遺跡の謎は全部解くのに、護衛の好意だけ気づかない調査官

蒼月よる

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第3話 未分類の回路

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 調査四日目に、新区画を見つけた。
 二日目に発見した大空間——私はスケッチブックに「結節点」と仮称を記していた——からは、三方向に主幹路が伸びていた。東方向は入口側。北方向は測量の結果、約五十メートル先で崩落により閉塞していた。残る南西方向を追っていたときだった。通路の壁面に、小さな亀裂があった。自然の地質的なひび割れではない。継ぎ目の接合材が劣化して、隙間ができている。
 トーマが亀裂に携帯灯を近づけた。
「奥に空間があります。風が抜けている」
 彼は亀裂の縁を手で確かめ、構造の安定性を見ていた。
「壁材が一枚、外れかけています。押せば開きますが、奥の安全は確認できません」
 私は足を止めた。既知区画の範囲を超える発見は報告が必要だ。だが、報告してから戻ってきたのでは時間がかかる。今日の調査時間内に確認できるなら、効率がいい。
「入れますか」
「亀裂の幅からすると、人が通れる大きさまで開くと思います。ただ、壁の向こうの構造が不安定な可能性がある」
 私は亀裂に顔を近づけた。奥から来る空気は乾いていて、大空間より温度が高い。深い場所だ。
「入りたいです」
「少し待ってください」
 トーマは壁材の状態を丁寧に確認した。指先で縁をなぞり、打音を聞き、隣接する壁材の安定性を見る。五分ほどかけてから、「大丈夫です」と言った。
 壁材を押し開けると、人一人が通れる隙間ができた。トーマが先に入り、携帯灯で内部を照らした。
「通路です。幅は一・五メートル。天井は低い。私は屈まないと進めません」
 私が入ると、五メートルほど進んだところで頭上が軋んだ。
 トーマの手が私の肩に触れた。
「止まってください」
 低い声。私は息を止めた。
 天井の継ぎ目から砂と小石がぱらぱらと落ちてきた。壁材が微かにずれている。
 三秒、五秒。軋みが止まった。
「通過してください。ゆっくり」
 トーマが天井を片手で押さえたまま、私を先に通した。通り過ぎるとき、彼の腕の筋が浮いているのが見えた。
 通過してから振り返ると、トーマは静かに手を離した。壁材はもう動かなかった。
「……ありがとうございます」
「この先、天井に注意してください」
 心臓がまだ速い。だが、深呼吸を一つして、壁面に目を向けた。
 そして、目が釘付けになった。
 回路構造が一変していた。
 大空間までの主幹路は、直線と規則的な分岐で構成されていた。情報伝達系の基本構造——教科書通りの幹線回路だ。
 ここは別物だった。
 壁面を覆うように走る紋様は、密度が極端に高い。線は細く、分岐は複雑で、層状に重なっている。一つの面に三層、四層と回路が積み重なり、それぞれが異なるパターンで走っている。
 私は思わず壁に手を伸ばしかけて、止めた。触れてはいけない。記録が先だ。
 スケッチブックを開いた。
 描き始めると、この回路構造の設計思想が少しずつ見えてきた。主幹路の回路は「通す」ための設計だった。ある地点から別の地点へ情報を伝える、一方向の流れ。
 ここの回路は「処理する」ための設計に見えた。
 入ってきた情報を分岐させ、層ごとに異なる処理をかけ、結果を統合する。旧文明の技術体系でこれに対応する概念を私は知らない。だが機能から逆算すれば、何らかの演算装置に類するものだ。
「ただの居住区じゃない」
 私は壁面に向かって呟いた。
「何かを繋いでいた施設です。情報を受け取って、処理して、別の場所に送る。中継と処理を兼ねた……交換局のようなもの」
 手が止まらなかった。スケッチブックのページを次々とめくりながら、回路構造を描いていく。
 層の一つ一つを分離して描く。第一層は主幹路と同じ直線基調の伝達系。第二層は曲線を含む処理系。第三層はさらに細い線で構成された——何だろう、これは。フィードバック回路のように見える。処理結果を入力に戻す循環構造。
 循環型。つまり、一度出した答えをもう一度入口に戻して、もう一度処理する。繰り返すたびに精度が上がる——そういう仕組みだ。
 旧文明の回路構造に循環型が存在するという報告は、私の知る限りない。論文にも教科書にもなかった。
 この区画だけで十ページ分の記録になった。
 通路は新区画の奥へと続いていた。天井が低いため、トーマは常に屈んだ姿勢で先行していた。窮屈そうだったが、文句は一つも言わなかった。安全を確認するたびに私が続く。新区画に入ってからは、彼が安全確認に費やす時間が明らかに長くなった。
 壁材の状態。天井の支持構造。床面のひび割れ。一つ一つを確認してから、「どうぞ」と言う。
 護衛が丁寧な人で助かる。新区画は構造が不安定で、不用意に進めば壁材が崩れる可能性がある。私一人なら、興奮のあまり確認を怠って怪我をしていたかもしれない。
 研究機関の教授が言っていた。「遺跡で死ぬのは、いつも二番目に入った部屋だ」と。最初の部屋では慎重だが、二番目で油断する。新区画の興奮に巻かれて安全確認を忘れる調査官は多い。
 その点、トーマは一切手を抜かない。新区画だろうが既知区画だろうが、同じ精度で安全を確認する。職業意識の高い護衛だ。仕事を任せられる。
 私の頭は、すぐに次の壁面の回路に戻った。
 ただ一度だけ、低い天井に頭をぶつけそうになったことがあった。スケッチに夢中で天井の高さを忘れていた。頭が梁にぶつかる寸前で、トーマの手が私の頭の上に伸びた。彼の掌が梁との間に入り、衝撃を受け止めた。
「天井、低いです」
「あ——はい。すみません」
 私は頭を下げた。文字通り、物理的に頭を下げた。トーマは何事もなかったように手を下ろし、先へ進んだ。
 護衛は依頼主の安全を守るのが仕事だ。頭をぶつけそうになった依頼主を庇うのは当然だろう。私はスケッチブックに目を戻した。

