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第2章 目立ちすぎる王都潜入

【第21話】 ダンスホール

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 「失礼、あなたのですか?」
 「は、はいっ。
 申し訳ありません、つい落としてしま…って…?」
 「それは良かった、レディのお手を汚れさせるわけには行きませんので」
 立ち上がった男性の背丈は、周りの男性と比べても頭一つ分抜けていた。
 貴族は偏った食事や生活、それから色白が美しいという価値観からやせ細っていることが多い。
 しかし彼は陶器のような白い肌に、背丈に合う肩幅の厚みと神話のラオコーンのように絞り上げた身体をしていた。
 何より、顔が良い。
 別の意味で震えはじめた手で招待状を受け取ると、エミューはバクバクと鳴りやまない心臓を押さえた。
 「あ、ありがとうございます…」
 「お気になさらず」
 「うぉ…っ」

 (笑顔が眩しい…!もはや神が遣わしたとしか思えない…!)

 表情が変化すると、さらに顔面の良さが際立つ。
 エミューの口から、年頃の少女とは思えないような声が出た。
 一部の貴族には、家柄にこだわるあまり近親婚を繰り返す純血主義者がいる。
 彼らは特権階級の血を守るために従妹同士や両親の兄弟とも結婚を行うわけだが、どういうわけだか生まれてくる子供は先天性の病気から病弱のものが多かった。 
 さらに血が濃くなるだけ特徴的な顔や身体で生まれる確率が上がり、それを恥と考えるものは少なくない。
 ただでさえ整った顔立ちは階級に関係なく優遇されるというのに、そこに血をコントロールするためという理由までついてくるのだ。
 エミューは時々思う。美しさとは、ある種の暴力だと。
 そして、今やダンスホール中の視線は一点に集まっていた。
 男は招待状を渡し終えても動かず、顔を真っ赤にしたエミューを見て笑う。
 「ふっ、お一人ですか?」
 「えぇ、っと…まぁ…」
 パートナーもおらず、まさに帰ろうとしていたところだ。
 しかし、会場に来たばかりの人に向けてそんな面白くもない話をしても仕方がない。
 何ならたった今、招待状を拾ってもらったばかりだ。
 一曲目のイントロが流れ始め、いよいよダンスが始まる。
 国立劇場でも演奏を行っている一流の楽曲団による迫力の生演奏に、参加者たちはバタバタと移動を始める。
 ダンスを行う男女はホールの中央部分に集まり、お互いに手を組む。
 その中にクロムイエローのドレスを見ると、エミューは逃げるように顔をそむけた。
 会釈をして男の横をすり抜けようとしたところで、思いもよらない提案が頭上から降ってくる。
 「よろしければ、私と一曲踊りませんか?」
 「うえ!?」
 「実はパートナーが急用で到着が遅れていまして、暇を持て余しているのです。」
 「あぁ…そういうわけでしたか」
 「生憎、こういう場所は慣れておらず…お願いできませんか?」
 「あっ…あ…はい…」

 (通りで噂の絶えない社交界でも話題に上がっていないわけですわ。
 ひょっとしたら、パートナーというのが貴族で、彼の方はどこからか連れてこられたのかもしれないですわね)

 冷静に考えれば、家柄も名前も知らない男性と踊るのは無防備すぎる。
 しかし屈強な男性から弱り切った顔で頼まれ、エミューは不覚にも母性本能が刺激された。
 他に踊る相手もないため断り切れず、結局はこうして男性の手を取っていた。
 「確か、舞踏会のモーションは…」
 「あの、お名前を伺っても?」
 「名前は……ご紹介が遅れました。
 私のことは、サンとお呼びください。エミューさん」
 「サン?素敵な名前ですね」

 (太陽の名前を持つなんて、やっぱり只者ではないんじゃ…うわ、この人凄く上手い)

