【R18】異世界でもキャリアアップを望む

遙くるみ

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後日談

初めての職場内恋愛

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 季節は流れ、気が付けばあっという間に起の節も終わる頃になっていた。
 日本でいうところの五月末。
 こちらに梅雨というものはないらしいので、このままだんだんと気温が上がり、厳しい夏が訪れるのだろう。

 ーーもうすぐ、私がこの異世界に召喚されてから、一年が経つ。
 私にとって二度目となる、こちらの夏が始まろうとしていた。



「ああ、疲れたー。ようやく終わったわね」

 別邸の客室掃除を一通り終え、アリスが雑巾片手に両手を大きく掲げて伸びをする。朝から始めたこの作業は、予定通り就業時間内に終わらせることができたので、今日の仕事はこれで終わりと言えるだろう。
 あと数分もすれば今日の終わりを告げる鐘の音が鳴り、正真正銘、終業となる。

「だから、もっと早くからやろうって言ってたのよ。それなのにアリスがまだ大丈夫だって言って聞かないから。結局こんなにぎりぎりになっちゃったじゃないの」

「ええ、私のせい?ケイトだって面倒臭いって言ってたじゃない」

「私は面倒くさいけど、早くやって終わらそうって言ったのよ。やりたくないなんて言ってないわ。ね?サトゥ」

 バケツで雑巾を濯ぐケイトに同意を求められ、私は箒を片手に首をひねった。

「え?そうだったっけ」

「そうよ!アリスはいっつも、疲れたーやりたくないーばっかりよ。一緒にしてほしくないわ」

 ケイトが絞った雑巾を干しながら、ルーシーに「ねえ!」と目配せする。ルーシーも同意する様に、ウンウンと頷いていた。

「もっと余裕をもってやるべきだったのよ。一日がかりでやるんじゃなくて、二日とか三日とかに分けて計画的に。そうしたらもっと細かいところまで綺麗に掃除できたはずよ」

「でも最低限綺麗にできたし、ちゃんと期日内には終わらせたし。別にサボった訳でも手を抜いたわけでもないわ。それでいいじゃない」

 ケイトが不服そうに言えば、アリスがそれを笑って一蹴する。ケイトはキッとアリスを睨んで、もう!と拳を握った。

「またそうやって言って!そんなんだから、何時までたってもアリスは見習いのままなのよ!」

「ケイトこそ!自分は見習い卒業したからって。そうやって言うの、やな感じー!」

「はいはい、それ位にして。さ、ご飯食べに行きましょ!ほら、もうすぐ鐘が鳴るわよ」

 ルーシーが、まあまあと宥めながら白熱ヒートアップする二人の間に入る。二人はフンッと顔を背け、ルーシーと私は目配せをして困ったように笑った。
 ちょうどその時、ルーシーが言った通り、終業を告げる鐘の音がボーンと響いた。
 途端にアリスは嬉しそうに、ケイトは呆れたように笑って、私達は四人で後片付けを手早く済ませ、別邸を後にした。

「今日のご飯は何かしらー。ああ、お腹減った」

「もう、アリスは。いっつもご飯のことばっか」

「早く行こう!席が埋まっちゃうわ」

 さっきまで言い合いをしていたのに、ケイトとアリスは二人並んでお喋りしながら歩いている。
 何だかんだ喧嘩しながらも、この二人は仲良しだ。

「先に行ってて。私、終業の報告してくるから」

 食堂へと続く廊下の前で一人止まり、私は本邸の方をチラッと示した。

「私も一緒に行こうか?いつもサトゥに任せきりになって、何だか申し訳ないわ」

「大丈夫。これは私の役目だから。でも、そう言ってくれてありがとう。私の分の席と料理を取っておいてくれたら、嬉しいかな」

 私がそう言うと前の方を歩いていたアリスが振り向いて、「任せといて!」と大きく手を振った。

 苦笑混じりに「大盛りはやめてね」と言えば、アリスではなく隣のケイトが神妙な面持ちで何度も頷く。「じゃあ、待ってるね」とルーシーが心配そうに言うので、大丈夫だという意味を込めて私はまた笑顔で答えた。

