失われた右腕と希望の先に

瑪瑙 鼎

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第3章 初陣

42:大人たちのささめき

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「…というわけです。私としては、これ以上、ミカ様に重い因果をお渡しするわけにはいきません。彼女は、一方的なこちらの都合で、有無を言わさずこの世界に召喚されています。その上、向こうでは在り来たりの言葉を話す、ただそれだけの事で皆が彼女に寄ってたかり、ヒルの群れに吸い付かれる様な目には会わせたくない。彼女にはこの世界で、穏やかで幸せな人生を送ってほしい。すでに当家は、彼女に一朝一夕では返せないほどの恩がある。彼女の平穏のために、当家が防波堤になるべきだと、私は考えます」
「…」

 ニコラウスの熱弁に、フリッツは耳を傾けたまま、沈黙している。美香の取り巻く環境は、個人でどうこうできるレベルではない。そう判断したニコラウスは、フリッツとアデーレに打ち明け、支援を仰ぐ事にした。長年ディークマイアー家に仕えているニコラウスは、この家の気質を知っている。自分と同じ感情を、自分の主人も抱くであろう事を疑っていなかった。

 フリッツの脇で話を聞いていたアデーレが口を開く。

「ミカさんは、私の娘です」

 彼女の言葉から、「同然」の2文字が抜け落ちた。

「当家は恩を忘れ、子供を売るような真似は、いたしません。ミカさんの平穏を守るために、当家は全力を注ぎましょう」

 アデーレはそう言い切ると、フリッツを見やる。フリッツは押し黙ったままだが、アデーレは誤解しなかった。フリッツが黙っているのは、意見の違いからではない。成算の問題だった。

「…何年もつ?」
「現時点では、1年です。今年はリーデンドルフの傷心がありますし、このまま北伐が行われるまでは、逗留に問題はありません」
「…」
「ただ、残念ながらミカ様がこの上ない武功をあげてしまったので、北伐が早まり、おそらく来年行われるでしょう。問題は、北伐が終わった後、ハーデンブルグに居続ける理由をどう作るかです。1年は引っ張れるかも知れません。北部の要として、彼女にガリエルへ睨みを利かせてもらうという理由があります。ただ、その後が難しい。平穏だと、ヴェルツブルグへの召還の可能性が高まります。この問題に限っていえば、ガリエルが攻めてきてくれた方がありがたいくらいです」

 ニコラウスが、本末転倒な見解を述べる。

「養子は、もう無理だな」
「ええ。養子にしてしまうと、当家を圧迫すれば事が済んでしまいます。彼女は、当家から何ら言われる筋合いのない、当家と対等な立場でなければなりません」
「…」

 フリッツの眉間の皴が、取れなくなった。こうなると、彼女が独身である事も大きな隙となる。彼女が同意するなら、形だけでいいからマティアスに娶らせるか。そんな事までフリッツは考えた。

 結局、この日はそれ以上の妙案は出ずに散会となったが、ニコラウスはそれで良しとした。去り際の、アデーレの肩肘の張った後姿を見て、彼は安堵する。ディークマイアー家がこの難題を放擲する事は決してないという、何よりの証左だった。



 ***

「…はぁ」

 自室の机に広げた紙の前で、カルラは溜息をついた。主人である美香の近況について、王太子リヒャルトへの報告を伸ばしに伸ばしていたが、流石に限界だった。何しろ、美香はすでにロックドラゴンを撃破してしまっている。この報と整合性の取れる報告を書き上げて同時期にヴェルツブルグに届けないと、ロックドラゴンの報だけを知った王家が、美香は全快したと思いかねなかった。

 思い悩んだ挙句、彼女は、最近の美香を最もよく理解し、カルラと立ち位置の近い男に相談をする事を決める。ディークマイアー家を通じた報告は、おそらく彼が組み立てるだろう。であれば、別ルートとなるカルラの報告について、彼と整合性を合わせる必要があった。

