失われた右腕と希望の先に

瑪瑙 鼎

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第4章 北伐

55:ロザリアの槍

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「ど、どうすればいいのだ!コルネリウス!」

 背後から飛び込んだ凶報と地響きにリヒャルトは狼狽し、コルネリウスに縋りつく。一方、コルネリウスは曲がりなりにも司令官としての態度を示し、責務を全うしようと努めていた。

「落ち着かれよ、殿下!伝令!正面及び右翼は、そのまま攻撃を継続。ハヌマーンを押し潰せ!左翼ハンターは後退、転進し、ロックドラゴンの左に回って、ロックドラゴンの動きに備えよ!本陣は左翼方向に前進して、ロックドラゴンを躱せ!ケルベロスは無視しろ!」

 コルネリウスはこれまで培ってきた豊富な経験に基づき、全軍に指示を飛ばす。コルネリウスは、ケルベロスやロックドラゴンがハヌマーンと連携して挟撃しているとは考えなかった。これは単なる個々の行動が重なっただけに過ぎない。

 ケルベロスは、ロックドラゴンに追われているだけだ。放っておけば右に抜ける。問題はロックドラゴンだ。頼むから、ケルベロスを追って右に抜けてくれ。コルネリウスは胸元で印を切り、内心でロザリアに祈る。しかし、祈りは届かなかった。

「ロックドラゴン、転進!本陣を追いかけてきます!」
「くそ!」

 コルネリウスが怒声を挙げ、拳を叩き付ける。しかし、それでも彼は諦めなかった。

「左翼ハンター達に、ロックドラゴンの足止めを指示しろ!右でも左でもいい、方向転換させるんだ!本陣はこのまま前進!前衛左翼に躍り出て、正面、右翼とともにハヌマーンを潰せ!」

 尻に火がついているのだ。逃げるなら、前しかなかった。そして、コルネリウスは伝令を1人呼ぶ。

「ミカ殿に伝令。1頭でいい、『ロザリアの槍』で潰してくれ」



 コルネリウスが焦った采配を振るった結果、左翼では混乱が生じていた。

 左翼のハンター達は、伝令からの指示に基づいて後退する。しかし、ハヌマーン達はそれに引き摺られるかのように前進し、戦いを挑んでくる。個人技に頼りがちなハンターの気質も手伝い、左翼は急速後退ができず、ハヌマーンに押し込まれるように戦線が広がっていく。

 そこに、後方から急進してきた本陣が、頭を捻じ込む。通勤ラッシュの乗降車に失敗したような乱戦が、始まった。



 ***

 辺りに響き渡る悲鳴や地響きとともに、半年前と同じ色の移動する小山を目にした美香達は、伝令が到着する前にすでに行動を開始していた。

「エルマー。小隊から30騎を連れ、レティシア様の直掩を指揮しろ。本陣に同行だ」
「はっ!畏まりました!」

 オズワルドがエルマーに厳かに命令を下し、エルマーはいつもの軽薄さを捨て、敬礼する。

「嫌!私もミカと一緒に行きます!」
「レティシア様!お待ち下さい!」

 馬車を降りようとして、カルラとマグダレーナに抑え込まれているレティシアに駆け寄ったエルマーは、そのままレティシアを平手打ちする。

「…っ」
「レティシア様、落ち着いて下さい。ミカ様には、オズワルド隊長がついています。大丈夫です」
「…失礼、取り乱しました。エルマー、委細は任せます」
「畏まりました、お任せ下さい」

 やがてエルマーを先頭に30騎を引き連れた馬車は、窓からレティシアが顔を出したまま、本陣へと走り出した。

「ミカ殿、乗ってくれ」

 レティシアの馬車を見続けていた美香は、オズワルドの声に振り向き、馬上のオズワルドに手を伸ばす。オズワルドは美香の手を取って引き上げ、自分の前に美香を跨らせた。

「ミカ殿、射点を指定してくれ」
「…」

 オズワルドの声に、美香は表情を消したままオズワルドの顔を見ると、遠く人の群れから頭を覗かせるロックドラゴンの背中を見やり、そして辺りを見渡す。前方に向けて兵士達が慌ただしく駆け抜ける中、オズワルドの馬は、まるで渓流に逆らって直立するかの様に、仁王立ちしていた。

