【R18】異世界でもキャリアアップを望む

遙くるみ

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本編

ジョセフ(1)

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 茹だるような暑さの中、帽子を被りタオルを首に巻き、黙々と雑草をむしる。毎日毎日むしってもどんどん伸びてくる雑草と、今日も俺は一人で戦う。

 一通り終わると一度日陰へ入り、水筒の水を飲む。カラカラになった喉が潤い、全身に染み渡る。生き返るようだ。
 庭師の仕事は基本外仕事なので天候にかなり左右される。雨が降ってもお構いなし、夏は暑く冬は寒い。体力的にきつい仕事だ。
 少し休んだら、次は枯れた花を摘みながら虫がついていないか一つずつ観察する。伸びすぎた枝はバランスを見て切ってやる。夕方になり日差しが弱まる頃になると、如雨露に水を汲み、庭の草花にたっぷりと水をやる。何往復もするのは結構きつい。屋敷の庭は広大で、とても一人ではやりきれないので、他の庭師と分担している。

 日が沈む頃ようやく全ての仕事が終わる。その頃になると汗でベタベタだし、全身疲労で身体が重い。
 いつもならこのまま風呂に行き、そのあと食堂に向かうのだが、今日は風呂に行った後正装に着替えて屋敷へと行かなければいけない。
 この後のことを思うと気が重くなり、俺は深い深いため息を吐いた。


 庭仕事は肉体労働なので腹が減る。出された料理を黙々と口へ運び、ひたすら飲み込む。
 食堂のものよりも洗練されていて、味も上手いし見た目も華やかな料理がテーブル一杯に並んでいる。でも、今は食堂のやたら量が多くてシンプルで大雑把な味のものが恋しかった。

 出された全ての料理を食べ終えても、兄の話は終わらない。
 俺の十歳上の兄、ウィンドバーク伯爵オルレインは饒舌に話し続ける。
 うんざりとしているのがバレないように、俺はワインを一口含み、そっとグラスを置いた。

「というわけで、今は三大公爵が権力を持ちすぎて王家の威光が弱まっているわけだ。分かるか、ジョセフ」

 全く分からない。というか、聞いていない。
 けどそんなことを言うとまた延々と話が続くので、適当に相づちを打つ。

「はあ、まあ、何となく」

「何だ、その気のない返事は。ちゃんと聞いていたのか?お前ももう成人したんだ。約束の期間は何も言わんが、ちゃんとその後の事を考えているんだろうな?」

 兄は切れ長のアイスブルーの瞳をギラリと光らせ、俺を見据えてきた。
 また始まった。何の話をしていても、いつも最終的には俺の話になってしまう。
 思わず顔をしかめそうになるが、何とか堪える。
 色々言われたくなくて、席を立とうと機会を伺うが、兄の話はまだまだ続くようだ。本当にうんざりする。

「まあいい。そうだ、あとこれは内密な話なんだが、少し前に聖女が召喚された。王家としては聖女を使って、国民の支持を得ようとしている所だろう。通常聖女は一人しか召喚されないのだが、今回は何故か聖女にくっついてもう一人召喚されてしまった。今は王宮で生活しているが、色々あってこの屋敷で働くこととなった。最初は俺が妻取ってやろうと言ったんだが、生意気なことに、それよりもここで働きたいと言い出す始末だ。屋敷では、いち女中として働くこととなる」

 政治の話をしていたはずなのに唐突に話が切り替わり、話の展開についていけない。

 聖女?召喚?人々を助けるために降臨されるっていう、あの聖女のことか?
 そんなもの半分お伽噺で、実際に聖女がいたのだって百年も前だろ?召喚って、本当にそんなことが起こりうるのだろうか?
 疑問ばかりが頭を過る。

「ちょっと待って。その人は聖女じゃないの?そんな、女中なんて仕事、させても問題にならないの?」

 分からないことばかりで思わず兄に尋ねる。兄は切れ長のアイスブルーの瞳を細め、ニヤリと笑った。

「聖女は一人だ。契約をしたものだけが聖女となり得る。まあ、異世界から来た者ならば誰でも良かったのだが。つまり、一人が聖女契約してしまえば、もう一人は用なしということだ。楽な暮らしをさせてやると言ったのに、働きたいと言ったのはあの女だ。女中の仕事をさせても問題はないだろう」

