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14:霹靂

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『…あ、赤兎、おはよう』
『おはよう』
『よお、赤兎』

 ギルドホールで、「私」がミニスカート姿で逆立ちしながらガーネット達と雑談していると、赤兎が「ろぐいん」して来た。「私」達は雑談を中断し、赤兎に挨拶をする。

 上下反転した「私」の視界の中で、赤兎がホールの中央に立ち尽くしたまま、何故かモジモジしている。一向に返事を返さない赤兎を気遣い、ガーネットが声を掛けた。

『どうしたの、赤兎?右手での操作、上手くいかないの?』
『…』

 ガーネットが声を掛けても、赤兎は暫くの間俯き、反応を返さない。それでも「私」達が辛抱強く彼の反応を待っていると、やがて彼は顔を上げて口を開き、挨拶を返した。



『…あの、おはよう…』



『あら!?赤兎、ついに音声入力にしたの!?』

 初めて赤兎の声を聞いたガーネットのマスターが弾かれたように立ち上がり、赤兎の許へと駆け寄って両手を取る。「私」の視界が回転し、横倒しとなったスクリーンに、自信なさげに答える赤兎の姿が映し出された。

『うん、もう声で話しても好いかなって。…おかしくない?』
『全然おかしくない、格好いいよ、赤兎!その容姿に似合っているじゃない!』

 この「げーむ」の音声入力は、マスター本人の声ではなく、操作される私達の声で発せられる。だから、私のマスターの発言も、そのぞんざいな言葉遣いに不釣り合いな、女性らしいイリスの声だ。赤兎の透き通った男の声を聞いたガーネットのマスターのテンションが上がり、赤兎の手を掴んだまま飛び跳ね、はしゃいでいる。その好意的な反応を見た赤兎の緊張が解れ、彼ははにかんだ。

 そんな二人の会話する姿を、「私」マスターは倒立を崩しホームの床に横たわったまま上半身を起こし、呆然と眺めていた。やがてガーネットの手を振りほどいた赤兎が「私」の許へと歩み寄り、手を伸ばしながら尋ねてくる。

『…イリス、どう?私が喋っていると、変かな?』
『…イヤイヤイヤ!そんな事ねぇって!…か、カッコいい声じゃねぇかっ!』
『…素の声じゃなくて、ごめんね?このゲーム、キャラボイスしか選べないから…』
『べ、別に、がっかりなんか、してねぇし!』

 「私」マスターは赤兎に手を引かれ身を起こしながら顔を赤らめ、そっぽを向いて頑なに否定する。赤兎の手を振り払い、両手を背中に回して身じろぎする「私」の姿に、ガーネットが笑いを噛み殺しながら赤兎の手を取って自分へと引き寄せた。

『赤兎、せっかくだから、お姉さんと女子トークしない?ヤマトとイリスばっかりだから、餓えてたのよね!』
『うん、是非是非!』

 二人はそのままギルドホールの中央に座り込み、手を繋いだまま、きゃいきゃいとお喋りを始める。「私」マスターがそんな二人の姿を見ながら不貞腐れていると、ヤマトが「私」の背中を叩いた。

『イリス、女の子のお喋りくらい、大目に見てやれ。でないと、モテなくなるぞ?』
『別に、そんな事考えてねぇよ!』

 そう反発した「私」マスターはミニスカートの裾を両手で持ち、ホールの中央に向かって上げたり下げたりを繰り返す。だが、中央の二人はお喋りに夢中で、こちらに目を向けようともしない。やがて「私」マスターの顔が真っ赤になり、スカートの裾を引っ張って下着を隠し、俯いてその場に立ち尽くす。

『…お前、馬鹿だろ』
『…』

 ヤマトの呆れ声に、「私」マスターは俯いたまま、何も答えなかった。



 ***

『お早うございます』
『あ!先生、おはよう!ねぇねぇ、赤兎がついに音声デビューしたよ!』

 暫くして先生がギルドホールに顔を出し、ガーネットがお喋りを中断して挨拶する。二人のお喋りの間、ヤマトはホール内に座り込んで「ろむ」を続け、「私」マスターはと言えば、立位で開脚前屈を維持したまま、鑑賞会を行っていた。…結局、さっきの恥じらいは一体何だったのだろう。