 新区画の奥で、さらに重要な発見があった。
 壁面の回路が、初日に見つけた未分類のパターンと接続していた。
 主幹路の壁面にあった未分類パターンは、孤立した断片に見えていた。だがここでは、新区画の処理系回路と繋がっている。つまり未分類パターンは、この「交換局」の処理回路の一部だった可能性がある。
 全体像が少しだけ見えてきた。主幹路で情報を運び、この新区画で処理する。未分類の回路は、その処理機能に関わるパターンだ。
 だとすれば——この遺跡は、もっと大きなネットワークの一部だ。ここだけで完結していない。デルガの地下だけでなく、もしかしたらもっと遠くまで。外部と接続している。
 背筋に冷たいものが走った。興奮だった。恐怖ではない。千年前の設計者が築いたネットワークの規模を想像すると、自分がいま立っている場所の意味が変わる。この通路は、ただの通路ではない。巨大な仕組みの中の、一つの歯車だ。
「記録を取りたい。あと一時間——いえ、二時間ください」
「問題ありません」
 トーマの返答はいつも同じだった。短く、的確で、余計なことを言わない。
 私はしゃがみ込んで、壁面の低い位置にある回路の接続部を描いた。ここが未分類パターンと処理系回路の結合点だ。線の接続角度が独特で、既知のどの工法とも異なる。
 描いている間、携帯灯の光が常に最適な角度で壁面を照らしていた。私が位置を変えるたびに、光もそれに合わせて動いた。風の仕業ではない。この地下に風はほとんどない。
 気のせいだろうか。携帯灯の光源が揺れているだけかもしれない。私はスケッチに集中を戻した。

 帰路は来た道を戻る。
 新区画から結節点へ、結節点から主幹路へ。来るときには気づかなかったが、主幹路の壁面にも処理系の回路が微かに走っていた。新区画を見た後だからこそわかる。この遺跡は最初から「処理」を前提にした構造だったのだ。
 階段を上る頃には、日が傾き始めていた。今日は地下にいる時間が長かった。
 測量器具はトーマが持っていた。二日目からそうなっている。だが私の鞄も軽くはなかった。今日は壁面のサンプル——接合材の破片をいくつか回収していた。スケッチブックは十ページ分の記録で膨らんでいるし、サンプルケースが鞄からはみ出していた。
 階段の途中で、鞄の肩紐がずれた。サンプルケースが滑り落ちそうになる。
 手を伸ばす前に、トーマがケースを受け止めていた。
「ああ、すみません——」
 私はケースを受け取ろうと手を出した。
「足場が悪いので」
 トーマはそう言って、ケースを自分の側に置いた。片手で軽々と持ち上げる。
 足場が悪い。確かに、地上に出る階段は傾斜が急で、鞄を抱えたまま登るのは不安定だった。依頼主が転倒して怪我をすれば護衛の責任になる。
「……すみません。ありがとうございます」
 トーマは何も言わなかった。サンプルケースを持ったまま、私の後ろを歩いている。
 階段で鞄を落とせばサンプルが壊れる。冒険者はそういう判断が速い。
 私は階段を上りながら、今日の発見を頭の中で整理し始めた。新区画の回路構造。処理系の設計思想。未分類パターンとの接続。外部ネットワークとの関係。循環型フィードバック回路の存在。
 記録しなければならないことが山のようにある。報告書。スケッチの清書。回路パターンの分類表——いや、分類できないから未分類なのだ。既存の四類型に収まらない回路構造を記述するための、新しい分類体系を提案する必要がある。研究機関の教授たちが読んだら、何と言うだろう。「根拠が足りない」と一蹴されるか、「これは面白い」と身を乗り出すか。おそらく両方だ。
 トーマがサンプルケースを持っていることは、もう頭から消えていた。

