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2 白昼の追憶
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「……正気ですか?」
「さぁ、どうだろう。一度は死ぬつもりだったから、お前たちから見れば狂気の沙汰かもしれないね。だが、この国を乱したのは私と先代の罪なのだよ。先代はもう亡い。ならば、私が贖わなければ」
口元に薄く笑みを模りながら長兄は、対で作られた銀細工の首飾りと腕飾りを手に取った。それは、術や魔力を練り込めば効能を増幅する特徴を有した、魔鉱石と呼ばれる鉱物と銀を合金させることで作り出された、魔法具。
言葉を発そうとして、出来ない――嗚呼、これは記憶だ。
「この国で生涯を終える者の誰かに、私の手綱を握らせたい。誰でも構わんぞ? 飽きれば譲って、それで済む。迂闊に離れたところで私が死ぬだけなのだから」
ようやく肩にかかる髪を無所為にまとめ、首飾りを首に当てる。部屋にいる顔を順繰りに見渡して、長兄は差し込む陽光の中笑った。厳格でありつつも寛容な王者の微笑。
対の装身具を持ってきた魔法師――長兄のすぐ下の弟で、私にとっては二番目の異母兄である存在が、顔を隠すように眉間に指を当てるのが見えた。
「そのようなことを言われて、はい、そうですか。と安心できる者が居ますか。確かにその“鎖”は一定の条件から外れれば喉を絞めますが、気を失えば緩みます」
その条件は先ほど伝えた通りですが。と続けた彼に、明らかに安堵した空気の室内。長兄がからからと笑う。
「お前ならもう少し、えげつないものを作ると思ったのだけどね? サダルスード」
「あなたの喉に当てますのに、そのような物を作る筈がないでしょう」
継承権を放棄した次兄は答え、さて、と室内を一瞥する。つくりは秀麗だが、血色が悪く不健康そうな容貌。しかしその眼差しには、長兄とはまた違った威圧感がある。
長兄が居なければ、あるいは病弱でなければ、次代の王と目されたのは間違いなくこの次兄だったろう。この国と縁ある他国より嫁いで来た王女を母とする彼は、この国で誰より正統な王位継承者だ。あれが道を踏み外しても、次兄が王太子であれば継承争いはきっと起こらなかった。
しかし世の中は皮肉なもので、王位を継ぐことになったのは、その手腕で認めさせた長兄でも、最も正統だった次兄でもなく。実の母に疎まれた自分だった。
「俺が、その“鎖”の主に志願しましょう」
ずっと黙り込んでいた自分が突然発した言葉に長兄は、刹那虚を衝かれた様だった。次兄は僅かに俯いているので、その表情は見えない。
「……私は、嫌われてはいないにせよ、お前には苦手にされていると思っていたのだが」
その疑問は、全く以ってその通りだった。幼い頃は無邪気に慕っていたが、年を重ねるにつれて次第に劣等感が出て、この数年は素直に感情を出せなくなっていた。
「俺は、王として教育を受けていません。ご教授願いたいことは山とあります。なら、離れたところに居ていただくより、近くにいらした方が理にはかなっていましょう」
「優秀な師ならば、他に多く居るだろう?」
「勿論、彼らからも学びます。長兄上からは、直な体験をお聞きしたいのです」
近くで共に過ごせば、どうすれば良いのかが見えてこないかと、そのときの私は夢想したのだ。
そこで、場面が切り替わる。
「最近、顔色が優れないですね。医師でも呼びましょうか?」
少し遅めの昼食の後、執務に戻る前にこれも学びの一環と日課になっていたチェスを指していたときのことだ。
そう問いかけた私は、今になって思えばなんと的外れなことを言ったのか。仕立ては良いが地味な服装に身を包み、チェスの駒を進めた指で顎をつまんだ長兄は薄く苦笑した。
「城下に、よく知った者がいる。今宵にでも赴こう。“鎖”の範囲を広げておいてくれないか?」
「王宮にも医師はおりましょう」
「ただの気鬱だよ。王太后陛下の体調が思わしくない今、この程度で彼等を呼びつけるのも気の毒というものだ」
次兄の母である前王妃――現在の王太后と元王太子の仲は、意外に悪くない。次兄が継承権を放棄した折、険悪になった王妃の祖国との関係を提携して取り持って以来、一種の信頼関係が築かれているという。
顔を合わせることは少ないが、互いに相手を認めているのは明らかだ。ただ最も、些か毒気が強いようだが、体調を慮る程度には尊重しているらしい。
と、そんな考え事をしていたら王手を指された。確かこの時点では、まだ全敗記録を更新していたはずだ。現在に至っても、真っ当な勝負で勝てたためしが無いが。
「分かりました……あ、いや、分かった。では、王都全体まで範囲を広げる。夜明けまでには戻るように。護衛も抜かるなよ」
「恐れ入ります。陛下」
