遺跡の謎は全部解くのに、護衛の好意だけ気づかない調査官

蒼月よる

文字の大きさ
1 / 3

第1話 地下の主幹路

しおりを挟む
 ずっと後になって、私はあの日のことを思い返す。私は回路しか見ていなかった。彼が何を見ていたのかは、まだ知らなかった。

 地下に降りた瞬間、空気が変わった。
 湿った石の匂い。それから、微かな金属の残り香。地上の港街とは別の世界がそこにあった。
 私は階段の最後の一段を踏みしめ、携帯灯の光量を上げた。灰白色の壁面が照らし出される。表面には薄い苔が這っていたが、その下に回路の紋様がうっすらと透けて見えた。
 ——来た。
 デルガ遺跡調査局に配属されて、今日が初日だった。

 朝、局舎で辞令を受け取った。上司のヴァルトは五十がらみの痩せた男で、私の履歴書にざっと目を通すと、「今日から現場だ」と言った。
「予備調査の人手が足りない。港区地下の既知遺跡、記録上は小規模な末端区画だ。回路構造の再確認と、現況の記録を頼む」
「承知しました」
 配属初日から現場投入か。だが不満はなかった。むしろ机仕事を想像していた分、嬉しかった。研究機関で四年間、教科書と論文ばかり相手にしてきた。実際の回路構造に触れられるなら、早ければ早いほどいい。
「護衛をつける。ギルドから手配済みだ」
 ヴァルトがそう言って、執務室の隅に視線を向けた。
 そこに、男が一人立っていた。いつからいたのか、私は入室時に気づいていなかった。
 大柄だった。革鎧に片手剣、背中に小型の盾。装備は使い込まれているが手入れが行き届いている。短い黒髪。目元に古い傷が一筋。表情はほとんどなく、壁に背を預けて静かにこちらを見ていた。
「トーマ。銀牌の五だ。遺跡護衛の経験が長い」
「トーマさんですね。遺跡調査官のメイラです。よろしくお願いします」
 私が頭を下げると、彼は短く頷いた。
「よろしくお願いします」
 低い声だった。必要なことだけを言う人だ。銀牌の五なら腕は確かだろう。
 それだけだった。彼がこちらを見ていた目の色すら、私は覚えていなかった。名前と牌ランクを頭の端に記録して、意識はすぐに現場のことに移った。
 港区地下遺跡。記録上は旧文明の末端区画。回路構造の再確認。
 ——早く見たい。

