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第2章 目立ちすぎる王都潜入
【第20話】 貴族の憂鬱
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「待たせてすまないでござる、さぁフォマ……って、あれ?」
ようやく話を終えて応接間から出たサカナだったが、一階の待合室にフォマの姿はなかった。
空になったジョッキが机の上に乗っており、組合の中は相変わらずの賑わいを見せている。
サカナはその中に赤髪の魔法使いがいないことがわかると、そのまま冒険者組合の外に出た。
向かいの大通りはさらに人で溢れており、諦めかけたその時。
ギルドチャットがメッセージを受信したことを知らせた。
それを見て、サカナは冒険者組合から四軒隣の居酒屋の隣の道に顔を覗かせた。
いわゆる路地裏と呼ばれるような、建物と建物の間にできた日の当たらない日陰。
そこに捨てられ二階分の高さまで積み上がった木箱の上に、フォマが座っていた。
「随分時間がかかりましたね」
「申し訳ない、だが予定通り報酬は受け取ったでござるよ」
「ならば結構。
すぐに換金所に行くのですよね?」
「うむ、やはりこの世界でのゲーム内金貨の価値を知っておきたいでござる」
「舞踏会まで時間はありませんよ、急ぎましょう」
「うむ、ところでフォマ。
後ろのその者たちは…いや、
ソレは何でござるか?」
「はい?あぁ、これですか」
サカナの指さした方向を振り帰って、フォマは道端に落ちている石を見るような視線を向ける。
人間なら暗がりでよく見えない場所でも、フランケンシュタインは夜目が利く。
サカナの目には、道に広がる雨後の水溜りより汚れた血だまりと壁に飛び散った人型の落書きが日の元より明るく見えていた。
一人分の血液量では、とてもこうならない。
「私がこの世で一番嫌いな人間…いや、下半身の性欲だけで動く獣たちがいたんです。
こんなのが街でのうのうと生きていては、とても迷惑でしょう?
だから、駆除したんです」
「…なるほど」
「フィーナも時々この街に来ると言いますし、これで安心ですね」
木箱から飛び降りて、音もなく着地するフォマの顔は至って穏やかだ。
どころか、一仕事終えた達成感まで見える。
彼女がどんな手段で不埒な輩を無残な液体に変えたのか、もはやサカナは聞くことができなかった。
フォマは、そのことについて既に終わったこととして扱っていた。
歩き出した彼女の前を先導して、サカナは換金所へと歩く。
だが、一つだけ聞き逃せないことがあった。
「フィーナって、誰のことでござる?」
「何言ってるんですか、
私たちに姉の救出を依頼したあの少女のことですよ」
太陽が身を隠し、通り沿いの街灯に魔法で灯が灯っていく。
観光客や労働者も帰路に就き一旦人が減った大通りは、再び夜の賑わいを取り戻す。
その石畳の上を、二頭立ての箱型四輪馬車が馬蹄を響かせながら通った。
荷物や人を乗せて走る郵便馬車や辻馬車ではない。大きな車輪には蘇芳色と金色の二色で色塗りがされ、船底型の車体の中央には線対称の蔓文様が一つ一つ手作業で描かれている。
庶民では乗ることも触ることも許されない、その高級な乗り物に乗るのは貴族階級の人間だけである。
貧富の差をまじまじと見せつけるような豪華絢爛な馬車に向けられる視線には羨みも込められていたが、中にいる人間もまた外の人間に向けて羨望の眼差しを向けていた。
「…はぁ、気が向かないわ」