 遅れて輪に入っても、サンの体格は一目を引いた。
 エミューは筋肉が盛り上がった腕に手を置いて、背中を預ける。
 今までになく安定感のあるホールドの後、ゆっくりとサンが動き出す。
 初めの一歩こそ慣れない足運びだったが、すぐにお手本のようなステップを踏み始めた。
 社交ダンスでは複数の組が同時に踊っているため、周りにぶつからないよう配慮する必要もある。
 その際に進行方向を決めるのも男性の役割であり、腕の見せ所だ。
 エミューはその腕を見るまでもなく、自然と相手に全幅の信頼と体重を預けていた。
 心地の良い、ゆったりとした上下運動を繰り返す。
 エミューの背が高ければ、サンの手足の長さはさらに引き立っていただろう。
 「あら?私の名前をご存知で…?」
 「失礼、招待状を拾った時に見てしまいました」
 ブラックダイヤモンドの瞳と目が合うと、エミューは心臓がキュッと引き締まる感覚に襲われる。
 周囲から送られる羨望と嫉妬の目も、寧ろ心地いい。
 ハイステータスな男の視線を独り占めしているという感覚は、エミューが失ったはずの自尊心を十分なほど取り戻した。
 しかし向かいの男はと言えば、女性と密着して踊る状況に少しも舞い上がってはいなかった。
 彼はシステムのオートモードで踊りながら、マルチタスクでギルドチャットを送り続けていた。
 「そうでしたか、これはお恥ずかしいところをお見せしました」
 「お茶目なところも、あなたの魅力だと思いますよ。
 少なくとも、私は今夜のダンス相手を見つけることができました」
 「お、お茶目だなんて…ご、ご冗談を…」
 「ふふふ、冗談などではありませんよ」

 (キング!!フォマ!!
 どこでござるか!?拙者は今完全にアウェイでござる!!)

 そう、サンと名乗ったこの男の正しいゲーム名は、「魚@くそ雑魚侍参上!」。
 仲間と共に潜入するはずが、待ち合わせ場所に行ったら誰もいなかった不憫な男である。
 今の姿はポーションで一時的に人間種に見せているだけであり、中身やステータスは全く変わっていない。
 燕尾服のコスチュームに着替えてノリノリで外に佇んでいたら、時間を過ぎても誰も来ず、いつの間にかハルマン・ハーバーの挨拶が終わって拍手が聞こえてきたのが数分前。
 そこから警備の人間に話しかけられ、顔を覚えられてしまったので仕方なく中に入ったのがつい数十秒前である。
 それでも追っ手を振り切って裏から入らなかったのは、土壇場でサカナの流されやすい性格が出たからに過ぎない。
 エミューはそうとは知らず、自分もまた意思に反して流されてここに来たことを話した。
 「本当のことを言うと、招待状を拾ったら帰ろうとしていたんです。
 感謝すべきは私の方です」
 「おや、そうだったのですか」

 (拙者も帰りたいでござる。
 なぜか顔パスされてしまったでござるが、あれか、名前を聞くのは失礼だという文化でもあるのでござろうか。
 何にせよ、警備がザルで救われたでござる)

 サカナが中に通されたのは、彼が見たこともない質の良いオートクチュールの燕尾服を着ていたからである。
 そしてさも社交界慣れしているかのような雰囲気と見た目により、受付担当は彼が上級階層の人間だという勘違いをした。
 受付の人間はあくまでハーバー家に仕えるメイドであり、主が招いた招待者を心より歓迎するのが第一の仕事。
 名簿リストに来た人物のチェックはするが、全員を厳しく管理しているわけではなかった。
 命知らずな野次馬を退くのは警備員の仕事であり、時間ギリギリにやってきた人相の良い人間を拒んでしがらみを作るのは不本意なことだった。
 ちなみにサカナの事前の作戦では、裏口から侵入して参加者に紛れることで、邸内で怪しまれずに人探しをする予定だった。
 「私は貴族の中でも変わっていて。
 どうも、こういう場は苦手なんです。
 ごめんなさい、せっかく楽しく踊っているのに」
 「わかりますよ。実は私も、人の前に立つのは苦手なんです」

