黄昏の神、再び世界を歩む

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目覚めの森で差す陽

失い、目覚める春

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十の春を迎える年、村には数年に一度の雪が降った。
白く柔らかなそれは、まるで何かを覆い隠すように静かに降り続いていた。

レイは、雪の中に手を伸ばし、溶けゆく感触を楽しんでいた。

「冷たいのに、きれいだね」

セレナが縫い物をしているそばで、イリアはディランと寝そべり昼寝をしていた。

何も変わらない、平穏な日々。

「もうすぐ春が来るね。今年の春祭りにはイリアも一緒にいけるかな?近所のおばさんが出す飴がとっても美味しいんだ。一緒に食べたいな」

レイは待ち遠しい気持ちでいっぱいだった。



雪が溶け、春の陽気に誘われて動物たちが活動を始めると、村の狩人たちは数人ずつの班に分かれて、四方の森を見回るようになった。

最初の異変が見つかったのは、村の東の森だった。

近くの牧草地に、見たことのない奇妙な足跡が残されていた。狩人たちはすぐに警戒を強めた。

「ただの狼じゃない……」

そう呟いた古株の男の顔には、不安がにじんでいた。

セレナはレイに外出を控えるよう言い聞かせたが、彼の胸の奥では、言葉にできないざわめきが始まっていた。


夜になると夢を見た。
燃えさかる大地、空を裂く光、名前も知らない誰かが自分の名を呼ぶ声。

——否、それは「かつての己の名」ーー

「……レフ」

目覚めたレイの口から漏れたその言葉に、彼自身が驚いた。

「……誰?」

そう呟いたとき、窓の外では風が止み、まるで世界が息をひそめたように静まり返っていた。



数日後、
村では毎年恒例の「春祭り」が始まっていた。
今年も、小さな広場に花の飾りや屋台が並び、子どもたちが走り回る。

村の空は快晴で、風は暖かく、花々は陽射しの中で揺れていた。

レイはイリアの手を引き、屋台の並ぶ小道を歩いていた。
飴細工の店、焼きたてのパン、木彫りの笛を売る老人。ここ数年で見慣れた光景が、今日だけは少し特別に見える。

「これ、イリアのぶんもあるよ」

レイは買ったばかりの飴細工を手渡し、イリアが嬉しそうに頷いたのを見て、自然と笑みがこぼれた。

日が暮れ始め、家に帰ると、ディランとセレナが玄関先で待っていた。

「父さん、母さん、ただいま!」
「としゃ、かしゃ!!」

「おかえり」
「おかえなさい、2人とも」

レイの手を離れ駆け出したイリアをセレナが抱き上げた。片方の手には小さなランタン。

「さあ、ランタンを飛ばしに行きましょう」

春祭りの最後は必ずランタンを飛ばす。
村の近くを流れる川沿いに村人達が集まり、今年一年の息災を願い、光に感謝を込め空へと放つ。

「綺麗ね~、イリア」
「ね~」

ランタンの火が風に揺れながら、空へと昇っていく。川沿いに集まった村人たちの間に、温かな光が漂っていた。

レイは小さなランタンを手に持ち、じっと見つめていた。火を灯した紙の舟は、彼の手の中で淡く脈動するように輝いている。

(ああ、これは——)

胸の奥がずくんと痛んだ。
それは悲しみでも、喜びでもない、言葉にできない感情。

遥か昔、どこかの空でも、こんな光を見送った気がする。記憶の海の底で、何かが泡のように浮かび上がってきた、そのとき——

「飛ばさないのか?」

突然、背中から抱き上げられた。
ふわりと体が宙に浮く。

「……っ!? 父さん!?」

ディランの声が穏やかに耳元で笑った。

「イリア、セレナ、空を見すぎると地に足がつかなくなるぞ」

その言葉に、浮かびかけた記憶が音もなく砕けた。
レイはただ、温かなぬくもりに身を委ねた。



春祭りから数日、セレナは広場の隅で村の婦人たちと話し込んでいた。
いつもなら工房で何か作る父親を手伝い、昼頃に家へ帰ってくるレイも、今日はディランが西の森の見回りのため、イリア達子供の輪に混ざって、泥だらけになっていた。


