魔術が使えない時計職人と、時を操る魔術師

駄駄駄(ダダダ)

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第1章:寄宿学校編〜時計の針は動き出す〜

第04話:時計師は、揺れる揺籃の音を聞く

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 帝立魔術学園の午前は、冷徹な静寂と、過剰なまでの光に満ちていた。

 白亜の柱が天を支える講堂は、信仰なき聖域として、その圧倒的な威容を誇っている。

 ステンドグラスを通して降り注ぐ多色の陽光が、新入生たちの純白の礼服を、冷ややかに照らし出していた。

 ここは神へ祈りを捧げる場ではなく、己が「高価な商品」であることを証明するための、冷酷な品評会だ。

 リズは講堂の端、重厚な彫像の影に潜むようにして立ち、鋭い観察者の視線を壇上へと向けていた。

 燕尾服の隠しポケットから取り出した懐中時計が、掌の中でチク、タクと一定の脈動を伝えてくる。

「……脈拍の乱れ、呼吸の浅さ。これほど厳かな場であっても、彼女たちの本質は怯えた小鳥と変わりませんか」

 リズは誰にも聞こえないほどの声で、密かに独りごちた。

 その時、重厚な沈黙を切り裂くようにして、一人の少女が壇上へと歩み出る。

 エルゼ・フォン・アステリア。

 時を操る魔術を宿したその少女は、十四歳という幼さを感じさせぬ凛とした足取りで、演台の前に立つ。

「私はここに誓います。アステリアの名において、魔術の深淵を追求し、この学び舎に相応しき資質を証明することを」

 澄んだ、けれど感情の起伏を一切排除した冷たい声が、広い講堂の隅々まで響き渡る。

 リズの眼は、彼女が握りしめた宣誓文の紙が、極小の機械的な振動のように震えていることを見逃さなかった。

 周囲の少女たちが羨望と嫉妬を交えた溜息を漏らす中、リズだけがその震えの「周期」を数えている。

 それは最強の魔術師という鎧の下で、か細く鳴る一人の少女の、生身の心臓の音であったからだ。

 午後の学園案内は、延々と続く石造りの廊下と、幾何学的に整えられた庭園を巡る、過酷な耐久試験のようであった。

 案内役の教師が語る「伝統」や「格式」という甘美な言葉を、リズは頭の中で「在庫管理」や「品質保証」という無機質な語彙へと変換していく。

 太陽が天頂を過ぎ、尖塔が長い影を落とし始める頃、新入生たちの顔には一様に隠しきれない疲労の色が滲み始めている。

 ようやく解放され、主従に与えられた寮の区画へと戻った頃には、陽光はすでに黄金色の残滓へと変わり、空を紫に染めていた。

 主従に与えられた二つの部屋は、廊下を挟んで向かい合わせに、鏡合わせのように配置されている。

 エルゼは扉を開けるなり、高級な絨毯の上に糸が切れた人形のように倒れ込んだ。

「……疲れたわ。もう一歩も動きたくない。ねえ、リズ。早くなんとかしなさい」

「承知いたしました。まずは荷解きを。エルゼ様、あなたの非効率なわがままを処理するのも、今日からは私の職務ですから」

 リズは燕尾服の袖を僅かに捲り、エルゼが持ち込んだ膨大な荷物を、最適化された手順で一つずつ捌いていく。

 最上質の絹を用いたドレス、複雑な魔導具のメンテナンスキット、そして彼女が愛してやまない深い青の宝石の数々。

 それらをクローゼットの決まった位置へ収めるリズの手つきは、精密時計を分解掃除する時と同じほどに、躊躇がなく、かつ丁寧であった。

「ふん、意外と手際がいいのね。……私の部屋が終わったら、あなたの分もさっさと終わらせなさい」

「ええ。私の荷物は時計一つ分ほどしかありませんから、一分もあれば十分すぎます」

 リズは言葉通り、自身の部屋の荷物も瞬く間に整理し、再びエルゼの部屋へと戻って次の業務へと着手する。

 夜の帳が完全に降り、学園が青白い魔導灯の冷光に照らされる頃、リズはエルゼの入浴の準備を整えた。

 男子禁制の檻。ここでは従者が主人のすべてを世話し、管理しなければならないという厳格な掟がある。

 リズは最高級の燕尾服を脱ぎ、水仕事用の簡素なリネンの半袖シャツと、膝丈のスラックスに着替えて浴室へと入った。

 白い湯気が立ち込める浴室で、リズは慣れた手つきでエルゼの白磁のような背中を流していく。

「……リズ、あなたの指先、冷たいわね」

「鉄と油に親しんだ職人の指ですから。不快であれば、少し温めましょうか」

「いいわよ。……そのままで。なんだか、冷たい歯車に触れられているみたいで、かえって落ち着くわ」

 湯船に浸かり、頬を林檎のように赤く染めたエルゼを、厚手のバスタオルで優しく包み込む。