 彼女たちと一緒に仕事をするようになって、もう半年。
 おのずと個々の性格や仕事に対する意識モチベーションもわかるようになってきた。

 アリスは大雑把で細かいことを気にしない性格だ。いい意味でも悪い意味でも、いつもニコニコと笑っている。仕事に対しても、やる気がないわけではないんだけど、やらなくていいことはやりたくないし、言われたことだけをやる、というスタンスだ。

 一方、ケイトは真面目でちょっと細かい。神経質、とまでは言わないけどそれに近いものがある。そしてアリスとは反対に、仕事への意識モチベーションはとても高い。自分から積極的に仕事に取り組み、先回りして物事を考える、というと聞こえはいいが、たまに突っ走りすぎて空回りしている時もある。

 ルーシーはそんな真逆に思える二人の間に入って上手にバランスを取っている。どちらの意見に片寄ることなく、どちらの意見も取り入れ、二人の聞き役として上手くまとめているのが彼女だ。お互いが主張を譲らず収拾がつかなくなったとしても、ルーシーが言うなら、と二人ともルーシーの言うことは素直に聞くのだ。二人よりも二歳歳上だという彼女は、名実ともに二人のお姉さん的存在で、二人が厚い信頼を寄せているのがよくわかる。
 友人としても仕事仲間としても、三人はとてもバランスが取れた良い関係を築いている。

 そんな三人を、ちょっと羨ましいなと思っているのは、内緒だ。

 女中長へ今日の仕事の進捗状況を報告をして、本当の意味で今日一日の仕事が終わる。
 私の他にも何人かの女中が報告に部屋を訪れていて、お疲れ様とお互いにお辞儀をしてその場を離れた。

 実は、私の提案で一ヶ月ほど前から屋敷内の仕事体制が大きく変わった。
 それは、新人を含めた何人かでチームを組みチーム単位で仕事をするというもので、現代日本ではごく当たり前の何の変鉄もないものだ。仕事改革と言うと大袈裟なくらいなんだけど、こちらの世界では斬新な試みらしく、伯爵は私の提案にすぐ賛同してくれ早急に実行に移してくれたというわけだ。
 四、五人でチームを組み、その中の一人をリーダーに立て、リーダーがチーム内をまとめ仕事に取り組む。チーム内には新人も加え、そこで新人教育も行うというものだ。リーダー達をまとめて監督するのが各部署のトップで、それを纏めるのはマイルズさん、そしてウインドバーク伯爵であるオルレイン様だ。

 私がリーダーを務めるチームのメンバーは、ルーシーとケイトとアリスで、直属の上司は女中長となる。
 今までは女中長が一人一人に指示を出して女中を取り仕切っていたので、このシステムによって彼女の負担は大幅に減り、反対に仕事効率も格段に上がるという訳だ。

 ……まあ、会社としては凄く普通の、当たり前のことをやってるだけなんだけどね。
 つまり私が係長で女中長が課長、マイルズさんが部長でオルレイン様が社長。そんな感じかな。

 今はそれが試験的に行われていて、何か不備があればその都度報告し、どういった形が良いのかを探っている最中である。仕事改革の責任者は執事長であるマイルズさんが取り仕切っているが、発案者である私も積極的に関わるようにしている。
 提案だけして、それで終わりになんてしたくない。最後まで責任をもって取り組みたい。
 気持ちの面では私がプロジェクトリーダーなのだ。

「あ、サトゥ。もう終わり?お疲れ様」

 本邸から食堂へと向かう廊下を歩いていると、執務室から出てきたジョセフとばったり出くわした。ジョセフは私と目が合うと爽やかすぎる笑顔を浮かべ、迷うことなく私に近付いてきた。

 ……きゅううん。
 疲れた身体にジョセフの笑顔が染み渡る。
 仕事後のビールなんていうけど、私にとっては仕事後のジョセフた。ビールののど越しなんて目じゃない。

 思わず緩みそうになる顔を隠すように「お疲れ様です」と頭を下げれば、ジョセフはまた一段と柔らかく微笑んでくれた。
 ……再び、きゅん。
 目だけハートにして脳内ジョセフを補充していると、続いて部屋からレイフォードさんも出てきた。同じようにお辞儀をすれば、レイフォードさんは私とジョセフの顔を交互に見て、悪い顔でニヤリと笑った。

