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第四幕【日常を始めるために】
4-5【この世界には何もない】
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バイトについての話を終えたところで、俺とフィーちゃんは足早に店を出た。
それなりに長く話し込んでいたようで、見上げた東の空は茜色から藍色へと変わりつつあった。
「ごめんなさいっ」
人気のない鳥居前で、まるで見計らったとばかりにフィーちゃんが大きく頭を下げた。
響くほどに声が大きくないのは、住宅街であることを考えてのことだろう。
「い、いやまぁ、うん。打ち合わせ無しで驚きはしたけど、そんな律儀に頭下げなくても」
「でも突然関係を偽ってしまいましたし、その……」
「何か事情があったんでしょ? まずはそっちを聞かせてくれないかな」
手荷物を持ち直しつつ、俺はフィーちゃんに目線を合わせるようガードレールに腰を下ろす。
そんな俺の様子を上目遣いで覗き込んでくるフィーちゃん。
まるで怒られるのを恐れる子供みたいに見えるが、別にこの子を叱ろうとかそういう意図はない。
しばらくの沈黙の後、俺がフィーちゃんの言葉を待っていると理解してくれたのだろう。
フィーちゃんは改めて背筋を伸ばし、身を正してから真っ直ぐ俺と顔を合わせた。
「……今の私が康介様のためにできることを考えた結果、これしかないという結論に至ったからです」
「えっ?」
彼女の表情は、どこか俺に対し後ろめたさを抱いているかのような様子だった。
今日は特にそういった姿を見てきたものだが、それについては事情も理解しているし俺も受け入れている。
そもそもフィーちゃんにとっては後ろ盾の一切存在しない異世界での生活だ。
そういった事情も俺なりに受け入れているし、言い方は悪いが見返りだって約束されている。
既に協力関係として成り立っているというのが俺の認識なのだが。
「やはり経済的負担を全て康介様に押し付けてしまうのはよろしくありません。ですが……」
再びフィーちゃんが俺から目を逸らし、今度は背後の住宅街へと視線を向けた。
その直後、俺たちの頭上にある街灯が点灯し、昼光色の明かりが降り注ぐ。
俺たちの影がアスファルトに色濃く映る。
「この場所では教会のお勤めもありませんし、寄付も募れません。モンスターが現れることもないので、依頼を受けることもできません」
単純でありながらも決定的な、俺たちの間に存在する世界のギャップ。
この子にとってあるべき生活が、この世界では絶対に成り立たない。
フィーちゃんにとっての常識が、この世界には何もないのだ。
「その上私は、この世界では身元を保証することすらままなりません。だから、その……」
ここで急に口ごもるフィーちゃん。
俯く彼女の視線は、どこか申し訳なさげに泳いでいるようだ。
「身分を偽り、店長さんのご厚意に甘えて仕事を得るという……はしたない行いをしてしまいました」
なるほど。確かに神主さんならば詳しく問い詰めるようなことをせずフィーちゃんの言葉を受け入れるだろう。
だがそんな神主さんの人柄を利用し、更に俺の古くからの知り合いと偽ったことを深く気にしていたというわけだ。
これまで誠実さを大事にしてきたであろうフィーちゃんならば、罪悪感を抱いても仕方ない。
しかし事情が事情だ。これくらいのウソなら許されてもいいと俺のような凡人は思うわけで。
そうもいかないのが、真面目な子故のジレンマなのだろう。
「不快な思いをさせてしまったとしたら、すぐに全てを訂正します。だから――」
「ああ待って待って! そんなこと一ミリも思っちゃいないからっ」
「そ、そうなのですか?」
必要以上に反省されても、元々怒るつもりもない側からしたら逆にうろたえてしまう。
何よりフィーちゃんは俺の懐事情を思って行動しているのだ。これでは俺に物申す権利なんてあるとは思えない。
