黄昏の神、再び世界を歩む

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騎士と約束の始まり

灰と空腹の旅路

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焼け落ちた村のはずれ。
風が、冷えた灰を巻き上げる。
倒れた木々の影に紛れて、彼女は静かに横たわっていた。

「……母さん……?」

一歩、また一歩、近づくたびに胸が軋む。
肩にかけられた布は赤く滲み、かすかに胸が上下しているのが見えた。

「うそだ……やだ……っ!」

レイは泥だらけの膝をつき、震える手で彼女の体を抱き起こす。
血と煙の匂いが、喉を焼くように苦しい。

「起きてよ、母さん……っ! まだ、何も、できてないのに……!」

彼女の体からは、もうほとんど温もりが消えかけていた。

「……レイ……アストリア家に、行って……」
「……あのこなら……きっと……」
「……レイ……イリア……私の……愛しい子たち……」

彼女の指が、そっとレイの頬に触れる。
それは力なく滑り落ち、イリアの小さな鼻先を、ふわりとつついた。
――いつも、彼女が子どもたちにしていた、ささやかな愛情のしるし。

それは、「母ではないはずの人」が、
最期に残してくれた、たったひとつのぬくもりだった。


灰に包まれた空気の中、セレナの体を抱いたまま動けずにいたレイの耳に、小さな泣き声が届いた。

「……う……うぇ……」

振り返ると、瓦礫の影から、泥にまみれた小さな手が伸びていた。
駆け寄ると、いつの間にか腕から抜け出したイリアがその子の手を握っていた。泣き腫らした顔のイリアが、小さくうなずく。

「きみ……名前は?」
「…ぅ……ぇ……ミル」
「ミル、よく頑張った。もう大丈夫だ」

レイは二人を強く抱きしめた。

「レイ!」

次に声をかけてきたのは、背丈の変わらない少年だった。服は焦げ、手には誰かの荷物を抱えている。

「ティオ……!」

「後ろに、まだ一人いる。あの子……ずっと喋らないんだ。」

瓦礫の陰、ぺたりと座り込む少女がいた。腕に紙切れを抱え、指先には焦げた木炭がついている。足元の地面には、拙い絵で描かれた“家”と“人”の輪が、寂しそうに残されていた。

「……シア……」

レイがそっと手を差し出すと、少女はおそるおそる顔を上げた。涙と灰に濡れたその瞳に、レイは静かにうなずいた。

「大丈夫。……みんなで、行こう。」



夜が明けていく


焼け跡の村のはずれ、壁が崩れ屋根が落ち、半壊状態なレイたち家族の家で、小さな子どもたちが寄り添って眠っている。焚き火のかすかな熱と、レイがかけた上着だけが、彼らを冷たい夜気から守っていた。