肩下まで伸びた髪を揺らして微笑み、ここまでですね、とチェスを片付ける姿。そこに潜む陰りに気付いていれば、何かが変わっていたのだろうか。
その時以来、多い時は月に二、三度、宮廷内や世情に不穏な動きがあった間はそれが一段落着いた辺りで、彼は王都へ出る事を願い出るようになった。
始めの二、三度は怪しまなかった。しかし、王太后の病が癒えてなお続く不可解さに、次第に疑念を抱くようになった。その頃には理由は多岐に渡っていたし、実際にそれも行っているようだったが、それだけではない違和感がずっと付いて回っていた。
長兄が城下へと伴う護衛は何人か居たが、全員長兄にのみ忠誠を誓っていたのでどれほど問い質しても、始めに提示される理由しか述べない。
とうとう私は長兄の行動を探らせるに至った。王室に仕える隠密は長らく長兄に仕えていたからあまりその方面では信頼出来ないと踏み、公爵家に降嫁し継承争い時は即座にこちらに下って来た関係で、それなりに交流のある異母妹を介し、別の者を雇わせさえした。
そうして、長兄が娼館に出入りして男娼を買い、抱かれている事実を知った。素性を明かしてはいないが、明らかに貴人の男が体を売るまでに身を落とした男に抱かれる。下世話な話の種となるには十分だろう。
ただ、髪を染め、雰囲気や言葉遣いを変え、無個性の馬車で中継する建物を不定期に変更して通うという徹底振りだったから、素性が明らかになることは早々ないだろう。
仮に知られても、揉み消すのは容易かったに違いない。――後から知ったことだが、長兄のそういった行動の補佐に、彼のかつての側近や配下達が程度の大小、情報の多少はあれど軒並み噛んでいた。隠密も、やはり噛んでいた。
私が探らせていた事実も当然知られていて――泳がされていて――長兄の元右腕で、現在は宰相として辣腕を揮う男に、軽率な行動は慎むよう釘を刺された。衝動で動くことの愚かさを毒舌交じりで訓戒された後、まだ早いと伝えなかったこちらにも非はある、ということで、強く咎めはされなかったが。
ともあれ、その事実が私にもたらした衝撃は大きかった。このときに私は、それまで気付かなかった長兄への肉欲を伴った感情を自覚した。
それまでは、おめでたいことに純粋に弟としての思慕だと思っていた。実際、長らくそれと敬意、そして僅かな劣等感だけだったのだから。
それが変質したきっかけは、後から思い返してみれば、まだあれが存命中に習慣だった夜の散策中、何度か出くわした長兄の、昼間とは対照的に翳りを帯びた艶姿だった。あれがいつ道を踏み外したかは知らないが、恐らくあの頃にはもう、逸れていたのだろう。
自覚した後の葛藤は、長かったように思う。少なくとも長兄は三度、王都へと下った。
私は、性的に淡白な方だった。あれの醜態を見てきた兄弟は大抵、性に関して冷めた視点を持つか、あれの右に倣うかで、私は前者だった。
どうせ抱くのなら男よりは女の方がまし。抱かずに済むならそれで良いと考えていたし、実際それで不自由していなかったというのに。放っておけば萎えたが、艶姿を思い出して中心が熱くなったのは一度や二度ではなかった。
悩んで悶えて迷って苦しんであがいてもがいて。
そしてその末に至った結論は、実際に確かめてみようという、問題の先送りこの上ないものだった。
実際に確かめて、もし欲望が本物だったら、と仮定することさえしなかった。欲望などあるはずが無い、と全く根拠の無い自信だけが満ちていた。
そのときは、それが一番妥当な方法だと錯覚した。
その「名案」がまとまると、自分でも呆れるほどに行動は早かった。
利用したのは、あれの傍に長く仕えていたが、狂気に踏み込んだと見るや、いっそ感心するほど見事な転身で私へ軽い頭を下げた男。その、長兄への劣等感混じりの征服欲。
正直、嫌悪しか催さず、実際薬・人身売買と黒い噂が絶えない相手だったが、その数学の強さは確かであったし、黒い噂の実態も中々掴めないでいた為、渋々使っていた。
長兄が重用していて今は私の下にある者達は尽く優秀だが、限られた頭数で国政が回るはずも無い。どの道玉石混合は必定で、その男はどちらかといえば玉に位置し、それなりに役に立ったのは確かだ。しかし、不可欠では無かった。
切り捨てる為に十分な情報と物証・人証が揃えば、もはや躊躇いはなく。それとなく唆し、ありもしない確執を仄めかせ、行動を起こすように仕向けた。
断頭台へ足を掛けさせる最後の一歩に長兄を利用し、直接の証拠で詰む選択肢を選んだ自分は、下衆なのかもしれない。
見せしめの意味も含めて、やや勿体つけた演出を加えた指示に宰相は仏頂面で、常の毒舌を交じえた忠告を寄越した。そして最後に、やるのなら誰かのせいにするな。下した決断一つ一つを背負い往け。と吐き捨てて指示に幾つか修正を加え、容れた。
その言葉の真意は、そのときは分からなかった。
指示が結実し、巧妙に偽装された薬を押収し、主人が捕らえられ、使用人も事情聴取で出払った屋敷の客間。
