雪の残響 ~エラリア帝国の終焉~

Dragonfly

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エピローグ

《帝国史補遺・終焉篇》ステバン・グレゴリウス著 より

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白暦九百九十三年。

蒼の一族の領土、その東辺にて、民衆の蜂起が起こった。
紅の妃ハーモニア・ヴォロフ は、自ら一族の軍を率い、鎮圧のため現地に赴いた。
だが、彼女の知らぬ間に、蒼の一族の兵達が民と志を共にしていた。

それはもはや単なる暴動ではなく、大規模な反乱と呼べる規模であった。

戦はわずか数日のうちに崩れ、紅の軍は雪原を血に染めて退いた。
雪原には、雷鳴のような銃声が響き渡る。凍りついた大地の上で足音と剣戟の音が折り重なり、赤く染まった雪の上に、兵士の足跡と血が点々と残った。

ハーモニア・ヴォロフは、幼き王子を馬の背に乗せながら指揮をとった。

戦場の中央では、蒼の兵たちが一斉に突撃を仕掛け、紅の兵の隊列を切り崩す。
銃剣が雪をかきわけ、反響する金属音が耳を刺す。叫び声が空気を震わせ、凍てついた地面に響き渡る。

戦場は凄惨な混沌を呈し、予想外の大規模反撃にあった紅の軍は、後退を余儀なくされた。

そして、紅の軍は追ってくる蒼の軍と待ち伏せていた白の軍に挟撃され、隊列を崩された。
紅の一族も帝都も知らぬうちに、白の一族もまたこの反乱に加担していたのだ。

逃げ惑う兵たちの足跡が、雪に深く刻まれていく。
ハーモニアと幼い王子の姿も、遠ざかる兵士たちの影とともに、やがて雪原の白に溶けて消えた。

雪に覆われた戦場には、残された兵士の呻きと風のうなり、遠くで鳴り止まぬ鐘の余韻だけが残った。

地方で起きた小さな暴動が、わずかの間に大きな革命の嵐に変わっていたのだ。

また、蒼の地での暴動にわずかに遅れて、紅の一族の土地でも暴動が勃発した。

紅のアレクセイ・ヴォロフはその平定に向かったが、こちらもまた、交戦が始まってから徐々にその規模が想定外に大きくなってゆき、アレクセイを手こずらせた。

彼は、領地の鎮圧の前に妹と甥の敗退と死の報告を受け取り、戦場で憤りに吠えたと伝えられている。

凶報は、まもなく帝都にも届いた。
蒼と白の連合軍が進撃を続け、帝城へ迫ってくるとの報である。

皇帝はただちに妃たちの召集を命じたが――謁見の間に現れたのは、ただ一人。
生まれて間もない赤子を抱いた、翠の妃イレーネ・ロマレンのみであった。

黄の一族もまた、すでに革命に与していたのだ。


帝都は一夜にして手のひらを返し、炎と叫びが宮殿を包んだ。

その翌朝、革命軍が踏み込んだ皇帝アルセニイ一世の寝所にあったのは、冷えた静寂と、二つの亡骸であった。

皇帝は〈死の薬〉により自ら命を絶ち、その傍らで翠の妃もまた、穏やかな面持ちで息を引き取っていた。
争いの痕跡はなく、両名の死は合意のもとになされたものと推測されている。

そして翠の妃の部屋では、母を求めて泣く赤子が保護された……。

黄金の鷹は、地に堕ちた。

――こうして、神の名を戴いた帝国は、ついにその代理人を失ったのだった。



その後ーー

蒼・白・金――三つの家の連合によって、暫定評議会(のちの「連合政庁」)が樹立された。

名目上は三家が対等の立場で参加する統治機関だが、実際には連合軍の力関係と、各家が持つ政治的信用度によって、議席と権限が慎重に割り振られた。

議会設置の議事録には、旧皇統の子女を保護すること、戦争犠牲者や民衆に最低限の救済を施すこと、そして新しい法と秩序を整えることが明記されている。

建物の修復作業も、単なる物理的復興ではなかった。

旧皇宮の大理石を磨き直すたびに、壁には過去の権力と血の記憶が浮かび上がる。
その記憶を背景に、三家の代表は慎重な儀礼を行い、政務の初期手続きを象徴的に完了させた。