『おや、赤兎さん、音声デビューおめでとうございます。文字入力と比べて、どうですか?』
『すっごく楽しい。これだったら怖がらずに、もっと早く音声入力に切り替えておけば良かった』

 先生の質問に赤兎が振り返り、笑顔で答える。先生は赤兎の喜ぶ姿を見て顔を綻ばせながら、ホールの脇に据え置かれたソファに腰かけた。先生が腰を落ち着けると、赤兎はガーネットへ視線を戻し、二人でお喋りを再開する。

『…そっかぁ、それじゃ、体が動かないのって生まれつきじゃないんだ?ある日突然生活が一変して、辛かったでしょうに』
『うん。正直に言えば、その時は荒れてお父さんやお母さんにもいっぱい迷惑をかけた。けれど、あれから2年経って、その間色々考えて、前向きというか、だんだん開き直って来た』

 話を聞いたガーネットのマスターがしんみりとする一方、赤兎のマスターは軽い調子で話している。その意外な姿に「私」マスターやヤマトも顔を上げ、耳を傾けた。

 この「げーむ」の世界では、モンスターとの戦いに負けたり、戦争や「ぴーけー」によって多くの人が殺されたり、手足を失ったりする。けれど、それらの出来事は「うんえい」の力によって全てなかった事にされ、次に目が覚めた時には、私達は健全な体に戻っている。だから、私達はそれが当たり前の事だと思っていた。

 だけど、マスター達の会話を聞く限り、「りある」の世界はそうではないらしい。戦争や「ぴーけー」は「りある」の世界でも当たり前のように起きているが、そこでは、殺された人は決して生き返らないし、失った手足も二度と戻って来なくて、残りの人生を手足を失った状態で送らなければならない。私はその事実を知った時、大きな衝撃を受け、怖くなった。

 何故、元に戻らない事がわかっていながら、平気で相手を殺したり傷つけたりする事ができるのだろう。マスター達は、やり直しが効かないと知っていて、怖くないのだろうか。

 そして、何故、赤兎のマスターは、手足が動かないのにも関わらず、あんなに明るく振る舞えるのだろう。

 マスターに体の自由を奪われたまま、体内で物思いに沈む私を余所に、赤兎のマスターの独語が続く。

『でも、やっぱり、たまに考えちゃうんだ。何で、私だったんだろう。何であの時に限って、バスが横転したんだろう。それも何で、あの修学旅行で起きたんだろうって』



 がちゃん。

 ホールの中に耳障りな音が広がり、「私」マスター達が音の出処を探し、振り返った。

 其処には床に転がるコーヒーカップと、ソファから腰を浮かせたまま動きを止める、先生の姿があった。先生は床に転がるカップには目もくれず、赤兎の顔を凝視したまま、呆然としている。全てが静止し、物音さえ消え去って静寂に支配されたギルドホールの中に、先生の呟きだけが響き渡った。



『――― 朝比奈あさひなさん?』



『…頼子よりこ先生?』

 ほどなくして赤兎が発した呟きを耳にした途端、先生は弾かれるように立ち上がった。彼女は「私」達から身を隠すようにマントを翻すと、そのまま霞のように消え去っていく。

『…先生、待って!』



 ///// 【ギルドマスター:姜尚】が、ログアウトしました /////



『ぁ…』

 コーヒーカップが床に転がる誰も居ないソファに向けて手を伸ばしたまま、赤兎が硬直する。残された全員が動きを止める中、「私」マスターが振り返り、ガーネットを急き立てた。

『ガーネット!お前確か、先生とSNS交換してたよなっ!?連絡取れねぇか!?』
『っ!やってみる!』



 ///// 【ギルドメンバー:ガーネット】が、ログアウトしました /////



 頭の中にメッセージが流れ、ガーネットの姿が掻き消える。「私」マスターはホールの真ん中で座り込んだまま呆然とする赤兎の許へと駆け寄り、脇の下に腕を差し込んで身を引き起こしながら、彼女を気遣った。

『おいっ!?赤兎、大丈夫か!?しっかりしろ!』
『…まさか先生が、こんな所に居ただなんて…』

 赤兎は「私」に腕を取られたまま、呆然と床を見つめ、虚ろな表情で呟く。

 マスター達も予想していなかった突然の邂逅と混乱を前に、私は操られた体の中で為す術もなく呆然と立ち尽くす他になかった。
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