10 / 18

第10話:店主は『天才魔術師』を仲間にした!▼

しおりを挟む

――負けた。

天才魔術師として、そして親友として、私は完全にこの女主人に敗北した。

「……お手入れ終了です。血流量が安定しましたね。……ルナ様」

「ふぇっ!? あ、あ……う、うん。……え、いま、名前……?」

私は、シエルの膝から力なく頭を上げ、潤んだ瞳で彼女を見上げた。

思考能力はゼロだ。魔力回路が彼女の指先によって「最適化」されたせいで、全身がマシュマロみたいにふわふわして、立ち上がることもままならない。

今、名前を呼ばれたような気がしたけれど、私の脳は「心地いい……」という信号を処理するだけで手一杯で、危機感なんて一ミリも働かなかった。

「……あ、あの……シエル……さん? これ、いくら……? もう一回、おかわりとか……」

「追加発注は翌日以降の予約制です。……それより、お連れ様が夕食の準備を終えたようです。食堂へどうぞ」

「お連れ様……? ああ、そうだったわ、私はアルテミスの奴隷生活を暴きに来た……んだったわよね……多分」

おぼつかない足取りで、私は食堂へと向かった。

フードを深く被り直し、眼鏡の位置を直す。

……大丈夫。まだ私の正体はバレていない。

たとえさっきシエルに少し(?)トロけさせられたとしても、アルテミスにさえバレなければ、私の潜入調査は継続できる。

食堂の扉を開けると、そこには、香ばしいパンとハーブの香りが満ちていた。

そして。

「いらっしゃいませ。……本日のディナーをお持ちしました」

そこに立っていたのは、銀色の髪を後ろでまとめ、フリル付きのエプロンを完璧に着こなしたアルテミスだった。

……さっき窓から見た時よりも、ずっと近い。

騎士の時には決して見せなかった、柔らかい微笑み。その手には、重い剣ではなく、温かいスープの皿が乗っている。

「……っ(尊い)」

私は、心臓が口から飛び出しそうになるのを必死に抑えた。

ダメ。可愛い。

あんなに不器用だった幼馴染が、一生懸命にお客(私)のために料理を運んでいる。その姿は、勇者の後ろで泥にまみれていた時より、何万倍も輝いて見えた。

「……どうぞ。……何か、お口に合わないものでも?」

「あ、い、いえ! なんでもないわ! ……美味しそうね、ありがとう……」

私は声を低くして、震える手でスプーンを取った。

一口。……う、うっま。

なによこれ。冒険の時に食べていた、あの味のしない保存食は何だったの?

「……美味しいか。……よかった。シエルに教わって、私が初めて作ったスープなんだ」

アルテミスが、少し照れくさそうに頬を掻きながら、私の隣に立った。

……シエルに教わって? あんな、感情のなさそうな女に、こんなに優しい味を教わったっていうの?

「……あの、店主さん……シエルさんは、怖くないの? あんたを奴隷みたいに扱ってるんじゃ……」

私は思わず、変装していることを忘れて、素の声で尋ねてしまった。

アルテミスは、一瞬驚いたように私を見た後、窓の外……厨房で作業をするシエルの背中に目を細めた。

「怖い? まさか。……彼女は、私に『居場所』をくれた人だ。……戦場にいた時は、私はただの『壁』だった。でもシエルは、私を『アルテミス』という名の資源……大切な部品だと言ってくれる。……あんなに不器用で、でも温かい『管理』を、私は他に知らない」

アルテミスは、愛おしそうに自分のエプロンの裾を握った。

「……だから、私はここにいたいんだ。……ルナ。……お前にも、この安らぎをいつか教えたかった」

「…………え?」

今、なんて?  私は固まったまま、アルテミスを見上げた。

彼女は、私の丸眼鏡とフードの奥にある瞳を、真っ直ぐに見つめていた。

……最初から、バレてたの!?

「……お前の魔力の残滓を、私が忘れるはずがないだろう。……幼馴染なんだから」

「………………ッ、あ、あああああああ!」

私は、椅子から転げ落ちる勢いで立ち上がった。

顔から火が出るどころじゃない。全身が火柱になりそうだった。

バレてた。

潜入調査(笑)も、茂みの中での悶絶も、シエルに膝枕されてトロけていたところも、全部、全部アルテミスに筒抜けだったんだわ!

