魔術が使えない時計職人と、時を操る魔術師

駄駄駄(ダダダ)

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第1章:寄宿学校編〜時計の針は動き出す〜

第06話:時計師は、屈折の魔術師と出会う

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 帝立魔術学園の放課後は、薄明の紫に包まれ、静謐な重圧を増していく。

 一般の生徒たちが談笑しながら寄宿舎へと引き上げる中、リズはエルゼの許可を得て、演習場の片隅にある放棄された観測塔へと向かった。

 その背後には、壊れ物を抱えるようにして怯えるノアと、重い硝子細工の道具箱を背負ったミーシャが続いている。

「……本当に大丈夫なのでしょうか。あのような方々に目を付けられて、私、もう怖くて……」

 ノアの震える声が、石造りの階段に虚しく反響する。

「問題ありません。外敵の処理は主人の管轄、内部の調整は私の職務です。ノア様、あなたはただの『部品』に戻り、私の指先に身を委ねればよいのです」

 リズは冷淡に言い放つが、その瞳には職人特有の、獲物を解体して再構築しようとする熱い輝きが宿っていた。

 最上階の円形の間。窓から差し込む月光が、床に敷かれた複雑な魔法陣を青白く浮かび上がらせている。

 リズは燕尾服の袖を静かに捲り上げ、ミーシャの前に立った。

「ミーシャ。あなたの道具箱を見せてください。硝子細工師としての、あなたの『技術』を見てみたいのです」

「は、はい……! あ、あの、あまり立派なものではありませんが、代々受け継いできた旋盤と、特製の坩堝です……」

 ミーシャが震える手で蓋を開けると、そこには使い込まれた真鍮製の魔導旋盤と、数種類の砂が詰まった瓶が整然と並んでいた。

 リズはその道具の一つ一つを、検品するように鋭い視線でなぞっていく。

「……道具の整備状況は良好。砂の純度も、没落しかけている家門のそれとは思えないほどに高い」

 リズは一本の小さなノギスを取り出し、ミーシャが以前に作ったという未完成の硝子球を計測した。

「誤差、マイナス0.003ミリ。……合格です。これならば、私の計算に耐えうるレンズが焼けるでしょう」

「ご、合格……? リズさんに、褒められた……?」

 ミーシャの顔に、初めて職人としての誇りが混じった、小さな微笑みが浮かぶ。

 リズは懐中時計の文字盤を裏返し、そこに隠された「魔導投影機」を作動させた。

 青い光が空中に網目状の図面を描き出し、それは複雑な曲面を持つ、六角柱のプリズムの設計図であった。

「ノア様の『屈折』が霧散するのは、魔力が空気に触れた瞬間に生じる熱膨張が原因です」

 リズは図面の一箇所を指差し、理路整然とした解説を始めた。

「光を曲げるためには、空間の密度を変化させる必要がありますが、ノア様の魔力はその『密度』の境界線が鋭すぎて、自己干渉を起こしています」

「自己……干渉……?」

「ええ。自分で引いた線に、自分の足が躓いている状態です。ですから、その線を『硝子』という固定された媒体で補強します」

 リズの言葉に合わせて、ミーシャが坩堝に火を入れ、魔力を流し込んで砂を溶かし始めた。

 青白い炎が立ち上がり、溶けた砂がオレンジ色の輝きを放つ流体へと姿を変えていく。

「ミーシャ、この屈折率で硝子を吹いてください。私が冷却のタイミングを、ミリ秒単位で指示します」

「はい! ……行きます、ノア様、見ていてください!」

 ミーシャの瞳から怯えが消え、硝子細工師としての鋭利な集中力がその身を包んだ。

 吹き竿の先に付着した溶融硝子が、彼女の呼吸と共に膨らみ、リズの指示に合わせて形を変えていく。

「三、二、一……今、右旋回。温度を四度下げて。……そのまま固定」

 リズは懐中時計の脈動を確認しながら、冷徹な指揮者としてミーシャを導く。

「……完璧です。これが、ノア様の才能を閉じ込めるための『檻』となります」

