deep trap ―awakening―

あおい

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Story2-awakening- 生贄の男

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 あれは、きっと夢だ。悪い夢。
 極度の疲れがみせた、たちの悪い幻だ。

 そう自分に言い聞かせる他ないのは、やむを得ないことだろう。


 
 目が合った、と思った人間犬クロは、そのまま踵を返し、黒い尻尾を振りながら、その場を去った。
 
 俺は、その姿が見えなくなっても動けず、長い間立ち尽くしていた。どうやって帰宅したかなんて、全く思い出せない。 
 
 しかし、あれ以来、あまりにも異常過ぎた光景が俺の脳裏に焼き付いて、一向に離れてくれないのだ。
 
 それに何より…………、裸で首輪を引かれ、床を這っていた惨めなイヌ男、あれは一体「何者」だったのだろうか。
 
 
……………………………………………………………
 
 
 
 一睡も出来ないまま出社した俺は、自分のデスクに積まれた書類の山のまえで、欠伸を噛み殺した。
 
「おはようございます。では、ミーティングを始めましょう」
 
 筆頭秘書の号令に、慌ててタブレットを立ち上げ、スケジュール画面を開く。

 今日は会議に次ぐ会議、本社役員とのオンラインミーティングもあり、会議資料のチェックも欠かせない。当然、ミスするわけにはいかない。
 
「張、随分眠そうだな、昨日は大変だっただろう。遅くまで掛かったのか?」

 先輩の声に、どきりとする。ぶわりと首筋や背中に冷や汗が滲むのを感じた。
 
「………いえ、大丈夫です。すみません」
 
 睡眠不足で回らない頭に喝を入れ、今日のスケジュールを逐一確認していくが、ふたりの先輩秘書官が心配そうに声を掛けてくる。
 
「おい、聞いているか」
 
「お前なんか顔色が悪いぞ?」
 
 ………ああ、駄目だ!何も頭に入ってこない。
 
「いや、全然大丈夫ですよ」
 
 その時。がちゃりと音を立てて、支社長室の扉が開いた。
 
「おはようございます」
 
 そこには、広森くんがいつものようにニコニコと笑いながら、水換えのための花瓶を手に立っていた。
 
「ミーティング中でしたか、失礼しました。すぐに退散致しますので」
 
「ああ、大丈夫だから気にしないでくれ」

「ありがとうございます」
 先輩達がひらひらを手を振り、いつも律儀だね、と声を掛けると、広森くんは笑みを深くして会釈した。
 
 丁寧に扉を締め、足早に給湯室に向かう広森くんを見ながら、先輩秘書官がぼそりと言う。
 
「広森くんも相当疲れた顔だね。まあ、仕方ないが」
 
「……………………えっ、?」
 いつも通り元気そうに見えたけどな…
 
 思わず、広森くんの華奢な背中を振り返る。
 
「昨日は、劉社長との会食だっただろ。先方たっての希望で、広森くんも同席したそうだからね」
 
「劉社長って、あの鬼神の? あ、いや、……ちょっとその……つい…、」

 驚いて思わず口走ってしまい、慌てて正そうとするが、どう表現しても悪意が混ざりそうで口籠る。先輩がクスリと笑って遮った。
 
「皆まで言わなくていい。そう、その社長から、広森くんはかなり好かれてるんだよ」
 
 劉社長は、最近急激に売上を伸ばし、中国内外からも注目を集めている医薬品や医療品の開発製造メーカーの創業者だ。

 世間の評価は、売れ筋商品を見極める鋭い読みと、軍隊並みの統率、卓逸した営業力で辣腕を振るっている、とされている。

 うなぎ登りの業績や世間評からみて、それは事実なのだろうが………、実際のところ、俺は何度会っても慣れない。

 なぜなら、大変失礼ながら、その見た目や行動が…、かなり気味が悪い。
 
 脂っぽいグレー髪とカサつく肌、黄み掛かった三白眼で、人を品定めするように見つめる、じっとり重い目線と、にやりと歪む血色の悪い唇。

 その唇には常に紫煙をあげる葉巻を咥え、隙間から黄ばんだ歯が覗く。

「あのねえ、王さん。この舐め腐った数字、なに?おたくは客への感謝も企業努力も足りないんじゃないの?」

「も、申し訳ありません!しかし弊社の人件費との……」

「何度も言わせるな、わしを納得させる数字を持ってこい。代わりはいくらでもあるんだ」

 俺の知る劉社長は、いつもにやりと笑いながら、支社長さえも恫喝するほどの胆力ジジイ。
 しかし、その顔は、やり手ビジネスマンというよりも、薄気味悪い笑みを張り付けた変態にしか見えない。
 
 とはいっても、ウチの大口取引先のひとつには違いない。しかも、ここ数ヶ月で段階的に取引が急増している。

 もしもその取引に揺らぎが生じれば、倒産までは行かずとも苦境に陥るのは間違いない。

「そういえば、広森くんが来てからだよな、これほど順調な取引に転じたのは」

 …………………確かに。

 それまで定期的に劉社長本人が来社し、恐ろしく詰められていた取引更新や見積が、サクサク通るようになった。
 
「すごいですね、広森くんは」
まあ、俺はあの社長に好かれたいとは思わないが。

 俺は、黙々と作業する広森くんの背中を尊敬の眼差しで見つめた。
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