まだ高い日の差し込む其処で、媚薬を盛られて息も絶え絶えの長兄を見つけた。壁に取り付けられた扉を潜れば寝所へ通じる造りに、屋敷の主の好色が透けて見えるようだ。
「迎えに来ました。立てますか?」
「立てる……と言いたい所だが、難しいな」
寝そべってもさほど苦にならない長椅子の肘掛に上半身を預け、浅い息をしている長兄は、服から覗く肌を薄紅に染め、ひどく艶めかしかった。
長兄には、公人としての構えを解いたふとした瞬間にこぼれ落ちる艶があって、年若の文官やら入りたての侍女やらが時折被害を被っている。
そして今、媚薬のせいか普段は小出しの艶が惜しげもなくばらまかれていた。まだ白日の最中にあってその様は、ひどく背徳的だ。
なるほど、これならその気の無い男も血迷うかもしれない、とやけに冷静に考えながら近付けば、貝殻から削り出した留め具を全て外され露わになった首の根元に付けられたそれが目に付く。赤黒く、存在を主張する跡。
「……アスト?」
訝しげな声にも応える余裕がないまま、伸ばした指で触れる。そのまま触れるか触れないかの距離で肌の上をなぞれば、ひくりと震えるのが分かった。
首から、筋の筋をなぞるように二つ、三つ。
口の中で、我知らず奥歯を噛みしめる音がした。首筋で光る“鎖”の冷たさに、さらに下へと伸びそうになる掌を爪が食い込むほど握りこみ、留め具をどこかぎくしゃくとはめる。幾つかは引きちぎられたのか、無くなっていた。
「肩を貸します」
羽織っていた外套に掛けようとした手を、鍛錬は欠かしていないために力強い、しかしよく手入れの行き届いた指が掴む。
「長兄上?」
ゆるゆると持ち上げられた面。ばらりと乱れた髪の下から垣間見える紺碧の中で揺れる熱に、息が詰まった。
「…………いや、外は、冷えるだろう。お前は、そのまま羽織っていると良い。私も、少し、冷やしたい」
熱を恥じたのか伏目がちで手を下ろし、どうにか自力で立ち上がろうとする長兄に手前勝手な苛立ちが渦を巻く。
ひどく物欲しげな目をしておきながら自ら袖にし、あろうことかこのまま衆目の前へ出るという。意味ありげに視線を寄越しながら、確実なものは何も与えない売女のようだ。
普段は禁欲的な佇まいであるだけに、余計に性質の悪い。
事前に入手していた薬の傾向から見るに、彼に盛られた薬は、慰めた程度でどうにかなる代物ではないだろう。熱の引かない体を持て余して、どうするというのだ。
誰かを誑しこみ、あるいはあの娼館でまたどこの馬の骨とも知れない者共の好きにさせるのか? ああ、あぁ! なんて憎らしい!!
立ち上がるまでは危ういながらも行ったが、足を踏み出したところで力が抜けたようにくずおれる体躯を抱き止め、そのままもろとも床へ倒れこむ。分厚い絨毯のせいか、思ったより痛みはない。
布越しに触れる肌はどこもかしこもひどく熱く、布など無いものだと錯覚させるほどに湿っている。杉を基調に、隙なく研ぎ澄まされているがどこか魅惑的な香水が鼻孔に広がった。
自分の意識を遠く離れた腕が、本能のまま目の前の相手の体の輪郭をなぞる。
何を言われてもどんな非常時でも、常に冷静な部分を残せとこの暫くで叩き込まれつつある教育の成果が、ただの触れ合いというには密接で、色事にしては儀式めいた手付きだと、無感動に呟く。
「怪我は?」
射し入る日のように白々しい声だと思った。
そ知らぬ様子で身を起こさせ、立ち上がらせるために添えた手で更に、その身に燻る淫欲を煽る。長兄は、それに気付いているのか。疑っているが確信は持てないでいるか。それに思い至るほど余裕がないか。あるいは、腹違いとはいえ実の弟がそんな事を考えているとは思い及びもしないか。
見下ろした先の上気した顔には答えを決定付ける明確な要素は窺えず、その濡れたような瞳に映りこむ自身は、爛れた欲望など欠片も見えないやけに真に迫った労りの表情を浮かべていた。
「……大丈夫だ」
離れようとする動きを妨げない風に腕を引きながら、服の上からでも微かに見止められる胸の尖りを掠める。その喉が、甘さを含んだ吐息を漏らしかけて殺すのが見えた。
「相当効いていますね。薬が抜けるまでやはり休んでいかれますか?」
昂らされた肉体を両腕で抱えた長兄の肩を支え、長椅子へと促す。その次の瞬間、視界がぐるりと回って、背中に先ほどとは比べ物にならない衝撃が走った。
背中の感覚が痺れている。何が起きたのか、即座に把握しかねて目を瞬かせていると、濃く淹れた紅茶色の垂れ幕が顔の上に落ちかかってくる。否、髪だ。
獲物を追い詰めた肉食獣のように飢えた双眸が、薄く開かれた形の良い唇が近付く。強くなる香水に思わず目を伏せれば、宥めるように額に触れるものがあった。
驚いて目を開けば、獣の飢えを奥底にたたえながら、泣いているとも笑っているともつかない表情で長兄が見下ろしていた。
「恨んで良い。蔑んで良い。だから、今だけ許せ。……鎮めさせてくれ」