 出来上がったのは、月光を吸い込んで妖しく明滅する、一点の曇りもない多面体のレンズであった。

 一方その頃、塔の下では、エルゼが優雅に折りたたみ椅子に腰掛け、ノアの「教育」を行っていた。

「……背筋が曲がっているわよ。昨日も言ったでしょう? 視線は常に、不敬な者を射抜くように保ちなさい」

「は、はい、エルゼ様! ……でも、私なんかが、そんな……」

「『私なんか』。……その言葉を次に口にしたら、あなたのその長い前髪、全部焼き払ってあげるわ」

 エルゼは毒づきながらも、自身が愛用している最高級の紅茶をノアのカップに注ぎ入れた。

「アステリアが興味を持った素材なのよ。あなたが無能であることは、私の審美眼が狂っていることと同義だわ」

 エルゼはノアの顎を、細い指先で強引に持ち上げ、至近距離からその紺色の瞳で見つめた。

「誇りなさい。あなたは今、この世界で最も美しい時計師に修理されているのだから」

 ノアの頬が赤く染まり、彼女は初めて、自身の無能さを呪うのをやめて、前を向いた。

 その時、塔を囲む植え込みの影から、三つの頭がひょこりと現れた。

 昨日エルゼに撃退された三人組の令嬢たちであった。

「……ねえ、見て。エルゼ様が、あんな地味な子に紅茶を淹れてあげているわ」

「なんて慈悲深い……。あの方は冷酷に見えて、実は傷ついた小鳥を慈しむ女神なのでは?」

 リーダー格の令嬢が、扇子を握りしめて興奮気味に囁く。

「それに見て、あの時計師の侍女。ミーシャとかいう小娘に、あんなに熱心に指導して……」

「厳格な師弟愛……いえ、これはもっと深い、職人同士の魂の共鳴……。ああ、尊いわ」

 彼女たちの瞳には、もはや憎悪の欠片もなかった。

 そこにあるのは、自分たちが入り込めない完璧な主従の絆に対する、歪んだ、けれど純粋な「崇拝」の始まりであった。

「……準備が整いました。ノア様、こちらへ」

 リズの声が塔の上から響き、エルゼとノアが階段を駆け上がる。

 ミーシャが作り上げたレンズを、リズは空中に固定し、自らの懐中時計の鎖をそこに繋いだ。

「ノア様。あのレンズの焦点に、あなたの『光』を全て注ぎ込んでください。思考を止める必要はありません」

 リズはノアの背中に手を当て、自身の魔力を微弱な信号として彼女の回路に流し込む。

「……一秒を、一千に分割して感じてください。光がレンズを通過する瞬間、空間はあなたの意志に従って固定されます」

 ノアが震える手でレンズを指差し、魔力を解放した。

 今までなら無様に霧散していたはずの微光が、ミーシャの硝子を通過した瞬間、収束された一本の「白銀の槍」へと変貌した。

 光の槍は夜空を垂直に貫き、雲を円形に穿って、遥か天上の星々へと届くかのような輝きを見せた。

「……できた。私、光を……形にできた……!」

「いいえ、これはまだ始まりに過ぎません。……あなたの『時間』が、ようやく動き出しただけです」

 リズは満足げに懐中時計を閉じ、隣で呆然とするミーシャの肩を軽く叩いた。

 エルゼはその光の柱を見上げ、不敵に、けれどどこか誇らしげに微笑んでいる。

「悪くないわね。……アステリアのコレクションに加える価値は、一先ず証明されたようね」

 月光の下、二組の主従が、新しい因果の糸で結ばれた瞬間であった。

 その光の柱を、学園の時計塔の影から、三人組がうっとりと見つめていた。

「……決めたわ。私、あの方たちを生涯かけて推していくことに決めたわ!」

「ええ! エルゼ様のあの厳しさと、リズさんのあの冷徹さ……これこそが至高の美ですわ!」

 彼女たちの歪な情熱が、物語の新たな不協和音――あるいは、最強の援軍としてのリズムを刻み始める。

 夜の帳が降りた帝立魔術学園で、時計師は静かに、自身が調律した「新しい歯車」が回る音を聞いていた。
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