レイは、ひとりで村の高台に立っていた。
足元には、静かに横たわるセレナの身体。あの夜、守れなかったものすべてが、胸を締めつける。

「……アストリア家……」

思い返す。彼女が最後に遺した言葉。
“あのこなら、きっと――”
セレナが信じていた場所。
今の僕たちにとって希望の場所。


焼け跡から食べれる食材を調達し、子供達の元へ戻る。ふと、イリアが眠たげな目をこすりながらやって来て言った。

「……ママ……、どこ……?」

その問いに、言葉が詰まる。
代わりにレイは、イリアの小さな手を握りしめた。

「ママは、あったかいとこにいるよ。今は会えないけど……ごめんね、」

イリアは黙ってうなずいた。ミルも、寝ぼけたままイリアの手を握る。
ティオが荷物を肩に担ぎ、いつの間にか隣にいた。

「……どっちに行けばいい? オレ、地図ちょっとわかるよ。」

その言葉に、レイは微笑んだ。
シアは誰よりも早く立ち上がり、焼け焦げた木片に炭をつけて、地面に“太陽”と“塔”の絵を描いた。――帝都を目指す合図だ。

「……うん。帝都へ行こう。アストリア家に。」

その声は震えていたが、確かだった。
彼らの旅は、ここから始まる。




砂埃舞う街道を、少年たちは歩いていた。
森を越え、小さな川を渡り、時折野宿をしながら数日が経っていた。

「……お腹、すいた……」

ミルの呟きが風に流れた。
村を出る際に持ち出した食料はとうに底を尽きていた。

「もうちょっとだけ我慢な。もうすぐ街があるはずだ。」

ティオは子供らしからぬ声音でそう言いながら、ミルの肩に手を置く。

レイは無言で先頭を歩いていた。
視線の先には、遠くに見える城壁のような影。街だ。

「……見えた。」

たどり着いた街は、思ったよりも賑わっていた。
行き交う人々、活気ある市場の声。
しかし、それは“金”を持つ者だけに向けられた世界だった。

「もっとお金が必要だ……」

子供たちを連れて歩くレイの背中が、重く沈んでいく。

(守りたい。けど、何もできない……)

日が暮れ始め、ひとまず一番安い宿を借り、子供たちにご飯を食べさせ風呂へ入れる。身を寄せて眠っているのを見届け、ティオへ子供たちを頼み、レイは一人、夜の街へと歩き出す。

「こんな身体でも、きっと少しは金になる……それで、ご飯くらいは……」

そんな思いを抱いていた――そのとき。

「……こんな時間に、子どもがひとりで何をしてる?」

声がした。
レイが顔を上げると、そこには一人の男が立っていた。

「……関係ないでしょう?」
「そうか? だが、困っているなら力になるぞ」

静かな声だったが、まっすぐに心に届く芯のある声。

「それなら、僕を買ってください。」

男の首に手を回し顔を覗き込んだ。色素は薄く、グレーがかった長い睫毛に切れ長の目。


男はレイの腕をそっと取った。力は込められていないのに、逃れられない確かな重みがあった。

「……名は?」

「……レイ」

「年齢は?」

「……十?」

男の眉がわずかに動いた。

「十歳が“それ”を口にするのか」

「……もう、他に……」

レイの声が震える。 男はそのままレイをじっと見つめ、次にそっと手を離した。

「その歳で、そんな決意をするな」

「だって…そうしないと……」

声が詰まり、喉の奥が焼けるように痛い。 レイの手が震えながら男の胸元を掴んだ。

「みんな……僕が守らなきゃいけないのに……ッ」

男は黙ってレイの額に手を伸ばし、そっと自分の肩へと抱き寄せた。

「……ついてこい。まずは話を聞く。それから決めればいい」

それは命令ではなかった。ただ、温かさだけがそこにあった。

レイの力が抜け、男の胸元に額を埋める。村を出て はじめて感じる、人の体温だった。



──カイネは、街の警邏の途中だった。

空気が冷え込む夜。路地裏を一人歩く小さな人影に、自然と足が止まった。

「……こんな時間に、子どもがひとりで何をしてる?」

返ってきたのは、想像よりも低く、透き通った声だった。

「……関係ないでしょう?」

振り返ったその少年──その瞳を見て、カイネの心臓が一度、大きく脈打った。

色素の薄い髪、夜闇に融けるような影の睫毛。真っ直ぐにこちらを射抜く瞳は、子供が持つにはあまりに強い。

(……あれは、何だ……?)

目が離せなかった。 言葉にし難い、奇妙な感覚。 彼は確かに子どもだ。骨格も身長も、年齢相応。 だが、その動き一つ、視線の投げ方一つが、やけに艶めかしく、計算された仕草のように見える。

そのくせ、刹那に揺れる表情は、今にも壊れそうなほど儚い。

「それなら、僕を買ってください。」

その一言に、喉が詰まった。

(買って……?)

少年は、細い指でこちらの胸元に手をかけ、覗き込むように顔を寄せた。

ーー近い。

 香のようにかすかに漂う、火と血と、子供には不釣り合いな甘い弛んだ匂い。

(……妖しい)

それが、最初に浮かんだ本音だった。 妖艶で、しかし、どこか神聖ですらある。 ひと目見ただけで、この子が“普通ではない”ことが分かった。

だからこそ、カイネは問いかけた。

「……名は?」

「レイ」

「年齢は?」

「……十?」

その言葉に、全身から血の気が引いた。

──この子が、十歳?