「そう仰らないでください、エミューお嬢様」
家を出てからもう何度目かわからないため息をついた少女を、向かいに座る老婆は優しく嗜めた。
少女は日に焼けて栗色になった髪を夜会ヘアーと呼ばれる巻き髪にして、座っていても床に着く長さのイブニングドレスとダンスシューズを着ていた。
年頃の少女なら大喜びしそうな“おめかし”も、当の本人が不貞腐れていては愛らしさがない。
それもそのはずで、ドレスは一昔前に流行した花緑青、ドレスに隠れるとはいえシューズは母のお下がりだった。
「あのね、婆や。
知らない殿方と一日中踊るくらいなら、私は家で読書をしていたいの」
「宰相のご子息の誕生日パーティーですよ、もっと明るくしませんと」
「嫌よ、あの人豚みたいに太ってて小汚いんだもの。
どうして男の人ってそうなのかしら」
「お嬢様!」
(何が、「良い人を見つけてこい」よ、お父様もお父様だわ。
私はパトリア家の人形じゃないのよ)
エミュー・パトリアがそう言うのも無理はない。
彼女は父ジョセフの頼みで舞踏会に送り出されただけであり、自分自身の意思で馬車に乗り込んだわけではない。
パトリア家は長い歴史を持つ伯爵家だったが、貴族階級でいうなら地位は中の下。
そのため貴族しかいない王宮で働くジョセフの肩身は狭く、娘の縁談で何としても地位を上げたいのである。
エミューからすれば迷惑極まりない発想だが、この世界ではこれが極々普通の、寧ろ好ましいとされる上昇志向だった。
しかし、その伯爵家の地位によってエミューの生活が安定しているのもまた事実。
だからこそ、エミューも馬車でメイドに愚痴をこぼすくらいしかできなかった。
「はぁ…本当に面倒だわ…
どこかに手ごろで地位が高くイケメンな殿方はいないかしら」
北の住宅街の一画に馬車が停止した。
外からは先についた貴族たちが談笑をする声が聞こえてくる。
メイドが外に出る準備をする間、エミューは高くない天井を見上げて現実逃避をしていた。
だがそれもすぐに終わり、軽い音と共に馬車の扉が開かれる。
「さぁ、お嬢様。いってらっしゃいませ。
くれぐれも、笑顔を絶やさぬようにお願いいたしますよ」
「はぁ…わかったわ」
エミューは手を引かれるまま、重い腰を上げて馬車を降りた。
夜でもハーバー家の邸宅は昼間のように明るく、作り込まれた庭と相まって、自然すらも征服してやるという意思を感じる。
エミューは舞踏会の招待状に書かれたプログラムを見ながら、壁際に立っていた。
曲目やダンスの種類を何度も読むこむエミューの周りには、ぽっかりと空間が空いている。
本来ならもうダンスの相手を決めるなり、異性に話しかけているべき時間だが、彼女はまだ動かずにいた。
少し離れたところでは、お目付け役の婆やが馴染みの貴族と話をしている。
「はぁ…」
エミューは窓に反射した自分がつまらなそうな顔をしているに気が付いて、指で口角を押し上げた。
息苦しいのは、コルセットで腰を締め付けられているからだけではないだろう。
エミューはふと自分がパトリア家を背負ってここに立っていると自覚して、身体全体に圧し掛かる押しつぶされそうな重圧を感じた。
そこに、クロムイエローのドレスを身に纏った女性が近寄る。
人を小馬鹿にしたような見覚えのある笑みを見て、エミューはさらに気分が落ちていくのを感じた。
「あら、エミューさん。
こんばんは」
「…フィンチ嬢」
「フィンチでよろしくってよ。
お会いするのは、デビュタントボール以来ですわね」
「そう…ですわね」
「おひとりですか?
