願わないと決めた

蛇ノ目るじん

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挿話・臣下達の雑談

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 王の側仕え。
 それは、不変では決してなく、相応しくないと判断されればすげ替えられ、一方で後の為に最良だと判断されてもまた、異動となり得る。他者――この場合は、王に次ぐ人事の決定権を握る宰相や総帥――に相談は有り得るが、最終判断は王の心一つである。
 後者は決して不名誉なものではなく、信任あってこその変遷であり、最終的に王の元に戻るも異動先や任地先に留まるも重要性は変わらないのだが、周知は中々浸透しない。さらに言うなら、当事者の間でさえ認識はまちまちである。王の側仕えの数などたかが知れているし、相性というものもある。そもそも、ふれ回るような話題の類でもないのだから。
 これは、そういった立場にある彼らの、とある一幕。

 *

 王その人に、執務室に繋げて作られている休息室に招かれ――これ自体は、特別な指示を下されたり、内々での下問など他の面々でもままある事である。該当の人物は他者より長くなる場合が多いが――、一人先に下がって来た彼が、国立学院に出向いて参ります。陛下は少しお休みになるとの仰せです。と、一同に会釈して退室していく。
 この場合の国立学園に行く即ち、現王の異母兄であり、継承権こそ放棄しているもののなお王族の一員であり、国立学園では講師の一人を勤めている魔法師との面談、である。
「アナズィトンの殿下との折衝、最近はレイドさんに任せっきりですよね……」
 一通り目を通し、三つの束に分けてある書類の中で、一番高い山に認可の印を捺していきながらカルムが呟く。
「適材適所というのがあるだろう。あの人に任せるのが一番すんなり進むんだから、そこはある程度一任してしまった方が対応が一本化しやすい。……まあ、代われる時は代わった方が良いのは確かだがな。全くあの方と接しないまま、というのも宜しくは無い」
 応じながら、保留の印をなにやらためつすがめつしていたリチェルカが得心したのか、侍従が運んできて武官の一人がその場で淹れてくれたまだ温かい茶を一口含み、再び捺印を始める。
「得意苦手で執務を選り好みはしませんが……あの方の前に立つと、どうしても緊張が先に立つんですよね。あ、有難うございます」
 空になった茶器に追加を問われ、頷いていたカルムが礼を述べ、まだ湯気の立っている茶の匂いをゆっくりと嗅いだ。
「サダルスード殿下は昔から、かなり気難しいところがお有りでしたからね。あの方を前にして、全く緊張しない方が稀でしょう。レイド秘書官は地方からいらした方なので、あるいは先入観が少なかったからこそ、上手く運んだ部分はあるかもしれません」
「あー、今の秘書官で地方からの生え抜きはそういえばあの人だけですね。宰相閣下の遠縁だと色眼鏡で見たのが、いやはや恥ずかしい」
 茶を淹れ直した武官の言葉にしきりに頷きながら、茶器を置いたカルムが軽く身伸びをして今度は保留の印を手に取った。
「地方の人間が、決して中央に劣るわけじゃないという良い見本でしょう。なあ、エルブ殿。貴方も確か地方から出てきてすぐ、今の宰相閣下に抜擢されたと聞いています」
 今度は再検討と却下の印を前に指を彷徨わせ、再検討を取ったリチェルカが、残った数枚全てにそれで判をしながら話を振ればずっと沈黙を保っていた、四人の中では一際年長らしいエルブが、眼鏡越しにちらりと視線を上げる。
「ああ。まあ、あの方にとって、使い勝手の良い駒程度にはなったでしょうね。さんざん使い走りにされたので。とはいえ、出てきて日の浅い者は、まだいけません。至らぬ部分が目に付く」
「やはり手厳しい」
「当然です。私がそうだったのですから」
 筆記具に持ち替えて、印を捺し終えた書類の幾ばくかに書き込みを入れていく動きに、淀みは全く見られない。
「お代わりはいかがです?」
「頂こうか」
 一番高さの低い束への書き込みを終え一服と茶を傾ける姿は、他の二人と比べて明らかに品が良かった。
「エルブさんとレイドさんの作法の綺麗さは、本当学ぶところありますよね……」
「全くだ」
「別にそちらも不作法というわけではないでしょう」
「いえ、そうなんですけどね。なんかこう、もっと頑張らないと、というやつです」
「克己心があるのは良い事です」
 ひどく真面目に応じてエルブは彼らが印を捺し終えるのを、急かす様子もなくそれとなく、待っていた。

