高校生eスポーツプレイヤーと、愉快でも友達でもない仲間たち

栗金団(くりきんとん)

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【ROUND8】学校と部活

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 「部活は決まったの?犬星くん」
 「……委員長、あのですね」
 テストを終えて清々しい表情で委員長が口角を引き上げる。
 昨日は暖かくなってきたと思ったが、今日は一転して天気が崩れた。
 窓に打ち付ける雨音をよそに、委員長は俺をいたぶって楽しんでいるようだった。
 約束をすっかり忘れていた俺にも非があるとはいえ、朝のHR前に入部届まで持ってきて、もうノリノリじゃないか。
 「言い訳を聞いてあげても良いけど、どの部活にも見学の申し込みをしてないのは知っているよ。
 それとも、テスト勉強が忙しかった?」
 「そうそう、高校生活の良いスタートダッシュが切りたくてさ。大学受験で苦労したくないし。
 だから、俺は部活は二の次かなって」
 「嘘だぁ、駅前で君の事見たって人がいたよ」
 「……は?」
 バットで頭を殴られたような衝撃を受ける。
 何とか委員長を言いくるめようと高速回転していた脳が、お椀に入った豆腐のように揺さぶられる。
 それは、その失態は絶対にしてはいけないものだった。
 だってその噂がもしも広まったら、俺は必ず先生に怪しまれるはずだ。
 夏休みには三者面談があるから、母さんがここで先生と相対することになる。
 母さんは俺が放課後図書館に寄って勉強していると思い込んでいるから、そのことを一言でも漏らされたら、俺へのアリバイは崩れて信頼は地に落ちる。
 せっかく師匠が身を挺した俺を庇ってくれたのに、それすら無意味になる。
 予想外の一撃に目が点になった俺を見て、委員長はくつくつと声を潜めて笑った。筆を入れたような跳ね上がったアイラインは、はっきりと弧を描いている。
 性悪女め、俺の不幸はそんなに甘いか。
 だが、所詮人のうわさは不確かなものだ。
 決定的な証拠が何もないうちは、俺が真に屈することはない。
 「いや、そのときは保護者が一緒にいたし……」
 「私も鬼じゃないからさ、今週だけ待ってあげる。
 だから、一人で見学行けるよね?」
 「……はい」
 いやあんたは鬼だという言葉を飲み込んだ。
 委員長は、クラスの問題児である俺をさっさと片付けて先生からの信用を勝ち取りたいのだ。
 学校において先生の評価は内申点に直結する。まさに大学受験で苦労したくないなら一番手っ取り早い手段だ。
 これは明確な取引だ。
 ところが、この女の悪だくみはそれだけではなかった。
 そして恐ろしいことに、俺に不幸をもたらさんとしているのは、この女だけではなかった。

 「おはよう、犬星くん。私のこと覚えてる?」
 「そりゃ昨日の今日だからね、あの赤いのと一緒にいた小熊だろ」
 学校で見ると、小熊が同い年の少年少女の中でも群を抜いて美しいのがわかる。
 黄金比を体現した顔のパーツ一つ一つは、平時だったら酔いしれていてもおかしくない。
 ブルーアイの瞳孔は、近くで見るとジルコンやアレキサンドライトが散らばった湖のようだ。
 生憎、俺にはこいつに酔いしれる余裕も水を飲む暇もなかったけれど。
 「じゃあ、これが何かわかるよね」
 「あぁ、それは……俺がゲームセンターで遊ぶ写真だ」
 決定的な証拠を前に俺は机に触れ伏す。
 決して小熊に降伏しているのではない、自分の運の悪さを嘆いているのである。
 眼前に掲げられたのは、俺が制服姿で駅前のゲームセンターで格闘ゲームをする写真だった。ご丁寧に顔が認識できるように複数のアングルから撮影されている。
 いつ取られたのかは不明のまま心当たりもないが、その最新型のスマホがあれば距離など関係ないのかもしれない。
 「これ、出すところに出したら困るんじゃない?」
 「あぁ、困る……じゃなくて、先生にチクるって?
 随分子供っぽいことをするんだな」
 「先生でもいいけど、もっと見られたくない人がいるんじゃないの?
