フェイク ラブ

熊井けなこ

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第二章 烏と燼

烏と燼 8

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「ソクワンさんには手を出さないで欲しい…」


ナウンに電話をし、ソクワンさんは警察官だと話した。僕はツーマフィアの人間だとも話した。

マフィアの世界で生まれ育ったナウンは父や兄の勢力を乱用し、そのくせマフィアの効力は気にせず警察なんて痛くも痒くもなさげでかなり手強かった。


『裏切りは裏切りよ。
いくらマフィアとしての行動だったからって…貴方もソクワンさんも、私達をコケにしたからには償って貰わないと。』

電話からは冷静な声。薄ら笑いも聞こえる。

「……どうにか…やり合うんじゃなく…
その怒り、収まるんであれば…」

『やり合う?逃げる気でしょ?
すぐに逃げないのはソクワンさんを庇う為?
心底腹が立つわ。2人で逃げるんでしょ?
どこまでも探して追いかけてみせるわ。
その時は2人とも、死にたいって思う程の苦痛を味合わせてあげる。…兄さんが愛してたソクワンさんと貴方の関係…笑えるわ。あり得ない。
その関係をどう壊すか考えるだけで楽しみ。
…貴方の前でソクワンさんを……身体もだけど、まずは心を壊していくのが楽しそうね。
手っ取り早く薬漬けでもいいかも。
人間じゃなく動物になって死んでく恋人どう?』

「………恋人、じゃない。
僕は彼にも嘘をついていたから。
2人では逃げない。」

『騙されないわ。じゃあ私の所へ来れるの?
ソクワンさんとの事が無ければ、私の所へ来れる筈だわ。
敵対してるツーマフィアだからって何?
私とジョンクーなら結婚だって出来るわよ?
組織も同盟みたいに前より仲良くなれて、めでたしめでたしなんじゃない?』

「……そう、上手くはいかないよ…」

『……私の所へ来れるの来れないの?
ほら。決めてくれないと、私は今からソクワンさんを捕まえに行くわ。』





使われていない工場が並ぶ倉庫に呼び出され、車で向かっていた。

癖でソクワンさんの音声を流したけど、やはりチップは外されていて風のような音しか聴こえない。
今頃ワンギ兄と安全な所へ向かっているといいけど…もう………声は聞けないのか。


テフォン兄に電話をした。
僕の失態によってツーボスがキムボスへ連絡をとったらしいから、ツーマフィアもバタバタしているかも知れない。

『…あーい。どうしたー?』

「迷惑かけてごめん。」

『…ふぇ??え、なんだっけ。
あ!皆殺しされそうな案件がどうかしたか?』

「キムや婚約者にツーマフィアってバレた。」

『……そう。じゃあすぐに戻って来いよ。』

「…ソクワンさん…
キムの大事な人を横取りしたからキム達が怒ってる。ツーボスが連絡してくれたみたいだけど…」

『え?そうなの?
ボスなんも言ってなかったけど。』

「…そうか、聞いてないならいいんだ。
そんなに影響ないようにするから。
そのうち…そっちに戻れたら……じゃあ…」

'じゃあ、また'といういつもの挨拶が出てこなかった。

『…ッ、おいッ、ちょっと待て。電話切るなよ⁈
ジャンクー!お前今どこ?何かしてるんだ⁈
あ、ああ、えっと、とりあえず、
電話このまま切らずに行動しろ!
分かったな⁈』

「……」

勘が良いテフォン兄。何か危険だと思ったんだろう。テフォン兄の言う通り、電話を切らずにそのままポケットに入れた。





陽射しのせいであれだけ熱かった服や拳銃は薄暗い倉庫を歩くと一気に冷たくなり、身体が重くなる。それでも静かで誰の気配も感じない中、進んだ。


「とりあえず来てくれてありがとう!」

ナウンの声が倉庫の奥から響き、その方向へとゆっくり向かう。
ただ机と椅子が置かれた場所にナウンは座り、
テーブルの上には拳銃やナイフが並んでいた。

「……別れの挨拶がしたくて。」

「それはまた今度。
とりあえず私のお願いを聞いてくれたら
お別れなんて必要ないし、
ソクワンさんには手を出さないわ。」

「…何。お願いって…」

「私と結婚するの。そういう約束だったでしょ?」

「そんな無理矢理…僕と結婚したって…
僕は今までのように取り繕ろうとは思わないし
……ナウン…キミを愛せないし…」

「…はっきり言うのね。
まぁいいわ、愛されなくても。
その分、私の近くで言いなりになって貰うわ。
…ソクワンさんの事が心配なら従うでしょ?
もともとソクワンさんの心配なんてしてなければ私の近くにいた方が、この先の人生得だろうし?結局ジョンクーは私と一緒に…」

