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「……ふうん」
社会科準備室の窓から、暮れ始めた空が見える。
俺の年上の従兄弟であり、この高校の地理教師であるシイナ先生は、窓枠に寄りかかってのんびりと呟いた。
教室で、本当に情けない事だけれど涙がこぼれそうになるのを堪えながら鍵を探したけど、見つからなくて。
仕方がなくて職員室へと向かおうとした矢先、職員室のある一階の廊下で付き合いの長い従兄弟に捕まったのだ。
俺の顔を見て何かを察したのだろう。
有無を言わさず、従兄弟の教える教科の準備室へと引っ張り込まれた。冷蔵庫から冷えた缶コーヒーを一本渡され、「どうしたんだ?」と落ち着いた、穏やかな声で聞かれて。
俺は、不覚にも一粒だけ涙が落ちた。
年上の、甘やかし上手なこの従兄弟に、俺は弱い。
……そして、どっちが先かとか、後かだなんて、にわとりと卵を論じるようで本当にしょうがないけれど。
従兄弟と龍之介は同じ空気を纏っていた。
「真琴は、いろんなモンに嫉妬してるんだなあ」
「……嫉妬?」
従兄弟の言葉が意外で、俺は缶コーヒーに口を付けながら上目にこの若い教師を見上げた。
「嫉妬、とか。いろいろ。真琴くらいの歳だとね、よくあるよ」
「……」
本当は、肌寒いこの季節、ホットのコーヒーの方が良かったけれど、既製品の飲み物の甘さは俺の中の何かを少しだけ溶かしてくれたようで、俺は何となく安心したようなものを感じながら従兄弟を見上げる。
龍之介も、いつか制服ではないワイシャツとネクタイを纏うようになるのだろうか。
「真琴と、龍之介君は、仲良いからね」
「……龍之介は、いろんな人と仲良いよ」
別に、俺だけじゃない。
俺には、ほとんど龍之介だけだけど。
そんな事を考えてまた泣きたくなった俺の頭を、よしよしというように従兄弟は大きな掌で軽くたたいてくれた。
ぽん、ぽん。
「でも、真琴と龍之介君は特別でしょ?」
従兄弟の言葉の意味が良く分からなくて、俺は目を眇めて従兄弟を見る。
従兄弟は俺と視線を合わせたまま小首を傾げた。
「真琴に取って、龍之介君は特別でしょ。龍之介君にとっても、真琴は特別だと思うよ」
「………そんなこと」
「俺は、君達よりすこーしだけ長く生きてるし、君達を長く見てきたし、幸いにも接する機会も多いし。何となく分かるんだよ」
偉そうな言葉に、でも何も言い返せない。
俺にとって龍之介は、もちろん特別中の特別で。
俺にとっての龍之介がそうであるように。
形は違ってもいいから……龍之介にとっても、俺が特別な、………幼馴染で、友人であればいい。
自分の中に、いつのまにか生まれてしまったいびつな恋を、成就させようなんて大それた事は望まないから。
ただ、龍之介と繋がっている糸が、切れてしまうのが怖い。
「真琴」
飲み干した缶コーヒーを燃えないゴミのくずかごに捨てた俺を、従兄弟は呼び止めた。
「ただ、怠惰な人間になっちゃ、だめだよ」
「……タイダ?」
「そう。人間個人も、それを繋ぐ関係も、ずっと変化し続けるから。龍之介君が、真琴から目を逸らしていられないくらいに真琴も走り続けないといけない」
この教師になった従兄弟は、俺の血筋の中ではもっとも賢い。
賢すぎて、従兄弟の言葉は、馬鹿な俺の頭では理解しきれないところがいっぱいあるけど。
とりあえず、頷いて。
準備室を後にすると廊下を走って職員室へと向かった。
鍵は、職員室にも事務室にも無くて、窓の外はすっかり暗くなっていたからあきらめてバスで帰る事にした。
家に帰ればスペアキーがあるはずだから、それを明日持ってこようと思って。
疲れと空腹で重くなった足を引きずるようにして校門へ向かうと、背後から声がかかった。
「バカ真琴」
三歳の時から聞きなれたその声に、俺は振り返る。
自転車をまたいだ姿勢で、校門のそばの桜の木の影に龍之介が佇んでいた。
「何やってんだよ」
「……自転車の、鍵なくしちゃって」
喉をついて出てきた言葉は、最近の俺からは信じられないくらい、素直な、子供のような響きをしていて、我ながら驚いた。
「見つからなかったの?」
龍之介が自転車をこいで俺の隣へと移動してくる。
俺はこくんと頷いた。
「だから、バスで帰る」
そう返事をすると、暗がりの中でもはっきりわかるくらいに龍之介は顔をしかめた。
「バカ真琴。乗れよ」
そんなにバカバカ言わなくても。。
それでも、不思議と腹立たしくはならず、俺は素直に自転車の荷台に座って龍之介の肩に両手をかけた。
「ちくしょー、腹減った。お前がイキナリいなくなるから」
ぐい、と自転車を漕ぎ出しながら龍之介がいつになく高校生らしい言葉遣いをした事に気づいた。
品行方正を絵に描いたような、この幼馴染が。
「たこ焼き、食っていこうぜ。真琴のおごりで」
自転車はすいすいと夜道を進む。
龍之介がぐい、とスピードを上げた。
俺の了解を待たずに自転車は駅前へと向けて走り出した。
俺は龍之介の肩をしっかりと掴む。
掌の下に、龍之介の固い筋肉を感じて、また少し胸が高鳴った。
