失われた右腕と希望の先に

瑪瑙 鼎

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第4章 北伐

45:北伐、ハーデンブルグ

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「そう言えば、北伐が発布されたそうです」

 いつもの講義の途中で、ニコラウスがさり気なく爆弾を放り込んだ。

「え、マジで?」
「ええ」

 思わず素の反応を返す美香に対し、ニコラウスが丁寧に肯定する。

「あ、ごめんなさい、ニコラウスさん。失礼しました」
「いいえ、お気になさらず」

 慌てて美香は礼を失した事をニコラウスに謝り、ニコラウスは気にした風もせず鷹揚に笑みを浮かべた。

「でも、どうして今なんだろ…。早すぎるんだけど」
「早すぎるとは、一体?」

 腕を組み、ぶつぶつ言い始める美香を見て、ニコラウスが怪訝な表情で尋ねる。

「ええと、先輩…私と一緒に召喚された人が言ってたんですけど、前回の北伐は召喚されてから2年後に行われているそうなんです。なので今回も2年、あるいは先輩の件もあるので、それ以上先になるだろうと思っていたんですけど」
「ああ、なるほど。そのセンパイって方も良く調べられていますね。確かに前回は召喚されてから2年後に実施されていますし、それ以前の北伐も大体そのスパンで実施されています。ただ今回は、事情が変わりまして」
「どんな?」

 美香の質問に、ニコラウスが困ったような笑みを浮かべる。

「ミカ様が、ロックドラゴンを単独撃破されたからですよ」
「…あ」
「北伐が、召喚されてから2年後に行われるというのは、だいたい旗頭となる召喚者が育つまでの猶予期間なのです。召喚者は元々ポテンシャルの高い方が多いのですが、やはり全く異なる世界から来るため、この世界を知り、能力を使いこなすまでにそれなりの時間がかかります。それが大体1年強。その後、各国の準備期間があって、初めて北伐が発布されるわけです。
 ただ、今回はミカ様が早々に戦果を挙げましたから。しかもS級という、これ以上ない戦果を。以前にも言いましたが、S級を単独撃破した方は、過去に一人もおりません」

 ニコラウスの説明を聞きながら、美香がだんだん小さくなっていく。

「となると教会が狂喜乱舞して、予定を早めるのも致し方ありません。召喚者がもうこれ以上ないってくらい出来上がっちゃっていますからね。鉄は熱いうちに打てを、地で行くようなものです」
「あああ…」

 説明をするニコラウスの視線が下へ下へと向き、やがてしゃがみ込む美香を見下ろすようになる。美香は地面にしゃがみ込んだまま、頭を抱えた。

 やっべ、やってしまった。先輩、怒っているだろうなぁ。



 …まあ、悩んでもしょうがないか。もう取り返しが効かないし。

 脳筋よろしく気持ちを切り替え、美香は早々に立ち直った。もしこの件で柊也が詰め寄ってくるような事があれば、その前に往復ビンタ10回の刑である。

 美香はしゃがんだまま、上を見上げてニコラウスに問いかける。

「それで、北伐はいつ実施されるんですか?」
「ロザリアの第3月半ばになると思います」
「思ったより先なんですね」
「ええ、エーデルシュタインは『エミリアの森』から最も近いですからね。遠くから来るセント=ヌーヴェルやカラディナと歩調を合わせるために、出発は遅いのです」
「あれ、ガリエルを討伐するんじゃないんですか?『エミリアの森』って神話の?」
「ええ。『エミリアの森』というのは7,000年前まで人族が居住していた土地で、神話のエミリア様が住んでいた森の事と言われています。ガリエルの侵略により人族は『エミリアの森』を追われ、ここ中原に辿り着きました。そのため北伐は、ガリエルの討伐と、『エミリアの森』の奪還という2つの目的で行われる事になります」
「そうか、なるほど。…あ」