ディランは見回り中に奇妙な足跡を見つけた。
それは、獣とも人ともつかない形をしていた。
まるで大きな爪を引きずったような痕と、小石を砕くような深い凹み。

「獣か?」
「魔獣じゃないのか?」
「いや、こんな形は見たことがない……」

狩人の言葉で、3人一組で行動していたディラン達の間にざわりと不安が広がった。

それから数日後、森に入った一人の狩人が戻らなくなった。
捜索に出た仲間が発見したのは、裂けた衣と、真っ黒に焦げた地面。
焦げ跡は何かが爆ぜたように円を描いており、辺りには獣のものとは思えぬ異臭が漂っていた。

「――あれは、ただの獣じゃない」

村の神官が険しい顔でそう告げると、村人たちの間に緊張が走った。
夜になると戸を二重に閉め、外に出ることを禁じる声が広がった。

それでも、レイたち家族の中には、まだいつも通りの時間が流れていた。

「レイ、お母さんお父さんの所にお弁当届けて来るから、イリアとお留守番お願いね」
「僕が行こうか?」
「大丈夫よ、それに話したいこともあるし」

イリアを抱きかかえながら、セレナがレイに優しく言う。

「……わかった」

そう返しながらも、レイの胸の奥には、何かざらりとした違和感が残っていた。

どこか遠くで、懐かしくも不吉な気配がうごめいている――そんな感覚。

そして、それは間違っていなかった。


セレナが用意してくれた昼ご飯をイリアにあげている時だった。

地面が揺れ、家具が倒れ、レイは慌ててイリアを抱えて外に出た。

すると、空に穴が開いて黒い霧が流れ出した。

(あれは、悪いものだ…)

刹那、霧とともに現れた獣たちが、人を見つけると襲いかかってきた。

村人の悲鳴、怒号、子どもたちの泣き声。
レイはイリアを抱えながら、必死に工房へ駆けた。

その中で、彼の視界はふいに反転する。
——世界が、二重になる。

焼け落ちる屋根の下、剣を持った誰かの影。
崩れ落ちる白い神殿の石柱。
自分の手の中にあったはずの、光の奔流——。

「俺は……誰なんだ」

小さく震えながらレイは呟いた。

胸の奥で、今にも崩れそうな“何か”が目を覚ましかけていた。


どこかで火が着いたのか。いつの間にか村には火の粉が舞い始めていた。工房へと走る中、大木が音を立てて崩れ落ちた。

「イリア、目を閉じて」

レイは妹の体を覆うようにかばいながら、炎の裂け目のような隙間をくぐった。

空気が焼ける音と、耳の奥を叩く低い唸り声。
それでも、彼の足は止まらなかった。

だが突如、逃げ道をふさぐように現れた、一際大きな影。
人ではない。けれど、ただの魔物でもない。
角のようなものを持ち、赤黒く濁った眼がレイを射抜いた。

レイはとっさにイリアを背にかばう。

「……どいて」

自分の声が、自分のものとは思えなかった。
低く、凛として、命ずるような音だった。

影が動くより先に、レイの周囲の空気が弾けた。
光——否、“術式の残滓”のような何かが彼を守るように広がる。

影は一瞬怯み、うなり声を残して後退する。

レイは自分の手を見た。
小さな手のひらに確かに淡く、紋様が浮かびあがっていた。

「……なんで」

崩れた記憶の断片が、熱とともに脳裏に流れ込んでくる。

——神々の戦い。
——散った眷属たち。
——自らを犠牲にして守ろうとした、“何か”。

「僕は、また……失うの?」

気がつけば、周囲に人の気配はほとんどなかった。
セレナとディランは……?

辺りを探して駆け出そうとした。どこからか、誰かの声が聞こえた。

「レイ!こっちだ!!」

それは、ディランだった。肩を血で染めながら、レイに手を伸ばす。

「イリアを……頼む。森の外に逃げろ、セレナは、別の子たちと……!」

何かを言いかけたディランの背後に、黒い影が忍び寄っていた。
レイは思わず叫ぶ。

「だめだ、父さん……!」

その瞬間、再び術のような光がレイを包んだ。
だがその光が届く前に、影はディランの姿を飲み込んでいた。

レイは叫んだ。

ただ一人、火の中に立ち尽くし、腕のなかで泣きじゃくる小さな妹。

「なんで……」

涙は出なかった。
けれど、胸の奥で何かが、崩れたまま戻らなかった。

「守らなきゃ……今度こそ」

その言葉が、レイの中で静かに火種のように灯る。

それが、運命に抗う第一歩だとも知らずに——。
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