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二章 0で割れ
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しおりを挟む高校時代の話。
時代なんて言葉を使うと、たいそう昔のことのように仰々しく感じるが、なんてことはなく一年とちょっと前のことである。私はいつものように登校し、すげなく授業を終え、帰路につこうとしていた。だが、そこに待ったをかけたのが、私の担任だった。
HRが終わり、クラスメイトが思い思いに過ごす中、担任が思い出したかのように、私を呼び止め、生徒指導室へと連行したのだ。
狭い室内には、小さな長方形のテーブルと、それをサイドから挟むように、少しくたびれたソファーが設置されている。担任はそのソファーに座り、私も対面するようにソファーに座っていた。そのソファーに座りながら、理不尽さを感じていた。悪いことをした覚えもなければ、指導される謂れもないのに。今日は何時にもまして早く帰りたいと叫ぶ私の心が、思わず口調を鋭くした。
「で、先生。どうして私はこんなところに呼ばれたのでしょうか?」
「まぁまぁ、そうツンツンすんなよ。ほらお菓子もあるぞぉ」
そう言って目の前で、恐らくは来賓用と思われるお菓子を、小さい木の器に入れていく担任に頭痛がした。
担任は奔放な性格をしており、それとは反比例するかのように生徒からの信頼は厚い。
一年生の時も私の担任だった為、どこか抜けたようで、仕事が出来ることをよく知っていたが、正直、私はこの担任が苦手だった。ちなみに三年の時も、私の担任はこの人である。二度あることは三度ある、という言葉の意味を理解するのは、私が三年生になった時だった。
「いえ、結構です。用事がないのでしたら帰ります」
「あぁ! 寂しいなぁ! オジサン寂しいなぁ! 生徒がこんなにドライでオジサン寂しいなぁ!!」
泣き脅しを使う、中年の男性がそこにいた。ソファーの上で、両手を覆い、その指の隙間からこちらを伺う中年の男性がそこにいた。私はもう、それを担任とは思いたくはなかったことを覚えている。
「でしたら、要件を話してください。こんなところに呼ばれると、自分が何か良くないことをしてしまったのかと心が落ち着きません」
「それは大丈夫、別にお前は悪いことしてない。ただ話があってな。話が終わったら、帰ってくれて構わん」
「話?」
「お前、今日チョコ何個もらった?」
空気が凍った。
室内が寒いのもあるが、それを加味するまでもなく、部屋の気温が下がったのが肌で感じ取れた。そう、あの日は2月14日、バレンタインだった。田舎であるこの地域は、雪もまだ残っていた。だから私は、すげなく授業を終え、さっさと帰りたかった。
「ちなみにオジサンは、生徒から12個と、先生から3個もらった」
世界は可笑しい。
あの時、私は確かに確信を抱いた。
中年のオジサンが、その至宝を簡単に、いくつも手に入れている。その事実は、許容出来る範囲を超え、既に私が理解できる範囲外の出来事だった。
「で、お前は?」
思わず、拳を握りしめた。
握りしめた際に、掌にかく汗が、その存在を自己主張する。それは明らかに追い込まれたことを自分自身が認めているサインだった。そのサインに笑いがこみ上げた。
この担任は既に自分は言ったぞ、お前も言え、という謎の理論武装を解く気がないことは知っていた。いや、だからこそ、先に言った。私に残された道はその時点で決まっていた。
「・・・でした」
「ん~? 聞こえないなぁ? 最近、耳が遠くてなぁ」
「・・・0でした!」
それは完全な敗北だった。そして、真面目に答えた私は馬鹿以外の何者でもなかった。
「そっかぁ! 可哀想だなあ! どれオジサンが救いの手を差し伸べてやろう」
「・・・あ」
思わず、私はその救いの手に縋ってしまった。それが悪魔の手だと知りながら、不器用にも手を伸ばした。
そこにあったのは、チロルチョコだった。
「・・・先生、ありがとうございます」
「なぁに、気にすることはない。生徒の為だ」
「御礼に、後でPTAに電話しておきます」
「調子に乗りました、すいません」
意味のない問答の果て、生徒に謝った中年男性と、チロルチョコに縋った私という、この世でもっとも生産性のない空間がそこには広がった。異空間だった。むしろ異空間であって欲しかった。
心に傷を負った私は、一刻も早い異空間からの脱出を試み、担任と言葉を交わした。
「それで先生、話がそれだけなら帰りますが?」
「スマン、悪ノリが過ぎた。これが本題じゃないんだ、前提って言ったほうが正しいか」
「その本題を先に話してください」
「いやな、お前、この人からチョコを貰いたいと、そう思える特定の人物はいるか?」
「・・・先生、バレンタインの話の次は恋話ですか?」
「恋話? 違う、真面目な話だ。その特定の人物が男だろうが構いはしない」
担任はそう言うと、両手を組み、両肘をテーブルの上につけた。
「そこは構ってください」
「いいから、頭の中に誰か浮かぶか?」
そこまで言われ、私はそこで初めて考えた。無難に今日一日が終わればいいと考えていた私は、どうも思考することを放棄していた。そして率直に口にした。
「いません。どんな人から貰っても飛び上がるほど嬉しいとは思いますが」
「そうか、そうだろうな」
担任は、よしと、その言葉を口に出し、立ちあがった。
「俺からの生徒指導だ。恋をしろ。どれだけ時間がかかってもいいから」
口調は至って真面目だった。男性教諭が、男である私に言うのは、些か不具合を感じたが、それすらもねじ伏せるように力強い言葉で担任は言った。
「恋はな、人を人たらしめる重要な行動だ。恋は人を人にする。誰でも関係なく、平等に人にしてくれる。そんな素敵なものなんだよ。だから、戸惑うし、悩む。触れたら汚れてしまいそうだから、ためらう。今のお前には、ずばり、恋が足らない!」
「いや、あの先生? 別にそのことを悩んではいないんですが」
「悩むべきなんだよ、それが学生だ」
「押し付けがすぎる」
私がそういったのにも関わらず、先生はそこで指導は終わりと言い、私を生徒指導室から押し出した。
結局のところ、担任が何を言いたかったのか、何を伝えたかったのか、この時は点で分からなかった。それでも、この会話は何故か鮮明に覚えており、ふとした時に思い出すことすらある。それは一種の楔のようで、宿題だった。
だから、この言葉の真意に直面するのはある意味必然だった。
宿題を提出する日が迫ってた、それだけのことだった。
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