 湯上がりのエルゼを寝室のドレッサーの前に座らせると、リズは猪毛を用いた最高級のブラシを手に取った。

 リズの手によって解かれたエルゼの髪は、真夜中の深海を思わせる、濃く艶やかなミッドナイトブルーをしていた。

 普段は高貴なポニーテールや複雑な編み込みに束ねられているその長い髪を、リズは毛先から慎重に、絡まりを解くように梳かしていく。

 ブラシが通るたび、重厚な紺色の髪が月光を吸い込み、絹のような滑らかな光沢を放ってリズの指先を滑り落ちていく。

「あなたの手つき、まるで……壊れやすい時計を扱っているみたいね」

「ええ。あなたの髪も、一秒の狂いも許さない精密な機構と同じです。乱暴には扱えませんので」

 リズは次に、用意されていたネグリジェをエルゼの小さな身体に通す。

 それは、西洋の伝統的な寝衣を思わせる、純白の綿で仕立てられたロングワンピースであった。

 胸元には繊細なフリルが施され、裾に向かって柔らかな曲線を描くその姿は、昼間の「特待生」の面影を完全に消し去っている。

「……よく似合っていますよ。さあ、エルゼ様。一日の疲れを癒すための睡眠時間を確保してください」

「……そうね。リズ、あなたも早く休みになさいよ。明日からまた、私の所有物として働いてもらうんだから」

 エルゼを天蓋付きのベッドへと横たわらせ、リズは主人が安らかな寝息を立て始めるのを見届けてから、静かに部屋を退出した。

 向かいの自室へ戻ったリズは、ようやく「従者」としての緊張から解放される。

 彼女は汗と湿気を吸った作業服を脱ぎ捨て、誰もいない浴室へと向かった。

 自分自身の入浴は、彼女にとって一日の「調律」のようなものだ。

 熱い湯が、燕尾服に締め付けられていた肩や、立ち仕事で強張った足を解きほぐしていく。

 リズは静寂の中で、自身の白銀の髪を丁寧に洗い、職人としての指先を慈しむように磨き上げた。

 浴室から上がり、鏡に映る自分を見つめる。

 彼女が手に取ったのは、エルゼが「罰」の一部として用意させた、主人とお揃いの白いネグリジェであった。

 晒し布を解いたその身体は、大人の女性としての緩やかな曲線を描き出し、薄い綿布がそれを優しく包み込む。

 燕尾服という「鎧」を失い、むき出しの女性に戻った自分自身に、リズはかすかな戸惑いを覚えながらもベッドに潜り込んだ。

 心地よい静寂が部屋を満たし、ようやく職人の一日が完結しようとしていた。

 ――トントン。

 金属の打鍵音のような、控えめな、けれど拒絶を許さないノックの音が部屋に響いた。

 リズが身を起こし、扉を開けると、そこには先ほど寝かしつけたはずのネグリジェ姿のエルゼが立っている。

 その細い腕には、不釣り合いなほどに大きな、耳の垂れたうさぎのぬいぐるみが抱えられていた。

「……どうされました、エルゼ様。時計の修理が必要な時間ではありませんが」

 エルゼは視線を落ち着かなげに彷徨わせ、ぬいぐるみの耳をぎゅっと握りしめた。

「……部屋が、広すぎるのよ。それに、枕が変わると寝られない体質なの。私のせいじゃないわ」

「それは枕の材質の問題であって、私の部屋に来る理由にはなりませんが」

「うるさいわね! 主人の命令は絶対よ。……今日は、ここで寝るわ」

 エルゼは強引にリズの脇をすり抜け、まだリズの体温が微かに残るベッドへと滑り込んだ。

 リズは呆れたように眉を寄せ、開いたままの扉を静かに閉める。

「……合理的ではありませんね。二人で寝れば、睡眠の質は著しく低下します。体温の干渉も無視できません」

「理屈なんて聞いてないわ。ほら、早く来なさいよ。……冷たい時計師さん」

 ベッドの端を叩いて促すエルゼに、リズは再び小さく嘆息した。

 同じ白いネグリジェを纏った二人の女性が、狭いベッドの上で肩を並べる。

 リズが隣に横たわると、エルゼは待っていたと言わんばかりに、リズの細い腕に強く抱きついてきた。

 自分よりも少しだけ高い少女の体温、そして布越しに伝わる、リズの隠しようのない柔らかな肢体の感触。

 うさぎのぬいぐるみと、少女の熱、そして大人の時計師の静かな鼓動。

 それらが混じり合い、夜の帳の中で、一つの歪なリズムを刻み始める。

(……困りましたね。これでは私の時計の音が、聞こえなくなってしまいます)

 リズは暗闇の中で、自身の胸の鼓動が、隣り合う少女のリズムに少しずつ同調していくのを確かに感じていた。

 檻の中の、最初の夜。

 時計師は、自分以外の存在が刻む「不規則な時」に戸惑いながら、ゆっくりと深い眠りへと落ちていった。
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