【R18】溺れる身体~そこに愛はない

遙くるみ

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神成

(12)

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「はい、こんなしかないけど」

 私がそう言うと、安田は「何でもいい」と素っ気なく答えて、渡した箸を手に取った。

 今、私は折り畳みのローテーブルに安田と向かい合って、朝ご飯を食べている。いや、私はとてもじゃないけど食欲が湧かないので、私が用意した朝ご飯を食べている安田をただ見ているだけなんだけど。
 冷凍しておいたご飯をチンして、お椀に盛り、卵と醤油を加えただけのそれを、安田がかっかっと軽快に掻きこんでいる。どうやら本当にお腹が減っていたようだ。あっという間にご飯はなくなり、安田はごくごくとコップのお茶も飲み干した。

「神成、食わねーの?」

「私は、いい。まだ胃が気持ち悪いし」

「ははっ、お前めっちゃ吐いたしな。頭は?」

 安田の言葉にうっと詰まる。でもその通りなので何も言えない。恨みがましく視線だけ送れば、安田は楽しそうに三日月形に目を細めていた。

「ちょっと、痛い。だけど大分マシにはなった」

「ふーん、良かったじゃん」

 大して興味もなさそうに安田はへらっと笑って、後ろ手に身体を倒した。その手の横にさっき安田が読んでいた雑誌がある。

「それ、見てたの?」

「ん?ああ、これ結構面白いな。お前の好きそうな建築物ばっか」

「あんたは古代建築むかしのよりも現代建築の方が好きだものね」

「そんなことねーよ。昔のは昔ので好きだし、すげーなって単純に感心する。どっちかっていうと西洋よりも日本の寝殿造りとかの方が興味あるな。一回じっくり京都奈良らへん回りたいって思うし」

「……そうなの?」

 適当なことを言ってるんじゃないかと、疑い混じりで聞き返した。安田と京都奈良なんて、似合わな過ぎて違和感しかない。

「何だよ、そのめちゃくちゃ意外そうな顔。流石の俺も傷つくわ。お前は俺のことをどんなやつだと思ってんだよ」

 そんなもの、適当で軽薄で不真面目でやたら鼻につく奴だと思ってる。
 私とは全く違う感覚を持って、全く別の考え方をする、相容れない価値観を持つ奴だと。
 それなのに、共通のものに興味を抱いていたなんて、思ってもみなかった。
 安田と京都奈良。
 改めてもう一度想像してみると、あれ。意外と、合ってるかもしれない。

 そのことをなぜか、少しだけ嬉しいと思った。
 緩みそうになる口をぐっと噤んで、私はローテーブルに目を向けた。空っぽになったお茶碗とコップがそこにある。私の部屋で、安田が私の出したご飯を食べて、くつろいでいる。また口元が弛みそうになり、バレない様にさり気なく手で覆った。

「流行の最先端ばかり気にしてる奴だと」

「あながち間違っちゃいない」

 はははっと声を上げる安田があまりにも無防備に笑うから、つられて私も小さく笑った。

 こうやって今、安田と何でもない会話をしていることが、不思議で堪らない。別に良い意味とかではなく、夢のようだった。

 大概、売り言葉に買い言葉で、口喧嘩(安田の揶揄いに私が一方的に怒っているだけなのだけど)のようなものをするか、強引に不埒な行為に持ち込まれるかのどっちかで。こんなに普通に話すことなんて、多分今が初めてだ。

 安田とは同じ学部、同じ研究室といっても、特に接点もなく、ただの顔見知り程度の関係で、会話という会話なんてしたことは殆どなかった。安田の様な性格の男は好きではなかったし、向こうもそう思っていたからか特に絡んでくることはなかった。
 ただ安田はとても目立ってたから、仲良くないと言っても噂はしきりに耳に入ってきた。知りたいと思ったことなんて一度もなかったけれど。そしてその殆どが、授業をさぼって遊びに行ったとか、誰と関係を持ったとか、ろくでもないものばかりだった。
 安田のどこが良いのかは分からないが、男女問わず安田の周りにはいつも誰かしら人がいた。派手目で、声が大きくて、毎日が楽しいと思ってそうな人たちが。
 見た目と噂だけで、私の中の安田は形成されていた。つまり、軽薄で不真面目で不誠実で顔だけのチャラ男、それが安田だった。

 安田がナミのことを好きだと知った時は、単純に驚いた。そして、この男もその程度の男なのかとガッカリするような気持ちと同時に、この男が好きになるのだからナミはそれほど魅力的な女なんだろう、と諦めにも似た気持ちが湧いた。

 あの日。
 オサムに振られて自暴自棄になってヤケ酒をした日。いつもは参加しない研究室の飲み会に参加し、安田と話しているうちに気が付いたら何故か身体を重ねることになって。
 あの日から、安田と私の関係は一転した。
 安田はやたら私に絡んでくるようになった。しきりに意地悪な言葉で私を揶揄い、隙あらばその手で私を翻弄し、身勝手に振舞い私の心をかき乱す。
 元々性格的にあまり好きではなかった男が、大嫌いな男に変わるのは、一瞬だった。
 そして、あまりにも嫌いになり過ぎて、視野が狭くなってたのかもしれない。

