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結婚してはじめての夜

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 その日、ふみちゃんは、ちょっとした決意をしたようだ。

 家に帰って、僕が湧かしたお風呂に、ふみちゃんは早速入ってくれた。

 僕はその間に明日の洋服の用意をして、それからメールのチェックをしていた。いつもだったらメールの整理がついたころに、ふみちゃんがあがってくるのだけれど、今日はなかなかお風呂から出てこない。

 ふみちゃんがお風呂から出て来たのは、僕が暇を持て余していつもの動画サイトを巡り始めてから、20分も経ってからだった。

「お先でした」
 のぼせたのか、顔を赤くしたふみちゃんが、濡れた髪のまま僕に声をかけた。

「うん」
 まぁ、ふみちゃんも女の子だから、色々お手入れとかで長くなることはあるだろう。もしくは半身浴がしたい気分だったのかもしれない。
 と、深くは考えなかった。

 それにしても風呂上がりの女の子は色っぽいな、なんてことを考えていた時に、ふみちゃんに不意をつかれた。

「今日は、お布団の方で待ってます」
 決意したような表情で言われて、僕はたじろいだ。

「え、ええと、うん。わかりました」
 答えてからは、目を合わせることも出来ない。

 慌てて脱衣所に向かって、服を脱ぐ。たるんとしたお腹を鏡に映し出して、溜息をついてから湿気でもわっとした風呂場に脚を踏み入れる。

 シャワーを浴びて、いつもより丁寧に身体を洗って、僕はふみちゃんの待つ和室に向かった。

 ふみちゃんは既に布団を敷いていて、その二つの布団は、誰がどうみても分かるくらい、ぴったりとくっつけられていた。

 飲み込もうとした唾の塊が、随分と固く感じられた。

「大丈夫だと思うけど、もしものことがあった時に嫌だから、こういうこともちゃんとしておきたいなと思って」
 布団の上にパジャマ姿で突っ立っているふみちゃんは、小さな声で言った後、「なんといっても初夜ですし」と付け足して、自嘲するように笑った。

 その表情を見て、胸が痛まない訳がなかった。

 そんな顔はさせたくなかった。

 僕は決意して、ふみちゃんに近寄った。

 ふみちゃんが、一瞬、たじろいだように一歩だけ後ずさった。
 僕は、細いけれど骨格のしっかりしたふみちゃんの肩に、優しく手をかける。
 ふみちゃんと目が合う。僕は真剣にふみちゃんを見つめる。
 アーモンド型の、透き通った白目の部分に、うっすらと涙が浮かんでいる。
 びっしりとはえ揃った睫毛まで、少し湿っている。
 僕は頷く。
 ふみちゃんは、すーっと膝の力を抜いて、布団の上に座り込んだ。

 僕は電気の紐をひっぱって、部屋を少しだけ暗くしてから、ふみちゃんの隣に膝をついた。

 ふみちゃんの、パジャマの襟元に手をかける。
 宝物の包み紙を開くように、そっと手を添えて、胸元のボタンを開いた。
 ボタンを外す感触が、一つ手に伝わる度に、心臓の高まりが激しさを増していくのを感じた。

 やがて全てのボタンを外し終えると、ゆっくりと前を開く。
 ピンクのパジャマの間から、桃の果肉みたいにつるんとした、ふみちゃんの肌がのぞいた。
 顔や腕は日焼けして固そうに見えるのに、こういうところはきちんと女の子で、僕の心臓はますます居心地が悪くなる。

「ねぇ、ちゃんと脱がせて」
 ふみちゃんに言われたので、僕はパジャマの袖を脱がせてあげた。ズボンの部分も両脇から手をかけて、脚から取り去る。脱がせようとした時にふと手が当たったふみちゃんの二の腕が、思っていたよりも随分柔らかくて、僕は意味もなく動揺した。

 ふみちゃんはグレーの綿のショーツをはいていた。洗濯は一緒にしているから、見慣れたもののはずだけれど、飾り気のないショーツは、身につけられていると、身体のラインを妙に強調しているような気がする。

 いつもより、ずっと、柔らかく見えた。

 すぐにショーツまで脱がせてしまうのは躊躇われて、僕はキスをした。
 ふみちゃんの唇に、僕の唇が沈み込む。人間の顔に、こんなに柔らかいパーツがくっついているというのはすごい。
 最初は目を閉じて、でもなんだか奇妙な興味からこっそりと目を開けて、あまりに近くにふみちゃんの顔があることに驚いて、僕はもう一度目を閉じる。閉じられた瞼を縁取る睫毛が、残像として残る。

 ふみちゃんが鼻で息をした。ふみちゃんが吐いた息が欲しくて、僕は鼻息の音がしないように気をつけながらめいいっぱい息を吸う。

 キスをしたまま、ふみちゃんにもう一度手を伸ばす。
 女の子の肌は、温かいくせに、奇妙にひんやりしている。
 ふみちゃんがゆっくりと後ろに倒れ込んだので、僕は柔らかな身体の上に、覆い被さった。