 例えば、あなたの本当の親御さんとか」
 「……何でそれを」
 俺が親の告げ口に弱いことはまだいい。
 子供というのは、ましてや生活費や学費を自分で支払うことすらできない高校生は、多かれ少なかれ親に逆らえない生き物だ。適当に言った言葉が当たったとしても納得できる。
 けれど、師匠が俺の父親ではないことまで何故知っているのか。
 それは、あのゲームセンターに通う常連と俺の親戚と友人、ごく少数の人間しか知り得ないはず。
 「やっぱりね。
 あなたは先生に見つかったときよりも、柊先生に『親御さんに伝える』って言われた時の方が動揺したように見えたから」
 「あぁ、その通りだよ。
 それで?一体何が目的だ。同級生を無理矢理部活に入れてそれで満足なのか?」
 「そんなに意固地にならないでよ。
 入部届と部活費さえ貰えれば、この写真は削除する。
 部活動だって、他に行く当てがないならウィンウィンだと思うけど。
 それに、ゲームは好きなんでしょ?」
 「俺が部活に入っていないことまで良くご存知で」
 「追いつめられると軽口を叩くのは、現実逃避しているんだよね。
 でも、私は優しいから時間を上げるよ。今日の放課後、部室に来て。
 それまで、よく考えればいいよ」
 そういえば、小熊は俺の名前も既に知っているようだった。
 写真だって、彼女が自ら撮影したものなのかもしれない。
 もちろんベガだってやりかねないが、奴はあくまでプレイヤーだ。
 ゲームセンターに来てコソコソ盗撮している姿など想像できない。
 それに勝負に勝つまで、俺というプレイヤーへの興味はゼロに等しかったに違いない。かといって勝負の後にあの写真は撮れないし、写真があるなら昨日の時点で見せてくるはずだ。
 さすが、ベガと共にいるだけあって良い胆力をしている。
 本当に性格が悪いのはベガではなく小熊の方かもしれない。
 「しかし、あれだけの美人と俺よりゲームに精通した女が同じ学校の生徒だなんて知らなかったなぁ」
 獅子神高校は生徒の化粧や髪色に一切口を出さないことを売りにしているが、それでもあの髪色は目立つだろう。
 それに、小熊の身長は女子生徒の中でも頭一つ分飛び抜けている。
 それなのに、今日まで二人は俺の目に入らなかった。

 そのことを友人の一色にポツリと零したら、一色は持っていたバスケットボールを落として驚いてみせた。
 そういえば「背が低いと手も小さいから、油断するとすぐにボールを落としちゃうんだよぉ」といつの日か言っていたのを思い出した。
 「ベアトリスさんを知らない?
 嘘でしょ、あんなに綺麗な人に気付かないはずがないよ」
 「気付かないはずがないって、それは一色が美人が好きだからだろ」
 「それはそうだけど、そんなわけないでしょ、もしかして犬星って目が悪い?」
 「失礼な、両目とも裸眼で1.2あるぞ」
 「じゃあ悪いのは頭の方かも」
 「なわけあるか」
 四限目の体育は、雨により急遽バスケットボールに変更となった。
 どうせ柊先生がバスケ部の顧問だからと誰もが思ったが、運動部はどんなスポーツでも文句を言わない。そして俺は先生に向かって文句を言う度胸がない。
 バスケ部が笛の音に合わせてボールを放つと、ボールは放物線を描いてゴールへ吸い込まれていく。歓声を隠れ蓑に、俺達は順番待ちをしながら雑談に興じた。
 「だって、小熊さんは入学式から目立ってたじゃん。
 獅子神高校は毎年制服目当てに可愛い子が入るんだけど、彼女は別格だよ。
 女性誌でモデルをしたこともあるらしいし、合コンに誘われたこともあるとかないとか」
 「はぁ?合コン?
 いやいや、噂にどでかい尾ひれがついてるぞ。高校生が合コンなんてするわけないだろ」
 「そうかなぁ。その噂だと、近くの男子校と合同でやるらしいよ。
 でも、そもそも僕ら体育ではずっと小熊さんのクラスと合同だったじゃん」
 「え?」
 「ほら、あそこ」
 ネットで仕切った体育館の向こう半分では、女子がバレーをしている。
 アンダーハンドで打ちあがったバレーボールに視線が注目する。照明に当てられた目がチカチカして、目を細める。
 打ち上げたのはバレー部だろうな。
 アウトにならない絶妙な高さで、初心者が取るのは難しそうだ。ネットを挟んだ相手陣地へ飛んでいくボールを目で追っていると、突如としてボールは軌道を変えた。
 ボールが自陣に落ちたチームの失点となる。
 明かりに目をならせば、種はすぐに明かされた。
 2mを超えるネットから腕を伸ばして、ドンピシャでブロックをした生徒がいる。
 後ろで一つにまとめたブロンドヘアが着地の衝撃で重力に逆らって舞う。男子も女子も彼女の一挙手一投足に夢中になっていた。
 点を入れられた生徒ですら、黄色い歓声を上げている。多分、彼女が白馬の王子様か何かに見えているのだろう。
 「確かに……あれは目立つ」
 「でしょ」
 ピピッ、と警笛が男子コートに響いた。いつの間にか列の先頭が回ってきている。
 「おい犬星!さっさと投げろ!」
 「あ、はい!」
 ドリブルをして近づいてから、立ち止まってボールを頭上に持ち上げる。
 両手は添えるようにして人差し指と親指が合わせて三角形になるように。手首の力を使って、勢いよくボールを投げる。
 上手く行けば、心地の良いゴール音が響く。
 「あ、やっべ」
 優しく投げたはずのボールは、思いのほか勢いづいていたようだ。
 弧を描くつもりが、真っすぐにゴール後ろのボードへと向かっていく。大きな音を立てて強化プラスチックに当たったボールは、今度は呆気なく跳ね返される。
 作用反作用の法則で同じ力、同じスピードで向かうのは言わずもがなボールを投げた俺のところだ。

 昼休みに入ると、俺は一色と教室の端に弁当箱を広げて白飯をつつきあった。
 いつもと同じ風景が今日だけは少し違うのが、俺の左手には氷嚢が握られている。それを頭の上に乗せながら利き手とはいえ片手で食事をするのは、想像以上に煩わしいものだ。
 「いってぇ、たんこぶになってないだろうな」
 「あー、ちょっと腫れてるかも。
 犬星って目も頭も良いけど、運動神経は抜群に悪いよね」
 「うるさい、俺は昔から運動だけはからっきしなんだ」
 「でも、突き指じゃなくて良かったね」
 いやに優しい言葉はボケか気まぐれか。子犬みたいな甘いマスクで勘違いされがちだが、こいつの性格のひねくれようと言ったら知恵の輪をさらに何重にしたようなものだ。
 それでいて女子や先生には尻尾を振って媚を売るのだから、世渡りが上手い。
 友達に向かって言うのは心苦しいが、俺は決してこいつのような同性に嫌われる人間にはならないと誓っている。
 「何で?」
 「鉛筆を持てなくなったら、犬星の良いところ無くなっちゃうよ」
 「お前は俺の母さんみたいなことを言う」
 「でもわかったでしょ、小熊さんのことを知らないのは犬星くらいだよ。
 良かったじゃん、人気者と同じ部活に入れるなんて」
 「……どうだかな」
 この場合は入れるではなく、入れられたという方が正しいだろう。
 小熊がいなかったら俺は今頃、清々しい気持ちでゲームセンターに向かっていた。
 放課後のHRが終わるとすぐに立ち上がった俺を、誰かが怪しんで止めてくれでもしたら良かったのに。今日の曇天よりも重く暗い足取りで部室棟に向かう。
 鉄骨がむき出しの部室棟を陸上部がアップのために走っている。
 邪魔にならないように道の端によって一階から順番に部室の表札を眺めていく。
 用具が多く花形の運動部は一階にあり、次に大会成績が優れた文化部が二階を占め、Eスポーツ部は最上階の三階の一番端に部室があった。
 「Eスポーツ部」と筆文字で書かれた真新しい木札の前で少し迷ってから、三回ノックをしてから扉を開く。ベガの満面の笑みが思い浮かぶ。
 「失礼します。
 ……って。まだ誰もいないじゃん」
 だが、どうやら俺は来るのが早すぎたらしい。
 教室の半分もない大きさの八畳一間の空間は、真っ暗闇で覆われていた。曇天の空模様の下では何も見えない。
 そのまま帰ってしまっても良かったのだが、俺はここまで来たからには奴らの部室を見てみたいという好奇心に駆られていた。
 そもそも俺はこの瞬間まで、格闘ゲームをするならゲームセンターか家でしかできないものだと本気で考えていた。手探りで電気のスイッチを探り当てると、スイッチを入れる。
 「……は、はぁ?」
 瞬間、蛍光灯の光で照らされたのは格闘ゲームの筐体だった。
 しかも一台ではない、否、一代ではなかった。
 格闘ゲームの歴史は長い。
 技術の向上と利用者のニーズと時代に合わせて刷新されてきた歴代シリーズが存在する。その筐体たちが、狭い部屋に所せましと鎮座していた。
 「これって、俺が初めて格闘ゲームをしたときの……」
 思わず手を伸ばして触れていた。
 古い旅館に忘れられていた、格闘ゲームの黎明期の機体の肌を撫でる。
 何年人々の間で楽しまれてきたのか、ボタンやレバーの劣化からは俺が生きてきた時間より長いものを感じる。
 てっきり、もう二度と見られることはないと思っていた。
 「気になるなら遊んでも構わんぞ、ただしこの部活に入ったらの話だがな」
 「せっかく人が感傷に浸ってたってのに……少しは空気を読めよ、ベガ」
 「ほぉ、ベガか。悪くないあだ名だな」
 音もなく背後を取られていた。
 白い歯を見せて笑うベガの顔は主人公を痛めつけて遊ぶ悪役そのものだ。小熊はベガの後ろをするりと通り抜けると、コンセントにプラグを差し込んでいく。
 次々に起動していくゲーム機の軽快な音楽を背中で聞きながら、
 「犬になるなら大家の犬になれという、やはり貴様にはこの部活しかないようだ」
 「勝手に決めるなよ」
 「ではこのまま帰るか?一年目から素行不良生徒とは大したものだ」
 「……目的を教えろ」
 「ん?」
 もしも俺が小熊の目的のためなら手段を選ばない奴だと知らなかったとして、学校ですれ違いでもしたら、悪女以外の感想を抱いただろうか。
 あるいは、ベガとゲームセンター以外で出会っていたら。俺は奴を見た目通りの純情無垢な少女だと思えただろうか。
 答えはNOだ。俺と奴らは根本的に異なっている。
 「お前が俺を何のメリットもなく誘うとは思えない。
 何か仕組んでるなら、さっさと言えよ」
 「ほぉ!素晴らしい、良い観察眼だ。
 なるほど、貴様が急速に強くなったのはその観察眼の賜物か」
 「何だ、それとも目的なんてないのか?」
 「いいや、大正解だ。どうせなら入部してから伝えたかったがな。
 確かに、私には目的がある。
 この部活は私の願いを叶えるためにある」
 「願い?」
 「貴様、Eスポーツの大会は知っているか?」
 「あぁ、FPSゲームとかだとよく見るけど。
 プロが出るものだろ?って、まさか」
 「そうだ。
 一か月後、全国の高校生がEスポーツの技術でしのぎを削る全国高校格闘大会。
 そこに三人一組で出場する。
 だから私と小熊とあと一人、私に匹敵するプレイヤーが欲しかった。
 私はそこで優勝をする。それが貴様を誘った目的だ」
 「優勝って、全国優勝ってことか?」
 「そうだ」
 「な、何でそんなことを?
 部活だぞ?ここで部員と楽しく遊んでいればいいだろ」
 全国なんて、そんな壮大なスケールで物事を考えたこともなかった。
 無茶に決まっている。
 全国の一地方の一ゲームセンターで一番になることだって、容易ではないのだ。
 それが全国になったらどれだけ大変なことか。
 それに、大会に出たら大勢の人間に勝敗を見られることになる。
 「そうでもしなければ、倒せない人間がいる。
 それに、私が一番だと公的に証明できるのは気持ちが良い」
 ベガは、自分が負ける可能性を一切考慮していないように見えた。
 実際、そんなことを考えていたらとても大会に出ようなんて思えないだろう。
 小熊ですら、ベガの意見を否定しなかった。いや、こいつはベガの発言なら何でも肯定するかもしれないが。
 「どちらにせよ、貴様に選択肢はないんだ。
 大会が終われば部活を辞めるなり幽霊部員になるでもすればいい」
 「大会さえ出れば、用はないということか。
 じゃあ、大会が終わったら俺を追い出すんじゃないのか?」
 「いや、私の言葉に二言はない」
 「……」
 その自信が虚勢や偽りから来る可能性を疑わないほど、俺はお人よしではない。
 だが大会は一か月後、ベガが言うには仮に決勝戦まで進んでも二か月後には全てが終わる。奴の言葉が本当なら、だった二か月で三年間の安寧を手に入れられる。
 やり方も言動も気に食わないが、それまでの辛抱。それまでの付き合いなら耐えられなくもない。どのみち部活には入らなければいけないのだ。
 それに、大会に出場したところですぐに負けて敗退する可能性だってあるのだから。
 「わかった、わかったよ、入部してやる」
 「賢明な判断だ、では短い間だが」
 我が意を得たりとばかりに口角を上げたベガは、どういうつもりか、前方に華奢な手を差し出した。俺は、それを確かに不信に思っていたのを覚えている。
 何だかことが上手く行きすぎる、都合が良すぎるような気がした。
 だが、その違和感の正体までは気付くことはできずに慣れない握手を交わした。
 「あぁ、よろしく頼むよ」
 「決まりだな、では改めて。
 ようこそ、Eスポーツ部へ。
 歓迎するぞ、犬星憲正」
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