 地下への入口は、港区の倉庫街の一角にあった。石造りの建物の地下に続く階段。調査局が管理する鉄扉を開け、私たちは降りた。
 トーマが先行した。当然のことだ。護衛が先に安全を確認し、調査官が続く。私は特に何も思わなかった。彼の足音は大柄な体格に似合わず静かで、革靴が石の段を踏む音がほとんど聞こえなかった。
 階段を降りきると、通路が東西に伸びていた。幅は二メートルほど。天井は私の頭上に余裕があるが、トーマは少し頭を下げていた。
 地上とは温度が違った。湿度が高く、吐く息がわずかに白い。壁面の石材は港区で見慣れた灰白色の石灰岩だが、継ぎ目に旧文明の接合材が残っている。千年の歳月を経ても崩れていない。当時の建築技術の水準がわかる。
 私は壁に携帯灯を近づけた。
 回路構造が見えた。
 灰白色の壁面に走る、細い線状の紋様。旧文明が残したナノマシン回路の痕跡だ。一部は劣化して途切れていたが、基本構造は明瞭に読み取れた。
 鞄からスケッチブックを取り出し、最初のページを開く。真新しい紙の匂いがした。研究機関の書庫の匂いとは違う。ここは現場だ。
 ルーペを目に当て、回路のパターンを観察する。眼鏡を額に上げ、片目でルーペを覗き込む。
 線の太さ、分岐の角度、密度の変化。
 これは教科書で何度も見た類型の一つだ。情報伝達系の末端回路——のはずだった。
 私は回路の分岐点に目を止めた。
 教科書の図版が頭に浮かぶ。末端回路の分岐構造——単純な二叉分岐を繰り返しながら、線が細くなり、やがて途切れる。それが「末端」の定義だ。
「……おかしい」
 独り言が漏れた。
 この壁面の回路は、末尾を見ても線の太さが落ちていない。むしろ壁の奥に向かって密度が増している。
 末端ではない。
 心臓が少し速くなった。
 私は壁に沿って東へ歩き始めた。スケッチブックを抱えたまま、回路の流れを目で追う。五メートル、十メートル。密度は落ちない。分岐点の構造が規則正しく繰り返されている。
 足を止めた。
「これは末端じゃない」
 今度は独り言ではなかった。振り返ると、トーマが三歩後ろに立っていた。携帯灯を持ち、私の歩く先の足元を照らしていた——いつからそうしていたのか、気づかなかった。
「主幹路の一部です」
 私は壁面を指した。声が少し大きくなっていたかもしれない。地下で声を上げるのは褒められたことではないが、構造を見れば誰だってそうなる。
「分岐点の構造を見てください。末端回路なら、ここは単純な二叉分岐になるはずです。でもこの回路は、四方向に等密度で分岐している。これは主幹路——情報伝達系の幹線に見られる構造です」
 トーマは壁面を見た。それから私を見た。専門用語の意味はおそらくわかっていないだろう。だが「重大な発見をした」という文脈は読めている顔だった。
「公式記録では小規模とされていますが」
「記録が間違っているか、あるいは以前の調査が壁面の奥まで確認していなかったか。二十年前の調査手法では、苔の下の構造までは確認しないのが普通でした」
 私はスケッチブックを開き、分岐点の構造を描き始めた。手が勝手に動く。線の角度、間隔、密度。正確に記録しなければならない。記録しなければ、誰にも伝わらない。
 描きながら考える。主幹路の一部だとすれば、この遺跡の規模は公式記録よりも遥かに大きい。末端区画として処理されていたものが、実は巨大なネットワークの一部だった可能性がある。デルガの地下全体に張り巡らされた幹線。その規模を想像すると、指先が震えそうになった。
 落ち着け。まず記録だ。仮説は記録の後でいい。
 手が止まらなかった。壁面に沿って移動しながら、回路構造のスケッチを次々と描いていく。東へ進むほど回路の密度は上がり、紋様は複雑になった。通路は緩やかに下り勾配になっていて、空気の温度が少しずつ上がっていた。壁面の苔も減り、回路構造がより鮮明に見える。地下の深い場所ほど保存状態が良い——当然のことだが、実物を目の当たりにすると胸が騒ぐ。
 ある地点で、私は足を止めた。
 回路のパターンが変わっていた。
 それまでの規則正しい直線と分岐の構造が、ここから急に異なる形状を示している。曲線を含む、非対称な紋様。分岐の角度が一定でなく、線の太さも不規則に変化している。
 私は知っている限りの類型を頭の中で走らせた。情報伝達系。エネルギー供給系。環境制御系。構造維持系。旧文明の回路構造は、基本的にこの四つの類型とその亜種に分類される。研究機関で四年間、それを叩き込まれた。
 目の前のパターンは、どれにも当てはまらなかった。
 ルーペを当て直す。見間違いではない。曲線の形状、分岐の不規則さ、密度の変化——すべてが既知の類型から逸脱している。
「これは……」
 私はスケッチブックに描き写しながら、声に出した。
「分類されていないパターンです」
 静かだった。地下遺跡の空気は動かない。自分の呼吸と、鉛筆が紙を走る音だけが聞こえた。
 描き終えてから、私は時間を確認した。
 三時間が経っていた。
 顔を上げると、トーマがすぐ後ろに立っていた。携帯灯を二つ——自分のものと、いつの間にか私の鞄から取り出したもう一つを——持ち、壁面のスケッチしている箇所に正確な角度で光を当てていた。
 影が落ちない角度。私のスケッチに最適な照明。
 いつからそうしていたのだろう。
 ふと、彼の目が合った。すぐに視線が外れた——私が顔を上げたから、壁面の照明に戻したのだろう。
「あ——すみません、時間を」
「問題ありません。空気の流れに変化はないので、もう少し奥まで行けます」
 事務的な報告だった。護衛として当然の環境確認。私の意識は壁面の回路に戻った。
「ありがとうございます。もう少しだけ、記録させてください」
 私はスケッチブックに目を戻した。
 未分類のパターンを描いているあいだ、何度かルーペの焦点が合わなくなった。そのたびに照明の角度がわずかに変わり、紋様の陰影が鮮明になった。風が動いたのだろう。地下遺跡には微かな気流がある。
 私は最後の一本の線を引き終え、ルーペを額に上げた。眼鏡のレンズが汗で曇っていた。袖で拭って、もう一度スケッチを確認する。
 正確に記録できた。

