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第2話 測量と沈黙
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測量器具は予想通り重かった。
三脚、測距儀、水準器、巻尺、記録板。それにスケッチブックと携帯灯。鞄に詰め込むと肩紐が食い込んで、倉庫街の階段を降りる頃には右肩が痛み始めていた。
入口にはトーマが先に来ていた。時刻は〇六五五。私より五分早い。
「おはようございます」
「おはようございます。空気は昨日と変わりありません」
もう確認していたのか。私が到着する前に入口の状態を見ていたらしい。手慣れた人だ。
鉄扉を開け、地下に降りる。今日で二度目の階段だが、空気が変わる瞬間はやはり心が弾んだ。湿った石と金属の匂い。地上とは切り離された、千年前の空間。
昨日のスケッチを確認しながら、まず主幹路の分岐点まで移動した。
測量を始めた。
三脚を据え、測距儀をセットする。水準器で傾きを確認し、壁面までの距離を測る。通路の幅、天井高、壁面の角度。数値を記録板に書き込んでいく。
地味な作業だ。一点ごとに三脚を移動し、測距儀を据え直し、数値を読み取る。研究機関の実習では、これが一日八時間、三日間続いた。遺跡調査の華やかさとは無縁の、地道な計測の繰り返し。
だが数値は嘘をつかない。
通路の幅は、入口付近の二メートルから奥に進むにつれて広がっていた。二・三メートル、二・五メートル。天井高も同様に上がっている。末端に向かって狭くなるのが通常の構造だ。逆に広がっているということは——
「やっぱり主幹路だ」
私は記録板に数値を書き込みながら、独り言を言った。
さらに奥へ進んだ。昨日の調査範囲を超え、未踏の区間に入る。トーマが先行し、足元と天井を確認してから私を通す。その手順は一度も乱れなかった。
通路は緩やかに下り続けていた。傾斜を測る。三度。一定の勾配で、より深い地下へ向かっている。
空気の流れが変わった。
それまで淀んでいた空気が、微かに動いている。前方から——奥の方から、風が来ていた。
風が吹くということは、空間があるということだ。
私は足を止め、手のひらを前に差し出した。冷たい空気が指の隙間を通り抜ける。流速は弱いが、確かに存在する。
「この先に空間があります」
トーマに向かって言った。彼は頷き、先行した。十メートルほど進んだところで立ち止まり、携帯灯を掲げた。
「通路が広くなっています。天井が高い。安全は確認できます」
私は彼の後に続いた。
通路が途切れた瞬間、足が止まった。
闇が広がっていた。
携帯灯の光が壁面に届かない。天井も見えない。光の輪の外は、ただ黒い。通路ではずっと壁面に反射していた灯りが、ここでは闇に吸い込まれて消えた。二つの小さな光源だけが、底の見えない空間に浮かんでいる。
空気が変わっていた。通路の湿った空気とは違う、広い空間特有の乾いた冷気。肌が粟立った。寒さではない——空間の規模を、体が先に感じ取っている。
「——大きい」
声が反響した。残響が闇の中を走り、遠くで薄れて消えた。かなり広い。講堂くらいはあるかもしれない。
壁際まで歩き、測距儀をセットした。壁面に光を当て、距離を測る。反対側の壁までの距離は——
「十八メートル」
思わず声が出た。測距儀の数値を二度確認する。間違いない。幅十八メートルの空間が、通路の先に広がっていた。
奥行きも測った。二十三メートル。天井高は六メートル以上。
私は記録板に数値を書き込む手が震えるのを感じた。
末端区画にこの規模の空間が存在するはずがない。記録上「小規模」とされていた港区地下遺跡に、十八メートル×二十三メートルの大空間がある。昨日の主幹路の発見と合わせれば、この遺跡の公式記録は根本から見直しが必要になる。
