雪の残響 ~エラリア帝国の終焉~

Dragonfly

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祝宴の後

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気が付けば、ヴェラの意識は、見慣れぬ寝室の天井近くに浮かんでいた。

赤と金が散りばめられた、豪奢な部屋。
壁には燃え盛る戦の図を描いたタペストリーがかかり、絹の帳の向こうからは、香の甘く重い香りが漂ってくる。
一度も足を踏み入れたことはないが、一目で――ここが紅の妃ハーモニアの寝室だとわかった。

寝台には、ハーモニアと、皇帝アルセニイの姿。
深紅の天蓋の下、二人の影が寄り添い、暖炉の火がその輪郭を揺らめかせている。
静寂の中に、肌と肌が触れあう微かな音と、低い息遣いが満ちていた。

ヴェラはその光景を、まるで夢の中のように見下ろしていた。
胸の奥が、氷と炎を同時に飲み込んだように熱く、そして冷たくなる。

やがてハーモニアは身を起こし、微かに含み笑いを浮かべた。
その声は、蜜を垂らすように滑らかで、刃のように鋭い。

「陛下、白の妃の心には、何か秘密めいたものがあると思われませんか?」

その一言に、ヴェラの意識がざわめく。
息を呑み、声にならない声を漏らした瞬間――

皇帝の低い声が、ゆっくりと、まるで氷を踏むように応えた。

「……ああ、よく見ているな、ハーモニア。面白いことに、ヴェラは余ではない誰かを、想っているようなのだ」

その言葉が突き刺さった瞬間、胸の奥にある心臓が、一度止まった気がした。

「ご存じでしたか」

ハーモニアの声は艶やかに揺れ、唇の端に笑みを浮かべる。

「気づいているとも――だが、誰のことをどれほど思っていようとも、彼女は所詮、余の”もの”だからな」

アルセニイの声は静かでありながら、そこに滲む形のない影が、どんな怒号よりも冷たく、恐ろしかった。
まるで自分の心までもが、誰かに所有されることを当然のように語られているかのようだ。

「ご趣味の悪いことで」

ハーモニアは、少し意地悪く笑い、皇帝の胸に指先を滑らせた。
その指は愛撫のようでいて、何かを奪おうと狙っている蛇の舌のようでもあった。

「”神の代理人”として、その程度の愉悦は許されるであろう?」

皇帝はつぶやき、ただ火の方を見つめている。
愉悦というにはあまりにも空虚な、倦怠に酷似した色が、その瞳の中で揺らいだ。

「それとな、紅の妃よ」
「はい?」
「そなたは少し、男というものを理解したほうがよいぞ」

淡々と語る皇帝に、ハーモニアは首をかしげる。

「理解ーーと、いうのは?」
「そなたは、余と似すぎているのだ。男というのはなーー自分と異質なものに対する征服欲を持つ生き物なのだ。本能的にな」

ハーモニアが息を飲む。
”ヴェラ”もまた、声にならない息を宙中で飲む。

「それがーー陛下が、白の妃をご寵愛される、理由でしたか……」

ハーモニアの声は、獣のうなり声に似ていた。
皇帝の顔が、ほんの少しゆがむように笑う。

「”あれ”を、その想いごと支配下に置いて楽しむ余の欲のことを、”寵愛”とは呼ばぬと思うがな」

枯れた声ーーその底の濁った灰色の瞳は虚ろで、なにも映してはいない。目の前のハーモニアのことさえも。

――この人は、誰のことも愛してはいない。誰も、彼の中に届いてはいない――

ヴェラの心に、冷たい理解が広がる。
その理解が、かえって彼女を深い恐怖へと引きずり込む。

ハーモニアは目を細め、唇を火の色に染めながら、声を低くして囁いた。

「もし、先日の蒼のように……白のミハイル・ルースが帝国に害をなしたら、どうされます?陛下はだいぶ、白の妃をご贔屓にされていますが」

皇帝は火の揺れる灯を眺めたまま、平然と答えた。

「同じことになる。蒼が犯した過ちと変わらぬ結末だ。ヴェラは余を楽しませてくれるが、代わりがいないわけではない」

その声音の無感情さに、ヴェラの意識は震えた。
情など、そこには欠片もなかった。ただ、皇帝としての冷たい冷ややかさだけがある。

ハーモニアは微笑みを深め、喉の奥で小さく笑った。
それは勝者の笑みではなく、より深い悪意を隠す仮面のようだった。

(ならば、排除してしまえばよい……)

その声が、耳ではなく頭の奥で響く。
脳髄に直接、赤熱した刃を突き立てられるような激痛。
視界がにじみ、呼吸が遠ざかっていく。



”神の声”が、焼けつくような光の中で響いた。
次の瞬間、世界はまた、まっ白に溶けていった。
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