失われた右腕と希望の先に

瑪瑙 鼎

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第2章 ハンター

20:緒戦

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 緒戦は、遠距離戦となった。

 コレットと、弓を持つ戦士の二人が矢を数発撃って挑発するが、ケルベロスは慌てる事なく、巨体を感じさせない軽やかさで身を躱す。ソレーヌとイレーヌは、魔力温存と手札を隠すために、手控えている。

「撃ってこないな…」
「ブレス等の短射程系ですかね?」
「そうだとしても、無闇に突っ込んでこない辺り、知能が高いな。面倒だ」

 ジルが舌打ちをする。

 ケルベロスほどの巨体が相手となると、真っ向からの殴り合いは避けたい。一番最良なのは火力で押し込んで足を奪う事だが、相手もわかっている様で、なかなか魔法の射程距離には入ってこない。討伐隊は、障害物として「ストーンウォール」を4基、間隔をあけて立てると、各々それに隣接するように立って、様子を見ている。

「マズいな…、日が暮れる」

 すでに辺りは緑が駆逐され、濃橙に染まってきている。後1時間もせずに闇に染まりそうだ。やむを得ない。ジルは、敢えて隙を見せて、短期戦に持ち込む事を決断する。

「俺が囮になる。二軍から2人ついて来てくれ。ヤツの足が止まったら、躊躇わず叩き込め」

 そう言うと、ジルはケルベロスに向かって走り出す。一拍置いて、2人の戦士が後を追った。

 しかし、ケルベロスはジルが向かってくるのを見ると、突然方向を変える。討伐隊の意図しない方向に。

「…逃げた?」

 ケルベロスは、ジルから距離を置くように右方向に走り始める。すぐに魔狼に恥じない速度に達すると、そのまま本隊を中心に円を描くように回り込んだ、本隊のメンバーはケルベロスを見失わないよう目で追うが、

「うっ…」
「しまった!」

 沈む夕日とケルベロスが重なり、本隊の目が眩む。思わず何人かが手をかざし、日を遮る。柊也を含む数名は、石壁に隠れるようにして目を守った。

「来るぞっ!」

 離れた所からジルの警告があがり、一行が顔を上げる。そこには、刻一刻と黒い巨体が迫ってくる。夕日と重なったところで方向転換し、突入して来ていた。

「クソっ!」
「速ぇっ!」

 しかも突入の速度が、先ほどとは比較にならない。この侵入速度では、すでに詠唱は間に合わない。辛うじてコレットが矢を放つが、その瞬間ケルベロスが宙を舞い、矢を飛び越える。もう一人の戦士が矢をつがえ、着地を狙おうとするが、

「え…」
「下りてこない…」

 ケルベロスが四肢を広げ、ふわりと宙を滑空したまま、戦士に襲い掛かった。

「うわぁぁぁぁっ」
「ごふっ!」

 二人の戦士に襲い掛かったケルベロスは、先ほどの滑空が嘘のような衝撃をたて、一人を後ろ足で踏みつぶす。そのままもう一人の頭を噛みちぎると、足元を見向きもせずに走り去った。踏みつぶされた方は首の骨が折れたようで、頭があり得ない方向を向いている。

「やられたっ!一つめは、『ライトウェイト』だっ!」

 コレットが、苦虫を噛み潰すようにして叫ぶ。地の魔術師が運搬に活用する「ライトウェイト」。ケルベロスは、自身に「ライトウェイト」をかける事で自重を操り、高機動を図っていた。

「姉さんっ!一体何処へ!?」
「ソレーヌ!戻れっ!」

 イレーヌとレオが、突然叫び声を挙げる。見るとソレーヌが本隊から離れ、駆け出していた。ケルベロスもその動きに気付き、方向転換をかける。

「固まっていても、かき回されるだけよ!相打ち覚悟で撃ちこむ!」
「姉さん…!」

 ソレーヌの決心を聞き、イレーヌも涙を堪えて詠唱に入る。

「汝に命ずる。炎を纏いし紅蓮の槍となり、巴を成せ」
「汝に命ずる。風を纏いし見えざる刃となり、巴を成せ」

 ソレーヌは、ここで全ての力を使い切るつもりで、「ファイアジャベリン」の三連を唱える。イレーヌは「エアカッター」の三連。コレットも、詠唱に合わせて矢をつがえる。

 ケルベロスは、ソレーヌの決死の覚悟も気にする事なく駆け寄り、そして再び宙を舞ってソレーヌに襲い掛かる。

「我に従って空を割く三条となり、彼の者を貫け」
「我に従い空を駆け、彼の者を刻め」

 押し寄せる黒い幕に臆する事なく、ソレーヌはファイアジャベリンを射出する。横からはイレーヌの「エアカッター」とコレットの矢がケルベロスの巨体に吸い込まれる。ケルベロスは空中で慣性に流されており、避ける事も出来ない。7つの線条は全てが直撃し、その巨体が炎幕に包まれた。

 …が。

「ああぁぁぁっ…ぁぁぁっ…」
「姉さんっ!姉さんっ!ああああああああっ!」
「そんな、馬鹿な…」

 イレーヌが悲愴の叫び声をあげ、コレットが信じられないといった表情をする。炎に包まれたまま、慣性に流されるようにソレーヌに突入したケルベロスは、炎幕が霞のように消え去るのを気にもせず、ソレーヌの上半身を引き千切り始めた。腰を前足で押さえつけられ、胸に牙が深く食い込み、ケルベロスが首を振る事に、ミチミチと肉が割ける。

「姉さんっ!姉さんっ!嫌ぁぁぁぁぁっ!」
「イレーヌ!よせ!行くな!」
「畜生っ!火、風ともにレジスト!防御特化だ!」
「何て事だ…」

 戻ってきたジルが、2人の戦士とともにケルベロスに走り寄るが、ソレーヌを咥えたまま悠々と駆け去り、遠くで咀嚼を再開しようとしている。コレットの悲壮な報告を聞き、流石のジルも呆然とした。火と風の集中砲火を受けながらも、ケルベロスは無傷。いや、コレットの放った矢だけが肩口に刺さっているが、素質が発動していない。無効化された。

 このケルベロスの素質は、一つは「ライトウェイト」。残りの二つは、火と風の「発動」のみ、それも「発動しない」方にしか働かない素質だ。この個体の前では、火と風は実質無効化される。隊を火力偏重で構成したのが、完全に裏目に出た。火と風を封じられ、機動力にも劣る討伐隊では、もう手も足も出ない。

 いや、一人だけいた。

「ガァァァッ!」

 咀嚼を再開しようとしたケルベロスの脇に一陣の風が押し寄せ、人型を形作る。間髪入れず、ケルベロスの脇腹に、「防壁」で鋼化した拳を立て続けに叩き込こんだ。

「ガゥッ!」
「グルルルルルルル!」

 思わぬ攻撃を受けたケルベロスは、すでに息の絶えたソレーヌをそのままにして飛びのき、3対6つの瞳で加害者を睨みつける。シモンは、それに臆することなく牙をむき出し、威嚇するように唸り返す。シモンは「疾風」による機動特化。そして地属性の「防壁」は無効化されない。ケルベロスはシモンを最大の脅威と認め、油断する事なく対峙する。

 それまで他者との共闘を想定し単独行動を控えていたシモンだったが、状況が絶望的な事を悟り、戦術を改める。他者はアテにならない。独力で状況を打開しなければならない。

 こうして、ケルベロスとの第2幕は、シモンの孤立無援の戦いで幕を開けた。
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