連合政庁の成立は、単なる権力移行ではなく、帝国という「神の名の秩序」が終焉を迎え、人の意志で国を動かす新たな秩序の誕生でもあった。

民衆は最初、疑念と恐怖を抱きつつ、評議会の発表を耳にした。

神の代理者はいなくなった。神は沈黙した。

しかし、三家による統治の言葉は、初めて「人の手で歴史を紡ぐ」ことを約束していた。
街路に掲げられた暫定旗の下、商人や農民、兵士たちは、混乱の中で初めて自らの意志で歩む未来を思い描いたのである。

こうして、革命の嵐の後に生まれた連合政庁は、名実ともに帝国の秩序を再構築しつつも、過去の権力争いの影を残したまま、民衆の信頼と希望をなんとか支える姿で歩き始めたのだった。
人々ははじめて、「神の国」ではなく「人の国」に暮らすという言葉を、口にしはじめていた。

その後、三家への恭順の意を示した紅と翠の一家も、連合政庁の末端に名を連ねることになる。

紅のアレクセイ・ヴォロフは領土の暴動の鎮圧に手こずり、まだ混乱が静まりきらない中で、妹と甥の訃報に続く形で、皇帝の崩御と帝都が革命軍の前に陥落したことを知った。

むろん、長年皇帝の剣であり続けた紅の一族がこの時、革命軍への反撃を考えなかったわけではないと思われる。
しかし、彼らには既に肝心なものが、失われていた。

黄の一族、そして皇帝の崩御と翠の妃イレーネ殉死の報に早々に三家に恭順の姿勢を示した翠の一族。
双方からの財政面・補給面での援護なくしては、いかに紅の武力が優れていたとしても、蒼と白の連合勢力に長く対抗しきれるものではなかった。

まして、彼らは帝都から離れた領土での、思いがけず長引いた戦闘に疲弊しきっていた。
アレクセイ・ヴォロフはこの時、己の感情や矜持よりも生き延びて再起を図る道を選んだものと、考えられている。



そして、新しき秩序の影で、幾人かの名は静かに歴史の表舞台を去った。

かつての蒼の妃ルドミラ・ヴァルカスと、彼女の異父妹テオドラは、帝都のはずれに居を構えた。
ふたりは戦の傷を癒すため、孤児院と学校を建てた。

革命の混乱の中で貴婦人アグニは亡くなっており、〈銅の庭〉に養われていた先代の白の妃の子供達や亡きイレーネが残した赤子も、そちらの孤児院に引き取られた。

孤児院の窓から差し込む光の中、子どもたちの笑顔は時とともに少しずつ戻っていった。

教育制度の再建もまた、ルドミラたちの仕事だった。
廃墟となった貴族の邸宅の一部を改修し、学校として開放する。黒板に書かれた文字や、机に置かれた筆記具に触れる子どもたちの目は、好奇心と歓びに輝いていた。

ルドミラは、読み書きや算術だけでなく、民衆の歴史や議論の方法を教えた。
戦の記憶と悲しみを背負いながらも、子どもたちはここで未来を学んだ。
「自らの声を聞いてその言葉の芽を育てる」という、学僧オルディン師の教えにもとづく彼女らの信念は、のちに帝国再建の教育制度に受け継がれることになる。

革命で蒼の一族を率いたセルゲイ・ヴァルカスは、連合政庁の設立後も表舞台に残った。
自らの領地の一地方で蜂起した住民の暴動を、大規模な革命にまで導き、ついには帝国の時代を終わらせた彼の功績を、評価する声は今も高い。