長椅子の背に体を預けて――長椅子に叩きつけられたのか。通りで衝撃の割に痛みが小さかった――私の顔を撫でると、どこかおぼつかない手つきで服を長椅子の下へと落とし始めた。
さして間を置かずに一糸まとわぬ姿になり、片方の手はたっぷりと唾液を纏わせて自らの後孔へ、もう一方を私の下半身へと滑らせる。手馴れた動きで下衣を寛げ、ろくに反応していない性器を取り出す。
後孔を解しているとはとても思えない平静さで頬に落ちる髪をかき上げ、検分するように私のものを数回指でなぞる。そして、そのまま股間へと顔を寄せた。
「長兄上?!」
確かに追い詰めるように、自ら望めば良いと思ってけしかけたが、まさかここまで躊躇がないとは思わなかった。
「下手に動くと、傷つけない保証はないぞ?」
押し出すようにどこか掠れた言葉の直後、性器を口に含まれる。熱い口腔内で舐られ、吸われ、絡められ、視界で火花が散った。
「ッ……く、ぅ」
男同士であるから、的確に感じる部分を刺激できるというのもあるだろう。しかしその手練手管は、そんなもので表現できる域を超えていた。
正しく、男を悦ばせるための技術。使う相手が居てこそ上がる代物だ。
息を一つ吐く毎に高められていく情欲に、熱を帯びたため息を漏らす。
元々完全には納まってはいなかったが、本格的に口に余りだした屹立に眉根を寄せ、長兄はおもむろに口から引き抜く。そしてその表情のまま腰を屹立の上に据えると、ゆっくりと落とした。
熱い。
きつい。
吸いついてくる。
挿れているこちらも苦しくなる窮屈さは、やはり、挿れられている方の負担でもあるのだろう。初めから眉間に寄っていた皺がさらに深くなっている。腰を落とす前はゆるく勃ち上がっていた性器も、心なしか力が無い。それでも僅かな快楽を拾い上げているのか、完全に萎えてはいなかった。
「ひ、あ……っ、ぐ」
男の泣き顔など気色が悪いだけだと思っていたのに。男性器に触れるなど死んでもごめんだと思っていたのに。
私の体の横に手を付き、先ほどより近付いた顔に手を伸ばす。うっすらと涙が目尻に滲んだ頬に触れ、もう片方の手で彼のものをすくい上げた。
少ないわけではないが豊富でもないだろう経験を思い起こしながら、ゆっくりと上下に擦る。裏筋とえらが交差する部分をくすぐれば、悲鳴にも似た嬌声が迸った。私を包みこむ襞がさらに収縮し、目の前の顔に白いものが飛び散った。
恍惚とした表情で顔に飛んだものを掬い、こちらに見せつけるように舐め上げる。厚みのある唇が卑猥に濡れている。先ほどまで私を咥えていた所だ。
そう認識して、途端に猛った性器に、それを裏付けるような呻きに、とうとう認めた。
自分は、長兄に欲情している。
涙と精とを舐め取り、性器を扱きながらつんと尖った乳首をつまみ、乳暈をなぞれば、面白いほどに反応が返る。そうして次第に目の前の肢体から緊張が抜け、痛いほどのしめ付けが緩んできたところで、耐えきれないとばかりに彼が動いた。
目に痛いほどの日の光の中、淫らに裸体が踊る。現実味の薄い光景はしかし、与えられる、信じられないような快感に真実だと解る。
ただ翻弄されるのは面白くなかったから、引き締まった臀部を揉みしだきながら下から突き上げれば、明らかに女のものではない、しかしひどく扇情的な声で啼いて何度目かの吐精をする。
少し体勢を変えようとして、長椅子の背に遮られる。ただ寝るには十分だが、ここで思うままに動くにはやや手狭だ。
仕方がないとその体勢のままどうにか自分も一度射精させ、縋るような締めつけに未練を残しながら抜く。長椅子に、自分の出したものが滴り落ちた。
「あぁっ」
恨みがましげな視線に、達したばかりの自身が早くも疼くのを感じながら、寝室へと繋がる扉を視線で示す。
「ここは少しばかり動きにくいですので、ね?」
それにこの長椅子は背中がつらい、と続ければ、色欲一色に染まっていた眼差しに逡巡が浮かんで消える。白濁の散った姿のまま彼は長椅子を下りると、幼子のような足取りで扉へと辿りついた。
もどかしげに取っ手に手を掛けながら振り向き、凄艶な流し目を寄越すと、そのまま寝室へと消える。
「ッ、誘いすぎだ!」
私はぞんざいに下衣を穿き直し、その後を追いかけた。
記憶を辿っていて今更ながら思うが、つくづく余裕がない。
あぁも我を忘れた長兄の姿は後にも先にもこれ一度だったから、もう少しじっくりと堪能するべきだったかもしれない。記憶を漁ってみても、完全に頭に血が上っていたこれ以降の自分は、委細も思い出せないほど目の前の相手に溺れていた。
白昼に眩んだ世界。眩んだのは、目だけではなかった。
自分の置かれた状況さえも眩み、鍛えられつつあった視野が狭窄した。
初めから、叶う見込みのない片恋だった。だから自戒を巻いたのに、噛み千切ってしまった。
全く以って、愚行としか言いようがない。しかし、それでも、自分は例え時を巻き戻せたとしても同じ愚かさを繰り返すのだろう。