 そう思ってニコラウスの家を訪れたカルラだったが、部屋に入った途端、彼女は眉を顰める。そこには至る所に本やガラクタが乱雑に積み上げられ、埃を被っていた。

「すみませんね、カルラさん。どうぞ、こちらに座って下さい」

 家の主人はカルラの内心に気付く事なく、応接へと誘導する。ソファに座った彼女は、テーブルの端に置かれたコップの、干からびた紅茶の跡が気になって仕方がなかった。

「とりあえず、こちらはロックドラゴンの討伐を含め、概ね事実のまま報告します。ただし、ミカ様が無理をしている事は、匂わせます」

 ニコラウスの言葉に、カルラは意識を切り替える。

「一方、カルラさんはミカ様の私生活を知る者として、ミカ様がディークマイアー家の前では気丈に振る舞うものの、自室では毎晩塞ぎ込んでいる態で報告していただければと思います。未だリーデンドルフの事件を引き摺っており、シュウヤ様の事を想って泣いていると。そのアンバランスさで彼女の危うさを伝えれば、よろしいかと思います」
「わかりました」

 ニコラウスの案に、カルラは頷く。王太子リヒャルトは時折、女性の機微に過剰反応するきらいがある。ニコラウスの案であれば、その反応が出て、リヒャルトが美香の防波堤となるだろう。カルラは、そう判断した。

 主目的が達せられたカルラは、話題を変える。

「ところで、ニコラウス様。こちらの家には、ミカ様はお越しになられますか?」
「頻繁ではないですが、時折来られますよ。ここにある蔵書で座学をする時もあります」

 その言葉を聞いたカルラは、即断した。

「わかりました。それではニコラウス様、これから半日ほど、席を外していただけますでしょうか?」
「え、何故です?」

 やおら立ち上がって腕まくりを始めるカルラを、ニコラウスが訝し気に眺める。

「この部屋を、ミカ様やレティシア様をお迎えするに相応しい部屋に、仕立てて差し上げます。ああ、お気になさらず。とてもありがたい助言をいただいたお礼ですので、遠慮しないで下さい」
「…」

 感謝の念とは無縁の、極めて事務的な視線を受けたニコラウスは、横着者よろしく早々に抵抗を放棄し、大人しく礼を受け取るのだった。



 ***

 美香がロックドラゴンを単独撃破したとの報が1か月遅れでヴェルツブルグに伝わると、ヴェルツブルグでもお祭り騒ぎとなった。ロックドラゴンと言えば、人族にとって「厄災」とも呼ばれる最も手強い魔物の一種であり、数十人単位の犠牲を払って、ようやく方向転換に成功する程度。討伐の成功事例となると、数えるほどしかない。それを初陣の彼女が、単身で、しかも一撃の下に葬り去ったのだ。それを聞いて興奮しない方がおかしい。長い間人族はガリエルの侵攻の前に、徐々に徐々に生存圏を狭められている。その尖兵とも言える魔物の中で最上級のものを一撃で葬り去ったという話は、人族に希望を与えた。前回の召喚者も優秀だったが、今回の召喚者はそれを遥かに上回る。流石、空前絶後の魔法をロザリア様より授かり、御使い様と呼ばれるだけの事はある。その彼女なら、人族を、ひいてはエーデルシュタインをガリエルの軛から救い、繁栄に導いてくれるだろう。そう人々は期待し、今度こそ北伐の成功を信じた。

 人々が喜びに沸く中、玉座で交わされる話題も、同じだった。

「リヒャルト、フリッツからの報告を」

 国王ヘンリック2世が、王太子リヒャルトへ尋ねる。

「はい。ミカ殿は、ディークマイアー家直属の部隊が行う威力偵察に従軍、その途中で遭遇したロックドラゴンを、単身で撃破したとの事です。使われた魔法は未知のもので、現地では『ロザリアの槍』と呼ばれているとの事。報告者であるハーデンブルグ在住の魔術師によると、他者では再現は不可能だろうとの見解が出ております。
 一方で、ミカ殿は未だ精神的には不安定な様子で、未だリーデンドルフの事件を引き摺っているとの事。ミカ殿に付けた女官からの報告を見る限り、ヴェルツブルグに戻るのは尚早でしょう。ただ、居場所がハーデンブルグですから。北伐となればいずれ辿り着く土地ですし、しばらくはこのままでよろしいかと思います」

 カルラからの報告を踏まえ、リヒャルトは美香を擁護する。基本的に彼は女性に甘い男であり、かつ美香に対し好意を持っている。現時点ではヴェルツブルグに召還する必要はなく、ハーデンブルグでゆっくり静養してほしいと心から願っていた。