壁面に携帯灯を近づけた。回路構造が密集している。主幹路と同じく四方向分岐が見られ、さらに複雑な階層構造を形成していた。
私は夢中でスケッチを始めた。
壁面に走る回路の密度。分岐の構造。線の太さの変化。ここは主幹路の結節点——複数の幹線が合流する場所かもしれない。だとすれば、この遺跡はデルガの地下ネットワークのかなり重要な部分を担っていたことになる。
「——地層の厚さと回路の密度に相関があるんです。浅い層では回路が疎で単純だけど、深くなるほど密度が上がって分岐が複雑になる。これはエネルギー供給の問題じゃなくて、情報処理の容量に関係しているはずで——この大空間の壁面を見てください、ここの密度は入口付近の三倍以上ある、ということはこの空間自体が何らかの中枢機能を持っていた可能性があって——」
私は壁面を指しながら、スケッチブックに描きながら、同時に喋っていた。誰に向かって喋っていたのかは、正直よくわからない。測量データと回路構造の観察結果が頭の中で繋がり始めると、言葉にして出さないと整理できなくなる。悪い癖だと自覚はしている。
「——つまりこの空間は、主幹路の分岐点ではなく、情報を集約する結節点として設計された可能性が高い。だとすればここから少なくとも三方向以上に主幹路が伸びているはずで、それぞれの行き先を測量すれば、ネットワークの概略図が——」
ふと、自分が息継ぎなしで喋り続けていたことに気づいた。
振り返った。
トーマが三メートルほど後ろに立っていた。携帯灯を高い位置に掲げ、私がスケッチしている壁面と記録板の両方に光が当たるようにしている。いつものように、何も言わずに。
「……すみません。聞いても面白くないですよね」
恥ずかしさで頬が熱くなった。早口で専門用語を並べ立てて、護衛の人に向かって何を語っているのか。相手は冒険者だ。回路密度の話など興味があるはずがない。
トーマは少し間を置いて、言った。
「地層の厚さと回路の密度が比例するという話でしたか」
私は目を瞬いた。
それは私が最初に言ったことの要約だった。長々と話した中から、核となる仮説だけを正確に抜き出している。専門用語は使っていないが、意味は合っている。
「……聞いていたんですか」
「仕事ですから」
短い返答だった。遺跡護衛の経験が長いと言っていた。現場の情報を聞き取るのに慣れているのだろう。
私はスケッチブックに目を戻した。胸の奥に妙な温かさがあったが、それが何なのかは考えなかった。単に、自分の話をちゃんと聞いてもらえたことが意外だっただけだろう。研究機関では同僚相手でも、ここまで正確に要約されたことはなかった。
よく聞く人だ。それだけのことだ。
大空間の測量を続けていたときだった。
足元が揺れた。
微かな振動。地震ではない。もっと深いところから——地下のさらに下から、何かが伝わってきた。
私は測距儀から目を離し、床に手をついた。石の表面を通じて、振動が指先に伝わる。規則的なリズムではない。一度だけの、短い脈動。
トーマも足を止めていた。彼は壁に手を当て、しばらく動かなかった。
「感じましたか」
「はい。下からです」
下から。この大空間のさらに下に、何かがある。
振動はすぐに収まった。あまりに短く、弱いものだったので、気のせいだと言われれば否定できない程度だ。だが私の手のひらには確かに残っていた。石を通じて伝わってきた、何かの脈動。
旧文明の遺跡には、まれに「生きている」回路が存在する。千年を経てもなお微量の魔素を循環させ、機能を維持している構造体。それが振動の原因である可能性はある。
だが、それを確認するにはもっと深い場所に行かなければならない。今日の装備と調査権限では、ここまでが限界だった。
「今日はここまでにします」
私は記録板を閉じ、測距儀を三脚から外した。
地上への帰路、私は何度も振り返った。闇の奥に消えていく大空間。その下に眠る、まだ見ぬ何か。