 異世界。契約。
 よく分からない単語が頭の中でぐるぐる回る。

「実際に来るのは転の節のはじめ頃だ。ジョセフ。お前はその女がおかしな真似をしないかちゃんと監視しておけ。いいな」

「えっ!?俺が?」

 話がどんどん進みついていけない。完全に頭の容量を越えている。

「そうだ。別に関われとは言ってない。監視するだけだ。そして何かあれば報告しろ」

 何で俺が。そんなことしたくない。
 そう思ったが、それを言ってしまうとまた長々と兄の話が続きそうだったので黙る。はっきり言って面倒臭い。だけど兄に歯向かう方が面倒臭い。
 疲れた身体と頭では、兄とやりあう体力も気力もなかった。

 早く部屋に帰って寝たい。その時の俺の頭の中には、それしかなかった。



 まだ俺が小さい頃は、今ほど兄のことが苦手ではなかった。
 むしろ今とは全く逆で、兄の存在は自分にとって誇らしいものだった。

 兄は完璧だった。

 頭脳明晰で王都の学園では常にトップ、剣の腕も立ち剣術大会では上位入賞の実力。白金色の輝くような髪に整った男らしい容姿。ウィンドバーク伯爵領の長男で跡継ぎ。
 学園では第二王子と学友となり、将来の地位も約束されていた。
 もちろん、そんな兄と近付くために男も女も皆群がっていて、兄の回りは常に人で溢れていた。

 そして何より、兄は俺に優しかった。
 勉強を教えてくれたり、剣の稽古をつけてくれたり、一緒に遠乗りに出かけ、お忍びで町に買い物に行ったこともあった。
 もちろん悪いことをした時は厳しく叱られたが、基本的には俺に甘く、俺の言う我が儘にもつき合ってくれた。
 兄は王都にいることが多かったので基本家にはいなかったが、家に帰ってきた時はいつも俺と優先して遊んでくれた。
 その当時は兄のことが、すごく好きだった。

 そんな兄が変わってしまったのは、俺が八歳、兄が十八歳の時だ。
 両親が事故で二人一気に亡くなり、急遽兄が爵位を継いだ。

 今思えば兄も、成人したてで学園を卒業したばかりということもあり、かなり参っていたのだろう。どんなに優秀で完璧だと言われている人間でも、両親を亡くして平気なはずがない。そして、慣れない伯爵としての領地管理と人付き合い。兄の抱えるストレスは相当なものだっただろう。今なら、それが少し理解できる。

 しかし、当時八歳だった俺にはもちろんそんなこと理解できるはずもなく。
 両親を失ったショックで毎日悲しみに明け暮れていたところ、優しかった兄が急に厳しく冷たい態度を取るようになり、精神的にかなり辛かった。兄に裏切られたように感じた。

 兄は爵位を継いでしばらくすると、国政にも関わり始めるようになった。
 ほとんど王都で過ごす様になり屋敷に帰ることは殆どなくなったが、その代わり俺の勉強の時間がかなり増やされた。専属の家庭教師を何人もつけられ、朝から晩までひたすら勉強漬けの日々。
 だというのに、いくら勉強しても優秀な兄には到底及ばず、直接言われはしなくても遠回しにそう言われることは多々あった。
 そして、その時に髪の色を持ち出されることもあった。
 俺の薄茶色の髪色ら明るめの色ではあるが、兄の白金色の髪と比べれば、くすんでいて下位色となる。

「オルレイン様はこんな問題すぐに解けたのに」
「やはり髪色が劣ると頭の出来も劣るものか」
「オルレイン様の血を分けた本当の兄弟なのかも疑わしい」

 この時まで髪色について特に気にしたことはなかった。でも、そんな風に思われていたのかと思うと一気に周りの大人が信じられなくなり、人間不信に陥った。口に出さないだけで、内心皆そう思っているのかもしれない。そういう目で俺のことを見てるのかましれない。