俺は紙袋を地面に置き、フィーちゃんの傍に寄る。
そして彼女の小さな両肩に左右の手を乗せ、少し身を屈めて目線を合わせる。
少し泣きそうになっているフィーちゃんを見ると、逆にこっちが悪いことをしている気になってくるな。
「あのさ、もし今回のことが自分で納得できないなら、神主さんのことを考えて真面目に働けばいいよ。万が一ウソがばれたとしても、あの人ならそれで許してくれるから」
本当はこの程度ならまず怒りもしないと思うけど。
だがフィーちゃん自身の気持ちを整理するには、多少の脚色はあった方がいい。
「あと、幼馴染って話だけどさ」
一呼吸置き、改めてフィーちゃんの顔を見る。
彼女はただ口を閉ざし、神妙な面持ちで俺の言葉を待っている。
正直そこまで真剣な話はしていないのだが、何となく空気が重い。
程々の緊張感に口が渇く。
「フィーちゃんみたいな幼馴染は大歓迎だから、普通にっ!」
分かってる。分かってるから何言ってるんだみたいな顔はしないでくれ、フィーちゃん。
自分でも色々ダメなこと言ってるよ。
でもそうだろう? 可愛い幼馴染がいるなんて話、嬉しいに決まってる。
嘘だと知らない周囲の人間から見たら羨ましがられるに違いないじゃないか。
それはそれとして今の俺、相当キモイこと言ってるよな。
言葉を失ってしまったフィーちゃんを前に、場の空気に耐えられなくなった俺は目を逸らす。
これはさすがに引かれたか。いくらフィーちゃんが相手とはいえ……。
「えっと、つまり……嫌ではない。ご迷惑ではない、ということなのですか?」
「へっ? え、そ、そうだよ。全く困ることなんて一つもっ」
「そうですか……」
再び沈黙するフィーちゃん。
だが先程の口ぶりからは、俺に対する嫌悪のようなものは感じられなかった。
それでも黙っているだけというのは居心地が悪い。
それに目の前の相手から目を逸らし続けるのもよろしくないだろう。
漂う気まずさを噛みしめつつ、俺はもう一度フィーちゃんの方へと視線を向けた。
「……えへへ」
フィーちゃんは笑っていた。
目を細め、頬を少し赤らめながらはにかんでいた。
「良かったです。康介様に不快な思いをさせてなくて」
「不快なんてそんな。驚きはしたけどそうする必要があるのは分かるしさ」
あくまでフィーちゃんは俺が迷惑に思っていないかだけを気にしていたようだ。
不安なことはたくさんあるだろうに、それでも他人の事を気にしてしまうのはこの子らしい。
状況が状況なんだから、もう少し利己的になっていい気もするんだけど。
まあ、今回はおかしなこと口走った俺の方が救われたのではないだろうか。
可愛い子が幼馴染、嬉しい!(要約)だもんなぁ……。
いや、もうあの発言は一度忘れよう。
「あっ」
その時、胸元で両手を合わせたフィーちゃんがはっとした表情を見せる。
「どうしたの?」
「はい。今後幼馴染という間柄になるのでしたら、これまでのように康介様と呼ぶのもおかしいと思いまして」
お互いじっと顔を見合わせ、思案の沈黙が流れる。
その真剣な様子から、一体何を言いだすのかと自然に身構えてしまう。
というか機会を逃していたが、様付けで呼ばれるのはむずかゆい感覚があるのでやめてもらおうと考えていた奴だ。
「店長さんもそのことを気になさっていましたし、ここはやはり」
「やはり?」
顎に右手を当て、少しの間視線を落とすフィーちゃん。
そして……。
「はい。お兄さまが適切かと思いまして」
あ、今の呼び方ぐっときた。
別にそういう癖はないつもりだったのだが、面と向かって言われるとなかなかの破壊力だ。
俺は不思議なときめきを胸に覚えつつ、再び空を見上げる。
夜の色は一層濃くなり、頭上の月が明るく輝く。
明日からお互い大変なことも増えてくるが、こんなにもいい星空だ。きっといい日になるさ。
……いや、様付けやめてもらおうってのに、ときめいている場合じゃなくないか?