もうダンスの相手はお決めになったのですか?」
フィンチ・マーガレットはマーガレット伯爵家の長女であり、エミューと同じ時期に社交界入りした。
デビュタントボールとは、若い貴族が初めて社交界に仲間入りするための舞踏会である。
社交界デビューをする貴族の子女はデビュタントと言い、彼らは舞踏会で純白のドレスと長手袋を着て踊る。
そして表向きは煌びやかな、しかし裏では権力抗争や欲望が渦巻く貴族社会に踏み入るのだ。
エミューは自身の見た目や家柄が、どこの誰とも知らない人間に値踏みされることに吐き気を催したものだ。
だが、フィンチは違う。
あの日デビュタントボールで最も美しく、常に異性に取り囲まれていたのが、フィンチだった。
エミューは対局的な彼女に、どこか苦手意識があった。
婆やに視線を送るが、振り返った彼女は目元に皺を作って気楽に笑うと、すぐに会話に戻る。
同じ伯爵家の令嬢同士、仲良く話をしているとでも思われたのだろう。
「私は、その、少し体調が悪くて…」
「まぁ、それは大変!休憩室に行きます?」
「い、いえ、少し休んでから参加いたしますわ」
(何だ、人を心配する心はあるのですわね…?
私が勝手に苦手意識を抱いていただけ…?)
と、エミューは彼女のことを思い直す。
貴族社会を嫌うあまり、エミューは同じ伯爵家の人間でありながら自由に生きるフィンチをどこか遠くに感じていた。
彼女が自分より美しく異性からモテていたのを、心のどこかで嫉妬していたのかもしれない。
そして今からでも、友達になるのは遅くないかもしれないとまで思う。
事実、フィンチは自分が貴族であることに誇りを持っていた。
だが、エミューのように目の前の冴えない同性の友人になりたいとは全く思っていなかった。
同時に、貴族でありながら貴族のことを毛嫌いしているエミューを敵視していた。
「何なら、いつでもお帰り頂いても良いのですよ?」
「はい……え?」
「どうせ、あなたがいてもいなくても変わらなくってよ。
そこで壁の花になるくらいなら、家にいた方がパトリア家のためですわ」
「それでは、ただいまより舞踏会を開催いたします!」
ハルマン・ハーバーの言葉を皮切りに、拍手が会場全体に響く。
壁の花というのは、舞踏会で相手がいずに壁に立つ人たちのことを揶揄した言葉だ。
エミューは言われたことが理解できず、フィンチの自信に満ちた目を見て、そこに映る自分が無様に硬直していると気づいた。
何か言おうとして口を動かすが言葉は出てこず、その前にフィンチが追撃する。
「私は彼と踊りますわ」
横を見れば、ドレスコードの燕尾服を来た同年代の男が立っている。
その男性は公爵家の次男にあたり、エミューはようやくフィンチが自慢に来たのだと気づいたのだ。
エミューの直観は間違っていなかった。
初めて見た時の印象と変わりなく、彼女は性格が悪かった。
男性は自分が自慢の種になっていることで良い気分になっているようで、フィンチと同じ嫌な笑みを浮かべている。
「それでは、失礼しますわ」
「……」
エミューの震えた手から招待状が落ちて、磨き上げられた床の上を滑っていく。
目の前からフィンチがいなくなっても、しばらくエミューは動けずにいた。
足元に何かが滑ってきても、貴族は落ちたものを拾わない。
ようやく入口の近くで止まった招待状に、彼女はようやく取りに動いた。
招待状には、ハーバー家の紋章やエミューの名前が入っている。
招待状を乱暴に扱うということには、主催者のメンツを潰す行為に匹敵する。
誰かに踏まれたりしては、家同士の問題に発展する可能性があった。そうなっては、負けるのはパトリア家の方だ。
「失礼、通してください」
(招待状を拾ったら、ここを出よう。待ち合わせの時間までどこかで暇をつぶして…)
歯を食いしばって涙をこらえ、エミューは人をかき分けて入口に向かる。
みな揃い合わせたように同じ薄笑いを浮かべて、犬のように固まって行動している。
エミューは、自分は間違って貴族の家に生まれた場違いな人間なのだと知った。
婆やの背中と白髪交じりの髪を見ながら、隠れるように背を低くする。
