上 下
32 / 49

20-2

しおりを挟む
 コートチェンジをし、ベンチで全員で円を作るようにして休憩している。第一セットを取られたプレッシャーがこの場を支配していた。宮成先輩ですらなんて声をかけていいか迷っているように見える。
「あんな隠し玉を持っているとは思わなかったわ」
 明賀先輩が相手ベンチのキャプテンを睨むと、相手がそれに気がついたのか、笑顔で手を振ってきた。
 相手の態度に少し心を乱されそうになったが深呼吸した。今は相手の奇抜な技をどうにかしないといけない。
「ああいう攻撃って普通なんですか?」
 あたしが聞くと明賀先輩は、
「いいえ。あんなの初めてよ。バレーの試合でも見て思いついたのかしら」
 バレーボールでいうところのバックアタックとジャンプサーブを組み合わせてセパタクローへアレンジしたような攻撃、明賀先輩はそう評した。言い得て妙だ。
 セパタクローのルール上、どこでなにをしてもいいので、ああいう攻撃もルール違反ではない。
「レシーブのフォーメーションはさっきと同じでいいでしょう。相手サーバーのアタックは私がブロックでなんとかします」
 千屋さんが力強く言い切った。
「なんとかって、どうするの」
 あたしが困惑しながら呟くと、千屋さんは呆れたような表情を見せた。
「変則的だけど、ただのアタックでしょ。最初はびっくりしたけど、ブロックくらいできる」
 笛が吹かれ、あたしたちはコートへ入った。第二セット開始だ。もう後がない。
 今度のサーブ権はあたしたちからスタートだ。さっきまでのように三点ずつ取り合う試合ならこのセットは有利のはずだった。だが相手の変則攻撃がある以上、不利なのはこっちだ。
 千屋さんがトスを上げ、あたしがサーブを打つ。ボールは相手キャプテンを避け、アタッカーへ打った。ボールは綺麗にトサーへ上がり、トスがサーバーへ上がった。
 隠す意味がなくなった以上、多用して一気に勝負を決めるつもりだ。それくらいあたしにも察しがつく。
 変則的なアタックが繰り出され、あたしと明賀先輩が構えた。そんな中、千屋さんが右足を空中へ突き出しながらブロックに跳んだ。ボールはふくらはぎに当たり、相手の攻撃を捉えたように見えたが、真っ逆さまにあたしたちのコートへ落ちた。先制点は相手だ。
「後三回も見れば、完璧にブロックできそうです」
 千屋さんが相手のキャプテンに向かって宣言した。
 相手キャプテンは気分を害すでもなく、相変わらず柔和な笑顔を見せながら応えた。
「でもその点差はきっと終わるまで埋まらないよ」
 第一セットを奪った相手の精神的優位、攻略できていない相手のサーブと変則攻撃、これらが相手の笑顔を生み出し、あたしたちを窮地へ追いやっていく。
 続くあたしのサーブもさっきと同じ流れで連続失点し、0対3。最悪の流れだ。
 サーブ権は相手に移る。ここから三本、相手のサーブを凌がないといけない。
 一セット目終盤と同じように、明賀先輩がネット際、あたしはコート左寄り、千屋さんはコート中央に位置した。
 笛が吹かれ、サーブがコート右サイドラインギリギリに飛んできた。千屋さんは二歩で移動してレシーブをし、明賀先輩がトスを上げた。千屋さんはそれを決め、ようやく一点を返した。
 千屋さんが深く息を吐いた。
 おそらく相手は千屋さんの体力を削りにきている。普通は千屋さんの守備範囲にサーブは打たないが、今の特殊なフォーメーションではそれも可能になる。レシーブされ、アタックを決められても、千屋さんの体力を削れるなら相手は構わないのだろう。仮にこのセットをあたしたちが取っても、最終セットは相手有利で進む。
 第一セットはサーブ権がある側が三点ずつ取る試合だった。だが第二セットはサーブ権がない側が三点ずつ取り合うシーソーゲームだ。レシーブ、アタック、ブロックと走り、跳び続けている千屋さんはまだ相手の変則攻撃を完璧にブロックできていない。
 15対15であたしにサーブ権が回ってきたところであたしと北原さんが交代した。
「サーブに変化をつける」
 千屋さんは言葉短くそう説明した。大粒の汗を流し、肩で息をしている千屋さんに詳しく説明するためにしゃべる余裕すらないのがあたしにははっきりと見て取れた。
 あたしは北原さんと交代し、ベンチにどっかりと腰を下ろした。
