上 下
41 / 65
浅草の恋敵

11話

しおりを挟む
 惣一郎は手慣れた様子で、幼女の誘いに動揺もせず身を屈めた。

 人差し指を唇にあてて、微笑む。

「内緒の用事なんだ。ごめんな」
 
 耳打ちするように、けれど、その場にいる全員――悠耶が改めて数えると五人いた。

 五人全員にしっかり届く絶妙な声音で、惣一郎は囁いた。

「今度、店におっ母さんと来てくれよ。茶を用意して待ってるから」
 
 きゃぁーっと、悲鳴を上げて、お年頃の二人が長屋へ駆け戻って行った。
 
 多江は頬を紅色に染めて、満足そうに頷く。

 多江の母は膝下に多江を抱き寄せ、頭を撫でた。

 十兵衛さんの奥さんは口元を袖で覆う仕草をしている。

 だが、瞳はきらきらと輝いて楽しそうだ。
 
 見慣れた光景だが、惣一郎その声はどこから出しているのだろうと、いつも疑問に思う。

 悠耶は黙って惣一郎を見守った。

 惣一郎が女子に関心が薄いのは、本所界隈で有名な話だ。けれど皆、惣一郎との会話を楽しんでいる。

 程よく低く、さっぱりしているのにどこかに甘さを含んだ声。

 甘さを含んだ声が聞きたくて、笑顔を向けられたくて皆が声を掛けている。

「さっ、行こうぜ」

 何事もなかったかのように、惣一郎は立ち上がった。
 
 こんな姿には、心底、感心してしまう。誰にも分け隔てなく接して、断ってさえ人を喜ばせている。

 商魂逞しいというか、商人が板についているというか……。風介とは一味違う頼もしさだ。

「格好いいな、惣一郎は!」

 多江に手を振る惣一郎の横に並んで、悠耶は素直に力一杯、褒めた。

「でかい声で何だよ。恥ずかしいだろう」
 
 惣一郎は一緒に歩き始めながら、頭を掻く。

「おいら、お父っつあんに仕事を教わるつもりだけどさ、惣一郎にも教えて欲しいなあ! 惣一郎はお父っつあんに教わったの?」

「そういう意味かよ……」

 にやけた惣一郎は一変、つまらなさそうに息を吐いた。

 だが、問いには、きちんと答えてくれた。

 物心ついた時から、見様見真似で商売の手伝いをし始めた経緯や、初めて父に仕入れに連れて行ってもらった時の話。

 お客の顔や名前を覚えるのは得意だという話。

 悠耶は手習いが苦手だけれど、口入れ屋にはさほど重要な能力ではないから大丈夫だと強がる。

 すると、商人にも筆の手がどのように役立つのか丁寧に説明してくれた。

 熱心に語っているかと思えば、鳥越橋に差し掛かったところで、惣一郎は急に足並みを落とした。

 所為なく、あちこちを見回しながら、落ち着きをなくす。

「惣一郎、どうしたの? きょろきょろして。あっ、小便だろ。この辺には厠はないぞ。もう少し先に行かなくちゃ」
 
 つい自分に照らし合わせて考えてしまう。

 建物のない場所できょろきょろするのは、想像外にもよおした時だ。

 聞いても惣一郎は、うんともすんとも返事をしない。

 悠耶の想像は外れたかもしれないが、あまり橋の上に留まっては他の人に迷惑だ。
 
 幅の広い両国橋ならともかく、鳥越橋は幅員もない。
しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

田舎で師匠にボコされ続けた結果、気づいたら世界最強になっていました

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:617pt お気に入り:581

離縁するので構いません

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:39,807pt お気に入り:458

異世界ゆるり紀行 ~子育てしながら冒険者します~

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:46,029pt お気に入り:35,276

知ってるようで知らない京都。知ればより楽しめる京都ガイド

エッセイ・ノンフィクション / 連載中 24h.ポイント:0pt お気に入り:2

将来を誓い合った王子様は聖女と結ばれるそうです

恋愛 / 完結 24h.ポイント:248pt お気に入り:415

戦国九州三国志

歴史・時代 / 完結 24h.ポイント:63pt お気に入り:62

処理中です...