婆やもまた子爵家の末の娘。優しい彼女に話せば慰めてはくれるだろうが、それでは何も解決しないのがわかっていた。
招待状が見えると足早に駆け寄り、しゃがみ込んで手を伸ばす。
だが、その前に無骨で大きな手が招待状を拾上げた。
「失礼、あなたのですか?」
ようやく話を終えて応接間から出たサカナだったが、一階の待合室にフォマの姿はなかった。
空になったジョッキが机の上に乗っており、組合の中は相変わらずの賑わいを見せている。
サカナはその中に赤髪の魔法使いがいないことがわかると、そのまま冒険者組合の外に出た。
向かいの大通りはさらに人で溢れており、諦めかけたその時。
ギルドチャットがメッセージを受信したことを知らせた。
それを見て、サカナは冒険者組合から四軒隣の居酒屋の隣の道に顔を覗かせた。
いわゆる路地裏と呼ばれるような、建物と建物の間にできた日の当たらない日陰。
そこに捨てられ二階分の高さまで積み上がった木箱の上に、フォマが座っていた。
「随分時間がかかりましたね」
「申し訳ない、だが予定通り報酬は受け取ったでござるよ」
「ならば結構。
すぐに換金所に行くのですよね?」
「うむ、やはりこの世界でのゲーム内金貨の価値を知っておきたいでござる」
「舞踏会まで時間はありませんよ、急ぎましょう」
「うむ、ところでフォマ。
後ろのその者たちは…いや、
ソレは何でござるか?」
「はい?あぁ、これですか」
サカナの指さした方向を振り帰って、フォマは道端に落ちている石を見るような視線を向ける。
人間なら暗がりでよく見えない場所でも、フランケンシュタインは夜目が利く。
サカナの目には、道に広がる雨後の水溜りより汚れた血だまりと壁に飛び散った人型の落書きが日の元より明るく見えていた。
一人分の血液量では、とてもこうならない。
「私がこの世で一番嫌いな人間…いや、下半身の性欲だけで動く獣たちがいたんです。
こんなのが街でのうのうと生きていては、とても迷惑でしょう?
だから、駆除したんです」
「…なるほど」
「フィーナも時々この街に来ると言いますし、これで安心ですね」
木箱から飛び降りて、音もなく着地するフォマの顔は至って穏やかだ。
どころか、一仕事終えた達成感まで見える。
彼女がどんな手段で不埒な輩を無残な液体に変えたのか、もはやサカナは聞くことができなかった。
フォマは、そのことについて既に終わったこととして扱っていた。
歩き出した彼女の前を先導して、サカナは換金所へと歩く。
だが、一つだけ聞き逃せないことがあった。
「フィーナって、誰のことでござる?」
「何言ってるんですか、
私たちに姉の救出を依頼したあの少女のことですよ」
太陽が身を隠し、通り沿いの街灯に魔法で灯が灯っていく。
観光客や労働者も帰路に就き一旦人が減った大通りは、再び夜の賑わいを取り戻す。
その石畳の上を、二頭立ての箱型四輪馬車が馬蹄を響かせながら通った。
荷物や人を乗せて走る郵便馬車や辻馬車ではない。大きな車輪には蘇芳色と金色の二色で色塗りがされ、船底型の車体の中央には線対称の蔓文様が一つ一つ手作業で描かれている。
庶民では乗ることも触ることも許されない、その高級な乗り物に乗るのは貴族階級の人間だけである。
貧富の差をまじまじと見せつけるような豪華絢爛な馬車に向けられる視線には羨みも込められていたが、中にいる人間もまた外の人間に向けて羨望の眼差しを向けていた。
「…はぁ、気が向かないわ」
「そう仰らないでください、エミューお嬢様」
家を出てからもう何度目かわからないため息をついた少女を、向かいに座る老婆は優しく嗜めた。
少女は日に焼けて栗色になった髪を夜会ヘアーと呼ばれる巻き髪にして、座っていても床に着く長さのイブニングドレスとダンスシューズを着ていた。
年頃の少女なら大喜びしそうな“おめかし”も、当の本人が不貞腐れていては愛らしさがない。
それもそのはずで、ドレスは一昔前に流行した花緑青、ドレスに隠れるとはいえシューズは母のお下がりだった。
「あのね、婆や。
知らない殿方と一日中踊るくらいなら、私は家で読書をしていたいの」