それなりに長く話し込んでいたようで、見上げた東の空は茜色から藍色へと変わりつつあった。
「ごめんなさいっ」
人気のない鳥居前で、まるで見計らったとばかりにフィーちゃんが大きく頭を下げた。
響くほどに声が大きくないのは、住宅街であることを考えてのことだろう。
「い、いやまぁ、うん。打ち合わせ無しで驚きはしたけど、そんな律儀に頭下げなくても」
「でも突然関係を偽ってしまいましたし、その……」
「何か事情があったんでしょ? まずはそっちを聞かせてくれないかな」
手荷物を持ち直しつつ、俺はフィーちゃんに目線を合わせるようガードレールに腰を下ろす。
そんな俺の様子を上目遣いで覗き込んでくるフィーちゃん。
まるで怒られるのを恐れる子供みたいに見えるが、別にこの子を叱ろうとかそういう意図はない。
しばらくの沈黙の後、俺がフィーちゃんの言葉を待っていると理解してくれたのだろう。
フィーちゃんは改めて背筋を伸ばし、身を正してから真っ直ぐ俺と顔を合わせた。
「……今の私が康介様のためにできることを考えた結果、これしかないという結論に至ったからです」
「えっ?」
彼女の表情は、どこか俺に対し後ろめたさを抱いているかのような様子だった。
今日は特にそういった姿を見てきたものだが、それについては事情も理解しているし俺も受け入れている。
そもそもフィーちゃんにとっては後ろ盾の一切存在しない異世界での生活だ。
そういった事情も俺なりに受け入れているし、言い方は悪いが見返りだって約束されている。
既に協力関係として成り立っているというのが俺の認識なのだが。
「やはり経済的負担を全て康介様に押し付けてしまうのはよろしくありません。ですが……」
再びフィーちゃんが俺から目を逸らし、今度は背後の住宅街へと視線を向けた。
その直後、俺たちの頭上にある街灯が点灯し、昼光色の明かりが降り注ぐ。
俺たちの影がアスファルトに色濃く映る。
「この場所では教会のお勤めもありませんし、寄付も募れません。モンスターが現れることもないので、依頼を受けることもできません」
単純でありながらも決定的な、俺たちの間に存在する世界のギャップ。
この子にとってあるべき生活が、この世界では絶対に成り立たない。
フィーちゃんにとっての常識が、この世界には何もないのだ。
「その上私は、この世界では身元を保証することすらままなりません。だから、その……」
ここで急に口ごもるフィーちゃん。
俯く彼女の視線は、どこか申し訳なさげに泳いでいるようだ。
「身分を偽り、店長さんのご厚意に甘えて仕事を得るという……はしたない行いをしてしまいました」
なるほど。確かに神主さんならば詳しく問い詰めるようなことをせずフィーちゃんの言葉を受け入れるだろう。
だがそんな神主さんの人柄を利用し、更に俺の古くからの知り合いと偽ったことを深く気にしていたというわけだ。
これまで誠実さを大事にしてきたであろうフィーちゃんならば、罪悪感を抱いても仕方ない。
しかし事情が事情だ。これくらいのウソなら許されてもいいと俺のような凡人は思うわけで。
そうもいかないのが、真面目な子故のジレンマなのだろう。
「不快な思いをさせてしまったとしたら、すぐに全てを訂正します。だから――」
「ああ待って待って! そんなこと一ミリも思っちゃいないからっ」
「そ、そうなのですか?」
必要以上に反省されても、元々怒るつもりもない側からしたら逆にうろたえてしまう。
何よりフィーちゃんは俺の懐事情を思って行動しているのだ。これでは俺に物申す権利なんてあるとは思えない。
俺は紙袋を地面に置き、フィーちゃんの傍に寄る。
そして彼女の小さな両肩に左右の手を乗せ、少し身を屈めて目線を合わせる。
