【R18】溺れる身体~そこに愛はない

遙くるみ

文字の大きさ
19 / 52
神成

(11)

しおりを挟む
 意識が浮上して、沈んで、また浮上して。

 気がつけば、私は大海原にポツリと漂う、小さな魚だった。

 巨大すぎる大きな存在に、なすすべも無く身を委ねる。行きたい方に身体を動かしても、それが叶うことはない。結局、流れて、流されて、今どこにいるのかも、これからどこへ向かうのかもわからない。
 途方もなく無力。
 でも、それは決して、悲しい事ではなかった。

 穏やかに晴れていたそこは次第に雲行きが怪しくなり、あっいう間に嵐に呑み込まれた。私は大波に攫われ、巻き上げられ、打ち付けられ、粉々になって、海の一部と化す。
 このまま大いなる母の一部になる喜びに浸り、同時に恐怖に襲われた。

 ーー本当にそれでいいの?
 人の形をした私の声が聞こえた気がした。




 ガンガンと側頭部を思いきり殴られたような痛みが延々と続き、目が覚めた。と言っても、とても目を開けることができず、意識だけだが。
 未だアルコールが抜け切れていないのか、まだ夢の中にいるのか、ぐらんぐらん脳が揺れている。
 痛くて苦しくて気持ち悪い。

 苦痛に身を捩ると、ぎゅうっと身体を拘束された。
 ちょっと熱いくらいの心地いい温もり、それに無機物ではない柔らかい感触。そして匂い。多分、誰かに抱きしめられてるんだと思う。
 さっきまで海の中を漂っていたはずなのに、いつのまにか陸へと打ち上げらていたようだ。日光浴をしているようにぽかぽかと胸が温かくなるのを感じ、頭の痛みが少しだけ和らいだ。

 しばらくそのままでいると、また眠気が押し寄せてきて、私はそれに抗うことなく意識を手放した。




「った」

 ズキズキと痛む頭を何とか持ち上げて、目を開ける。目に入る世界は明るく、もうすでに朝であることを私に教えていた。
 何か、夢を見ていた気がする。とても壮大で、漠然とした夢を。どんな内容かは全く思い出せないけれど。

 視界に映るここは、私の部屋で海の中ではなく、私は魚なんかじゃなく、もちろんちゃんと手足がついていた。なぜか、全裸だったけれど。
 未だ状況を把握しきれないでいると、急に声をかけられ身体が跳ねた。

「よう」

 痛む頭を抑えながら辺りを見回すと、すぐ隣に安田が座っていた。私の部屋にある建築雑誌をペラペラとめくりながら。
 なんで、安田がここに……
 ズキンズキンと頭痛が増して、そこに手を押し当てた。そんな私を見て、安田が薄ら笑いを浮かべる。

「まだ頭痛えの?完全に飲みすぎだよ、お前。じーさんのポン酒どんだけ飲んだ訳」

「安田、なんで」

「覚えてねえの?」

 少し驚いたように目を丸くした安田の言葉に、私はまた痛む頭を抱えた。

 ……覚えていないわけない。いや、正確には今思い出した。
 あれが夢なら、忘れていたら、どんなに良かったか。
 昨日の自分の痴態を思い出し、ひどい自己嫌悪に苛まれた。
 確かに昨日は自分の意思で安田との行為に及んだ。酒に酔ってはいたが、泥酔していたわけではない。その証拠に、ちゃんと記憶もある。よっぽど消して、なかったことにしまいたいけれど。
 だからこそ、後悔している。
 どうして、あそこで、安田の手を取ってしまったのか。どうして、それに至る前に止められなかったのか。
 今そんなことを考えても事実を変えることはできないのに、悶々とそんなことを考えてしまう。

 頭を抱えてうずくまる私に、安田がはあーと大きなため息をついた。

「やってねえよ」

「え?」

「酔っぱらって意識無くした女に突っ込む趣味はないからな。ていうか、それどころじゃなかったし」

 やってない、ということは、最後まではしていないということだろうか。上手く働かない頭を必死に動かして考える。
 そこはさして問題ではない、というか昨日の時点で私的には完全にアウトなのだけど、どうやら安田は私がそのことで思い悩んでると勘違いしたらしい。

「ほら、やっぱり覚えてねーじゃん。お前昨日、俺が指でイカせてやってすぐにゲロッて、後始末するの大変だったんだぜ」

「う、うそっ!」

「うそじゃねーし。俺のパンツ汚しやがって。シーツも俺が替えて洗濯してあげました。風呂も勝手に入ったけど、もちろん文句なんてないよな?」

 信じられない思いで安田を見ると、確かに腰にバスタオルを巻いていて、私のいるベッドは新しいシーツに替えられていた。吐いた記憶はないが、吐いていないと断言もできない。昨日うちに帰ってきてからの記憶は断片的にしか思い出せず、気がつけば朝だったのだ。
 安田が嘘を言っていないだろう事実に、息が止まった。多分、心臓も止まった。
 顔色を青ざめ呆然とする私に向かって、安田が横目で顎をしゃくる。