 誇らしかった兄の存在が、急に俺に重たくのし掛かって押し潰されそうだった。
 同じ両親から生まれ、同じ血が流れているはずなのに、頭の出来も見た目も、何一つ兄に及ばない自分が惨めで情けなかった。

 勉強が嫌だと言うよりは屋敷の張り詰めた雰囲気が息苦しくて、俺は剣の稽古にのめり込むようになった。

 幸い剣の腕は悪くなく、やればやるほど上達した。
 師匠は兄よりも才能があると褒めてくれ、俺は一層剣の稽古にのめり込んでいった。

 兄には勉強を疎かにするなと何度もきつく言われたが、俺は聞く耳を持たず剣ばかり振るっていた。兄に勝てるかもしれない唯一のものが見つかったのだ。
 もうその時には、騎士になってこの家を出ることしか考えてなかった。

 兄と比べられることに耐えられなかった。
 完璧な兄と平凡な弟。そう言われることが辛かった。苦しかった。

 その頃には完全に兄のことが苦手になり、屋敷にいる大人達にも心を開けなくやり、俺が心から信じられるのは師匠だけになっていた。
 師匠はそんな淋しい子供だった俺の心情を汲んでくれ、兄に騎士になることを俺と一緒に説得してくれた。なかなか兄は折れなかったが、何度も何度もしつこく訴え、ついに十二歳の時、王都の騎士養成学校に入学することを許してくれた。

 兄はやるからには一番を目指せと言ってきたが、そんなこと言われなくてもそのつもりだった。
 もう家に帰るつもりはなかったし、一生騎士として生きていく決意を固めていた。



 王都で暮らしはじめ、五年。
 俺は学校に入学してからもひたすら剣を振るい、剣の腕を上げていった。学校の中でも常に上位をキープし、そのことで兄の機嫌も良かった。
 兄に対する劣等感の塊だった俺は、ようやく自分に対して自信が持てるようになってきていた。
 このままいけばあと一年で学校を卒業し、騎士として働くことが出来る。俺の成績なら優秀なものだけが選ばれる近衛騎士になることも夢ではなかった。
 全ては上手くいっていた。欲しかった未来に手が届きそうだった。

 ーー俺が怪我をして、騎士になることが絶望的だと言われるまでは。



 転の節のはじめ、兄の言った通り新しく一人の女中が働き始めた。

 その女中はサトゥといい、歳は俺と同じくらいに見え、真っ黒な髪を一つに束ねた小柄な女だった。
 まさか本当のことを話すわけにはいかないので、皆には事情があって東の遠い国から来たと言う風に説明されていた。
 彼女に対して特に興味はなかったが、薄色髪信仰の根強いこの国では生き辛いだろうと思い、はっきり言って同情した。
 何も分からない国で一人逆境に立たされ、きつい仕事をさせられる。可哀想だとは思うが、それでも関わる気はしなかった。
 その時の俺には、誰かの事を気にかける余裕も興味もなかったんだ。

 騎士の道が閉ざされ、兄の示す将来を拒否した俺は、師匠が説得してくれたこともあり、これからどうするべきかを考えるため二年の猶予をもらった。二年間、師匠の元で見習い庭師をしながら兄を納得させる答えを出さなければいけない。しかし、もうすでに半分過ぎてしまった。

 約束の時まであと一年を切っている。
 まだ俺は自分が何をしたいのか、どうするべきなのか分からなかった。騎士の道は完全に閉ざされたと言うのにどうしても諦めきれず、ただただ毎日師匠に言われたまま庭師の仕事をこなす日々が続く。
 昔からいる使用人達は俺のことを遠巻きに見て関わろうとはしない。それもそうだろう。屋敷の主人の弟が見習い庭師として働くなんて。俺が逆の立場でもどう接していいかなんて分からないと思う。
 屋敷を離れている間に、俺のことを知らない使用人の方が多くなっていたが、彼らとも距離を置き、俺は一切関わることをしなかった。