社会科準備室の窓から、暮れ始めた空が見える。
俺の年上の従兄弟であり、この高校の地理教師であるシイナ先生は、窓枠に寄りかかってのんびりと呟いた。
教室で、本当に情けない事だけれど涙がこぼれそうになるのを堪えながら鍵を探したけど、見つからなくて。
仕方がなくて職員室へと向かおうとした矢先、職員室のある一階の廊下で付き合いの長い従兄弟に捕まったのだ。
俺の顔を見て何かを察したのだろう。
有無を言わさず、従兄弟の教える教科の準備室へと引っ張り込まれた。冷蔵庫から冷えた缶コーヒーを一本渡され、「どうしたんだ?」と落ち着いた、穏やかな声で聞かれて。
俺は、不覚にも一粒だけ涙が落ちた。
年上の、甘やかし上手なこの従兄弟に、俺は弱い。
……そして、どっちが先かとか、後かだなんて、にわとりと卵を論じるようで本当にしょうがないけれど。
従兄弟と龍之介は同じ空気を纏っていた。
「真琴は、いろんなモンに嫉妬してるんだなあ」
「……嫉妬?」
従兄弟の言葉が意外で、俺は缶コーヒーに口を付けながら上目にこの若い教師を見上げた。
「嫉妬、とか。いろいろ。真琴くらいの歳だとね、よくあるよ」
「……」
本当は、肌寒いこの季節、ホットのコーヒーの方が良かったけれど、既製品の飲み物の甘さは俺の中の何かを少しだけ溶かしてくれたようで、俺は何となく安心したようなものを感じながら従兄弟を見上げる。
龍之介も、いつか制服ではないワイシャツとネクタイを纏うようになるのだろうか。
「真琴と、龍之介君は、仲良いからね」
「……龍之介は、いろんな人と仲良いよ」
別に、俺だけじゃない。
俺には、ほとんど龍之介だけだけど。
そんな事を考えてまた泣きたくなった俺の頭を、よしよしというように従兄弟は大きな掌で軽くたたいてくれた。
ぽん、ぽん。
「でも、真琴と龍之介君は特別でしょ?」
従兄弟の言葉の意味が良く分からなくて、俺は目を眇めて従兄弟を見る。
従兄弟は俺と視線を合わせたまま小首を傾げた。
「真琴に取って、龍之介君は特別でしょ。龍之介君にとっても、真琴は特別だと思うよ」
「………そんなこと」
「俺は、君達よりすこーしだけ長く生きてるし、君達を長く見てきたし、幸いにも接する機会も多いし。何となく分かるんだよ」
偉そうな言葉に、でも何も言い返せない。
俺にとって龍之介は、もちろん特別中の特別で。
俺にとっての龍之介がそうであるように。
形は違ってもいいから……龍之介にとっても、俺が特別な、………幼馴染で、友人であればいい。
自分の中に、いつのまにか生まれてしまったいびつな恋を、成就させようなんて大それた事は望まないから。
ただ、龍之介と繋がっている糸が、切れてしまうのが怖い。
「真琴」
飲み干した缶コーヒーを燃えないゴミのくずかごに捨てた俺を、従兄弟は呼び止めた。
「ただ、怠惰な人間になっちゃ、だめだよ」
「……タイダ?」
「そう。人間個人も、それを繋ぐ関係も、ずっと変化し続けるから。龍之介君が、真琴から目を逸らしていられないくらいに真琴も走り続けないといけない」
この教師になった従兄弟は、俺の血筋の中ではもっとも賢い。
賢すぎて、従兄弟の言葉は、馬鹿な俺の頭では理解しきれないところがいっぱいあるけど。
とりあえず、頷いて。
準備室を後にすると廊下を走って職員室へと向かった。
鍵は、職員室にも事務室にも無くて、窓の外はすっかり暗くなっていたからあきらめてバスで帰る事にした。
家に帰ればスペアキーがあるはずだから、それを明日持ってこようと思って。
疲れと空腹で重くなった足を引きずるようにして校門へ向かうと、背後から声がかかった。
「バカ真琴」
三歳の時から聞きなれたその声に、俺は振り返る。
自転車をまたいだ姿勢で、校門のそばの桜の木の影に龍之介が佇んでいた。
「何やってんだよ」
「……自転車の、鍵なくしちゃって」
喉をついて出てきた言葉は、最近の俺からは信じられないくらい、素直な、子供のような響きをしていて、我ながら驚いた。
「見つからなかったの?」
龍之介が自転車をこいで俺の隣へと移動してくる。
俺はこくんと頷いた。
「だから、バスで帰る」
そう返事をすると、暗がりの中でもはっきりわかるくらいに龍之介は顔をしかめた。
「バカ真琴。乗れよ」
そんなにバカバカ言わなくても。。
それでも、不思議と腹立たしくはならず、俺は素直に自転車の荷台に座って龍之介の肩に両手をかけた。
「ちくしょー、腹減った。お前がイキナリいなくなるから」
ぐい、と自転車を漕ぎ出しながら龍之介がいつになく高校生らしい言葉遣いをした事に気づいた。
品行方正を絵に描いたような、この幼馴染が。
「たこ焼き、食っていこうぜ。真琴のおごりで」
自転車はすいすいと夜道を進む。
龍之介がぐい、とスピードを上げた。
俺の了解を待たずに自転車は駅前へと向けて走り出した。
俺は龍之介の肩をしっかりと掴む。
掌の下に、龍之介の固い筋肉を感じて、また少し胸が高鳴った。
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