トーマは何も言わず、最後尾を歩いていた。私が振り返るたびに、彼の携帯灯が通路の先を照らしているのが見えた。
地上に出ると、午後の陽射しが眩しかった。目が慣れるまで、しばらく入口の日陰に立っていた。
測量器具を鞄に詰め直しているとき、右肩が軋んだ。朝から担ぎ続けた重みが蓄積していた。顔に出さないようにしたが、鞄を持ち上げるとき、つい息が漏れた。
「局舎まで運びます」
トーマが言った。
「いえ、大丈夫です——」
「測量器具は精密機器です。疲労した状態で運ぶと破損のリスクがあります」
それは正論だった。測距儀は衝撃に弱い。肩が痺れた状態でよろけでもしたら、修理に時間がかかる。
「……お願いします」
トーマは鞄を片手で受け取った。私が両手で抱えていた重さを、彼は片手で持ち上げた。当然だろう。護衛冒険者の体力と、机に向かって四年過ごした調査官の体力は、比べるまでもない。
倉庫街の通りを歩きながら、私は記録板を読み返していた。大空間の測量データ。十八メートル×二十三メートル×六メートル以上。回路密度は入口付近の三倍。
足元に段差があった。
つまずきかけた瞬間、前方を歩いていたトーマが立ち止まった。振り返りもせずに。
私は段差を踏み越え、そのまま歩き続けた。彼が立ち止まったのは偶然だろう。あるいは前方の安全確認をしていたのかもしれない。
記録板に目を戻した。
大空間の壁面回路は、少なくとも三方向への主幹路接続を示唆している。明日はその接続点の確認が必要だ。
局舎でヴァルトに報告した。
大空間の発見。測量データ。主幹路の結節点の可能性。そして振動。
「振動だと」
ヴァルトの目が細くなった。
「ごく微かなものです。一度きりで、継続はありませんでした。原因は不明です。活性回路の可能性はありますが、現時点では推測の域を出ません」
「活性回路……」
ヴァルトは腕を組んだ。活性回路が残っている遺跡は、調査の優先度が跳ね上がる。同時に、危険度も上がる。
「調査範囲を広げる。大空間から伸びる主幹路の方向と距離を確認したい。測量の継続を許可していただけますか」
「許可する。ただし、振動が再発した場合は即座に撤退しろ。活性回路が不安定な遺跡で事故が起きれば、調査自体が凍結される」
「承知しました」
私は頭を下げた。
「護衛の継続も手配する。同じ冒険者でいいな」
「はい。トーマさんは現場の判断が的確で、調査の妨げになりません」
妨げにならない。私がそう言ったとき、ヴァルトの口元が微かに動いた。笑ったのかもしれないが、すぐに元の顔に戻った。
「明日も〇七〇〇で」
「はい」
局舎を出ると、トーマは門の前で待っていた。鞄を返しながら、私は言った。
「ありがとうございました。明日もお願いします」
「承知しました」
トーマは少し間を置いて、付け加えた。
「測量器具は、明朝こちらで受け取ります。局舎の備品室から直接で構いません」
つまり、朝の移動時に私が重い鞄を運ばなくていいように、ということだ。調査効率を考えれば合理的な提案だった。荷物で疲労していては現場に集中できない。
「助かります。ではそのように」
トーマは頷き、港区の方へ歩いていった。
私は宿への道を歩きながら、今日の記録を頭の中で整理した。大空間。結節点。三方向の主幹路。そして振動。
千年前の地下で、何かがまだ動いている。
その正体を知りたい。
宿に着いて、ベッドに腰を下ろしたとき、ようやく肩の痛みを思い出した。右肩を回すと、鈍い軋みが走る。明日からはトーマが測量器具を運んでくれる。あの重さを片手で持ち上げた人だ。
枕元にスケッチブックを置いた。灯りを消すと、闇が落ちてきた。
昼間の地下と同じ闇——ではない。あの大空間の闇には、底知れない広がりがあった。二つの携帯灯だけが浮かんでいた、あの感覚。