 *

 王が隣室から戻り、レイドも帰ってきて。本来の人員が顔を揃えた執務室で協議を終え、宰相府行きになった書類数枚を、エルブが持ち運び用の板に挟み、それを魔鉱石を含ませたインクで、古語で名を記されている者以外が触れると板に仕込まれているインクが噴出し、書類が判別出来なくなるよう術式が施された鞄に入れて、脇に提げた。
「では、宰相閣下にご報告へ行って参ります」
 王と同僚に頭を垂れてから、退室するよう扉を開かせたエルブが、僅かに目を細める。
「そうだな。アンサレン武官、付添を頼む」
「承りました。エルブ秘書官」
 先ほど茶を淹れていた武官が一礼した。


 誰に誰何される事もなく、至極順調に宰相府へと到着した二人は、やはりほとんど時間を取られる事も無く、真っ直ぐに宰相の執務室へと通された。
 こういった場合は基本的に、宰相以外人払いをされている室内に、本来は居ない人間の姿を見とめて、しかし彼らは動揺の色一つ見せず一礼する。
「お時間を割いて頂き感謝いたします、宰相閣下。ご無沙汰をしております。遊撃部隊隊長、ノールディン・リーベルタース閣下」
「ああ」
「閣下とかやっぱ照れくさいなー」
 定位置の執務机に座している宰相と、その卓上に堂々と腰を下ろして組んだ片足の上に頬杖をついている、今は遊撃部隊の長として国内を回っている機会が多い、彼。宰相の執務机に腰を下ろすのは、そして許されるのは、彼くらいのものであろう。
 二人を見据えた宰相が、にぃ、と僅かに口端を吊り上げた。
「ずいぶんと疲れているようだな。草よ」
 書類を取り出していたエルブの、一筋の乱れも無かった顔に変化が過ぎったのは、その瞬間だった。眉間に、深く刻まれた皺。それを伸ばすように額に指を押し当てながら、卓上に書類を置く所作までは、まだ丁重だった。宰相の部下達が普段は座って執務をする机の一つの椅子を引いた手付きはぞんざい、どっかと腰を下ろした所作は乱雑。卓上に頬杖で支えられた顔は、どこか荒んでさえ見える。
 宰相――ヴァルテールが、置かれた書類を引き寄せながらにたりと笑った。
「お前達にとって親愛なるあの方へ、隔意ある態度を取らざるを得ないのは、やはりだいぶ厳しいと見える」
「護衛の対象となる方におめおめそうと知られるわけには、参りません。無関係の、如何な相手にも」
「その割にはエルブさん、我らの態度の方には別に何も言ってきませんよね」
「私は元々、閣下の元に居た頃からああいう態度を選んでいたんだ。地方出身者には、どことなく隔てた嫌味な、な。お一人にだけ違う態度なぞ取ってみろ、何かあると吹聴するようなものだ。お前達には、そういうものはないだろう。無理に繕うものでもないし」
 同行したアンサレンに返し、漏らされた息は、重い。彼らは、国外でもしもの事態が起こった際に王の身を守り――王が直接出向く国は数が知れているが、万一があっては遅いので――、無事に帰還させられるように選出されて送りこまれ、王の側近の資格を得た隠密達である。今はエルブとアンサレン以外に、武官にもう一人が居る。
 外交として王が国外に赴いた際、影に潜む密偵を周辺に潜ませるのは、露見すれば国交問題に発展しかねない以上、痛くもない腹を探られる真似は極力避けねばならない。その為、こういった込み入った手段が編みだされた。なお選定には一切忖度など無い、というか、そもそもそういう事だと知らない者が指揮しているので、基準自体に不正は無い。隠密は公的な役職も奉じている者がほとんどで、そういった方面でも手抜きはないのだ。
 そういう理由であるので、王本人もその瞬間まで彼らが隠密だと知る事は無い。誰かしら潜んでいる、までは認識していても。

「いっそ外交方面にでも回って王都を離れたいですね、もう」
「それは陛下のお心持ち次第だな」
 そこはかとなくやさぐれた雰囲気を醸すエルブに、ヴァルテールは人を食ったような笑みを僅かに走らせながら、書類を繰った。
「自分から嫌われ者を選ぶ不器用具合かー、やっぱヴァルって、自分と似た相手引き抜くの上手くない?」
「さあ? 知らんな」
 ヴァルテールがエルブを隠密だと見抜いた経緯については、これはまた別の話である。全ての書類に目を通した宰相が視線を上げた。
「エルブ、そのままで良い。聞きたい事がある」
「いかようにも」
 そうして、ある意味共犯者である彼らは、宰相と王付きの側近としての職務に戻る事にした。
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