 立ち上がりながら納得の表情を浮かべる美香は、思い付いた事をニコラウスに問う。

「それじゃ、今日レティシアがフリッツ様に呼ばれているのは」
「ええ。多分その事だと思いますよ」



 ***

「レティシア、お前に北伐におけるミカ殿の介添えを命ずる。カルラの他に、当家から侍女を1名連れて行け」
「…畏まりました」

 開口一番、フリッツの命にレティシアは即座に対応できず、一拍遅れて返答する事となった。

「どうした?何か異論があるのか?」
「いえ、意外でしたので。お父様が北伐への同行を認めると、思っていませんでした」

 レティシアの率直な感想に、フリッツがじろりと睨みつける。

「お前の事だ。止めたら、どうせミカ殿と専属ポーター契約を結ぶ等と言い出すのだろう?」
「あら、お気づきでしたか」
「お前はアデーレの娘だからな。そのくらい、お見通しよ」

 あなたの娘でもあるのですが。レティシアは、鼻息を荒げふんぞり返るフリッツに対し、心の中でツッコミを入れる。

「とにかく!お前に専属ポーター契約等されては、当家の沽券にかかわる。なので、誠に遺憾ながら、同行を許可せざるを得ないのだ…」

 何故か途中から力なく肩を落とし、フリッツが盛大にため息をつく。彼なりのけじめのつけ方だろう、直後に立ち直り、いつもの迫力ある声で言葉を続けた。

「まあ、毒を食わらば皿までだ。ミカ殿は宮廷作法に疎い。今回は戦場とは言え、ミカ殿へ多数の面会があろう。お前は面会者との仲介を行い、面会者に対する防壁となれ。第1大隊から護衛小隊を編制して、オズワルドに直卒させよう」
「畏まりました」

 実の父から毒呼ばわりされても、レティシアは気にしない。フリッツから美香の同行の許諾を得られただけで、十分だった。



「此度の北伐においては、当家からは第2大隊、第4大隊を出撃させる。それとは別に、第1大隊にミカ殿及びレティシアの護衛を命ずる。オズワルド、護衛小隊を編制し、お前が指揮しろ」
「御意」

 レティシアを退室させた後、フリッツはオズワルドを呼び、美香達の護衛を命じる。オズワルドは粛々と命令に応じた。

 フリッツは命令を出すと肩の力を抜き、溜息をつく。

「ニコラウスも同行させるが…、何せ、あのじゃじゃ馬が二人だ。せっかくの北伐だというのに、貧乏くじを引かせてしまう事になるが、お前くらいしか頼めないからな。主君の覚えが悪かったと思って、諦めてくれ」
「いえ、お気になさらず」

 いつも通りの、鉄板の様に動じないオズワルドの返事を聞き、フリッツは内心で安堵する。すると気が緩んだのだろうか、フリッツにしては珍しく、オズワルドに胸の内を明かした。

「オズワルド。ミカ殿の立場は、傍目で見るほど安泰ではない。『ロザリア様の御使い』等という御大層な称号を得ても、彼女の立場は何も変わらない。むしろ孔雀の尾羽が付いて、政争の具が煌びやかになっただけだ。彼女自身は何ら力を持っておらず、今後、有象無象が蜜を吸い取ろうと彼女の周りに群がり、彼女は翻弄されるだろう。
 当家は彼女の恩義に報いるために、彼女がこれ以上この世界で好いように使い潰されるのを防ぐため、防壁として立つ。彼女に、理不尽に召喚されたこの世界で、せめて一個人として平穏で幸せな一生を過ごしてもらえるよう、全力を尽くすつもりだ。しかし、これは一筋縄ではいかない。相手は教会から王家、他貴族、カラディナやセント=ヌーヴェルと、当家の身に余るものばかりだ。
 当家がもし抜かれた時、レティシアは最後までミカ殿の前に立ち塞がるだろうが、アレはただの襖だ。防壁にはならない。ミカ殿には、ディークマイアーという外堀が埋まった時のために、内堀が必要だ。
 オズワルド。先ほどお前に護衛小隊の編制を命じたが、思い付いた騎士は誰だ?『あの時』の騎士達ではないか?」
「…ええ、その通りです」

 フリッツに問いかけられたオズワルドは、一拍の後首肯する。

「この件については、命じるつもりはない。命じたくらいで出来上がる内堀では、すぐに埋められるからな。ただ、今の私の気持ちが一番理解できるのは、お前だと思っている。私は外堀に専念する。お前は、思うままに内堀を掘ってみてくれ」
「…御意」

 フリッツの言葉を受け、オズワルドが決意の光を瞳に湛え、一礼した。
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