雪の残響 ~エラリア帝国の終焉~

Dragonfly

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最後の言葉

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白い光の中でーーヴェラの意識はゆっくりと、旋回していた。

時間の渦が逆向きにねじれ、歪み、千切れそうになりながらも、ヴェラは必死にどこかへたどり着こうと、宙を掻く。

ふわり……と、ふと、その渦が、動きを止めた。
空気が、少しだけ温かい。

見覚えのある光景ーー白の領地の館、雪のまだ残る中庭が、ヴェラの眼下に広がっていた。
湖面の氷が溶けかけてところどころ割れている、春の泉。岸辺には、小さな雪割草が数輪、花開いている。

そしてそのほとりに、10歳ぐらいの少年と15歳ぐらいの少女の姿。

ーーあれは……ミシュと、私……?ーー

ミシュの薄茶色の髪が、まだ冷たい春の風に煽られて舞い上がっている。
その手が小さな石を拾って泉に向かって投げると、氷が割れ、その下から覗く水面の面積が広がった。

「ねぇ、姉さん。神様って……ほんとにいるのかな?」

弟の唐突な言葉に、”ヴェラ”は、少し驚いた顔をした。

「ミシュ、そんなこと――」
「だって、祈っても何も起きないじゃないか。母様が病気で死んだ時も、みんなで祈ったけど、神様は助けてくれなかった。もし神様がいるなら、どうして黙っているのさ?」

”ヴェラ” は言葉を失った。まだほんの子供だったミシュの素直で無邪気な言葉に返す言葉がなく、ただ唇を噛みしめて立ち尽くす。
そして反論ができなかったのは、彼女自身が同じことを感じていたからでもあった。

ーー神は、なぜ、次第に沈黙するようになっているのか。なぜ、そうしているのか……ーー

「黙っているからといって、神を軽んじるものではないぞ」

やわらかな……それでいていつになく厳しい声が、子供達の間に響いた。
ふたりが振り返ると、家長のミハイルがゆっくりと歩み寄ってくる。光の下で彼の薄青の瞳は透けるように澄み、湖の氷のような静けさをたたえていた。

「神の沈黙を侮れば、私たちは道を誤る」
「でも――父上」

少年は不満げに唇を尖らせる。

「神様は何もしてくれないじゃないか。僕たちを助けてくれない」

ミハイルはしばらく黙っていた。 その沈黙が、言葉よりも重くふたりにのしかかる。 やがて彼は膝を折り、ミシュの目線に合わせて静かに言った。

「勘違いをするな、ふたりとも。神への祈りは、助けを求めるものではない。己を、神に向けて差し出す行為だ」

ミシュは反発するように言い返す。

「でも、神様が何も言わない上に何もしてくれないなら、何も変わらないよ!」

ミハイルはわずかに眉を動かし、少年の肩に手を置いた。

「変えるのはーー変わるのは、人だ。お前達も神への不満を漏らすのではなく、自分がどうするのかを、自分で考えられる人間になりなさい」

ミハイルの声は優しかったが、いつになく冷たく、厳しかった。

”ヴェラ” はその言葉を聞きながら――胸の奥が疼くのを感じた。
自分は、ミシュの言葉に思わず同調してしまった。
だが……本当は自分こそが、神の沈黙の意図を、その真意を、洞察できなければならなかったのではないだろうか……。

「ごめんなさい、おとうさま」

小さな声で、つぶやく。
ミハイルの手が伸びてきて、ヴェラのクリーム色の髪を限りなく優しく撫でた。

「いやーー私こそ、すまない。これは、お前達には、まだ早い話だったかもしれないな」

水面が再び静まり返り、春の光が差し込んだ。
ミシュは不満げに俯きながらも、しぶしぶといった様子で小さく頷く。

その瞬間、”ヴェラ” の耳の奥に、声が届いた。

――沈黙を、恐れるな。わたしは常にここにいて、お前たちの選択を、その未来を見届ける――

それは水の音よりも静かで、空気よりも確かな響きだった。
”ヴェラ” は息を呑み、思わず泉の方を振り返った。

「……今の、聞こえましたか?」

”ヴェラ” はかすれた声で言った。
ミハイルは首を横に振る。

「何も」

”ヴェラ” は立ち尽くしたまま、震える手を胸に当てた。ミシュが不思議そうに、彼女を見上げる。

「どうしたの?ねえさん」

無言で首を振る彼女に、ミハイルは立ち上がってそっとその肩を叩いた。

「”神の耳”を持つお前にしか、届かない言葉がある。それを、人に伝えるべきかどうかを選ぶのも、”神の耳”の務めだが……決して、たやすくも楽しくもない役目だろうな、ヴェラ」
「そうですね……」
「だが私は、お前の選択を尊重するよ、ヴェラ。それが、どんなものであろうとも」
「おとうさま……」

ミハイルの穏やかな声に泣きそうになりながら、”ヴェラ”はうつむく。
この人はなぜいつも、こんなにも私の一番欲しい言葉を口にしてくれるのか……彼の言葉ひとつひとつが身の内に沈んで積もっていくたびに、”ヴェラ”の中でミハイルへの焦がれも積もっていく。
厳しさをもって諫められたはずなのに、身も心も温かい……そんな話が、あるだろうか。

そして――その時の”声”が、神が彼女に語りかけた最後の、意味ある言葉になった。
その日以降、神は沈黙した。

のちの、幾千もの夜の果て――

  

と、白い光の中でヴェラに告げる時まで。

ヴェラの記憶の中の光景の全てを、真っ白な光が包みこむ。

それが本当に”神の声”なのかどうか、次第にヴェラにはわからなくなってきていた。
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