「…オズワルドさん、あそこに」
「了解した」

 1分ほどして美香が前方左の小高い丘を指し示すと、オズワルドは了解し、馬を走らせる。その後をニコラウスと30騎が続いた。



 ロックドラゴンは先ほどから変わらず、3頭横並びで歩みを続ける。本陣が前進し、立ちはだかる者がいないせいか、以前の様なロックブレスは射出していない。

 オズワルドが先導する一行は、美香の指し示した丘の下へと駆け寄る。そこは15mほどの高さの、やや傾斜のある丘だった。丘は、蛇行する大きな川が描くカーブから突き出す様にそそり立ち、川岸に生い茂る木や藪が手を伸ばして、緑が絡みつくように丘の周囲を飾っている。

 丘の北側に一行が集まると美香は馬を降り、一行に向かって口を開く。

「皆さん、ロックドラゴンが気づいて方向を変えないよう、丘の茂みに隠れていて下さい」
「ミカ様…」

 美香の意図を知り、ニコラウスが顔を険しくする。それを美香は無視し、手足を使って丘を登り始めた。各所から上がり始める騎士達の小声を、オズワルドが制する。

「全員、ミカ殿の言う通りにしろ」

 隊長の命令に騎士達は押し黙り、行動を開始する。ある者は近くの藪に身を隠し、また別のある者は馬を引き連れて、川べりの低木の茂みへと引き下がった。一行が慌ただしく動き出す中、オズワルドがニコラウスに後を託した。

「ニコラウス殿、本隊の指揮権を委譲する。私が戻るまで、隊を頼む」
「了解しました。ミカ様を頼みます」

 ニコラウスは神妙な面持ちで頷き、それを見たオズワルドは美香を追いかけて丘を登り始めた。

 二人は、前回の事を覚えていた。この後、美香に何が起きるのかも、気づいていた。



 丘は傾斜がきつく、美香は前かがみになって、手で木や岩を掴みながら登っていく。小柄でどちらかというとインドアだった美香は体力が足らず、丘を登り切る頃には息が切れていた。

「ミカ殿、掴まれ」

 美香を追い越し早々に丘を登り切ったオズワルドが、上から手を差し出す。美香はその手を取ると、オズワルドが片手で美香を引き上げた。

「はあ、はあ、はあ」

 両膝に手をつきながら呼吸を整える美香の脇で、オズワルドは中腰となり、ロックドラゴンの様子を窺う。丘の頂上は背の低い草が生えているだけで木や藪はなく、さながら壇上の様に平坦な広がりを見せていた。

 ロックドラゴンは丘の右手500m先にいて、ゆっくりとこちらへと向かっている。差し迫ってくる巨大な体は距離感を狂わせるほどだ。丘の前を多くの兵士がロックドラゴンから逃げるように左手へと走り過ぎていく姿は、まるで川を遡上するサケの群れを思わせ、ロックドラゴンはサケを追うヒグマの様に兵士を追いかけ、美香とオズワルドには気づいていない。

 やがて息の整った美香が頭を上げ、ロックドラゴンを見やる。この時、すでに「母」となっていた美香は一切の恐怖も怯えもなく、ただ一人でロックドラゴンと相対していた。

 その心は、勝算も、ロックドラゴンに対する怒りも、3万人もの人族の未来を背負った責任感も、考えていなかった。この時、美香の心を占めていたのは、ただ一つだった。



 ――― もう、レティシアと会えないのかな ―――



 彼女は、「母」だった。自分の「娘」を守るため、自らを省みずに敵に立ちはだかる「母」だった。コルネリウスは「1頭でいい」と言ったが、それは美香が許さない。「娘」を完全に守るためには、3頭全て撃破しなければならない。

 美香は、去年の事を思い出す。あのロックドラゴンを撃破した時の事を思い出す。あの時、4本の黒槍を射出した美香は、半日近く動けなくなった。極度の疲労を覚え、手足の感覚がなくなり、指一本動かせなかった。たった4本の黒槍でだ。そして今度の相手は3頭。4本では、到底足らない。

 だが、それでも結論は変わらない。やる事は変わらない。もう二度と会えないのかも知れないけど、「娘」が無事なら構わない、変わらない。

 ロックドラゴンとの距離は100mに迫り、ロックドラゴンが丘の麓に差し掛かった。3頭は横並びのまま、美香達には見向きもせず、目の前を通り過ぎようとしている。

 美香は回顧を終え、眼下を横切ろうとするロックドラゴンを見下ろし、右手をゆっくりと前に突き出す。その美香の後ろにオズワルドが歩み寄ると、静かに片膝をついた。左腕を美香の腰に回し、右腕を美香の右肩に添えて、しっかりと抱え込む。