少し泣きそうになっているフィーちゃんを見ると、逆にこっちが悪いことをしている気になってくるな。
「あのさ、もし今回のことが自分で納得できないなら、神主さんのことを考えて真面目に働けばいいよ。万が一ウソがばれたとしても、あの人ならそれで許してくれるから」
本当はこの程度ならまず怒りもしないと思うけど。
だがフィーちゃん自身の気持ちを整理するには、多少の脚色はあった方がいい。
「あと、幼馴染って話だけどさ」
一呼吸置き、改めてフィーちゃんの顔を見る。
彼女はただ口を閉ざし、神妙な面持ちで俺の言葉を待っている。
正直そこまで真剣な話はしていないのだが、何となく空気が重い。
程々の緊張感に口が渇く。
「フィーちゃんみたいな幼馴染は大歓迎だから、普通にっ!」
分かってる。分かってるから何言ってるんだみたいな顔はしないでくれ、フィーちゃん。
自分でも色々ダメなこと言ってるよ。
でもそうだろう? 可愛い幼馴染がいるなんて話、嬉しいに決まってる。
嘘だと知らない周囲の人間から見たら羨ましがられるに違いないじゃないか。
それはそれとして今の俺、相当キモイこと言ってるよな。
言葉を失ってしまったフィーちゃんを前に、場の空気に耐えられなくなった俺は目を逸らす。
これはさすがに引かれたか。いくらフィーちゃんが相手とはいえ……。
「えっと、つまり……嫌ではない。ご迷惑ではない、ということなのですか?」
「へっ? え、そ、そうだよ。全く困ることなんて一つもっ」
「そうですか……」
再び沈黙するフィーちゃん。
だが先程の口ぶりからは、俺に対する嫌悪のようなものは感じられなかった。
それでも黙っているだけというのは居心地が悪い。
それに目の前の相手から目を逸らし続けるのもよろしくないだろう。
漂う気まずさを噛みしめつつ、俺はもう一度フィーちゃんの方へと視線を向けた。
「……えへへ」
フィーちゃんは笑っていた。
目を細め、頬を少し赤らめながらはにかんでいた。
「良かったです。康介様に不快な思いをさせてなくて」
「不快なんてそんな。驚きはしたけどそうする必要があるのは分かるしさ」
あくまでフィーちゃんは俺が迷惑に思っていないかだけを気にしていたようだ。
不安なことはたくさんあるだろうに、それでも他人の事を気にしてしまうのはこの子らしい。
状況が状況なんだから、もう少し利己的になっていい気もするんだけど。
まあ、今回はおかしなこと口走った俺の方が救われたのではないだろうか。
可愛い子が幼馴染、嬉しい!(要約)だもんなぁ……。
いや、もうあの発言は一度忘れよう。
「あっ」
その時、胸元で両手を合わせたフィーちゃんがはっとした表情を見せる。
「どうしたの?」
「はい。今後幼馴染という間柄になるのでしたら、これまでのように康介様と呼ぶのもおかしいと思いまして」
お互いじっと顔を見合わせ、思案の沈黙が流れる。
その真剣な様子から、一体何を言いだすのかと自然に身構えてしまう。
というか機会を逃していたが、様付けで呼ばれるのはむずかゆい感覚があるのでやめてもらおうと考えていた奴だ。
「店長さんもそのことを気になさっていましたし、ここはやはり」
「やはり?」
顎に右手を当て、少しの間視線を落とすフィーちゃん。
そして……。
「はい。お兄さまが適切かと思いまして」
あ、今の呼び方ぐっときた。
別にそういう癖はないつもりだったのだが、面と向かって言われるとなかなかの破壊力だ。
俺は不思議なときめきを胸に覚えつつ、再び空を見上げる。
夜の色は一層濃くなり、頭上の月が明るく輝く。
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