「ああ、サトゥ。何、ジョセフ様を迎えに来たのか?お熱いことだな」

「……な!ち、違います!たまたまです!全くの偶然です!私は今、女中長に報告を済ませて、これから食堂へ向かう所ですから」

 レイフォードさんに変な想像をされたくなくて全力で否定する。この男は非常に厄介だ。自分の暇潰しの為だけに私達をからかって、その反応を見て楽しんでいるのだ。本当に性格が曲がりまくっているとしか思えない。さすがオルレイン様が一番信頼を寄せている側近だ。

「そうなの?俺はそうだと思って嬉しかったのに」

 レイフォードさんに対してそう否定したのだけど、ジョセフはまるで自分が拒否されたと思ったのか、悲しそうに眉を下げた。
 ……ううう、そんな捨てられた子犬の瞳で見ないでほしい。

「本当に、偶然で。そうやって変に勘ぐるのは止めてください。……でも、私も会えて嬉しいっていうのは、あるけど」

 最後ジョセフだけに聞こえるようにもにょもにょと口ごもれば、途端にジョセフが嬉しそうに目を細めた。

「そう、良かった」

 ジョセフがそれは嬉しそうに、満面の笑みを浮かべる。
 ……やばい。
 胸がきゅんきゅん、きゅんきゅん激しくビートを刻んでいる。

 ジョセフと想いを伝え合ってから結構経つのに、未だに私は思春期女子モード全快で、それがいつまで続くのか不安しかない。終わるより死ぬのが先な気さえしてくる。

「ほらほら、こんな所で甘い空気を出すのは止めてください。今日は(純情チェリーの)オルレイン様がいらっしゃらないからいいですけど、見つかったらまた色々言われますよ」

 レイフォードさんの呆れたような声にハッとなる。
 そうだった。ここは本邸の廊下であって、いわゆる私にとっての職場だ。しかも例えるならば社長室のあるフロアレベル。
 そんなところで交際中の二人が会話しているなんて。何というあり得ない行為をしてしまったんだ、私は。
 急に恥ずかしくなって視線を落とせば、レイフォードさんは苦笑混じりに「では、私はこれで」とその場を後にした。

「ねえ、ちょっとだけ俺の部屋に来ない?」

「……え、でも。私はこれから食堂に」

「うん。でもちょっとだけ。せっかく会えたんだし」

 ジョセフがおねだりするように首を傾げ、私の手をそっと握る。
 ……うう、ずるい。そんな可愛い顔されたら恋愛経験値がほぼゼロのアラサー女は太刀打ちできないの知ってるくせに。

「ちょっと。ここではやめて」

 それでも心を鬼にして、ジョセフの手をさっと離す。
 ここは職場なのだ。就業時間が終わったからと言って、交際中の男女が触れあっていい場所ではない。

「じゃあ、なおさら俺の部屋いこ」

 そう言ってジョセフは廊下の奥を示した。
 その視線の先、一番奥にある階段を上がった所には、ジョセフの私室がある。

 実はジョセフは本格的に領地運営を学ぶために、少し前から使用人部屋から本邸へと部屋を移した。といっても、ここは元々ジョセフの部屋だったらしく、帰って来たというのが正しいかもしれないが。そして、庭師の仕事もやめ、今は名実ともに領主の弟として振る舞っている。そのことが暴露された時の皆の反応は、まあ凄かった。

 なので今では、皆ジョセフに『様』をつけて呼ぶようになったし、ジョセフに対する態度もそれ相応のものに変わっている。

「でも、ルーシー達が待ってるし」

「……やっぱり。俺だけがエィミに会えて嬉しいって思ってるんだ」

 不意に下の名前で呼ばれ、ドキンと胸が跳ねる。ジョセフは拗ねた子供のように口を尖らせ、おねだりするように私を見た。
 ……ううう、心の中で理性と本能がぐらっぐらと揺れている。
 しかし、ここは(元)模範的ないちアラサーキャリアウーマンとして、正しい行動を取らなければならない。