そして、あの振動。地下のさらに下から伝わってきた、一度きりの脈動。
あれは何だったのだろう。
三脚、測距儀、水準器、巻尺、記録板。それにスケッチブックと携帯灯。鞄に詰め込むと肩紐が食い込んで、倉庫街の階段を降りる頃には右肩が痛み始めていた。
入口にはトーマが先に来ていた。時刻は〇六五五。私より五分早い。
「おはようございます」
「おはようございます。空気は昨日と変わりありません」
もう確認していたのか。私が到着する前に入口の状態を見ていたらしい。手慣れた人だ。
鉄扉を開け、地下に降りる。今日で二度目の階段だが、空気が変わる瞬間はやはり心が弾んだ。湿った石と金属の匂い。地上とは切り離された、千年前の空間。
昨日のスケッチを確認しながら、まず主幹路の分岐点まで移動した。
測量を始めた。
三脚を据え、測距儀をセットする。水準器で傾きを確認し、壁面までの距離を測る。通路の幅、天井高、壁面の角度。数値を記録板に書き込んでいく。
地味な作業だ。一点ごとに三脚を移動し、測距儀を据え直し、数値を読み取る。研究機関の実習では、これが一日八時間、三日間続いた。遺跡調査の華やかさとは無縁の、地道な計測の繰り返し。
だが数値は嘘をつかない。
通路の幅は、入口付近の二メートルから奥に進むにつれて広がっていた。二・三メートル、二・五メートル。天井高も同様に上がっている。末端に向かって狭くなるのが通常の構造だ。逆に広がっているということは——
「やっぱり主幹路だ」
私は記録板に数値を書き込みながら、独り言を言った。
さらに奥へ進んだ。昨日の調査範囲を超え、未踏の区間に入る。トーマが先行し、足元と天井を確認してから私を通す。その手順は一度も乱れなかった。
通路は緩やかに下り続けていた。傾斜を測る。三度。一定の勾配で、より深い地下へ向かっている。
空気の流れが変わった。
それまで淀んでいた空気が、微かに動いている。前方から——奥の方から、風が来ていた。
風が吹くということは、空間があるということだ。
私は足を止め、手のひらを前に差し出した。冷たい空気が指の隙間を通り抜ける。流速は弱いが、確かに存在する。
「この先に空間があります」
トーマに向かって言った。彼は頷き、先行した。十メートルほど進んだところで立ち止まり、携帯灯を掲げた。
「通路が広くなっています。天井が高い。安全は確認できます」
私は彼の後に続いた。
通路が途切れた瞬間、足が止まった。
闇が広がっていた。
携帯灯の光が壁面に届かない。天井も見えない。光の輪の外は、ただ黒い。通路ではずっと壁面に反射していた灯りが、ここでは闇に吸い込まれて消えた。二つの小さな光源だけが、底の見えない空間に浮かんでいる。
空気が変わっていた。通路の湿った空気とは違う、広い空間特有の乾いた冷気。肌が粟立った。寒さではない——空間の規模を、体が先に感じ取っている。
「——大きい」
声が反響した。残響が闇の中を走り、遠くで薄れて消えた。かなり広い。講堂くらいはあるかもしれない。
壁際まで歩き、測距儀をセットした。壁面に光を当て、距離を測る。反対側の壁までの距離は——
「十八メートル」
思わず声が出た。測距儀の数値を二度確認する。間違いない。幅十八メートルの空間が、通路の先に広がっていた。
奥行きも測った。二十三メートル。天井高は六メートル以上。
私は記録板に数値を書き込む手が震えるのを感じた。
末端区画にこの規模の空間が存在するはずがない。記録上「小規模」とされていた港区地下遺跡に、十八メートル×二十三メートルの大空間がある。昨日の主幹路の発見と合わせれば、この遺跡の公式記録は根本から見直しが必要になる。
壁面に携帯灯を近づけた。回路構造が密集している。主幹路と同じく四方向分岐が見られ、さらに複雑な階層構造を形成していた。
私は夢中でスケッチを始めた。
