ガニュメデスの復讐

LUNA

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第2章

1センチの距離

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朝比奈の再尋問を終え、二人は無言のまま署を出た。

夜気を孕んだ空気が、駐車場に沈んでいる。
隼人が第七係の車に乗り込むと、すでに運転席にアレクが座っていた。

ドアが閉まる音が、やけに大きく響く。

「……真壁さん」

エンジンをかけながら、アレクが不意に言った。

「意外と、いい目をしてますね」

隼人は一瞬、言葉を失う。

「見直しました」

からかうようでもなく、淡々とした声。
だが、その言い方が妙に胸に引っかかった。

「お、おう……」

隼人は短く返し、視線を前に固定したまま動かせずにいた。

――見られない。

横にいるアレクの顔を、まともに見ることができない。

知ってしまったからだ。
あいつの過去を。
あいつが、どこから来たのかを。

それに――
親父との、関係を。

胸の奥に溜まった言葉が、出口を見つけられずに渦を巻く。

(聞きたいことが、山ほどあるのに)

(なのに……)

その瞬間だった。
隼人の視界が、突然、揺れる。
アレクの手が、隼人の頬を掴み、強引にこちらへ向けた。

「――っ!?」

距離が、一気に詰まる。
肌と肌が触れるまで、あと一センチの距離。

息が、かかる。

間近で見るアレクの顔は、あまりにも整いすぎていた。
長い睫毛。
透き通るような肌。
そして――灰色がかった、深い緑の瞳。
吸い込まれる。
まつ毛が触れそうな距離で、その目が、真っ直ぐに隼人を覗き込んでくる。

(……やば)

心臓が、嫌なほど跳ねた。
どくん、どくん、と音が聞こえる気がする。

(なんだ、これ)
(なんで、こんな……)

こいつは俺の相棒で、男で。
それだけのはずなのに。

「な、なにしてんだよ!?」

声が裏返る。

アレクは答えない。
ただ、じっと目を逸らさず、隼人の顔を観察するように見つめている。

そして、低く言った。

「……おっさんに聞いたんですね」

空気が、止まる。

「俺の、過去」

隼人は息を呑む。

「は? お、おっさんって……」

言い繕おうとした瞬間、アレクがふっと手を離した。

2人の間の距離が開く。

その喪失感に、隼人自身が一番驚いた。

アレクは前を向き、短く息を吐く。

「真壁さん」

少し呆れたような声。

「あなた、すぐ顔に出るから」

ハンドルを握ったまま、ちらりと横目で見る。

「バレバレです」

その言葉に、隼人は言葉を失った。

(……くそっ…。鋭すぎだろ)

車内に、気まずい沈黙が落ちる。隼人は、意を決して口を開いた。

「……悪かった。俺が鹿島さんから無理やり聞き出したんだ、お前の過去を」

アレクが、わずかに眉を顰める。

「でも」

隼人は、真っ直ぐ前を見たまま続ける。

「俺は、別に。同情とか、そういうのじゃねぇ」

拳を、膝の上で握りしめる。

「ただ……知っちまったら、無視できねぇだろ」

「……」

しばらくして、アレクが低く呟く。

「だから、嫌なんですよ」

隼人が、思わず横を見る。

「知られるの。同情されるのも、腫れ物扱いされるのも。……急に距離を、詰められるのも」

その最後の言葉が、隼人の胸を打った。

(距離を……)

詰めたのはお前だろ。

そう言いかけて、飲み込む。

代わりに、車内に落ちた沈黙を破ったのは――アレクだった。

「……真壁真一」

その名を聞いた瞬間、隼人の身体がわずかに跳ねた。

「――っ」

反射的に顔を上げる。

「あなたの、お父さんですよね」

アレクの声は淡々としていた。
感情を削ぎ落とした、事実だけを並べるような調子。

今度は、隼人の方が身を乗り出していた。

「親父のこと……話してくれるのか?」

アレクは一瞬だけ横目で隼人を見た。

「鹿島さんから、もう聞いたんでしょ」

「ああ」

隼人は正直に頷く。

「だが……お前の口から、聞きたい」

アレクは短く息を吐いた。それはため息ではなく、――踏み込むための、ひと呼吸だった。

「……あんた」

ハンドルを握る指に、わずかに力がこもる。

「本当に、真壁真一が“捜査中に殉職した”と思ってるんですか?」

「……なんだって?」

隼人の声が、低く沈む。

アレクは、真正面から隼人の目を見た。
冷静で、逃げも揺れもない視線。だが、その奥には、簡単に触れてはいけない深さがあった。

「真壁真一は――」

慎重に、言葉を選ぶように、間を置く。

「単独で、ある事件を追っていました」

隼人の喉が、無意識に鳴った。

「公式には……存在しない事件です」

「……」

「組織の中でも、触れてはいけない領域」

さっきまで熱を帯びていた胸の鼓動が、冷水を浴びせられたように、静まっていく。

「そして――その事件の“核心”に、手をかけた瞬間」

視線を逸らさず、はっきりと言う。

「何者かに、殺された」

言葉が、車内に重く落ちた。

「……事故でも、運命でもない。“殉職”なんて、きれいな言葉で片付けられる死じゃない」

隼人は、何も言えなかった。

頭の奥で、今まで積み上げてきたものが、音を立てずに、崩れていく。

アレクは前を見据えたまま、静かに続けた。

「俺は――」

ほんの一瞬、呼吸が深くなる。

「真壁真一の死の真相を突き止めるために、警察官になりました」

今まで、隼人が疑いもなく信じてきた“父の死”。

強盗事件の捜査中、追い詰められた犯人が発砲し、その一発が、父――真壁真一の胸を貫いた。
直後、犯人は自らのこめかみに銃口を向け、引き金を引いた。

現場での即死。
英雄的な殉職。
警察官として、誇るべき最期。

父の相棒だった鹿島剛から、そう聞かされてきた。

疑う理由など、どこにもなかった。
むしろ、その死を疑うこと自体が、父を冒涜する行為のように思えていた。

だが今――

その“完成された物語”に、
静かに、しかし確実に、亀裂が入っている。

銃声。犯人の自殺。あまりにも、都合のいい幕引き。

(……本当に、そうだったのか?)

胸の奥で、長年触れないようにしてきた疑念が、ゆっくりと、姿を現し始めていた。

アレクは、淡々と、だが逃げ場を与えずに告げる。

「そして――俺は、今回の事件が」

わずかに言葉を区切る。

「真壁真一が追っていた事件と、無関係だとは思えないんです」

ぽつり、とフロントガラスに一粒の雨が落ち、乾いた音を立てた。

次の瞬間、ざあっ、と音を立てて、雨が一気に降り出す。

外の土砂降りとは対照的に、車内には、重たい沈黙だけが沈殿していた。

その沈黙を破るように、アレクが低く言う。

「真壁さん。今日、仕事の後――俺の家に来てください」

一瞬、言葉を選ぶ。

「……あなたに、見せたいものがあるんです」
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