どこかが歪に捻じれた心で、きっと、悲痛に揺らぐ紺碧に嗤うのだろう。
「さぁ、どうだろう。一度は死ぬつもりだったから、お前たちから見れば狂気の沙汰かもしれないね。だが、この国を乱したのは私と先代の罪なのだよ。先代はもう亡い。ならば、私が贖わなければ」
口元に薄く笑みを模りながら長兄は、対で作られた銀細工の首飾りと腕飾りを手に取った。それは、術や魔力を練り込めば効能を増幅する特徴を有した、魔鉱石と呼ばれる鉱物と銀を合金させることで作り出された、魔法具。
言葉を発そうとして、出来ない――嗚呼、これは記憶だ。
「この国で生涯を終える者の誰かに、私の手綱を握らせたい。誰でも構わんぞ? 飽きれば譲って、それで済む。迂闊に離れたところで私が死ぬだけなのだから」
ようやく肩にかかる髪を無所為にまとめ、首飾りを首に当てる。部屋にいる顔を順繰りに見渡して、長兄は差し込む陽光の中笑った。厳格でありつつも寛容な王者の微笑。
対の装身具を持ってきた魔法師――長兄のすぐ下の弟で、私にとっては二番目の異母兄である存在が、顔を隠すように眉間に指を当てるのが見えた。
「そのようなことを言われて、はい、そうですか。と安心できる者が居ますか。確かにその“鎖”は一定の条件から外れれば喉を絞めますが、気を失えば緩みます」
その条件は先ほど伝えた通りですが。と続けた彼に、明らかに安堵した空気の室内。長兄がからからと笑う。
「お前ならもう少し、えげつないものを作ると思ったのだけどね? サダルスード」
「あなたの喉に当てますのに、そのような物を作る筈がないでしょう」
継承権を放棄した次兄は答え、さて、と室内を一瞥する。つくりは秀麗だが、血色が悪く不健康そうな容貌。しかしその眼差しには、長兄とはまた違った威圧感がある。
長兄が居なければ、あるいは病弱でなければ、次代の王と目されたのは間違いなくこの次兄だったろう。この国と縁ある他国より嫁いで来た王女を母とする彼は、この国で誰より正統な王位継承者だ。あれが道を踏み外しても、次兄が王太子であれば継承争いはきっと起こらなかった。
しかし世の中は皮肉なもので、王位を継ぐことになったのは、その手腕で認めさせた長兄でも、最も正統だった次兄でもなく。実の母に疎まれた自分だった。
「俺が、その“鎖”の主に志願しましょう」
ずっと黙り込んでいた自分が突然発した言葉に長兄は、刹那虚を衝かれた様だった。次兄は僅かに俯いているので、その表情は見えない。
「……私は、嫌われてはいないにせよ、お前には苦手にされていると思っていたのだが」
その疑問は、全く以ってその通りだった。幼い頃は無邪気に慕っていたが、年を重ねるにつれて次第に劣等感が出て、この数年は素直に感情を出せなくなっていた。
「俺は、王として教育を受けていません。ご教授願いたいことは山とあります。なら、離れたところに居ていただくより、近くにいらした方が理にはかなっていましょう」
「優秀な師ならば、他に多く居るだろう?」
「勿論、彼らからも学びます。長兄上からは、直な体験をお聞きしたいのです」
近くで共に過ごせば、どうすれば良いのかが見えてこないかと、そのときの私は夢想したのだ。
そこで、場面が切り替わる。
「最近、顔色が優れないですね。医師でも呼びましょうか?」
少し遅めの昼食の後、執務に戻る前にこれも学びの一環と日課になっていたチェスを指していたときのことだ。
そう問いかけた私は、今になって思えばなんと的外れなことを言ったのか。仕立ては良いが地味な服装に身を包み、チェスの駒を進めた指で顎をつまんだ長兄は薄く苦笑した。
「城下に、よく知った者がいる。今宵にでも赴こう。“鎖”の範囲を広げておいてくれないか?」
「王宮にも医師はおりましょう」
「ただの気鬱だよ。王太后陛下の体調が思わしくない今、この程度で彼等を呼びつけるのも気の毒というものだ」
次兄の母である前王妃――現在の王太后と元王太子の仲は、意外に悪くない。次兄が継承権を放棄した折、険悪になった王妃の祖国との関係を提携して取り持って以来、一種の信頼関係が築かれているという。
顔を合わせることは少ないが、互いに相手を認めているのは明らかだ。ただ最も、些か毒気が強いようだが、体調を慮る程度には尊重しているらしい。
と、そんな考え事をしていたら王手を指された。確かこの時点では、まだ全敗記録を更新していたはずだ。現在に至っても、真っ当な勝負で勝てたためしが無いが。
「分かりました……あ、いや、分かった。では、王都全体まで範囲を広げる。夜明けまでには戻るように。護衛も抜かるなよ」
「恐れ入ります。陛下」
肩下まで伸びた髪を揺らして微笑み、ここまでですね、とチェスを片付ける姿。そこに潜む陰りに気付いていれば、何かが変わっていたのだろうか。
その時以来、多い時は月に二、三度、宮廷内や世情に不穏な動きがあった間はそれが一段落着いた辺りで、彼は王都へ出る事を願い出るようになった。