壁面に走る回路の密度。分岐の構造。線の太さの変化。ここは主幹路の結節点——複数の幹線が合流する場所かもしれない。だとすれば、この遺跡はデルガの地下ネットワークのかなり重要な部分を担っていたことになる。
「——地層の厚さと回路の密度に相関があるんです。浅い層では回路が疎で単純だけど、深くなるほど密度が上がって分岐が複雑になる。これはエネルギー供給の問題じゃなくて、情報処理の容量に関係しているはずで——この大空間の壁面を見てください、ここの密度は入口付近の三倍以上ある、ということはこの空間自体が何らかの中枢機能を持っていた可能性があって——」
私は壁面を指しながら、スケッチブックに描きながら、同時に喋っていた。誰に向かって喋っていたのかは、正直よくわからない。測量データと回路構造の観察結果が頭の中で繋がり始めると、言葉にして出さないと整理できなくなる。悪い癖だと自覚はしている。
「——つまりこの空間は、主幹路の分岐点ではなく、情報を集約する結節点として設計された可能性が高い。だとすればここから少なくとも三方向以上に主幹路が伸びているはずで、それぞれの行き先を測量すれば、ネットワークの概略図が——」
ふと、自分が息継ぎなしで喋り続けていたことに気づいた。
振り返った。
トーマが三メートルほど後ろに立っていた。携帯灯を高い位置に掲げ、私がスケッチしている壁面と記録板の両方に光が当たるようにしている。いつものように、何も言わずに。
「……すみません。聞いても面白くないですよね」
恥ずかしさで頬が熱くなった。早口で専門用語を並べ立てて、護衛の人に向かって何を語っているのか。相手は冒険者だ。回路密度の話など興味があるはずがない。
トーマは少し間を置いて、言った。
「地層の厚さと回路の密度が比例するという話でしたか」
私は目を瞬いた。
それは私が最初に言ったことの要約だった。長々と話した中から、核となる仮説だけを正確に抜き出している。専門用語は使っていないが、意味は合っている。
「……聞いていたんですか」
「仕事ですから」
短い返答だった。遺跡護衛の経験が長いと言っていた。現場の情報を聞き取るのに慣れているのだろう。
私はスケッチブックに目を戻した。胸の奥に妙な温かさがあったが、それが何なのかは考えなかった。単に、自分の話をちゃんと聞いてもらえたことが意外だっただけだろう。研究機関では同僚相手でも、ここまで正確に要約されたことはなかった。
よく聞く人だ。それだけのことだ。
大空間の測量を続けていたときだった。
足元が揺れた。
微かな振動。地震ではない。もっと深いところから——地下のさらに下から、何かが伝わってきた。
私は測距儀から目を離し、床に手をついた。石の表面を通じて、振動が指先に伝わる。規則的なリズムではない。一度だけの、短い脈動。
トーマも足を止めていた。彼は壁に手を当て、しばらく動かなかった。
「感じましたか」
「はい。下からです」
下から。この大空間のさらに下に、何かがある。
振動はすぐに収まった。あまりに短く、弱いものだったので、気のせいだと言われれば否定できない程度だ。だが私の手のひらには確かに残っていた。石を通じて伝わってきた、何かの脈動。
旧文明の遺跡には、まれに「生きている」回路が存在する。千年を経てもなお微量の魔素を循環させ、機能を維持している構造体。それが振動の原因である可能性はある。
だが、それを確認するにはもっと深い場所に行かなければならない。今日の装備と調査権限では、ここまでが限界だった。
「今日はここまでにします」
私は記録板を閉じ、測距儀を三脚から外した。
地上への帰路、私は何度も振り返った。闇の奥に消えていく大空間。その下に眠る、まだ見ぬ何か。
トーマは何も言わず、最後尾を歩いていた。私が振り返るたびに、彼の携帯灯が通路の先を照らしているのが見えた。