「オズワルドさん」

 美香がロックドラゴンを見やったまま、オズワルドの名を呼ぶ。

「なんだ?」

 オズワルドが美香の顔を見て問いかけると、美香はオズワルドの方を向いて、はにかんだ。

「来年、また感謝祭、連れて行って下さい」
「…ああ、約束しよう」

 オズワルドの返事を聞いた美香は、嬉しそうに笑う。そして、再びロックドラゴンの方を向いて、口を開いた。



「汝に命ずる。大地より鉄を吸い上げ、灼熱を抱いて鋼の錘を成せ。その長さは我が丈を三度重ね、その底は我が丈に並ぶ。錘は三を三度重ね、各々が青炎を纏いて我に従え」

 美香の詠唱に応じ、地面から黒色の靄が立ち上がる。靄は美香の頭上に立ち昇ると、渦を巻いて次第に巨大な黒槍を形成していく。その数9本。縦3列横3列の格子状に並び、橙と黒の斑に輝き、青炎と白煙を吹き上げる。

 眼下を横切るロックドラゴンのうち、先を進む中央の1頭が歩みを止め、美香の方を向く。そして、大きく口を開けると、地面から石を撒き上げ始めた。

 しかし、美香は気にしない。先の1頭が歩みを止めた事で左右が追い付き、ロックドラゴンが一列に並ぶ。

「最初は横一列に三、俯角四十五度、次は横一列に三、俯角三十五度、最後は横一列に三、俯角二十五度。音速で斉射三連。彼の者を穿ち、食い破れ」



 丘の上で三度轟音が鳴り響き、二人は一つになったまま三度舞い上げられ、吹き飛ばされた。



 ***

 左翼の乱戦を抜け出し、後方へと走っていたヴェイヨ・パーシコスキとハンター達は、その光景を目にする。

 こちらを向き、小高い丘の脇を通り過ぎようとしているロックドラゴンが3頭。そして、丘の上にはヴェイヨも見た事がない、巨大な黒と橙の槍が9本。直後に黒槍は轟音とともに黒い9本の線を引き、ロックドラゴンへと吸い込まれる。

 丘寄りにいた一番右のロックドラゴンは、上から圧し潰されたように腹を地につけ、動けなくなる。その背中には3本の黒槍が突き刺さり、ロックドラゴンは標本の様に地面に縫い付けられたまま、煙と炎を噴き上げ始める。

 中央のロックドラゴンは、横を向いていた頭が消失し、体が斜めに浮き上がった。そしてその体勢を固定するかのように2本の黒槍が突き刺さり、囲炉裏に突き立てた焼き魚の様な格好で、これまた煙と炎を噴き上げる。

 一番左のロックドラゴンは、逆立ちしていた。その左側を、凄まじい土飛沫と樹木を舞い上げ、3本の黒槍が回転しながら過ぎ去っていく。一拍遅れて、千切れたロックドラゴンの左後足と長い尾が、黒槍を追いかけ飛び去って行った。

 左側のロックドラゴンが着地し、地面の上で激しくのた打ち回る。その姿を、ヴェイヨをはじめハンター全員が歩みを止め、呆然と眺めていた。

 やがて、一行の中から場違いな拍手の音が鳴り響く。

「…素晴らしい。素晴らしい。素晴らしい!!これこそが戦いだ!これこそが蹂躙だ!御使い様、あんたすげぇよ!あんた、良い女だ!すげぇ良い女だ!いいぜ、俺は何年でも待つ。待ってみせる。だから、早いとこ、良い女に育ってくれよぉ!」

 ヴェイヨはハンター達が見守る中、子供の様に目を見開き、目の前に広がる惨状を前にして、拍手をしていた。歯を剥き出しにして大きく口を歪め、笑っていた。感動していた。



 やがて拍手を終えたヴェイヨは後ろを振り向き、ハンター達を一瞥して、口の端を吊り上げる。

「さぁて。我らが御使い様が、あんな良いモノを見せてくれたんだ。俺達ハンターが、ただの観客でいるわけには、いかないよなぁ?」
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