「宰相のご子息の誕生日パーティーですよ、もっと明るくしませんと」
「嫌よ、あの人豚みたいに太ってて小汚いんだもの。
どうして男の人ってそうなのかしら」
「お嬢様!」
(何が、「良い人を見つけてこい」よ、お父様もお父様だわ。
私はパトリア家の人形じゃないのよ)
エミュー・パトリアがそう言うのも無理はない。
彼女は父ジョセフの頼みで舞踏会に送り出されただけであり、自分自身の意思で馬車に乗り込んだわけではない。
パトリア家は長い歴史を持つ伯爵家だったが、貴族階級でいうなら地位は中の下。
そのため貴族しかいない王宮で働くジョセフの肩身は狭く、娘の縁談で何としても地位を上げたいのである。
エミューからすれば迷惑極まりない発想だが、この世界ではこれが極々普通の、寧ろ好ましいとされる上昇志向だった。
しかし、その伯爵家の地位によってエミューの生活が安定しているのもまた事実。
だからこそ、エミューも馬車でメイドに愚痴をこぼすくらいしかできなかった。
「はぁ…本当に面倒だわ…
どこかに手ごろで地位が高くイケメンな殿方はいないかしら」
北の住宅街の一画に馬車が停止した。
外からは先についた貴族たちが談笑をする声が聞こえてくる。
メイドが外に出る準備をする間、エミューは高くない天井を見上げて現実逃避をしていた。
だがそれもすぐに終わり、軽い音と共に馬車の扉が開かれる。
「さぁ、お嬢様。いってらっしゃいませ。
くれぐれも、笑顔を絶やさぬようにお願いいたしますよ」
「はぁ…わかったわ」
エミューは手を引かれるまま、重い腰を上げて馬車を降りた。
夜でもハーバー家の邸宅は昼間のように明るく、作り込まれた庭と相まって、自然すらも征服してやるという意思を感じる。
エミューは舞踏会の招待状に書かれたプログラムを見ながら、壁際に立っていた。
曲目やダンスの種類を何度も読むこむエミューの周りには、ぽっかりと空間が空いている。
本来ならもうダンスの相手を決めるなり、異性に話しかけているべき時間だが、彼女はまだ動かずにいた。
少し離れたところでは、お目付け役の婆やが馴染みの貴族と話をしている。
「はぁ…」
エミューは窓に反射した自分がつまらなそうな顔をしているに気が付いて、指で口角を押し上げた。
息苦しいのは、コルセットで腰を締め付けられているからだけではないだろう。
エミューはふと自分がパトリア家を背負ってここに立っていると自覚して、身体全体に圧し掛かる押しつぶされそうな重圧を感じた。
そこに、クロムイエローのドレスを身に纏った女性が近寄る。
人を小馬鹿にしたような見覚えのある笑みを見て、エミューはさらに気分が落ちていくのを感じた。
「あら、エミューさん。
こんばんは」
「…フィンチ嬢」
「フィンチでよろしくってよ。
お会いするのは、デビュタントボール以来ですわね」
「そう…ですわね」
「おひとりですか?
もうダンスの相手はお決めになったのですか?」
フィンチ・マーガレットはマーガレット伯爵家の長女であり、エミューと同じ時期に社交界入りした。
デビュタントボールとは、若い貴族が初めて社交界に仲間入りするための舞踏会である。
社交界デビューをする貴族の子女はデビュタントと言い、彼らは舞踏会で純白のドレスと長手袋を着て踊る。
そして表向きは煌びやかな、しかし裏では権力抗争や欲望が渦巻く貴族社会に踏み入るのだ。
エミューは自身の見た目や家柄が、どこの誰とも知らない人間に値踏みされることに吐き気を催したものだ。
だが、フィンチは違う。
あの日デビュタントボールで最も美しく、常に異性に取り囲まれていたのが、フィンチだった。
エミューは対局的な彼女に、どこか苦手意識があった。
婆やに視線を送るが、振り返った彼女は目元に皺を作って気楽に笑うと、すぐに会話に戻る。
同じ伯爵家の令嬢同士、仲良く話をしているとでも思われたのだろう。
「私は、その、少し体調が悪くて…」
「まぁ、それは大変!休憩室に行きます?」
「い、いえ、少し休んでから参加いたしますわ」
(何だ、人を心配する心はあるのですわね…?