彼は冷徹な戦略家でありながら、民衆の声に敏感な指導者でもあった。

革命後、セルゲイはただちに民衆の秩序を整え、略奪や混乱を最小限に抑え、各地の代表者を集めて暫定評議会を設置する。
その姿は、まるで荒廃した帝国に新たな秩序の光を灯す旗印のようだった。

また、セルゲイは決して自らの手柄を独占せず、白や黄の一族との連携を重んじ、一族の中の声を拾い上げることに努めた。
彼の旗は蒼の色一色でありながら、心には協力と連帯の精神が込められていた。幼いころに同じ師に学んだ従妹ルドミラの助力もあり、それらのことが後の連合政庁の基盤を築く礎となって、蒼の一族の名を歴史に深く刻むこととなった。

何よりも、率先して暫定評議会の先頭に立ちそれを連合政庁にまで成熟させたのは、彼の力によるところが大きい。

しかし、それは白の一族の協力なくしてはなしえなかったーーという声もまた、大きかった。

革命で白の一族を率いていたミハイル・ルースは評議会の樹立後、元・白の妃ヴェラを伴い、北方に隠棲した。

革命の成功と評議会の樹立に影ながら尽力した彼が、表舞台から早々に去ることを惜しむ声は多かったと伝えられる。
しかし、ミハイル・ルースはそれ以上に、一度崩壊した”神の国”の上に、”新たな神”として担ぎ上げられることを恐れたようだった。

かつて権力に翻弄された彼と元・白の妃ヴェラは、国家や権力と離れてただ互いと生きることを選び、その後湖の見える別宅で静かに暮らしたと伝えられている。

白の一族はミハイルの息子小ミハイル(愛称ミシュ)が一族を率い、連合政庁の庁員として精力的に活動し、人々の信頼を得た。

彼は、領土である北方の再建に力を注いだ。
かつての革命戦の英雄の一人でもありながら、「言葉による統治」の可能性を説いた。住民たちに慎重に演説を行い、議題や投票の方法を説明した。
最初は戸惑い、声を上げることを恐れる人々もいたが、少しずつ意見を交わし、決定を共にする感覚に目覚めていく。討論の声、木製の机を叩く音、紙に筆を走らせる音ーー彼は「武よりも言葉を」と説き、初の民会設立を主導した。

それは後に「白の時代」と呼ばれる、安定期の始まりでもある。

帝国の終焉の気配を敏感に察知して、革命に加担した黄の一族――元・黄の妃のカタリナ・マリスカと長老グレゴリーは、連合政庁の中枢にあって変わらず精力的かつ老獪であった。

彼女達は商人や職人、農民を集め、新たな貨幣制度や取引の仕組みを整備した。
市場では、穀物や布、道具が公平に流通し、かつての権力者による独占の痕跡は徐々に消えつつあった。人々の手には計量器や帳簿が渡され、活発な取引が行われるようになった。
黄の家は商業と財政を掌握し、帝国の瓦礫から新たな貨幣制度を築いたのだ。

連合政府初期時代の経済の安定は、黄の一族の貢献なくしては実現しなかったと考えられる。
革命軍の経済基盤の後押しをしたのも黄の一族だったことは、推測に難くない。

だがーー誰が、彼らを……蒼と白と黄とを、結び付けたのか。

誰が、蒼と紅の領土での暴動の火種を、巨大な革命にまで導いたのか。

北の地にひっそりと姿を消した二人にその可能性を見出す者は多いが、確たる証拠はどこにもない。



翌、白暦九百九十三年。

連合政庁は革命の嵐の中で崩壊していた帝都の旧教会を修復した。

新しく設置された壁の碑文には、こう刻まれた。

“神は沈黙した。
ならば、我ら、人が語ろう。”

それが、後に連合政庁の旗印となった言葉である。
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