 いったんキスは休憩する。

 ふみちゃんの腕が僕の背中に絡み付いてくる。そうして何かを探すように僕の背中をひとしきり撫でて、今度は僕の腕の下から、僕のパジャマを脱がせようとしてくる。
 僕はあらがいもせず、協力もせず、ふみちゃんのなすがままにされる。

 やがて僕のゆるみきった上半身が露になり、ふみちゃんの引き締まっている滑らかなお腹の上に、僕の脂肪ではりつめたお腹がのっかるような形になった。お臍の下に生えた、僕の白い肌には不釣り合いな黒々とした毛の先が、ふみちゃんのつるりとしたお腹を撫でる。産毛すら生えてないから、きっと長かったお風呂の間に処理してくれたのだと思う。
 女の子ってすごい。

 僕はもう一度ふみちゃんにキスをした。
 ついばむようなキスをすると、ふみちゃんは照れくさそうに笑った。
「ふみちゃん、綺麗」
 今度は照れすぎたのか、僕の肩を叩いてくる。
 割と容赦がなくて、ぺちんと音がした。痛い。

 可愛いなぁと思いながらもう一度キスをする。
 今度は少しだけ長く。
 唇の間に舌をねじ込んで、ふみちゃんの歯を舌でなぞった。
 つるつるの歯の間から、歯磨き粉の味がする。
 歯茎を舐めると、ふみちゃんが再び身体をよじるような反応をする。
「ん……」
 少しだけ声が漏れた。

 いいぞ。

 しばらく僕はキスに集中する。大きく口を開いて、ふみちゃんの小さな顎を食べるようなキスをする。ふみちゃんの反応があまり良くないので、今度は舌でふみちゃんの唇をなぞって、そのまま舌をふみちゃんの口の中に沈める。今度は好評だったようで、気をよくした僕は、ふみちゃんの舌に僕の舌を絡める。ざらざらした感触。どこもかしこもツルツルと日焼けしたようなふみちゃんにも、こんなざらざらのパーツがある。

 ふみちゃんが僕の下半身に手を伸ばした。ゴムの伸びたパジャマのズボンが、僕のおしりのでっぱりで一瞬抵抗をして、その後だらしなく滑り落ちる。
 僕は内心焦るのだけれど、なにぶん、まだふみちゃんの唇から自分の唇を離していない。なすすべもないまま、ふみちゃんの手が、僕の身体の中心を探った。
ふみちゃんの手が一瞬止まる。
 でも、何も気がついていないかのように、ふみちゃんの手は僕を優しく撫でた。

 僕は泣きそうな気持ちで、ふみちゃんに集中しようとする。
 何も起きなかった。
 僕はますます泣きそうになる。既にちょっとだけ泣いていたかもしれない。

 10分ほどのむなしい努力の間に、僕とふみちゃんの唇は、いつの間にか離れていた。
「ごめん」
 いたたまれなくなって僕がそう言った時には、二人の間にはただ、ぐったりした空気が流れていた。

「……ごめんね」
 ふみちゃんは僕の言葉を聞いて、うなだれた。

「私が、焦らせちゃったよね」
「そうじゃない。僕が……」
 勃たないのが悪いんです、とは、ふみちゃんに対してはなぜか、口に出来なかった。

 こういうことになるのは、初めてじゃなかった。ふみちゃんとお付き合いをはじめた時から、もう3年になる。特にお付き合いを始めた頃には、何度も、しようとはしたのだ。

 最初は、僕から誘って。
 僕が自信をなくして誘わなくなってからは時々、遠慮がちに、ふみちゃんが誘って。

 一度も勃たなかった。

 ふみちゃんにはあまり話したくないことだけれど、実は、一人の時には勃つのだ。そして、ふみちゃんには絶対話せないことだけれど、例えばお店のお姉さんを相手にしたときなら、勃つのである。お金がないから、一度しか行ったことはないけれど、まぐれだとしてもなんだとしても、あのときは、ちゃんと出来たのだ。

 本当に情けなくて、悔しい。

 ふみちゃんに色気がない訳じゃない。ふみちゃんは本当に可愛い。

 そりゃあ、世間一般に言ってすごい美人かと言うと、そういう訳じゃないけれど、健康的な肌の色や、はにかんだ時に唇からこぼれる八重歯、暑い時やお掃除の時には器用に束ねて美しいうなじを作り上げる長い黒髪、すらりと長い手足、その一つ一つが、本当に愛おしいと思う。

 でも、そんな愛おしいふみちゃんを、僕の身体は愛することができない。
「……本当に、落ち込まないで。明日もお仕事なのに、疲れさせて、ごめんね?」
「……寝よっか」
「……うん」

 僕たちは、くっついたままの布団に、別々にもぐりこんだ。
「キス、上手になったよね」

 ふみちゃんは天使だ。

 僕は、布団に丸まって、声を殺しながらいつまでも泣いていた。
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