「何か言うことがあるんじゃねーの?」

「ご、ごめん」

「そんだけ?」

 その先の言葉を促す安田の視線から逃れるように俯き、渋々「……ありがと」と呟いた。
 選りに選って安田の前でとんだ醜態を晒した上、大きな借りまで作ってしまうなんて……
 苦い気持ちと恥ずかしい気持ちと、少しだけ安田に対しての申し訳ない気持ちが渦巻いて、私は口を噤んだ。

「……ぷはっ!神成がしおらしいのなんて何かこえーな」

「なっ!私だって自分の非を認めればちゃんと謝るわよ!!」

 少しの沈黙の後、それを打ち破るように安田が軽快に噴き出した。
 責められて反省しなければいけない立場であるのに関わらず、安田がいつもの調子で軽口を叩くので、つい私も強い口調で言い返してしまった。言った後にハッと気づき慌てて口を噤んだが、安田は何も気にしていないようで、ホッとした。むしろ安田は、そんな私の一挙一動を、面白そうに観察しているように見えた。その視線に、途端居心地が悪くなる。それは不快、というよりは、こそばゆい、という類のものだった。

「ふーん。ま、いいや。じゃ、お詫びちょーだい」

「は?」

「お詫びとして、朝ご飯何か作れよ。昨日結局全然食べてねーし、めちゃくちゃ腹減ってんだ、俺」

「ああ、朝ご飯……」

 なんだ、とどこか拍子抜けした。
 安田のことだから、何かとんでもない見返りを要求してくるのかと身構えたのに。
 なんだ、そんなことなのか。
 ホッとしながらも、どこか残念に思っている自分がいて、慌ててそれを否定した。
 それじゃあまるで、違う言葉を期待していたみたいじゃないか。
 だとしたら、私は安田になんて言って欲しかったのか。安田に何を求められたかったのか。

 身体の芯がじくんと疼いた。

「とりあえず、何か着れば?お前のバカでかいおっぱい丸見えなんだけど」

「え?あっ!み、見るな馬鹿!部屋から出ていけ!!」

 ハッと我に返り、毛布からはみ出た胸を両手で隠した。
 状況が状況とは言え、異性の前で全裸でいることを忘れるとか……本当にあり得ない!
 かあーっと顔が熱くなり、頭からすっぽりと毛布に包まり丸くなった。「はいはい」と笑い交じりの呆れた安田の声と、扉の締まる音を確認し、そこでようやく息を吐く。
 心も身体も無防備にさらけ出すなんて、しかもそれを大嫌いな安田の前でするなんて。

 本当に、あり得ない。
 泣きたい気持ちを堪えながら、いそいそと私は部屋着に着替えた。

しおりを挟む
感想 17

あなたにおすすめの小説

白い結婚のはずが、旦那様の溺愛が止まりません!――冷徹領主と政略令嬢の甘すぎる夫婦生活

しおしお
恋愛
政略結婚の末、侯爵家から「価値がない」と切り捨てられた令嬢リオラ。 新しい夫となったのは、噂で“冷徹”と囁かれる辺境領主ラディス。 二人は互いの自由のため――**干渉しない“白い結婚”**を結ぶことに。 ところが。 ◆市場に行けばついてくる ◆荷物は全部持ちたがる ◆雨の日は仕事を早退して帰ってくる ◆ちょっと笑うだけで顔が真っ赤になる ……どう見ても、干渉しまくり。 「旦那様、これは白い結婚のはずでは……?」 「……君のことを、放っておけない」 距離はゆっくり縮まり、 優しすぎる態度にリオラの心も揺れ始める。 そんな時、彼女を利用しようと実家が再び手を伸ばす。 “冷徹”と呼ばれた旦那様の怒りが静かに燃え―― 「二度と妻を侮辱するな」 守られ、支え合い、やがて惹かれ合う二人の想いは、 いつしか“形だけの夫婦”を超えていく。

ウブな契約妻は過保護すぎる社長の独占愛で甘く囚われる

ひなの琴莉
恋愛
大企業の清掃員として働くゆめは、ある日社長室の担当を命じられる。強面と噂される社長の誠はとても紳士的な男性だった。ある夜、ストーカーに襲われかけたところを誠に助けられ、心配してくれた彼に同居を提案される。傷ついた自分を大きな愛情で包み込んでくれる誠に、身分違いと知りつつ惹かれていくゆめ。思いを断ち切ろうと決めたとき、彼から偽装結婚を頼まれ、本当の妻のように甘く接されて……!?