 (ダンスとか実質公開処刑でござる。
 そういえば、昔学校の体育ではダンスの授業でチームの足を引っ張って、クラスメイトからハブられたでござる。
 でも陰キャに運動神経を求める方がどうかしているでござるよ)

 「ふふっ、ご冗談を。
 きっと沢山の女性から言い寄られているのでしょう?」
 「はははっ、まさか」

 (二次元の女性ならともかく。
 しかし、ダンス相手を見つけたのは不幸中の幸いでござったな。
 どうやら、ゲームの世界でもボッチは嫌われている様子。
 ついでにこれで、参加者の顔もチェックできるでござる)

 ダンスをしながらホールを一周すれば、大体の客の顔は判別できる。
 踊る相手がおらず落ち込んだ様子の紳士、焦りを隠そうともしない淑女、そしてその合間に立つメイド。
 事前に聞いた身体的特徴を元にフィーナの姉を探すが、未だ見つからない。

 (受付やホールにもいないとなると、厨房担当なのかもしれないでござる。
 今日に限って休み、ということはないはずでござるが……
 フォマの魔力感知も一般人では見分けがつかないでござろうし)

 サカナは、念のためフィーナの姉がここにはいないことをチャットに書いて送った。
 ダンスは後半に突入し、音楽は佳境に入った。
 順調に踊っていたサカナだったが、おもむろに隣のカップルが距離を見誤って近寄ってきた。
 このままでは、衝突を避けられそうにもない。
 一人であれば多少乱暴に弾き飛ばしていたが、今は腕の中に堅気の少女がいた。

 (ここで能力を使うわけにはいかないでござるな)

 「失礼」
 サカナは伸ばした右足を軸に半回転すると、エミューに代わって背中で衝突した。
 エミューはぶつかられたことすら気づかず、ぶつかってきたカップルの男はそのまま返ってきた衝撃に耐えきれずよろめいた。
 サカナがそのまま反時計回りに回転しながら角を緩やかに曲がると、窓際で一人立つ無表情の青年と視線が合う。
 サカナはそこに、教室の隅で一人座るかつての自分を重ねた。
 「変ですよね、他の人に混じれないなんて」
 「…変ではないでござる」
 「ござる?」
 サカナは物心がついたときから、ゲームが好きだった。
 親の影響もあり、数時間でクリアできるような古いゲームを何度もプレイして、クリアタイムやアイテムの収集に勤しむのが好きだった。
 自然と友達もゲーム好きが集まり、好きなゲームのキャラクターについて話し合い、お互いに持っていないゲームを交換した。
 漫画やテレビも面白いが、それはあくまで主人公の活躍を横から見ているだけ。
 ゲームだけが、自分の意思で彼らと交流し冒険することができる。
 それが、サカナがゲームをする理由だった。
 だが、ゲームはあくまで遊戯。中学、高校と進学していくうちに、友達は受験や恋愛、部活に忙しくなっていく。
 気づけば、ゲームに熱中するのはサカナだけになっていた。
 時々、サカナは彼らに言われた言葉を思い出す。
 寝ても覚めても、友達がいなくなってもゲームをしているなんて

 『おかしいよ』

 「変ではないですよ。
 自分のしたいことを蔑ろにして、無理に他の人に合わせる必要なんかありませんよ」
 「そ、それは…でも…」
 「それに、いつの世も一定数外れ者がいるものですよ。
 きっとあなたにも、同じことを考えている気の合う仲間が見つかるはずです」
 サカナは、大人になってから出会ったゲーム仲間のことを思い浮かべる。
 平気で集合の約束を破り、他人を攻撃することを何とも思わない横暴な仲間のことを。
 本当に彼らは仲間なのかは今度熟考するとして、戦闘に関してキングはサカナより重度の廃人であり、フォマはそれ以上の廃課金者だ。
 嫌な思いをすることもあるが、たとえ社会や周囲の人間が何と言おうと、サカナは彼らといると辛い過去も趣味を口外できない辛さも忘れられた。

