き合っている事だと思うから。
「不安」ばかり思ってたって,結局未来なんて見えないの。
だから,「不安」が募って苦しくなった時は,友達に話せばいい。
そしたら,その友達も別の「不安」を抱えてることがわかるかもしれないから。
話す相手がいないなら,snsを頼ればいい。
今の時代,snsを通して,別の不安を抱えてる人もいるのだから。
でも,これだけは言いたい。
「不安」という鎖に駆られているという事は,自分が「闘おう」「向き合おう」として,前に進んでいることを意味しているの。
「不安」を持てるという事は「自由」という言葉にもつながるの。
「不安」があるって実はありがたい事なのかもしれないね。

「不安」が解消すれば,新たな「不安」が生まれる。
私たちはその不安と向き合っていく事で,自分の力を発揮し,美しく生きていけるのかもしれない。
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