 私は安田のことを何も知らなかった。上っ面の安田じゃなく、本来の安田の部分を。そして、もしかしたら本来の安田は意外と私と合うのかもしれない。期待にも似た思いに、心臓がトクトクと早足を始める。

 こうやって会話をしていけば、いずれはーー


「ごっそーさん。腹も満たされたし、じゃ、やるか」

「え?」

 パチンと軽快に手を叩き、安田が身体をぬっと起こした。急にやると言われても主語がなければ何も分からない。意味がわからずきょとんと見返す私に、安田はニコリとつくったような笑みを浮かべた。そして、よいしょと脇に手を入れられ、すぐ後ろのベッドに持ち上げられる。

「昨日、結局入れらんなかったし。俺だけ不完全燃焼なんて、フェアじゃねーだろ?」

 そのまま安田に押し倒され、馬乗りで見下ろされた。ゾクゾクっと背中が震え、思わず息を呑む。安田の目が、笑っているけど笑っていない。獲物を狙い定める野生の肉食獣の様な瞳に射抜かれ、やるの意味を正確に理解した。

 さっき近付いたと思った距離が、また一気に遠くなる。やっぱり、安田は安田だった。
 その事に、チクンと胸が痛んだ。

「だ、駄目」

「何で?」

「あっ!」

「うわ、まだぬるぬるじゃん。お前だって一回イッただけじゃ、物足りねえだろ?ほら、ビクビクうねってる」

 怖くなって思わず拒否を口にするも、安田は構うことなく脚の付け根に手を差し入れた。痛みも抵抗もなく安田の指を咥えたそこは、安田の言葉通り十分に潤い、難なく安田を迎え入れる。中を確かめるように指を動かされ、鼻に抜けるような声が漏れた。

「んんっ、はあ!」

「ここは準備オッケーって言ってるけど」

「ああん、だめ。止めて」

「何で?」

 安田の視線が鋭さを帯び、私を射抜く。私は必死の思いでのしかかる安田の肩を押し、覚悟を決めて睨み返した。

「もう、こういうことは、しない」

「……ふーん。で?」

 笑う安田の目は全く笑っていなかった。その冷え冷えとした視線に身がすくみそうになるが、ぐっと堪えて睨み返す。安田の瞳の中に、今にも泣き出しそうに顔を歪めた私が見える。

「……二度と、金輪際、私に関わらないで」

 昨日、もうどうなってもいいと思ったのは、紛れも無い自分自身だ。でも、アルコールが抜けた今、昨日の自分の選択をそのまま受け入れることは出来なかった。
 私はようやく気付いたのだ。
 認めたくはないけれど、アルコールと快楽に弱いタチなのだと。そして、安田とは絶望的に相性が悪いのだと。
 逆を言えば、それを断てばいいだけのこと。つまり、お酒と安田。この二つを切り離せば、私は以前の自分に戻れる。

「いーよ」

 睨み合うように無言で見つめ合った後、安田が一言そう言った。

「神成がそう言うなら、もうお前には関わらない。お前に話しかけないし、触らない」

 そして、私の中に侵入してした指を引き抜く。ぬらぬらといやらしい液にまみれたそれを、見せつけるようにペロリと舐めとり、挑発するような誘惑するようなその笑みに、ぐらりと胸が揺らいだ。身体だけでなく心にも、ポッカリと穴が開いたようだった。

「これで満足?」

 一歩距離を置いたかのような突き放した安田の言い方に、ズキっと胸が痛む。それでも睨みながらしっかり頷くと、安田はパッと身体を起こし、くるりと背中を向けた。
 未練も何も、まるでないという風に。

「あーあ、興ざめだな。折角やれると思ったのに。神成に弄ばれて可哀想な俺」

「も!!?それは、どっちが!!」

「何?弄ばれた自覚あんの?」

「そんなの!ある訳ないでしょ!何で私が、あんたなんかに。あんたなんか、嫌い。……大嫌い」

 無意識のうちに、ぎりっと奥歯を噛み締めた。紛れも無くこれは自分の本心なのに、どこか自分に言い聞かせているような気もする。

「お前がそれを選んだんだからな。後悔するなよ」

 いつの間にか乾いたらしい下着を身につけ素早く支度を済ませた安田は、捨て台詞を残し、あっという間に帰っていった。バタンと扉が閉まり、部屋に一人残される。
 残される?ここは私の部屋なのに、どうしてそんな風に思うのだろう。
 私がそれを望んだはずなのに、望み通りになって喜ぶべきなのに、何故、私が安田に棄てられたみたいに感じているのだろうか。
 どうしてもうすでに、後悔し始めているんだろうか。



 その日から、本当に安田は、一切私に絡んでこなくなった。



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