私が勝手に苦手意識を抱いていただけ…?)
と、エミューは彼女のことを思い直す。
貴族社会を嫌うあまり、エミューは同じ伯爵家の人間でありながら自由に生きるフィンチをどこか遠くに感じていた。
彼女が自分より美しく異性からモテていたのを、心のどこかで嫉妬していたのかもしれない。
そして今からでも、友達になるのは遅くないかもしれないとまで思う。
事実、フィンチは自分が貴族であることに誇りを持っていた。
だが、エミューのように目の前の冴えない同性の友人になりたいとは全く思っていなかった。
同時に、貴族でありながら貴族のことを毛嫌いしているエミューを敵視していた。
「何なら、いつでもお帰り頂いても良いのですよ?」
「はい……え?」
「どうせ、あなたがいてもいなくても変わらなくってよ。
そこで壁の花になるくらいなら、家にいた方がパトリア家のためですわ」
「それでは、ただいまより舞踏会を開催いたします!」
ハルマン・ハーバーの言葉を皮切りに、拍手が会場全体に響く。
壁の花というのは、舞踏会で相手がいずに壁に立つ人たちのことを揶揄した言葉だ。
エミューは言われたことが理解できず、フィンチの自信に満ちた目を見て、そこに映る自分が無様に硬直していると気づいた。
何か言おうとして口を動かすが言葉は出てこず、その前にフィンチが追撃する。
「私は彼と踊りますわ」
横を見れば、ドレスコードの燕尾服を来た同年代の男が立っている。
その男性は公爵家の次男にあたり、エミューはようやくフィンチが自慢に来たのだと気づいたのだ。
エミューの直観は間違っていなかった。
初めて見た時の印象と変わりなく、彼女は性格が悪かった。
男性は自分が自慢の種になっていることで良い気分になっているようで、フィンチと同じ嫌な笑みを浮かべている。
「それでは、失礼しますわ」
「……」
エミューの震えた手から招待状が落ちて、磨き上げられた床の上を滑っていく。
目の前からフィンチがいなくなっても、しばらくエミューは動けずにいた。
足元に何かが滑ってきても、貴族は落ちたものを拾わない。
ようやく入口の近くで止まった招待状に、彼女はようやく取りに動いた。
招待状には、ハーバー家の紋章やエミューの名前が入っている。
招待状を乱暴に扱うということには、主催者のメンツを潰す行為に匹敵する。
誰かに踏まれたりしては、家同士の問題に発展する可能性があった。そうなっては、負けるのはパトリア家の方だ。
「失礼、通してください」
(招待状を拾ったら、ここを出よう。待ち合わせの時間までどこかで暇をつぶして…)
歯を食いしばって涙をこらえ、エミューは人をかき分けて入口に向かる。
みな揃い合わせたように同じ薄笑いを浮かべて、犬のように固まって行動している。
エミューは、自分は間違って貴族の家に生まれた場違いな人間なのだと知った。
婆やの背中と白髪交じりの髪を見ながら、隠れるように背を低くする。
婆やもまた子爵家の末の娘。優しい彼女に話せば慰めてはくれるだろうが、それでは何も解決しないのがわかっていた。
招待状が見えると足早に駆け寄り、しゃがみ込んで手を伸ばす。
だが、その前に無骨で大きな手が招待状を拾上げた。
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