始めの二、三度は怪しまなかった。しかし、王太后の病が癒えてなお続く不可解さに、次第に疑念を抱くようになった。その頃には理由は多岐に渡っていたし、実際にそれも行っているようだったが、それだけではない違和感がずっと付いて回っていた。
長兄が城下へと伴う護衛は何人か居たが、全員長兄にのみ忠誠を誓っていたのでどれほど問い質しても、始めに提示される理由しか述べない。
とうとう私は長兄の行動を探らせるに至った。王室に仕える隠密は長らく長兄に仕えていたからあまりその方面では信頼出来ないと踏み、公爵家に降嫁し継承争い時は即座にこちらに下って来た関係で、それなりに交流のある異母妹を介し、別の者を雇わせさえした。
そうして、長兄が娼館に出入りして男娼を買い、抱かれている事実を知った。素性を明かしてはいないが、明らかに貴人の男が体を売るまでに身を落とした男に抱かれる。下世話な話の種となるには十分だろう。
ただ、髪を染め、雰囲気や言葉遣いを変え、無個性の馬車で中継する建物を不定期に変更して通うという徹底振りだったから、素性が明らかになることは早々ないだろう。
仮に知られても、揉み消すのは容易かったに違いない。――後から知ったことだが、長兄のそういった行動の補佐に、彼のかつての側近や配下達が程度の大小、情報の多少はあれど軒並み噛んでいた。隠密も、やはり噛んでいた。
私が探らせていた事実も当然知られていて――泳がされていて――長兄の元右腕で、現在は宰相として辣腕を揮う男に、軽率な行動は慎むよう釘を刺された。衝動で動くことの愚かさを毒舌交じりで訓戒された後、まだ早いと伝えなかったこちらにも非はある、ということで、強く咎めはされなかったが。
ともあれ、その事実が私にもたらした衝撃は大きかった。このときに私は、それまで気付かなかった長兄への肉欲を伴った感情を自覚した。
それまでは、おめでたいことに純粋に弟としての思慕だと思っていた。実際、長らくそれと敬意、そして僅かな劣等感だけだったのだから。
それが変質したきっかけは、後から思い返してみれば、まだあれが存命中に習慣だった夜の散策中、何度か出くわした長兄の、昼間とは対照的に翳りを帯びた艶姿だった。あれがいつ道を踏み外したかは知らないが、恐らくあの頃にはもう、逸れていたのだろう。
自覚した後の葛藤は、長かったように思う。少なくとも長兄は三度、王都へと下った。
私は、性的に淡白な方だった。あれの醜態を見てきた兄弟は大抵、性に関して冷めた視点を持つか、あれの右に倣うかで、私は前者だった。
どうせ抱くのなら男よりは女の方がまし。抱かずに済むならそれで良いと考えていたし、実際それで不自由していなかったというのに。放っておけば萎えたが、艶姿を思い出して中心が熱くなったのは一度や二度ではなかった。
悩んで悶えて迷って苦しんであがいてもがいて。
そしてその末に至った結論は、実際に確かめてみようという、問題の先送りこの上ないものだった。
実際に確かめて、もし欲望が本物だったら、と仮定することさえしなかった。欲望などあるはずが無い、と全く根拠の無い自信だけが満ちていた。
そのときは、それが一番妥当な方法だと錯覚した。
その「名案」がまとまると、自分でも呆れるほどに行動は早かった。
利用したのは、あれの傍に長く仕えていたが、狂気に踏み込んだと見るや、いっそ感心するほど見事な転身で私へ軽い頭を下げた男。その、長兄への劣等感混じりの征服欲。
正直、嫌悪しか催さず、実際薬・人身売買と黒い噂が絶えない相手だったが、その数学の強さは確かであったし、黒い噂の実態も中々掴めないでいた為、渋々使っていた。
長兄が重用していて今は私の下にある者達は尽く優秀だが、限られた頭数で国政が回るはずも無い。どの道玉石混合は必定で、その男はどちらかといえば玉に位置し、それなりに役に立ったのは確かだ。しかし、不可欠では無かった。
切り捨てる為に十分な情報と物証・人証が揃えば、もはや躊躇いはなく。それとなく唆し、ありもしない確執を仄めかせ、行動を起こすように仕向けた。
断頭台へ足を掛けさせる最後の一歩に長兄を利用し、直接の証拠で詰む選択肢を選んだ自分は、下衆なのかもしれない。
見せしめの意味も含めて、やや勿体つけた演出を加えた指示に宰相は仏頂面で、常の毒舌を交じえた忠告を寄越した。そして最後に、やるのなら誰かのせいにするな。下した決断一つ一つを背負い往け。と吐き捨てて指示に幾つか修正を加え、容れた。
その言葉の真意は、そのときは分からなかった。
指示が結実し、巧妙に偽装された薬を押収し、主人が捕らえられ、使用人も事情聴取で出払った屋敷の客間。
まだ高い日の差し込む其処で、媚薬を盛られて息も絶え絶えの長兄を見つけた。壁に取り付けられた扉を潜れば寝所へ通じる造りに、屋敷の主の好色が透けて見えるようだ。
「迎えに来ました。立てますか?」