 地上に戻ったのは、日が傾き始めた頃だった。
 調査局に戻り、ヴァルトに報告した。スケッチブックを広げ、主幹路の根拠となる分岐構造と、未分類のパターンを示した。
「主幹路だと?」
 ヴァルトの眉が動いた。
「分岐点の構造が末端回路と一致しません。四方向等密度分岐は、これまで発見された主幹路の特徴と合致します。この遺跡の規模は、公式記録よりもかなり大きい可能性があります」
 ヴァルトは椅子の背にもたれ、腕を組んだ。
「しかし港区地下は二十年前に調査済みだ。当時の記録では——」
「当時の調査は壁面の表層のみを対象にしていた可能性があります。苔の下に回路構造が隠れていました。表面だけを見れば末端に見えますが、苔を除去して観察すると、奥に向かって密度が増しています」
 ヴァルトはスケッチブックのページをめくった。未分類のパターンが描かれたページで、手が止まった。
「これは?」
「既知の四類型とその亜種のいずれにも分類できないパターンです。情報伝達系に近い要素はありますが、曲線構造と不規則な分岐が特徴的で、エネルギー供給系の一部かとも思ったんですが密度分布が合わなくて——」
 私は自分が早口になっていることに気づいて、口を閉じた。ヴァルトが微かに眉を上げていた。
「……失礼しました。詳細は報告書にまとめます」
 ヴァルトはしばらく黙ってスケッチを見つめていた。窓の外から港の夕方の喧騒が微かに聞こえる。指先でページの端を叩く。何かを計算している顔だった。
「明日も入れ。同じ護衛をつける。測量器具一式を持っていけ」
「はい」
「それと——」
 ヴァルトが顔を上げた。その目に、先ほどまでの懐疑的な色はなかった。
「報告書は急がなくていい。記録を優先しろ。正確にな」
「承知しました」
 私は頭を下げた。胸の奥で、何かが弾むように動いた。
 記録を優先しろ。正確に。
 それは私がいちばん聞きたかった言葉だった。

 局舎を出ると、もう夕暮れだった。灰白色の建物が丘陵から海岸線へ連なり、入江の港が夕日に染まっていた。
 デルガの街は夕方になると風が変わる。丘の上から海に向かって吹き下ろす風が、港の魚と塩と、どこかの工房の金属の匂いを運んでくる。
 トーマは門の脇に立っていた。護衛任務は調査局に戻った時点で終了のはずだが、まだいた。
 なぜだろう、とは考えなかった。考える前に口が動いていた。
「お疲れさまでした」
 私が声をかけると、短く頷いた。
「明日もよろしくお願いします」
「承知しました」
 間があった。それから、
「測量器具は重量がありますが、ご自身で運ばれますか」
「はい。慣れていますので」
 慣れていない。測量器具一式を担いで地下に降りるのは学生時代の実習以来で、あのときは半日で肩が痺れた。でも初日から護衛に荷物を持たせるのは気が引けた。彼は護衛であって荷物持ちではない。
「では、明朝。入口に〇七〇〇《まるななまるまる》で」
「はい。ありがとうございます」
 トーマは頷いた。それから、視線が一瞬、私の右肩のあたりに落ちた。何か言いかけて——やめた。
「では」
 港区の方へ歩いていった。大きな背中が夕暮れの通りに消えていく。
 私はその背中を一瞬だけ見て、すぐにスケッチブックを開いた。
 未分類のパターン。曲線を含む非対称な紋様。既知の四類型のどれにも当てはまらない。
 これは何だ。何のための回路だ。
 千年前にこの回路を設計した人間は、何を考えていたのだろう。
 夕風がスケッチブックのページをめくった。主幹路の分岐構造。その先に描いた未分類のパターン。曲線と不規則な分岐が、夕日の中で紙の上に静かに横たわっている。
 この回路を作った人間は千年前にいなくなった。でも回路はまだここにある。記録しなければ。正確に。
 明日が待ち遠しかった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。

ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。 真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。 引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。 偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。 ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。 優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。 大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

屈辱と愛情

守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。

お腹の子と一緒に逃げたところ、結局お腹の子の父親に捕まりました。

下菊みこと
恋愛
逃げたけど逃げ切れなかったお話。 またはチャラ男だと思ってたらヤンデレだったお話。 あるいは今度こそ幸せ家族になるお話。 ご都合主義の多分ハッピーエンド? 小説家になろう様でも投稿しています。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

セクスカリバーをヌキました!

ファンタジー
とある世界の森の奥地に真の勇者だけに抜けると言い伝えられている聖剣「セクスカリバー」が岩に刺さって存在していた。 国一番の剣士の少女ステラはセクスカリバーを抜くことに成功するが、セクスカリバーはステラの膣を鞘代わりにして収まってしまう。 ステラはセクスカリバーを抜けないまま武闘会に出場して……

敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される

clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。 状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

処理中です...