 もう全てが面倒で、俺は完全に孤立していた。

「ジョセフ、これから皆で町に飲みに行くぞ。お前も来いよ」

 仕事終わり、いつものように片付けの後風呂へ行こうとすると師匠に呼び止められた。その手の誘いは今まで一切乗ったことはなく、師匠ももちろん俺が断ることを知っているのに、師匠は懲りもせずにこうして必ず声をかけてくる。俺を気遣ってくれてるんだろうけど、はっきり言っていい加減やめて欲しい。

「俺はいいです。じゃ」

 いつも通り断りを入れて、その場を離れる。
 後ろの方で俺を批難する同僚の声が聞こえ、まあまあと師匠が宥めていた。師匠には申し訳ないけど、誰かと楽しく飲みながら話すなんてことしたくない。できるとも思えない。

 こんなはずではなかった。俺の居場所はここじゃない。
 心の奥底で惨めったらしくそう思っている自分がいる。

 この先どうするのか考えなきゃいけないのに、今の現状が認められなくて一歩も前に進めない。頭では理解しているのに心がそれを拒否している。

 ーーあの怪我さえなければ。
 そればかりが頭に過る。

 一人で廊下を歩いていると、窓ふきをしているサトゥを見かけた。
 彼女は自分よりも背の高い場所も、脚立を使って拭いていた。周りに他の女中は居らず、一人でやっているようだ。
 一応まだ就業時間内だが、皆仕事を終わらせて誰も働くものはいない。そもそも、皆仕事に対してやる気などなく、時間いっぱい働くなんてことはしない。そんなこと考えもつかない。
 もしかして、誰かに仕事を押し付けられたのか?
 やはり彼女は嫌がらせや新人いびりのようなものを受けているのかもしれない。

 可哀想にな。そう同情して、その場を後にした。



 今日も俺は一人炎天下の中、庭の草をむしる。
 だらだらと汗が流れて目に入る。タオルで拭って顔を上げると、遠くにサトゥを見つけた。
 彼女は今日は洗濯当番らしく、小さな身体で一生懸命洗濯物を干していた。洗濯物はとても一人ではやりきれない位大量に見えたが、彼女は黙々と干していた。
 一枚一枚シワを伸ばし、丁寧に干す。風で飛ばされないようにしっかりと洗濯物を留める。何回も何回もそれを繰り返す。

 何となく、俺はその行為を見続けていた。
 彼女は俺の存在に気付いていないし、周りには誰もいない。
 誰に見られてる訳でもないのに、それでも彼女は丁寧に洗濯物を干していた。



 空がうっすらと明るくなり始める頃、俺は一人食堂へと向かった。いつものように山盛りのプレートを受け取る。座る席を探していると、隅のテーブルにサトゥが一人で座っているのが見えた。周りには誰も居らず、敢えて皆そこを避けているように見えた。

 彼女が来て早一ヶ月、使用人の中で彼女の存在は完全に浮いていた。
 その見た目も屋敷で働くことになった経緯も、皆が遠巻きにする大きな理由だが、彼女はそんな皆の態度を全く気にする様子もなく淡々としていて、他者を近寄らせないオーラがあった。

 彼女は今日も一人でご飯を食べている。背筋を伸ばし、ナイフとフォークを器用に使い、皿の上の料理を綺麗にしていく。その凛とした佇まいに、目が離せなくなる。
 お互い屋敷の人間に遠巻きにされ一人でいる。
 理由は違えど状況は似ていて、なんだか勝手に親近感を抱いた。

 それから俺はちょくちょく、サトゥを目で追うようになった。
 彼女は細かいところにも気付き、誰よりもよく働いている。
 予想外に彼女は誰かに言われてやらされているのではなく、自分から進んでやっているようだった。
 不満はないのだろうかと思ったが、彼女の表情からはそういったものは読み取れない。いや、彼女の顔は常に無表情で、不満も怒りも喜びも悲しみも、何も浮かんでいなかったのだけど。

 異世界から召喚された彼女は、無表情の下に何を思って日々働いているのだろう。

 俺はこの時、初めてサトゥに興味を持った。


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