「自由が欲しいんだ。
騙しながらの生活、もう嫌なんだ。」

「……自由にしてあげるわよ?
この先ソクワンさんに会ったりしなければ。」

「……それは……生きてる意味が、無いな…」

思わず口にした言葉に、ナウンの目の色が変わった。ナウンがナイフを持って近付いてくる。

「そう。やっぱりソクワンさんなの。
それで?私が言ってる意味わかる?
これからソクワンさんに会わないって約束して、私と夫婦になるなら…私は彼に何もしないし、貴方と彼の2人分、命の保証をしてあげる。」

ナイフの先がこちらを向いているから、視界では小さく存在感がないまま近付いて来る。

「……ソクワンさんには手を出さないでくれ。
そして、僕は、もう君と会いたくない。」

「………え?なにそれ。
ソクワンさんに会わないのは生きてる意味が無くて、私とは……こんなに言ってるのに…
もう会いたくない…?」

「こんなに、…言われて…
もう、ゴチャゴチャ気を使うの、疲れたんだ。
好きな人と、好きなように出来ないなら…」

「死んでもいいって?」

正面にナウンが立った。
ナイフが視界の下で僕の腹辺りに向いている。
ナウンは微かに震えてる。
見なくても、手元まで震えてるのが分かる。
こんな修羅場、慣れてるだろうに…

「ソクワンさんがどうなるか心配じゃないの?
生きて私達を見張らなくていいの?」

「……信頼…出来る人がいるから…」

「……っ、すがりなさいよ!許してって!
これからは私といるって!
なんでっ!簡単な事でしょ!
貴方の正体を知っても、私はっ………」


殴られた時の大きな衝撃とは違って、スッと入ってくる…身体、下腹の違和感。
刺された、……と理解出来た。

痛み……痛みが大きすぎて、痛みの強さで感覚が限界を超えて鈍る。
身体を巡る細かい神経が弱くなり、力が入らなくなった。
遠退く意識。

……ドクッドクッと、溢れていく血。
戸惑い、泣き叫ぶナウン。


「……ジョンクー…貴方が悪いのよッ…
……許してあげるのにッ…
兄からも、…守るのに……」


意識は遠のくのに、聞こえる言葉は鮮明で…

魂に響いた。


肉体と魂とが、……別になったよう。





身体は全く動かない。
何も感じないのは麻酔のおかげか?
沢山の管で縛られてるよう。
指先も瞼も動かせないけど、近くの声に耳を傾けた。
呼吸器か心拍数か…繰り返す機械音の合間に
ナウンとキムボスの声。

「……気が済むようにしていいって言ったわ。」

「言ったけども。気が済んだのか?
……命、尽きなきゃいいんだが…
思った以上に紫羅(ツールオ)達の圧が酷い。
このまま死なれたら…いろいろと面倒だな…」

「……それで?お兄ちゃんだってソクワンさんを捕まえたいでしょ?
あ、ジョンクーをオトリにして捕まえたら?」

「………失敗したんだ。
俺達は、選んだ人を間違えたんだよ。
このまま進んでも、ただ犠牲が大きくなる。
その犠牲が…俺の将来や組織の未来に関わる…」

「私は…諦めないわ……」

「ナウン……ジョンクーを放してやれ。
彼に薬を使うな……」



自分の身体は治るのか。
このまま動かないのか。
それとも死ぬのか。

何日も孤独な魂。
このまま、魂まで死ぬのか。


気持ちは動くのに、身体は動かないまま。


思い出すのはソクワンさんのいろんな顔。

ソクワンさんのいろんな声。





動かない手で沢山の繋がれた管を引きちぎり、ベットから転げ落ちて床を這った。 
魂だけが彷徨ってるのかも知れない。

誰もいない廊下の隅に公衆電話。
しがみつき、落ちていたコインを入れ、子供の頃から慣れ親しんだ番号を押した。

ただ、ソクワンさんの声が聞きたくて…
何故かソクワンさんの声が聞ける気がした。


『もしもし?もしもし?』

…ソクワンさんの声じゃない…けど……
誰だか分からない声の後ろに、微かなピアノのメロディが…

聴こえる。

目に浮かぶ。


笑顔のワンギ兄、テフォン兄、ツーボス、孤児院のみんな……


ソクワンさんの声に似ている切ないメロディ。
それは少しだけ不安定なリズムで、音も声も少し控えめてで、透き通ったような…
本物のソクワンさんの声で聴こえる。


『♪~~~~~~』


まさかな。

本人が歌ってるわけないけど、自分の願望でこんな幻聴が聴けるなんて…

魂だけでも嬉しくて涙が出る。


『♪~~ひとりじゃないから~~~』


ソクワンさん、貴方はひとりじゃないよ。

僕がいたでしょ?