「あ、あんた……! な、何よ! 最初から知ってたなら言いなさいよ! ……っていうか、何あのお昼の膝枕! あんなの、あんなの……ズルすぎるじゃない!」

「ルナ。……お前も、だいぶシエルに『お手入れ』されたようだな。……耳まで赤いぞ」

「う、うるさいわよ! これは、その、スープが熱かっただけなんだから!」

私は叫びながらも、アルテミスに手を引かれて、再び席に座らされた。

悔しい。

親友を救いに来たつもりが、親友に「幸せな姿」を見せつけられて、おまけに自分までその幸せのお裾分け(なでなで)を頂いてしまった。

「……ルナ様。追加のオプション料金ですが」

いつの間にか背後に立っていたシエルが、事務的に請求書のようなものを差し出してきた。

「……あなたの魔力は非常に希少なリソースです。よろしければ、この宿の『夜間防衛・魔力供給担当』として、長期契約(宿泊)をしませんか? ……報酬は、毎日三度の食事と、私の『管理』……つまり、なでなで一回分込みで、いかがでしょう」

「な……なでなで込みって、あんた、人をそんな……安い条件で……っ」

私はアルテミスを見た。

彼女は、「……悪くないぞ、ルナ。シエルのなでなでは、世界一だ」と、嬉しそうに頷いている。

「…………っ、……も、もう。……一週間だけよ! あんたが本当に幸せなのか、私がしっかり見極めてあげるんだから!」

私は、真っ赤な顔でシエルの差し出した「契約書」に、震える手でサインした。

――天才魔術師ルナ。

勇者パーティを見捨て、親友を追ってきた彼女が、宿屋『木漏れ日』の「従業員2号」として登録された瞬間だった。

シエルは、無表情な唇をほんの、ほんの少しだけ吊り上げた。

「……交渉成立ですね。……さあ、在庫が揃ったところで、夕食の続きを始めましょうか」

宿屋の夜は、まだ始まったばかり。

勇者たちが泥を啜っている頃、辺境の宿では、二人の最強のリソースが、一人の女主人の「従業員管理」によって、とろとろに溶かされようとしていた。


しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

バーンズ伯爵家の内政改革 ~10歳で目覚めた長男、前世知識で領地を最適化します

namisan
ファンタジー
バーンズ伯爵家の長男マイルズは、完璧な容姿と神童と噂される知性を持っていた。だが彼には、誰にも言えない秘密があった。――前世が日本の「医師」だったという記憶だ。 マイルズが10歳となった「洗礼式」の日。 その儀式の最中、領地で謎の疫病が発生したとの凶報が届く。 「呪いだ」「悪霊の仕業だ」と混乱する大人たち。 しかしマイルズだけは、元医師の知識から即座に「病」の正体と、放置すれば領地を崩壊させる「災害」であることを看破していた。 「父上、お待ちください。それは呪いではありませぬ。……対処法がわかります」 公衆衛生の確立を皮切りに、マイルズは領地に潜む様々な「病巣」――非効率な農業、停滞する経済、旧態依然としたインフラ――に気づいていく。 前世の知識を総動員し、10歳の少年が領地を豊かに変えていく。 これは、一人の転生貴族が挑む、本格・異世界領地改革(内政)ファンタジー。

つまらなかった乙女ゲームに転生しちゃったので、サクッと終わらすことにしました

蒼羽咲
ファンタジー
つまらなかった乙女ゲームに転生⁈ 絵に惚れ込み、一目惚れキャラのためにハードまで買ったが内容が超つまらなかった残念な乙女ゲームに転生してしまった。 絵は超好みだ。内容はご都合主義の聖女なお花畑主人公。攻略イケメンも顔は良いがちょろい対象ばかり。てこたぁ逆にめちゃくちゃ住み心地のいい場所になるのでは⁈と気づき、テンションが一気に上がる!! 聖女など面倒な事はする気はない!サクッと攻略終わらせてぐーたら生活をGETするぞ! ご都合主義ならチョロい!と、野望を胸に動き出す!! +++++ ・重複投稿・土曜配信 (たま~に水曜…不定期更新)