「立てる……と言いたい所だが、難しいな」
寝そべってもさほど苦にならない長椅子の肘掛に上半身を預け、浅い息をしている長兄は、服から覗く肌を薄紅に染め、ひどく艶めかしかった。
長兄には、公人としての構えを解いたふとした瞬間にこぼれ落ちる艶があって、年若の文官やら入りたての侍女やらが時折被害を被っている。
そして今、媚薬のせいか普段は小出しの艶が惜しげもなくばらまかれていた。まだ白日の最中にあってその様は、ひどく背徳的だ。
なるほど、これならその気の無い男も血迷うかもしれない、とやけに冷静に考えながら近付けば、貝殻から削り出した留め具を全て外され露わになった首の根元に付けられたそれが目に付く。赤黒く、存在を主張する跡。
「……アスト?」
訝しげな声にも応える余裕がないまま、伸ばした指で触れる。そのまま触れるか触れないかの距離で肌の上をなぞれば、ひくりと震えるのが分かった。
首から、筋の筋をなぞるように二つ、三つ。
口の中で、我知らず奥歯を噛みしめる音がした。首筋で光る“鎖”の冷たさに、さらに下へと伸びそうになる掌を爪が食い込むほど握りこみ、留め具をどこかぎくしゃくとはめる。幾つかは引きちぎられたのか、無くなっていた。
「肩を貸します」
羽織っていた外套に掛けようとした手を、鍛錬は欠かしていないために力強い、しかしよく手入れの行き届いた指が掴む。
「長兄上?」
ゆるゆると持ち上げられた面。ばらりと乱れた髪の下から垣間見える紺碧の中で揺れる熱に、息が詰まった。
「…………いや、外は、冷えるだろう。お前は、そのまま羽織っていると良い。私も、少し、冷やしたい」
熱を恥じたのか伏目がちで手を下ろし、どうにか自力で立ち上がろうとする長兄に手前勝手な苛立ちが渦を巻く。
ひどく物欲しげな目をしておきながら自ら袖にし、あろうことかこのまま衆目の前へ出るという。意味ありげに視線を寄越しながら、確実なものは何も与えない売女のようだ。
普段は禁欲的な佇まいであるだけに、余計に性質の悪い。
事前に入手していた薬の傾向から見るに、彼に盛られた薬は、慰めた程度でどうにかなる代物ではないだろう。熱の引かない体を持て余して、どうするというのだ。
誰かを誑しこみ、あるいはあの娼館でまたどこの馬の骨とも知れない者共の好きにさせるのか? ああ、あぁ! なんて憎らしい!!
立ち上がるまでは危ういながらも行ったが、足を踏み出したところで力が抜けたようにくずおれる体躯を抱き止め、そのままもろとも床へ倒れこむ。分厚い絨毯のせいか、思ったより痛みはない。
布越しに触れる肌はどこもかしこもひどく熱く、布など無いものだと錯覚させるほどに湿っている。杉を基調に、隙なく研ぎ澄まされているがどこか魅惑的な香水が鼻孔に広がった。
自分の意識を遠く離れた腕が、本能のまま目の前の相手の体の輪郭をなぞる。
何を言われてもどんな非常時でも、常に冷静な部分を残せとこの暫くで叩き込まれつつある教育の成果が、ただの触れ合いというには密接で、色事にしては儀式めいた手付きだと、無感動に呟く。
「怪我は?」
射し入る日のように白々しい声だと思った。
そ知らぬ様子で身を起こさせ、立ち上がらせるために添えた手で更に、その身に燻る淫欲を煽る。長兄は、それに気付いているのか。疑っているが確信は持てないでいるか。それに思い至るほど余裕がないか。あるいは、腹違いとはいえ実の弟がそんな事を考えているとは思い及びもしないか。
見下ろした先の上気した顔には答えを決定付ける明確な要素は窺えず、その濡れたような瞳に映りこむ自身は、爛れた欲望など欠片も見えないやけに真に迫った労りの表情を浮かべていた。
「……大丈夫だ」
離れようとする動きを妨げない風に腕を引きながら、服の上からでも微かに見止められる胸の尖りを掠める。その喉が、甘さを含んだ吐息を漏らしかけて殺すのが見えた。
「相当効いていますね。薬が抜けるまでやはり休んでいかれますか?」
昂らされた肉体を両腕で抱えた長兄の肩を支え、長椅子へと促す。その次の瞬間、視界がぐるりと回って、背中に先ほどとは比べ物にならない衝撃が走った。
背中の感覚が痺れている。何が起きたのか、即座に把握しかねて目を瞬かせていると、濃く淹れた紅茶色の垂れ幕が顔の上に落ちかかってくる。否、髪だ。
獲物を追い詰めた肉食獣のように飢えた双眸が、薄く開かれた形の良い唇が近付く。強くなる香水に思わず目を伏せれば、宥めるように額に触れるものがあった。
驚いて目を開けば、獣の飢えを奥底にたたえながら、泣いているとも笑っているともつかない表情で長兄が見下ろしていた。
「恨んで良い。蔑んで良い。だから、今だけ許せ。……鎮めさせてくれ」
長椅子の背に体を預けて――長椅子に叩きつけられたのか。通りで衝撃の割に痛みが小さかった――私の顔を撫でると、どこかおぼつかない手つきで服を長椅子の下へと落とし始めた。