これからは、思い出して。
僕と過ごした時間を。


信じてくれるかな……

本当に愛してたって……




1人で泣きながら歌うソクワンさんが目に浮かぶ。
その歌は僕への気持ち?
また独り言…僕に言ってるの?初めてだね。
僕、返事してるよ。
聞こえない?聞こえないの?僕の声。

僕からは見てるよ…?
僕には聞こえてるよ…?


このまま……泣かせたまま、さよなら…?







「……これで何度目かしら。
気づかないうちに公衆電話の所で倒れてるの…」

「……知ってるわ。
彼、いつもは全く動かないのにね…」

「変な薬、止めた方がいいかしら…」

「……可哀想よね……
嘘…見て…涙が流れてるわ……」


相変わらず動けない身体。
けど、聴こえる看護師達の会話からすると、僕の魂だけが電話へ向かったんじゃなくて僕の身体も動いてる?
……この身体は動くのか……?

溢れて伝った涙は看護師に拭き取られた。
看護師達の足音が小さくなり物音がしなくなる。


……'変な薬'を投与されているから…?
だから朦朧とするし、身体が言う事を聞かないのか。
'薬を使うな'とキムがナウンに言っていた。



このまま死んでもいいかと思った。

けど、今もソクワンさんが泣いている気がする。



目を開こうと、瞼を動かした。

管を引きちぎろうと、指を動かした。

重たい身体が、少しずつ動き出した。







「良かったよ。無事で。
薬のせいか意識も朦朧としてたけど…
気分はどう?スッキリした?」

「テフォン兄…」

確か、病院を抜け出して…
自分のマンションへ向かった。
辿り着く前に途中で意識を無くしたような…

「ソクワンさん、ワンギ兄…みんな…
孤児院、教会で笑ってた……」

「あ?…見てたのか?」

「いや……多分、僕の想像……幸せな…」

「うん。分かった。ここは安全だから…
お前の電話を聞いてたから…凄い探したんだけど見つからなくて…
お前のマンションに行ったらお前が倒れてて…
お前、俺が孤児院に乗せて行こうとしたら'まだだ'って。'まだ行けない'って。
覚えてるか?…まだ行けないのか?」

「……うん……」

「そうか…'まだ'か。'もう'じゃないもんな。
待つよ。けど、早くしろよ。
ソクワンさんも待ってるぞ。
…ワンギ兄が、'お前じゃなきゃダメなんだ'って伝えてって…」

「……うん……」

「組織同士の話だと、だいぶカタがついてる。
けど……まだ心配なのか?まだ何かあるのか?」

「……ありがとう。
やっぱり、迷惑かけちゃったかな…」

薄暗く、狭い部屋。
ベットに横になった僕の周りに、水を置いたり簡単に食べられるものを並べ、僕を心配そうに睨みながら話すテフォン兄。

「迷惑じゃないだろ。当たり前だろ。
もともとは組織の為、ツーボスの為にキムんとこ潜ったんだから…
聞いてるか?大丈夫か……?」

傷のせいか、変な薬のせいか、まだ気分が落ち着かない…意識も遠退きそうになる。

「……大丈夫。確かめないと…
迷惑かけないか……確かめてから……」



テフォン兄が連れて来てくれた安全な隠れ家で数日過ごした。
変な薬が抜けて傷の痛みは酷くなったけど、少しずつ回復しているし、体力も戻って来た。


キムボスとナウンが納得したか確かめないと。
ソクワンさんや、僕の信頼する仲間におかしな事をしでかさないように…これも交渉か。
約束させないと…ソクワンさんに手を出さないと。

前回投げ出した命と、キムが刑務所に入るような悪行、殺した警官のネタや、横領や裏取引の数々…
全ての事を天秤にかけ…
ソクワンさんの自由と引き換えにしてみせる。

もしかしたら……もしたかしたらまた、
僕の命まで天秤に乗せてしまうかも知れない…

けど……確かに孤児院で僕を待っているソクワンさんを、ワンギ兄には譲れない。


ソクワンさんがソクワンさんとして、
僕が僕として、
2人の自由をこの手で……



燻っていた煙が、少しずつ消えていった。




 
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