 (いや、これでは現実逃避…足の引っ張り合いみたいでござるな)

 「……」
 「どうやら、私達は似た者同士のようですね」
 「それでも、結局はお金とか家族とか、寂しさのために外に出ないといけないでしょう?」
 「…かもしれないですね」

 (拙者もゲームのために嫌々外に出て働いているでござる)

 「私は…エミューは飛べない鳥なんです。
 白鳥や雀、鶴のように羽ばたくことも、太陽のようにいることもできません」
 「ふふふっ」
 「な、何で笑うんですか!?」
 「いや失敬、しかしだからこそエミューは強いのだろうと思いまして。
 飛べない代わりに健脚で天敵を蹴り飛ばして追い払うなんて、白鳥や雀にはできませんよ」
 「それは、例えばの話で…」
 「なら、あなたもそのように生きてみては?
 案外、嫌われ者の方が長生きするものですよ」
 「か、考えておきます……あっ、」

 『どうせ、あなたがいてもいなくても変わらなくってよ』

 エミューの視界にレモン色のドレスが入り込み、ダンス前にかけられた言葉が蘇る。
 棘のように鋭い皮肉が、胸に刺さった。
 恐怖で顔も体は氷結して動かなくなり、次に出すべき脚が出ない。
 ダンスホールでは、周囲も自分も動き続けなければいけない。
 輪を乱せば自分だけではなくパートナーや他カップルにケガをさせ、観客からは踊りすらできない落第者として扱われる。
 「エミューさん?」
 「あ…!」

 (動かなきゃ、右…いや、左だっけ?
 まずい、こっちに誰か来る。
 早く、早く動かなきゃ!)

 勢いよく出した左脚に体重を乗せたエミューは、小枝が折れる音を聞いた。
 音と共に支えが無くなって、身体が後ろへつんのめる。
 ヒールが折れて滑ったのだ。
 サカナの手からすり抜けるようにして落ちていくエミューは、どこからかフィンチの笑い声が聞こえた気がした。
 だが、サカナの視界はさらに鮮明に速く事態を捉えていた。
 海馬が、いつの日か人前でダンスを踊って笑われた記憶をフラッシュバックさせる。
 「『俊敏化』」
 「へ…?」
 エミューの背中に当てていた手を腰へ、重力よりも速くスライドさせる。
 そして片手で全体重を支えて持ち上げると、人のいないホールの先に二歩で移動する。
 異変に気付いた観客の視線を浴びながらも、決して事故ではないと笑顔を保った。
 そのまま足がつかないエミューの背中をのけぞらせると、ゆっくりと上半身を倒す。
 競技ダンスでも滅多に見ない角度のイナバウアー。だが、長いドレスの下は床についていない。
 観客からどよめきがあがった。
 「な、何だあれは…」
 「あんな踊り方が?」
 「いや、見たことないぞ」
 「今、すごいスピードじゃなかったか?」
 「それよりも…あの二人は誰なんだ?」
 「あ、ありがとうございま…すっ!?」
 そこから細い腕を引いて胸に引き寄せ、礼を述べるエミュー。
 だがサカナは少ししゃがんでから、足払いをしてエミューを横方向へ倒した。
 呆気に取られる彼女が地面に着く前に上半身と下半身にそれぞれ腕を入れて、背中と膝の下を支え立ち上がる。
 抱きかかえられたエミューは、それがお姫様抱っこと言われる特別な持ち方ということを、子供のころに婆やから聞いた御伽話で知っていた。
 そのときめきは見ていた女性陣をも虜にしたらしく、黄色い歓声が上がった。
 サカナは、よく通る声で公言する。
 「失礼、急用を思い出しました」
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