さして間を置かずに一糸まとわぬ姿になり、片方の手はたっぷりと唾液を纏わせて自らの後孔へ、もう一方を私の下半身へと滑らせる。手馴れた動きで下衣を寛げ、ろくに反応していない性器を取り出す。
後孔を解しているとはとても思えない平静さで頬に落ちる髪をかき上げ、検分するように私のものを数回指でなぞる。そして、そのまま股間へと顔を寄せた。
「長兄上?!」
確かに追い詰めるように、自ら望めば良いと思ってけしかけたが、まさかここまで躊躇がないとは思わなかった。
「下手に動くと、傷つけない保証はないぞ?」
押し出すようにどこか掠れた言葉の直後、性器を口に含まれる。熱い口腔内で舐られ、吸われ、絡められ、視界で火花が散った。
「ッ……く、ぅ」
男同士であるから、的確に感じる部分を刺激できるというのもあるだろう。しかしその手練手管は、そんなもので表現できる域を超えていた。
正しく、男を悦ばせるための技術。使う相手が居てこそ上がる代物だ。
息を一つ吐く毎に高められていく情欲に、熱を帯びたため息を漏らす。
元々完全には納まってはいなかったが、本格的に口に余りだした屹立に眉根を寄せ、長兄はおもむろに口から引き抜く。そしてその表情のまま腰を屹立の上に据えると、ゆっくりと落とした。
熱い。
きつい。
吸いついてくる。
挿れているこちらも苦しくなる窮屈さは、やはり、挿れられている方の負担でもあるのだろう。初めから眉間に寄っていた皺がさらに深くなっている。腰を落とす前はゆるく勃ち上がっていた性器も、心なしか力が無い。それでも僅かな快楽を拾い上げているのか、完全に萎えてはいなかった。
「ひ、あ……っ、ぐ」
男の泣き顔など気色が悪いだけだと思っていたのに。男性器に触れるなど死んでもごめんだと思っていたのに。
私の体の横に手を付き、先ほどより近付いた顔に手を伸ばす。うっすらと涙が目尻に滲んだ頬に触れ、もう片方の手で彼のものをすくい上げた。
少ないわけではないが豊富でもないだろう経験を思い起こしながら、ゆっくりと上下に擦る。裏筋とえらが交差する部分をくすぐれば、悲鳴にも似た嬌声が迸った。私を包みこむ襞がさらに収縮し、目の前の顔に白いものが飛び散った。
恍惚とした表情で顔に飛んだものを掬い、こちらに見せつけるように舐め上げる。厚みのある唇が卑猥に濡れている。先ほどまで私を咥えていた所だ。
そう認識して、途端に猛った性器に、それを裏付けるような呻きに、とうとう認めた。
自分は、長兄に欲情している。
涙と精とを舐め取り、性器を扱きながらつんと尖った乳首をつまみ、乳暈をなぞれば、面白いほどに反応が返る。そうして次第に目の前の肢体から緊張が抜け、痛いほどのしめ付けが緩んできたところで、耐えきれないとばかりに彼が動いた。
目に痛いほどの日の光の中、淫らに裸体が踊る。現実味の薄い光景はしかし、与えられる、信じられないような快感に真実だと解る。
ただ翻弄されるのは面白くなかったから、引き締まった臀部を揉みしだきながら下から突き上げれば、明らかに女のものではない、しかしひどく扇情的な声で啼いて何度目かの吐精をする。
少し体勢を変えようとして、長椅子の背に遮られる。ただ寝るには十分だが、ここで思うままに動くにはやや手狭だ。
仕方がないとその体勢のままどうにか自分も一度射精させ、縋るような締めつけに未練を残しながら抜く。長椅子に、自分の出したものが滴り落ちた。
「あぁっ」
恨みがましげな視線に、達したばかりの自身が早くも疼くのを感じながら、寝室へと繋がる扉を視線で示す。
「ここは少しばかり動きにくいですので、ね?」
それにこの長椅子は背中がつらい、と続ければ、色欲一色に染まっていた眼差しに逡巡が浮かんで消える。白濁の散った姿のまま彼は長椅子を下りると、幼子のような足取りで扉へと辿りついた。
もどかしげに取っ手に手を掛けながら振り向き、凄艶な流し目を寄越すと、そのまま寝室へと消える。
「ッ、誘いすぎだ!」
私はぞんざいに下衣を穿き直し、その後を追いかけた。
記憶を辿っていて今更ながら思うが、つくづく余裕がない。
あぁも我を忘れた長兄の姿は後にも先にもこれ一度だったから、もう少しじっくりと堪能するべきだったかもしれない。記憶を漁ってみても、完全に頭に血が上っていたこれ以降の自分は、委細も思い出せないほど目の前の相手に溺れていた。
白昼に眩んだ世界。眩んだのは、目だけではなかった。
自分の置かれた状況さえも眩み、鍛えられつつあった視野が狭窄した。
初めから、叶う見込みのない片恋だった。だから自戒を巻いたのに、噛み千切ってしまった。
全く以って、愚行としか言いようがない。しかし、それでも、自分は例え時を巻き戻せたとしても同じ愚かさを繰り返すのだろう。
どこかが歪に捻じれた心で、きっと、悲痛に揺らぐ紺碧に嗤うのだろう。
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