病弱な彼女は、外科医の先生に静かに愛されています 〜穏やかな執着に、逃げ場はない〜

来栖れいな
恋愛
――穏やかな微笑みの裏に、逃げられない愛があった。 望んでいたわけじゃない。 けれど、逃げられなかった。 生まれつき弱い心臓を抱える彼女に、政略結婚の話が持ち上がった。 親が決めた未来なんて、受け入れられるはずがない。 無表情な彼の穏やかさが、余計に腹立たしかった。 それでも――彼だけは違った。 優しさの奥に、私の知らない熱を隠していた。 形式だけのはずだった関係は、少しずつ形を変えていく。 これは束縛? それとも、本当の愛? 穏やかな外科医に包まれていく、静かで深い恋の物語。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

偽りの婚約者のはずが、極上御曹司の猛愛に囚われています

冬野まゆ
恋愛
誕生日目前に恋人に裏切られた舞菜香は、行きつけの飲み屋で顔見知りだった男性・裕弥と誘われるままに一夜を過ごしてしまう。翌朝も甘く口説かれ、動揺のあまりホテルから逃げ出した舞菜香だったが、その後、彼が仕事相手として再び舞菜香の前に現れて!? すべて忘れてなかったことにしてほしいと頼むが、彼は交換条件として縁談を断るための恋人役を提案してくる。しぶしぶ受け入れた舞菜香だったが、本当の恋人同士のように甘く接され、猛アプローチを受け……!?

巨乳すぎる新入社員が社内で〇〇されちゃった件

ナッツアーモンド
恋愛
中高生の時から巨乳すぎることがコンプレックスで悩んでいる、相模S子。新入社員として入った会社でS子を待ち受ける運命とは....。

放蕩な血

イシュタル
恋愛
王の婚約者として、華やかな未来を約束されていたシンシア・エルノワール侯爵令嬢。 だが、婚約破棄、娼館への転落、そして愛妾としての復帰──彼女の人生は、王の陰謀と愛に翻弄され続けた。 冷徹と名高い若き王、クラウド・ヴァルレイン。 その胸に秘められていたのは、ただ1人の女性への執着と、誰にも明かせぬ深い孤独。 「君が僕を“愛してる”と一言くれれば、この世のすべてが手に入る」 過去の罪、失われた記憶、そして命を懸けた選択。 光る蝶が導く真実の先で、ふたりが選んだのは、傷を抱えたまま愛し合う未来だった。 ⚠️この物語はフィクションです。やや強引なシーンがあります。本作はAIの生成した文章を一部使用しています。

押しつけられた身代わり婚のはずが、最上級の溺愛生活が待っていました

cheeery
恋愛
名家・御堂家の次女・澪は、一卵性双生の双子の姉・零と常に比較され、冷遇されて育った。社交界で華やかに振る舞う姉とは対照的に、澪は人前に出されることもなく、ひっそりと生きてきた。 そんなある日、姉の零のもとに日本有数の財閥・凰条一真との縁談が舞い込む。しかし凰条一真の悪いウワサを聞きつけた零は、「ブサイクとの結婚なんて嫌」と当日に逃亡。 双子の妹、澪に縁談を押し付ける。 両親はこんな機会を逃すわけにはいかないと、顔が同じ澪に姉の代わりになるよう言って送り出す。 「はじめまして」 そうして出会った凰条一真は、冷徹で金に汚いという噂とは異なり、端正な顔立ちで品位のある落ち着いた物腰の男性だった。 なんてカッコイイ人なの……。 戸惑いながらも、澪は姉の零として振る舞うが……澪は一真を好きになってしまって──。 「澪、キミを探していたんだ」 「キミ以外はいらない」

結婚直後にとある理由で離婚を申し出ましたが、 別れてくれないどころか次期社長の同期に執着されて愛されています

霧内杳/眼鏡のさきっぽ
恋愛
「結婚したらこっちのもんだ。 絶対に離婚届に判なんて押さないからな」 既婚マウントにキレて勢いで同期の紘希と結婚した純華。 まあ、悪い人ではないし、などと脳天気にかまえていたが。 紘希が我が社の御曹司だと知って、事態は一転! 純華の誰にも言えない事情で、紘希は絶対に結婚してはいけない相手だった。 離婚を申し出るが、紘希は取り合ってくれない。 それどころか紘希に溺愛され、惹かれていく。 このままでは紘希の弱点になる。 わかっているけれど……。 瑞木純華 みずきすみか 28 イベントデザイン部係長 姉御肌で面倒見がいいのが、長所であり弱点 おかげで、いつも多数の仕事を抱えがち 後輩女子からは慕われるが、男性とは縁がない 恋に関しては夢見がち × 矢崎紘希 やざきひろき 28 営業部課長 一般社員に擬態してるが、会長は母方の祖父で次期社長 サバサバした爽やかくん 実体は押しが強くて粘着質 秘密を抱えたまま、あなたを好きになっていいですか……?

処理中です...