 ヴァルトへの報告は、いつもより長くなった。
 新区画の発見。回路構造の変質。処理系の設計思想。未分類パターンとの接続。外部ネットワークの示唆。
 ヴァルトは腕を組んで聞いていた。スケッチブックを受け取り、新区画の回路構造を描いたページを一枚一枚めくった。
「交換局。面白い見立てだな」
「まだ仮説です。回路構造の分析を進めないと断言はできません。ただ、設計思想が主幹路とは明らかに異なります。この区画は——何か特殊な機能を持っていた」
 ヴァルトはスケッチブックを閉じ、机に置いた。
「調査の優先度を引き上げる。週明けに本局へ報告を上げる。追加の人員と予算を申請する」
 私の胸が躍った。優先度の引き上げ。それは、この遺跡が調査局として重要だと認められたということだ。配属四日目の新任調査官の発見が、局全体を動かす。
「人員の追加は——」
「当面はお前一人だ。本局が動くまでに時間がかかる。それまでに記録を固めておけ」
「はい」
 一人で構わない。むしろ、この遺跡を最初に記録するのが自分であることが嬉しかった。他の調査官が来る前に、できる限り多くのデータを集めたい。
「それと——」
 ヴァルトが続けた。
「回路パターンのスケッチ、鑑定士に見せたい。未分類のパターンが何なのか、別の角度からの分析が要る」
「鑑定士ですか」
「デルガで一番腕のいい遺物鑑定士がいる。面倒くさい男だが、腕は確かだ。名前はノルという。紹介状を書く」
 ノル。聞いたことのない名前だった。鑑定士と調査官は専門領域が異なる。調査官は遺跡の構造を読み、鑑定士は遺物の性質を読む。だが回路構造は、その両方にまたがる領域だ。
「お願いします」
「明日、工房に行け。スケッチブックを持ってな」
 ヴァルトは紹介状を書きながら、付け加えた。
「言っておくが、愛想のない男だ。初対面で無礼なことを言われても気にするな」
 私は頷いた。腕が確かなら、性格は問わない。研究機関にも偏屈な教授は何人もいた。学者というのは——いや、鑑定士は学者ではないのか。いずれにせよ、専門家に社交性を求めるのは間違っている。
 局舎を出ると、夕暮れの街が広がっていた。丘の上から見下ろす港が、茜色に染まっている。船の帆柱が夕日のシルエットになって、入江を埋めていた。
 トーマは門の脇にいた。サンプルケースは局舎の備品室に預けてくれていた。
「明日は鑑定士の工房に行きます。地下には入りません」
「承知しました。工房までの随行は必要ですか」
 少し考えた。街中の移動に護衛は要らないだろう。だがヴァルトは明日もトーマを手配している。
「お願いします。スケッチブックを持ち歩くので」
 スケッチブックには四日分の調査記録が詰まっている。紛失したら取り返しがつかない。護衛付きで運ぶのは合理的だ。
「では、明朝。局舎で」
「はい」
 トーマが去った後、私は坂を下り始めた。足が軽かった。十ページ分の記録が詰まった鞄は重いはずなのに、体が勝手に歩いている。
 明日は鑑定士の工房に行く。未分類のパターンを見てもらう。この街で一番腕のいい鑑定士が、この回路に何を見出すか。
 夕風が港の匂いを運んできた。魚と塩と、金属の残り香。地下遺跡の空気と少しだけ似ている。
 ふと、さっきトーマが「随行は必要ですか」と聞いた声を思い出した。必要かと聞かれて、少し考えてしまった自分が不思議だった。スケッチブックの護衛は合理的だ。それ以外の理由はない。
 宿の扉を開けながら、明日のことを考えた。鑑定士は何を見出すだろう。私がまだ気づいていない何かを。
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