2 / 2
火曜日の襲撃は筑前煮を携えて
しおりを挟む
さてトシ子の月曜日の夜は大変平和であった。
いやある意味でそれはカーニバルだ。
完熟イチゴの半熟カステラがあるのだ。
(飲み物は…)
バニラのフレーバーティーとかあえての柚子緑茶とか若干迷走しつつもそこは無難にダージリンと決め込んだ。王道というものはいつだって強い。
味は勿論美味しかった。なんせ歴戦の勇者トシ子'sチョイスである。
丸いフォルムの半熟カステラは外側はさっくりと焼き上げられていて、上には慎ましやかなホイップクリームがちょこんと載せられている。フィルムでクリームの形が潰れているのはご愛嬌。
お皿に移し替えてフォークの側面でを大胆に切り分けると、ところどこからジュワッと苺のピューレが溢れ落ちる。神か。
それはそうまさに生きていて良かったと思う、今晩死んだとしても後悔はないいやこのシリーズがこれからも出るならむしろ絶対まだ死にたくない的な素晴らしい夜だった。
翌日の火曜日も、後期高齢者たるトシ子の日常は、明確に死にかけるような身体の不調や同年代のご不幸ごとがない今日、いたって平和であるはずだった。
実際午前11時32分まではいたって平和だったのだ。
トシ子は朝から筑前煮を炊いていた。
筑前煮。
ハバ臭い地味な料理だと思っていないだろうか。割と簡単な料理だと思ってないだろうか。
そうやって舐め腐った時点で、そう思ったやつは料理をしたことがない。あるいは料理をし過ぎて感覚が麻痺した変態である。
筑前煮というのは、下ごしらえのスポーツだ。
干し椎茸をもどし、こんにゃくのアク抜きをし、根菜のアク抜きをし、里芋を下茹でし、鶏肉も処理をする必要がある。ほーらここで料理をしたことがない人間は心が折れたはずだ。まだほとんどの具材に火を入れてもいないんだから。
しかも、考えて欲しい。どこの世界にこんにゃくを『筑前煮一人前分』売っているスーパーがあるだろうか。あるはずがない。必然的に大変な量になるのである。実際トシ子の目の前にあるのはよくこれ持ち上げたなと唸るような大鍋だ。食材を切るおころから大仕事なのだ。
もちろん、トシ子一人で食べるのではない。そんなことをしたら突然死して解剖された時に『胃の中に筑前煮しかありません!』と解剖医が絶叫することになりかねない。絶対に死因は筑前煮である。そういうんじゃない。
トシ子一人暮らし88歳は、手料理に飢える高齢者仲間に煮物を配ることを趣味としているのだ。水曜日に顔を出すシルバー絵手紙教室にタッパーを山のように持参するのがトシ子の週課だ。だから火曜日は煮物の日なのだ。
(3丁目のみち子さんは入れ歯の調子が悪いと言ってたから、いつもよりちょっと柔らかめに炊いてあげないといけないわねぇ)
どうやらトシ子、できる女らしい。
まぁそんなこんなで渾身の筑前煮は無事に完成し、柔らかさ別に付箋をつけたタッパーに詰められテーブルに並べられて、秋の日差しにほのぼのと照らされていた。
「私もそろそろ、お昼ご飯にしようかしらね」
独りごちたトシ子がお気に入りのどんぶり茶碗に、鰹出汁の湯気がふわりとたちのぼる筑前煮を盛り付けていた、
その時だった。
「……………!?」
トシ子の脳裏に、けたたましいアラートが鳴り響いたのだ。
(………………殺気? やぁねぇ、まだ死神が来るには早いんじゃないかしら)
年齢的にそんなことはないと思うぞ、と周りの人が脳内を見ることができたらツッコミを入れそうなことを心の中で呟きながら、トシ子は足を忍ばせて庭を見る。
一見すると何の変哲もない庭だ。
縁側に続く窓は、風通しを良くするために開け放たれている。煮物を炊いているのでなければやや肌寒いくらいの風が吹き込んでいる。
あえていえば88歳の一人暮らしにはやや、手がかかりすぎるのではないかという広さだが、庭師さんがこの前来たばかりなので、植木の手入れも行き届いている。
しかし、トシ子は、すっと目つきを鋭くし。
「ほっ………!」
と小さく声をあげて、いつの間にやら右手に握りしめていた菜箸を、ニオイバンマツリの陰に向かって投げつけた。
左手には筑前煮のどんぶり鉢を握りしめたままだった。
いやある意味でそれはカーニバルだ。
完熟イチゴの半熟カステラがあるのだ。
(飲み物は…)
バニラのフレーバーティーとかあえての柚子緑茶とか若干迷走しつつもそこは無難にダージリンと決め込んだ。王道というものはいつだって強い。
味は勿論美味しかった。なんせ歴戦の勇者トシ子'sチョイスである。
丸いフォルムの半熟カステラは外側はさっくりと焼き上げられていて、上には慎ましやかなホイップクリームがちょこんと載せられている。フィルムでクリームの形が潰れているのはご愛嬌。
お皿に移し替えてフォークの側面でを大胆に切り分けると、ところどこからジュワッと苺のピューレが溢れ落ちる。神か。
それはそうまさに生きていて良かったと思う、今晩死んだとしても後悔はないいやこのシリーズがこれからも出るならむしろ絶対まだ死にたくない的な素晴らしい夜だった。
翌日の火曜日も、後期高齢者たるトシ子の日常は、明確に死にかけるような身体の不調や同年代のご不幸ごとがない今日、いたって平和であるはずだった。
実際午前11時32分まではいたって平和だったのだ。
トシ子は朝から筑前煮を炊いていた。
筑前煮。