空手馬鹿の俺が転生したら規格外の治癒士になっていた 〜筋力Eのひ弱少年治癒士が高みを目指す!?〜

くまみ
ファンタジー
 前世は空手部主将の「ゴリラ」男。転生先は……筋力Eのひ弱な少年治癒士!?  「資質がなんだ!俺の拳は魔法を超える!……と、思うけど……汗」 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー  俺は五里羅門(ごり・らもん) 35歳独身男だ。硬派すぎて女が寄り付かず。強すぎる空手愛と鍛え抜かれた肉体のせいで不本意ながら通称「ゴリラ」と呼ばれていた。  仕事帰りにダンプに跳ねられた俺が目覚めると、そこは異世界だった。だが転生した姿は前世とは真逆。  病弱で華奢。戦闘力最低と言われる職業の「治癒士」(ヒーラー)適正の10歳の少年・ノエル。  「俺は戦闘狂だぞ!このひ弱な体じゃ、戦えねぇ!  「華奢でひ弱な体では、空手技を繰り出すのは夢のまた夢……」  魔力と資質が全てのこの世界。努力では超えられない「資質の壁」が立ちふさがる。  だが、空手馬鹿の俺の魂は諦めることを知らなかった。  「魔法が使えなきゃ、技で制す!治癒士が最強になっちゃいけないなんて誰が決めた?」  これは魔法の常識を「空手の技」で叩き壊す、一人の少年の異世界武勇伝。    伝説の騎士、美少女魔術師、そして謎の切り株(?)を巻き込み、ノエルの規格外の挑戦が今始まる!    

社会の底辺に落ちたオレが、国王に転生した異世界で、経済の知識を活かして富国強兵する、冒険コメディ

のらねこま(駒田 朗)
ファンタジー
 リーマンショックで会社が倒産し、コンビニのバイトでなんとか今まで生きながらえてきた俺。いつものように眠りについた俺が目覚めた場所は異世界だった。俺は中世時代の若き国王アルフレッドとして目が覚めたのだ。ここは斜陽国家のアルカナ王国。産業は衰退し、国家財政は火の車。国外では敵対国家による侵略の危機にさらされ、国内では政権転覆を企む貴族から命を狙われる。  目覚めてすぐに俺の目の前に現れたのは、金髪美少女の妹姫キャサリン。天使のような姿に反して、実はとんでもなく騒がしいS属性の妹だった。やがて脳筋女戦士のレイラ、エルフ、すけべなドワーフも登場。そんな連中とバカ騒ぎしつつも、俺は魔法を習得し、内政を立て直し、徐々に無双国家への道を突き進むのだった。

ダンジョンがある現代社会に転生したので、前世を有効活用しようと思います

竹桜
ファンタジー
 ダンジョンがある現代社会に転生した。  その世界では探索者という職業が人気だったが、主人公には興味がない。  故に前世の記憶を有効活用し、好きに生きていく。  

出来損ない貴族の三男は、謎スキル【サブスク】で世界最強へと成り上がる〜今日も僕は、無能を演じながら能力を徴収する〜

シマセイ
ファンタジー
実力至上主義の貴族家に転生したものの、何の才能も持たない三男のルキウスは、「出来損ない」として優秀な兄たちから虐げられる日々を送っていた。 起死回生を願った五歳の「スキルの儀」で彼が授かったのは、【サブスクリプション】という誰も聞いたことのない謎のスキル。 その結果、彼の立場はさらに悪化。完全な「クズ」の烙印を押され、家族から存在しない者として扱われるようになってしまう。 絶望の淵で彼に寄り添うのは、心優しき専属メイドただ一人。 役立たずと蔑まれたこの謎のスキルが、やがて少年の運命を、そして世界を静かに揺るがしていくことを、まだ誰も知らない。

勇者パーティーにダンジョンで生贄にされました。これで上位神から押し付けられた、勇者の育成支援から解放される。

克全
ファンタジー
エドゥアルには大嫌いな役目、神与スキル『勇者の育成者』があった。力だけあって知能が低い下級神が、勇者にふさわしくない者に『勇者』スキルを与えてしまったせいで、上級神から与えられてしまったのだ。前世の知識と、それを利用して鍛えた絶大な魔力のあるエドゥアルだったが、神与スキル『勇者の育成者』には逆らえず、嫌々勇者を教育していた。だが、勇者ガブリエルは上級神の想像を絶する愚者だった。事もあろうに、エドゥアルを含む300人もの人間を生贄にして、ダンジョンの階層主を斃そうとした。流石にこのような下劣な行いをしては『勇者』スキルは消滅してしまう。対象となった勇者がいなくなれば『勇者の育成者』スキルも消滅する。自由を手に入れたエドゥアルは好き勝手に生きることにしたのだった。

処理中です...