「しかし、わずか4ヶ月足らずでこれだけの戦果をあげるとは、予想外でした。よほど向こうの師と馬が合ったのでしょうな」
「ニコラウス・シラーと言ったか?聞いた事がないな」
「ディークマイアーの直臣で、ハーデンブルグから出た事がないそうです。流石北の要だけあって、人の層が厚いですな」
「それにしても、初陣でロックドラゴンを撃破するとは」
「全くです。私も聞いた時には、耳を疑いました。ハーデンブルグで声の上がっている、ロザリア様の御使いという称号について、教会で追認する動きがあるそうです」
「教会がそこまで持ち上げるとなると」
「ええ。おそらく来年、北伐が行われる事になるでしょう」



 ***

「ふざけるな!」

 怒声とともに、机の上に置かれた何枚もの紙が宙を舞う。

「ミカ殿を育てたのは、私だ!彼女の素質を見出したのも私だ!にも拘わらず、田舎者風情がさも自分の手柄の様に声高に囀りおって!盗人猛々しい!」

 ハインリヒは怒り狂っていた。本来であれば美香を導き、彼女に栄誉の冠を授ける役は、ハインリヒが行うはずだったのだ。リーデンドルフでの不幸の後、ハインリヒは責任を取り謹慎していたが、その間に美香がハーデンブルグへ行く事が決まり、離れ離れとなってしまった。

 それでも、ハインリヒは楽観視していた。ハインリヒは五傑と呼ばれている、エーデルシュタイン有数の魔術師である。しかも、エーデルシュタインにおける火属性魔法の第一人者でもあり、火属性特化である美香に最も素質が近い人物でもある。ハインリヒが知る限り、ハーデンブルグには「火を知る者」を超える素質の持ち主はおらず、早晩、美香の師事は行き詰る。そうなれば再びハインリヒが招聘され、彼女との時間を持てるだろう。そうハインリヒは期待していた。

 ところが実際はハインリヒの予想を裏切り、急展開を見せる。美香がヴェルツブルグを出立して4ヶ月も経たないうちに、ロックドラゴン撃破の報である。ハーデンブルグへの移動時間を考えれば、ハーデンブルグに到着してからロックドラゴン撃破まで1ヶ月半くらいしかない。ヴェルツブルグ出立直後の傷心を考えれば、ハーデンブルグではほとんど修練は行えていないはずだ。

 つまり、ロックドラゴン撃破は、自分の教育の賜物であるはず。ハインリヒはそう理解した。それなのに、たまたま傍らにいた凡庸な魔術師が、自分の功績の様に王家に報告する。ハインリヒにとって、許し難い行為であった。

 実のところニコラウスは、自分が美香の師であるとは考えていなかった。美香はヴェルツブルグからハーデンブルグにたまたま静養で来ているだけであり、ニコラウスにとっては、一時的な預かり物という認識である。しかも美香はハーデンブルグに来た時点で、すでにニコラウスが扱える火属性魔法を全て覚えており、ニコラウスは何も教えていなかった。

 ニコラウスが美香に教えたのは二つだけ、実戦に必要な知識と応用である。各火属性魔法の癖と使いどころ、そして他属性魔法の特色と、それを踏まえた上での複合魔法の存在である。そして、これらの教育も、ニコラウスは自分の教育の賜物とは思っていなかった。ニコラウスにとっては実戦に出る魔術師なら誰でも知っておくべき事であり、自分レベルの人間であれば、誰でも同じ認識であろうと考えていた。実際のところはハーデンブルグで常に戦いに身を置いているニコラウスだからこそ身に付いた知識であり、ヴェルツブルグで平穏な日々を送る魔術師では教えられないものであった。

 いずれにせよニコラウスは、自分は美香に対し一般常識を教えただけだと考えており、そのため美香が「ロザリアの槍」を獲得したのは、美香自身の功績であると考えていた。それを、その場に居て唯一その魔法を理解できたニコラウスが、ハーデンブルグを代表して報告したに過ぎない。また、美香の持つ「禁忌」を秘匿するためにも、ニコラウスが広報担当となって情報を制御する必要があった。

 それをハインリヒは知らない。また、知っていたとしても情報の秘匿の必要性を理解できなかったであろう。ゆえに、ハインリヒは表面上流れてくる情報のみをもって嫉妬し、ニコラウスを憎悪した。

「おのれ、ニコラウスめ…」

 リーデンドルフ以降、淀み続けている彼の黒い感情に新たなスパイスが加わり、彼の心は放置された溶鉱炉の様に、熱くくすぶり続けるのだった。
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