信じられなかった。 身体が、ではない。魂が、齢を重ねすぎている。 それでも、その声は震え、怯え、助けを求めていた。

この子は、ただの“子”ではない。 誰かのために、自分を差し出そうとしている。

だからこそ、カイネは静かに手を伸ばした。

「……ついてこい。まずは話を聞く。それから決めればいい」

答えはなかったが、レイは抵抗せず、ただ静かに、この手に身を預けた。

(この子は……守らなければならない存在だ)

それが、カイネとレイの最初の接触だった。



街の宿の一室。 警備隊の紹介で借り上げた一時的な保護施設のような場所に、レイを連れて戻ったカイネは、まず湯を張り、備蓄していた簡素な食事を机に置いた。

「……これで足りるか?」

「うん。ありがとう」

器用にスープを口に運ぶレイの動作は、どこか貴族のような気品すら帯びていた。 その顔を見ていると、年相応のはずの輪郭が、ふと大人びた陰影を帯びる瞬間がある。

――特に、目が。

誰にも期待していないようでいて、ふとしたときに誰かを求めるような光を宿す。 そんな眼差しで見上げられると、カイネの胸がざわついた。

「名前は……レイだったな。家族はいるのか?」

レイは少し黙ってから、ぽつりと答えた。

「……妹がいる。あと、他にも……子どもたちが数人、一緒にいた」

「今は?」

「宿に…預けてる。僕が、お金を作ってくるって言って……」

「親は?」

「亡くなった。父さんや母さん、おじさん、おばさん、家も村も全部なくなった」

その声は淡々としているのに、どこか壊れそうで、カイネは無意識に手を伸ばしていた。 少年の額にかかる髪をそっとかきあげると、レイが一瞬だけ、怯えたように肩を震わせた。

「怖いか?」

「……違う。急だったから」

「……カイネさん」

ふいに名を呼ばれ、視線を戻すと、レイがじっとこちらを見ていた。 その瞳はまっすぐで、惑うように人の内側を見つめてくる。

「優しいね。触れ方が、ちゃんと温かい」

言われた瞬間、カイネの喉が音を立てて鳴った。

心を見透かされた気がした。

「君を傷つけるような大人になりたくないだけだ」

そう返すと、レイは一瞬、目を見開いて──ふっと、微笑んだ。

それはどこか、懐かしさを帯びた、神々しいまでの微笑だった。

(……何なんだ、君は)

ただの子どもではない。 何かを隠している。 だけどそれでも、守りたいと、心が言っていた。



夜――小さな宿の、薄灯りの下

シーツが擦れる音が、微かに響いた。
狭い布団に二人分の身体。距離など保てるはずもない。

レイは、カイネの腕の中に身を委ねていた。

「……あったかいね」

首筋に、ひやりとした吐息がかかる。
レイの指先が、そっとカイネの胸元をなぞった。

「……レイ、やめろ」

「ねえ……ほんとに、しないの?」

耳元で囁くように問うその声は、幼さの中にかすかな艶を含んでいた。

「僕ね……ちゃんと知ってるよ。こうすると……男の人は、変な顔するって」

そう言って、カイネの腰に細い腕が絡んだ。

「誰に、教わった」

「誰も教えてないよ。でも……昔の記憶かもしれない。夢の中で、よく知らない人に……抱かれる夢、見るから」

カイネの喉が鳴った。

「……やっぱり、君は普通の子じゃない」

「うん。知ってる。僕、普通じゃない。でも……貴方の前では、普通の子どもでもいられる気がしてた」

レイの声が、寂しげに震えた。

「だから、甘えたくなる。……だめ?」

その目は、まっすぐにカイネの奥底を見ていた。

「……ああ、もう、くそ」

カイネはレイの身体を抱きしめるように、ぐっと引き寄せた。

唇が触れるぎりぎりで止まり、呼吸が絡まる。

「……したくてたまらない。でも、お前が十歳に見える限り……俺は獣にならない。これは、俺の意地だ」

「……じゃあ、早く大人になろうかな。」

その言葉に、カイネの身体が一瞬、熱を放った。

「……もう寝ろ、明日は妹達を迎えに行くんだから」

「うん」

レイは静かにカイネの胸に顔を埋めた。
その頬に、かすかに笑みが浮かんでいた――自分が、確かに“欲望”として見られていることに気づいて。

そしてカイネは、朝まで眠れなかった。
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