死ねない

あさのいりえ

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死ねない

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 不意に胸が苦しくなる。ずっと続くわけでない。最初は確か布団の中だった。次は夕食を食べ終わった後だった。
 健康診断で引っかかった事はない。かかりつけ医で心電図を調べても異常は無かった。
 初めて昼日中悪くなり、近くの循環器クリニックに行ったら総合病院の検査を勧められた。
 今日は造影剤を入れてのCT検査。
 昨日まで、検査中にそのまま死ぬのではないか?とか入院してより詳しいカテーテル検査へと進むのではないか?とか、凄く心配していた。そもそも心電図には異常が無いと言われたのに、年齢が年齢だからと言われ、会話の中で実母がニトロを持っていて、足梗塞もしたとか、造影剤にアレルギーがあったと言ったのでCTを撮ることになった。造影剤の合うのを探すのでなく、アレルギーを避ける為にステロイド剤の内服がありそれも不安を倍増させた。
 前日までに会えた友人には最期に会えて良かったなんて言うものだから、心配して励ましてくれたがどこか他人事に感じた。
 心拍数を下げてのCT検査中に私は死ぬんだ。そして誰も間に合わずひとり死んでいく。とドンドン葬式のことや、ゴミ屋敷になってる家のことやら悪い方へと思いが向かっていっていた。
 そして検査当日。
 午前中の検査なので早く起きてステロイド剤を飲んで、病院に向かわなければならない。
 トイレに行こうと隣りを見たら、夫が起き上がっていた。
「トイレに先にいっていい?」
「どうぞ」
 短い会話でトイレに行って素早く済ませて洗面所を見ると、夫が洗面台で小便をし始めていた。
 ビックリした。
「間に合わないからだ。」と怒って言いながら、パジャマを上げてトイレに向かった。
 洗面台に飛び散っている水滴💧ほのかに小便のような臭い。
 水を出しながら周りを洗い流した。
 温和で穏やかで、優しい物言いだった夫は、今偏屈ジジイの道をまっしぐら中。
 被害者意識も強く、努めて冷静に注意していても突っ掛かり、ついでに必ず私の至らなさを責める。
 こちらも意地悪ばあさんを目指しているけれど、その激しさに心底疲れる。
 無言で始末していたら、無言の夫が出てきて手が洗いたい素振りをした。何故?トイレの中で洗わないのか?汚れた手でドアノブを触って出てきて何故?洗面台で洗うのか?もう何百回もお願いしてきたが、無理だった。まして、今朝は口を開くとどんなことになるか、想像できる。
 洗面台を開け渡して、検査に行く準備を始めた。ステロイド剤を飲み、着替えをして予約票が鞄に入っているか?確認し、水分は摂って良いから、小さいポットを持参するか昨夜から悩んでいたが、めんどくさくなってきた。病院の売店でペットボトル買おうと決めて、挨拶をしようと覗いたら、夫は布団で横になっていた。
「私検査に行くから。」
 検査が決まってから何度も念押ししていた。本当に言われたら困るけれど、「心配だからついていこうか?」は無かった。彼の移動はほぼ私が運転手をしていた。だから彼の病院には付き添っていた。彼からは「ああ」だけだった。期待を裏切らない。
 病院までは20分程度かかる。通勤時間帯だから車が多い。普段はお邪魔になるし、イライラするからこの時間は滅多に移動しない。別に時間はたっぷりあるしねと。
 最近、運転中はおしゃべり禁止、周囲もキョロキョロしない、専念しないと危ないからと息子から口うるさく言われている。
 しかし今日は考えていた。
 昨夜までの検査の不安は、どこかに飛んでいた。
 死ねない。
 帰ったらもう一度洗面台を拭きあげよう。トイレのドアノブ拭いて、トイレの掃除もしよう。
 今朝のことをどう息子に切り出そうか?お風呂場で浴槽でやってた事件以来だけれど、ちょうど高さが良いのか?風呂場では足が濡れるから洗面台か?
 あっという間に病院の駐車場に着いた。
 ダメだ、死ねない。
 検査はあっさりと終わった。造影剤が入ると膀胱まで温かくなる感覚に驚いたり、舌下のニトロが終わっても残ってペーパータオルで拭き取られビックリしたことぐらいで、今は待合室で検査後の様子見の30分を過ごしている。
 死んでたかもしれない私は、この後、ひとりで回転寿司に行き、ドライブして美味しい珈琲飲みに行こうと考えている。
 振り向いて、窓の外の雲ひとつない青空を見た。
 
 
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