ハバ臭い地味な料理だと思っていないだろうか。割と簡単な料理だと思ってないだろうか。
そうやって舐め腐った時点で、そう思ったやつは料理をしたことがない。あるいは料理をし過ぎて感覚が麻痺した変態である。
筑前煮というのは、下ごしらえのスポーツだ。
干し椎茸をもどし、こんにゃくのアク抜きをし、根菜のアク抜きをし、里芋を下茹でし、鶏肉も処理をする必要がある。ほーらここで料理をしたことがない人間は心が折れたはずだ。まだほとんどの具材に火を入れてもいないんだから。
しかも、考えて欲しい。どこの世界にこんにゃくを『筑前煮一人前分』売っているスーパーがあるだろうか。あるはずがない。必然的に大変な量になるのである。実際トシ子の目の前にあるのはよくこれ持ち上げたなと唸るような大鍋だ。食材を切るおころから大仕事なのだ。
もちろん、トシ子一人で食べるのではない。そんなことをしたら突然死して解剖された時に『胃の中に筑前煮しかありません!』と解剖医が絶叫することになりかねない。絶対に死因は筑前煮である。そういうんじゃない。
トシ子一人暮らし88歳は、手料理に飢える高齢者仲間に煮物を配ることを趣味としているのだ。水曜日に顔を出すシルバー絵手紙教室にタッパーを山のように持参するのがトシ子の週課だ。だから火曜日は煮物の日なのだ。
(3丁目のみち子さんは入れ歯の調子が悪いと言ってたから、いつもよりちょっと柔らかめに炊いてあげないといけないわねぇ)
どうやらトシ子、できる女らしい。
まぁそんなこんなで渾身の筑前煮は無事に完成し、柔らかさ別に付箋をつけたタッパーに詰められテーブルに並べられて、秋の日差しにほのぼのと照らされていた。
「私もそろそろ、お昼ご飯にしようかしらね」
独りごちたトシ子がお気に入りのどんぶり茶碗に、鰹出汁の湯気がふわりとたちのぼる筑前煮を盛り付けていた、
その時だった。
「……………!?」
トシ子の脳裏に、けたたましいアラートが鳴り響いたのだ。
(………………殺気? やぁねぇ、まだ死神が来るには早いんじゃないかしら)
年齢的にそんなことはないと思うぞ、と周りの人が脳内を見ることができたらツッコミを入れそうなことを心の中で呟きながら、トシ子は足を忍ばせて庭を見る。
一見すると何の変哲もない庭だ。
縁側に続く窓は、風通しを良くするために開け放たれている。煮物を炊いているのでなければやや肌寒いくらいの風が吹き込んでいる。
あえていえば88歳の一人暮らしにはやや、手がかかりすぎるのではないかという広さだが、庭師さんがこの前来たばかりなので、植木の手入れも行き届いている。
しかし、トシ子は、すっと目つきを鋭くし。
「ほっ………!」
と小さく声をあげて、いつの間にやら右手に握りしめていた菜箸を、ニオイバンマツリの陰に向かって投げつけた。
左手には筑前煮のどんぶり鉢を握りしめたままだった。
0
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説
敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています
藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。
結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。
聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。
侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。
※全11話 2万字程度の話です。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
サレ妻の娘なので、母の敵にざまぁします
二階堂まりい
大衆娯楽
大衆娯楽部門最高記録1位!
※この物語はフィクションです
流行のサレ妻ものを眺めていて、私ならどうする? と思ったので、短編でしたためてみました。
当方未婚なので、妻目線ではなく娘目線で失礼します。
竜華族の愛に囚われて
澤谷弥(さわたに わたる)
キャラ文芸
近代化が進む中、竜華族が竜結界を築き魑魅魍魎から守る世界。
五芒星の中心に朝廷を据え、木竜、火竜、土竜、金竜、水竜という五柱が結界を維持し続けている。
これらの竜を世話する役割を担う一族が竜華族である。
赤沼泉美は、異能を持たない竜華族であるため、赤沼伯爵家で虐げられ、女中以下の生活を送っていた。
新月の夜、異能の暴走で苦しむ姉、百合を助けるため、母、雅代の命令で月光草を求めて竜尾山に入ったが、魔魅に襲われ絶体絶命。しかし、火宮公爵子息の臣哉に救われた。
そんな泉美が気になる臣哉は、彼女の出自について調べ始めるのだが――。
※某サイトの短編コン用に書いたやつ。
王子を身籠りました
青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。
王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。
再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる