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第2章 目立ちすぎる王都潜入

【第19話】 フォマの人体実験

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 カーラは二人の影に隠れながら、どうしても美女の動向を探らずにはいられなかった。
 今度は五人組の冒険者が、またしても彼女に話しかける。
 「なぁ嬢ちゃん、俺達と良いことしようぜ?」
 「……」
 「無視すんなよ、女」
 「名前は?
 初めて見る顔だな」
 「てか胸でけー、その服は何?
 どこで買ったわけ?」
 「あ、隣座ってもいい?まぁ勝手に座るんだけど」
 「……」

 (これだから低ランクの冒険者は…もうやめてよ)

 下品な笑い声をあげる彼らのランクは決して低くないが、カーラ達よりずっと弱いのは身の運び方でわかった。
 犯罪で生計を立てていた人間が力をつけて冒険者になったパターンだ。
 わかっていても、カーラは不快感に顔をしかめる。
 彼らのような行動も残念ながら冒険者の間では度々よくある光景で、周りの冒険者も五人組相手では助けに入れずに目を背けるばかりだった。
 だが、カーラの不快感は眠っている虎が無知な人間に起こされるような危機感から来るものだった。
 徐々にヒートアップする男たちは、美女の隣の席に座ってちょっかいをかけ続ける。
 遂にヤブガラシやエンブリオまで様子を伺い始める。
 そこでエンブリオは、カーラが震えているのに気づいた。
 「おーい!聞こえてますかー?」
 「……」
 「何で無視すんの?
 さっきまで話してたんじゃん」
 「一人でビール飲んでんの?寂しくない?俺達と飲もうよ」
 「おい、何とか言えって!」

 (ひっ…!?)

 一人の男が、美女の腕を掴む音がした。美女が眉を潜める。
 その瞬間、カーラは眠っていた虎が起きたと思い目をつむる。
 今すぐここを離れたい気持ちと、目立ちたくないという気持ちで葛藤して、結局息を殺して留まる。
 エンブリオはカーラの異変に気付いて、荒くれものたちを止めようと身体を向き直した。
 「さすがに止めた方がいいか、おい…え?」
 足を踏み出そうとしたところで、カーラ自身がその手を掴んで止める。
 「カーラ?」
 「っ、ぁ……はぁ、はぁ…」

 (あれは、あれは関わっちゃいけない…!)

 足を上げたまま困惑するエンブリオに、カーラは必死に首を振った。
 その顔には数多のモンスターと対峙してきた野伏の余裕や忍耐強さはなく、ただ目前の恐怖に怯える少女の表情があった。
 背中を預け合った仲間の見たことない表情にただただ驚くエンブリオ。
 だが、カーラが想像していた衝撃や怒号は訪れなかった。代わりに、降り積もる雪のように静かな声が響く。
 「わかりました、外に出ましょうか」
 男たちが教養のない歓声と笑い声をあげて喜び、立ち上がる。
 彼らが冒険者組合の外へ出ていく間、掲示板を見ながら、あるいは誰かと話しながら見ていた冒険者たちの思いは様々だった。
 美女のこの後を心配する者、男たちを羨ましく思う者、完全にシカトをする者、そして男たちのこの後を心配する者。
 カーラは、エンブリオの手首を掴んだまま俯いて動かなかった。
 エンブリオは野伏の彼女が自分では感じ取れない何かを感じて怯えているのを理解すると、同じように美女から視線を逸らして、彼らが通り過ぎるのを待った。
 ヤブガラシはといえば二人に気づかず、男たちの人相を覚えようと頭を働かせていた。
 そしてすれ違いざま、カーラは美女が何かを呟いたのを捉える。
 「『ライオンズ・ハート』」
 「え…?」
 「「っ!?」」
 カーラの胸に陽光のような温かい熱が灯り、寒気が引いていく。
 エンブリオとヤブガラシが顔を向けると、カーラの胸が体内から光っていた。
 室内灯よりも暗いが、自然界の法則を無視した発光は確かに魔法によるものだ。
 攻撃を仕掛けられた、そう思った二人はすぐに臨戦態勢に入って武器を掴み向き直る。
 だが、そのころには美女と男たちは外に出ていた。
 追いかけるか迷うヤブガラシだったが、エンブリオは先に茫然とするカーラの安否を確かめる。
 「カーラ!大丈夫か!?」
 「おい…何だ今の魔法!」
 「だ、大丈夫…攻撃魔法じゃない…これ、多分、回復魔法だから…」
 「回復魔法?」
 「うん…とにかく、大丈夫だから…」
 慌てふためく二人に、カーラは苦笑いに近い笑顔を向けて無事を示す。
 あれだけ縮こまって震えていた身体が自由になり、怯えていた精神は落ち着いている。
 カーラは冴えわたった空のようにクリアな頭で、自分の身体と心の状態を分析して仲間に説明した。
 詠唱も効果も知っている魔法ではなかったが、攻撃魔法ではないと推測できる。
 「しかし、冒険者組合で魔法を使うなんて大胆なやつだぜ…」
 「初めて見る顔だったから、もしかしたらそのルールすら知らなかったのかも…
 とにかく、何もなくて良かった」
 「そうだ、カーラ。
 何であんなに怯えていたんだ?
 途中まで普通に見ていたじゃないか」
 「…あの人、私が見ているのを最初からわかってた。
 なのに、私はそれに気づけなかった」
 「えっと…つまり?」
 「この場にいる誰よりも、あの人は強いよ」
 カーラは二人の目を見て、それだけは断言する。
 そして、にわかには信じがたいという顔をする二人に早く夕食に行こうと笑った。
 武器から手を放した二人の手を強引につかむと、冒険者組合の外に出て大通りを北上する。
 その手が少し前の自分と同じように湿っているのを感じると、カーラは魔法の効果とは違う確かな安心感を得た。
 それでもしばらくは歩き続け、今度こそ冒険者組合の南側から感じる強い殺気から離れた。

 「あなた方は、いつもこういうことを?」
 「何だ、やっと俺らに興味を持ってくれたのか?へへへ」
 「はぁ…やっぱり私はこういうのが向いていないですね」
 冒険者組合から何軒か先の建物の間にある細い路地裏で、フォマは男たちに囲まれていた。
 先ほど掴まれた腕をハンカチで拭いて尋ねるが、やはりまともに答えてもらえない。
 デジャブを感じて途方に暮れるフォマだったが、幸いあの時と違いこの後どうすれば素直に答えてもらえるかは知っていた。
 ハンカチをその辺に捨てると、舌なめずりをする。
 「こういうの?」
 「この国では、他者を乱暴するのは犯罪ではないのですか?」
 「犯罪?
 はははっ、なんだそりゃ、知らねぇな」
 「助けを求めたきゃ求めりゃいいさ、どうせここでは大きな声を出しても届かねぇよ。
 なぁ、おい」
 「おう、『 静寂の穴蔵サイレント・ホール』」
 「初めて見る魔法ですね。向こうの世界にはなかったと思いますが…」
 路地裏を中心に薄暗い半球が覆い被さり、大通りへ続く道の景色や音が遠く見える。
 フォマはステータスを見て知っていたとはいえ、初めて見る魔法に興味を惹かれ質問を投げかけた。
 この状況でもなお焦り一つ見せないフォマに、男たちは少しだけ何かがおかしいと思う。
 彼女は明らかに常人と違うのではないかと、徐々に気づき始めたのだ。
 だが興奮した脳はそれを気にも留めず、代わりにリーダー格の男は彼女に恐怖を与えようとペラペラと喋り出した。
 知らず知らずのうちにとったこの行動は、奇跡的に彼らを長生きさせることとなる。
 「これはこいつが唯一使える魔法でよぉ、どんなに叫んでも外からはここが見えないし聞こえないんだと。
 便利だろ?」
 「へぇ…攻撃ではなく生活に使えるスキルということですか」
 「それじゃあ、さっそく…」
 「それ、他にもないんですか?」
 「へ?」
 「聞こえませんでした?
 あぁ、スキルとは言わないんでしたっけ。
 だから、例えば…透視をしたり扉を開けたり、服を作る魔法はないのですか?」
 「服…?いや、聞いたことねぇけど…」
 「ないのですか…じゃあ、えっと、何でしたっけ?
 そのサイレントホイールでしたっけ?」
 「あ、いや、サイレント・ホールだけど…」
 「そうそれ。
 私もできるんですかね?」
 「いやいや!
 これは古文書を読み込んで何回も練習してようやく魔力がこもる魔法で…素人には無理に決まって」
 「『 静寂の穴蔵サイレント・ホール』」
 「なんだっ!?」
 どんっと、地鳴りのような音がして路地裏が揺れた。
 フォマを中心に路地裏の出入口を塞いでいた男たちは、声を上げた。
 自分たちが塞いでいた道の先が、分厚い黒壁に阻まれていた。
 一人が手を触れて確かめるが、まるで鉄壁のようにビクともしない。
 壁はそのまま上へ路地裏の中心あたりまで婉曲して伸び、まるで路地裏全体に半球のように覆い被さっていた。
 壁の向こう側は全く見えず聞こえず感じない。完全に外界から隔絶されていた。
 「何だ、出来るじゃないですか。
 つまり、簡単な魔法ならスキルになくても使えるんですね」
 「は…?お前、何をして」
 「他に魔法を使える人間は…残念ながらいないようですね。
 そうだ、その古文書とやらに魔法が書いてあったんですよね?
 その本は今どこにあるんですか?」
 「おい!何をしたかって聞いてんだよ!」
 「うるさいですねぇ…何で馬鹿はこんなに声が大きいんでしょうか」
 「いいから答えろ!!」
 「これだけ狭いとスキルを使ったら多分全員殺してしまいますし…。
 そうだ、魔法を使わずにどこまで殺せるか試してみましょうか」

 (キングは、大剣で強盗たちを殺したと言っていましたね。
 なら、私の純粋な筋力がどの程度なのか知っておいて損はないでしょう)

 閉じ込められた男たちは大声で喚き、壁を壊せないかを試し始めた。
 疑念が確信に変わる。

 この女は、どこかおかしい。

 いきなりフォマを襲わなかったのは、その恐怖と彼らが魔法に対抗する術を持っていなかったからだ。
 魔法攻撃の射程が素手の攻撃よりも広いのはこの世界で常識であり、魔法の能力差は筋力差以上に圧倒的で覆らない。
 彼らが壁は壊せないと理解するまでにフォマは右手を握って拳を作って、数秒してから手を開き、チョキを作り、もう一度手を開くと中指と親指を合わせてデコピンの形を作った。
 「まずは、これくらいから試してみましょうか」
 「こいつ馬鹿にしやがって…いくぞお前ら!」
 「ひひひ!思い知らせてやるぜこのア…ぁ?」
 骨が砕けるような音でもって、最初に前に出た一人の頭がガクンと揺れた。
 続こうとした男は、一瞬仲間の頭が高速で揺れたような気がした。
 「おい、どうした…え?」
 グラグラと頭を揺らして、最前線にいた男が倒れる。鈍い音を立てて倒れた身体はピクリとも動かず、頭部から真っ赤な鮮血が溢れて広がっていく。
 そして、頭部は潰れたボールのように歪んでいた。
 「あ…あ……」
 「ふふふ」
 誰かが、赤子のような声を出した。
 フォマは淑女が花を愛でるようなほほ笑みでそれを笑うと、開いた手が綺麗なのを見てさらに機嫌を良くする。
 今度は、利き手とは反対の手でデコピンの形を取る。
 犯罪者たちはこの日、自分が今まで傷つけてきた人間たちが味わった気持ちを、身を持って知った。
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