「とりあえず、これ」
 宮成先輩が飲み物が入ったボトルを差し出してくれた。あたしはお礼を言いながら受け取り、中身を流し込んだ。
 千屋さんは肩を上下させ、しきりに汗を拭っている。今まで見たことがないくらいの量の汗だ。
 あたしは一体なにをしているんだ。あたしは持っているボトルを強く両手で握りしめた。相手のサーバーはあたしより経験が長く、身体能力も上だ。あたしが上回っているところはなにもない。その差を埋めようと千屋さんが必死になっている。あたしだってどうにかしたい。でも、あたしでは……。
 笛の音で我にかえった。コートでは北原さんが二人と小さくハイタッチしている。どうやら北原さんが点を取ったようだ。
 続く北原さんのサーブにあたしは意表を突かれた。足の裏で優しく押し出すようなサーブ、フェイントだ。相手も反応できず、ボールはゆっくりと相手コートへ落ちた。17対15。
 北原さんはあたしと違ってサーブの正確さと駆け引きできる頭がある。相手の土俵で戦わない賢いやり方だ。
 北原さんの最後のサーブは相手がきっちり攻撃へつなげ、17対16となり、再び北原さんとあたしは交代した。
 コートに入るとふと、あたしはここにいていいのだろうか、という気がしてきた。このまま北原さんを続投させたほうが……。
「後輩がサーブで点取って悔しがってんの?」
 千屋さんが蔑むような目であたしを見ていた。
「いや、そんなんじゃ……。ただ、相手のサーバーはあたしの上位互換みたいだな、って」
 千屋さんがより険しい表情をするのと、あたしの背中に衝撃が走るのが同時だった。
「今さらなに言ってるの」
 あたしが抗議の声を上げる間もなく明賀先輩が言った。
「阿河さんがいなければ今のチームはなかった。堂々としていなさい」
 明賀先輩も千屋さんもそれぞれの位置についた。あたしもやれることをやるだけだ。ゆっくりと息を吸い、酸素を脳へ送り暗い思考を追いやった。
 笛が吹かれ、サーブはまたもコート右側サイドラインギリギリに飛んできた。あくまで千屋さんの体力を削る算段だ。
 千屋さんの足がボールに触れ――ボールが千屋さんの頭上とエンドラインを大きく越え飛んでいった。17対17の振り出し。いや、事態は最悪だ。千屋さんのミス。これは千屋さんの限界を示している……。
 ただその後の相手サーブは二本とも千屋さんがアタックを決め、19対17で再びリードした。
 サーブ権がこちらに移り、再度あたしと北原さんが交代した。また北原さんが点を取ることを期待し、交代するときあたしは北原さんの背中を強く叩いた。
 だが、相手の方が一枚上手だった。相手のキャプテンがゆるいサーブにもきっちり反応し、変則攻撃も決めてきた。千屋さんは疲労で一度も止められる気配を見せていない。
 19対20。相手がマッチポイントで、サーブだ。あたしたちは一度タイムを取り、ベンチへ下がった。だれも口をきかない。
「逆転しましょう」
 千屋さんが口を開くだけでも辛そうにしている。あたしは見ていることしかできない。
「相手にサーブ権があるので、三連続で私がアタックを打てます。それで二セット目は取れます」
 計算上22対20になり、確かに勝つ。千屋さんなら、いやあたしたちならやれるはずだ。
 コートに戻り、第二セット最後の攻防が幕を開けた。
 サーブはやはりコート右側サイドラインギリギリに飛んできた。千屋さんは綺麗にレシーブし、明賀先輩がトスを上げた。千屋さんがジャンプしたところであたしは相手コートの動きに目を見張った。
 三人全員がネット際まで移動し、千屋さんの前に張り付くように横一列に並んでいる。
「千屋さん!」
 明賀先輩の叫びが響く中、千屋さんが空中で回り、相手が一斉にジャンプし半回転して背中をこちらに見せた。全員で背面ブロック。千屋さんの前に巨大な壁が出現した。
 千屋さんのアタックは相手キャプテンの背中に阻まれた。衝撃を全て背中が吸収したのか、ボールは勢いなくゆっくりとこちらのネット際に落ちてくる。
 これならあたしが足を伸ばせば間に合う。
 あたしは一直線に走り、右足を必死に滑り込ませた。
 ボールがつま先に触れた。
 ボールはネット下をくぐって相手コートへ飛んでいった。
しおりを挟む

処理中です...