「……だから、外ではそういうこと言うの止めてって、いつも言ってるでしょ。いつ、誰に見られるかわからないんだし」

「見られてもいいじゃん。もう皆、俺とエィミが付き合ってるの知ってるんだし。何も隠すことはないよ」

「そうだけど。……だからこそ嫌なの」

 私がそういえば、ジョセフは心底不思議そうに首を傾げた。

 日本で働いているときも、そういう人達はいた。
 社内カップルは公にしている人達もしていない人達もいたけれど、どちらにしても周囲は気を使うのだ。いや、他の人達はわからないけど、少なくとも私は気を使っていた。
 職場内であからさまにイチャイチャしているようなやからはいなかったけど、交際している二人が話している所を見かけると、お邪魔しちゃ悪いかな、とか勝手に思って譲歩してしまうことが多々あった。
 結果、仕事に支障が出るとまではいわないが、とてもやりづらくなる。

 職場内だけではない。高校生のクラス内カップルにも通じるものがあると思う。
 自分の友達や相手の友達が周りにいる環境の中で、交際相手に対してどういった態度を取ればいいのか、何が正解で、どうすれば反感を買わなくて、不快な想いをさせないのか、敬遠されないのか。
 私には全くもってわからなかった。
 皆の目の前でイチャイチャするのは勿論却下なのだけど、だからといって喧嘩してるわけでもないのに全く話さないというのも違う気がするし。
 じゃあ友達にするみたいに接すればいいの?付き合ってるのに?
 ……謎だ。謎すぎる。
 私にとっては、宇宙の始まり"ビッグバン"に匹敵するレベルの謎である。

 前はジョセフとの関係がバレないようにと、極力外では関わりを持たないように気を配っていたけど、今は前よりも更にやりづらい。
 付き合ってると知られてからは(自分から言いふらした訳では断じてない!)、皆の見る目が「へーふーん、あそう。あの二人付き合ってるんだー。つまり、好きだよって言い合ってぎゅっとしてぎゅっとされて、キスしたりセックスしたりしてるのねー。へーふーん」って言われているようで。
 まあ………実際その通りなんだけど。
 だからと言って、その通りです!なんて胸を張れる訳なくて。

 …………もう恋愛初心者には、どうしたらいいのかわからなくて。とりあえず必要最低限の接触は避けるに至っている。

「つれないなあ」

 必要以上に冷たくあしらった自覚はあるけど、ジョセフは怒りもせず、困ったなというようにフッと笑った。私よりも十個も年下の癖に、こと恋愛に関しては完全にジョセフの方が手練れている。
 悔しいけれど、まあ仕方ない。悔しいけれど。

「……準備できたら、行くから。部屋で待ってて」

 補足するようにぼそっと呟くと、ジョセフの目がみるみる内に細まっていく。
 ……ああ、なんでこんな可愛くない言い方しかできないんだろう。
 ルーシー達の可愛さを少しでいいから分けてもらいたい。自分の態度に反省点しかないけれど、それでもジョセフはとても嬉しそうに笑ってくれた。

 神カレシか。

「じゃあ俺、食堂まで迎えに行こうかな。最近食堂のご飯食べてないし、久々に食いたくなってきた」

「だめ、絶対やめて。来たら無視するし、部屋にも行かない」

「ええ、厳しいなー。でも部屋に来る間に何かあったら嫌だし、心配だよ」

「でもだめ。……いつもの木の所なら、いいけど」

 ジョセフが私を部屋まで送ってくれる時に、バイバイするヴリリの木。私がそう言えば、ジョセフにももちろん通じたようで、ニコリと笑って答えてくれた。

「じゃあ、そこで待ってる。エィミ、また後で」

 私の耳元でそっと囁いてからジョセフは頬にちゅっと唇を当て、そのまま颯爽と去っていった。

「なっ!!!」

 遠ざかるジョセフの背中を眺めながら、頬に急速に熱が集まるのを感じ、両手で頬を思いっきり押さえる。

 公共の場でそういうことするの、やめてって言ったのに!!

 怒りやら恥ずかしさやらが一斉に込み上げてきて、頭から煙が出そうになった。ていうか、もう出た。
 咄嗟に周りを見渡してみたけど、幸い見た人はいないようで、ホッと肩を撫で下ろす。
 ……そういう問題ではないけど、とりあえず誰もいなくて良かった。

 私は頬に手を当てたまま、一人大きな大きなため息をついた。

 初めての(異世界)カレシに、初めての職場内恋愛。
 私の要領キャパは、完全にオーバーしていた。


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