地上に出ると、午後の陽射しが眩しかった。目が慣れるまで、しばらく入口の日陰に立っていた。
測量器具を鞄に詰め直しているとき、右肩が軋んだ。朝から担ぎ続けた重みが蓄積していた。顔に出さないようにしたが、鞄を持ち上げるとき、つい息が漏れた。
「局舎まで運びます」
トーマが言った。
「いえ、大丈夫です——」
「測量器具は精密機器です。疲労した状態で運ぶと破損のリスクがあります」
それは正論だった。測距儀は衝撃に弱い。肩が痺れた状態でよろけでもしたら、修理に時間がかかる。
「……お願いします」
トーマは鞄を片手で受け取った。私が両手で抱えていた重さを、彼は片手で持ち上げた。当然だろう。護衛冒険者の体力と、机に向かって四年過ごした調査官の体力は、比べるまでもない。
倉庫街の通りを歩きながら、私は記録板を読み返していた。大空間の測量データ。十八メートル×二十三メートル×六メートル以上。回路密度は入口付近の三倍。
足元に段差があった。
つまずきかけた瞬間、前方を歩いていたトーマが立ち止まった。振り返りもせずに。
私は段差を踏み越え、そのまま歩き続けた。彼が立ち止まったのは偶然だろう。あるいは前方の安全確認をしていたのかもしれない。
記録板に目を戻した。
大空間の壁面回路は、少なくとも三方向への主幹路接続を示唆している。明日はその接続点の確認が必要だ。
局舎でヴァルトに報告した。
大空間の発見。測量データ。主幹路の結節点の可能性。そして振動。
「振動だと」
ヴァルトの目が細くなった。
「ごく微かなものです。一度きりで、継続はありませんでした。原因は不明です。活性回路の可能性はありますが、現時点では推測の域を出ません」
「活性回路……」
ヴァルトは腕を組んだ。活性回路が残っている遺跡は、調査の優先度が跳ね上がる。同時に、危険度も上がる。
「調査範囲を広げる。大空間から伸びる主幹路の方向と距離を確認したい。測量の継続を許可していただけますか」
「許可する。ただし、振動が再発した場合は即座に撤退しろ。活性回路が不安定な遺跡で事故が起きれば、調査自体が凍結される」
「承知しました」
私は頭を下げた。
「護衛の継続も手配する。同じ冒険者でいいな」
「はい。トーマさんは現場の判断が的確で、調査の妨げになりません」
妨げにならない。私がそう言ったとき、ヴァルトの口元が微かに動いた。笑ったのかもしれないが、すぐに元の顔に戻った。
「明日も〇七〇〇で」
「はい」
局舎を出ると、トーマは門の前で待っていた。鞄を返しながら、私は言った。
「ありがとうございました。明日もお願いします」
「承知しました」
トーマは少し間を置いて、付け加えた。
「測量器具は、明朝こちらで受け取ります。局舎の備品室から直接で構いません」
つまり、朝の移動時に私が重い鞄を運ばなくていいように、ということだ。調査効率を考えれば合理的な提案だった。荷物で疲労していては現場に集中できない。
「助かります。ではそのように」
トーマは頷き、港区の方へ歩いていった。
私は宿への道を歩きながら、今日の記録を頭の中で整理した。大空間。結節点。三方向の主幹路。そして振動。
千年前の地下で、何かがまだ動いている。
その正体を知りたい。
宿に着いて、ベッドに腰を下ろしたとき、ようやく肩の痛みを思い出した。右肩を回すと、鈍い軋みが走る。明日からはトーマが測量器具を運んでくれる。あの重さを片手で持ち上げた人だ。
枕元にスケッチブックを置いた。灯りを消すと、闇が落ちてきた。
昼間の地下と同じ闇——ではない。あの大空間の闇には、底知れない広がりがあった。二つの携帯灯だけが浮かんでいた、あの感覚。
そして、あの振動。地下のさらに下から伝わってきた、一度きりの脈動。
あれは何だったのだろう。
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