失われた右腕と希望の先に

瑪瑙 鼎

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第9章 孤立する北

144:第一波(2)

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「撃てええええ!」

 オズワルドが怒声にも似た声を上げ、腕を振り下ろす。直後、横一列に並んだ魔術師達の腕の先から様々な色の魔法が飛び出し、押し寄せるハヌマーン軍へと飛翔した。地水火風に彩られた魔法は多くのハヌマーンを乱打し、ハヌマーンらは仰け反り、打ち倒され、痛みに身を捩らせるが、ハヌマーン軍の勢いは止まらず、倒れた仲間達を踏み潰しながら討伐隊へと押し寄せてくる。

 魔法を斉射した討伐隊は、その戦果を見届ける事なく、すぐさま馬首を翻し、先行する輜重の後を追う。第1射の時ほどタイミングが合わず、弾幕を張れなかったため、ハヌマーン軍にそれほど大きな損害を与える事ができていない。

 馬を駆り、後退を続ける討伐隊を率いながら、オズワルドは次の反転斉射のタイミングに思い悩んでいたが、視界の先に佇む1頭の騎馬を見つけ、眉を上げる。前方の騎馬は、討伐隊の足並みに合わせるように駆け出し、やがて討伐隊と合流してオズワルドと並走する。

「ニコラウス殿、どうした!?」

 オズワルドは、地面を駆る馬蹄の音に負けまいと、怒鳴り声を上げる。それに対し、ニコラウスは沈痛な面持ちで答えた。

「ミカ様からの伝言です!自分が頭を抑えると!」
「駄目だ!あまりにも無謀だ!」

 ニコラウスの言葉にオズワルドは色を失い、即座に却下する。しかし、ニコラウスは首を横に振る。

「この速度では、輜重がもちません!追いつかれます!」
「ぐうう」

 ニコラウスの残酷な見解に、オズワルドが呻き声を上げる。懊悩するオズワルドに対し、ニコラウスがむしろ宥めるかのように声をかけた。

「私には、他の策が浮かびませんでした。ミカ様がおっしゃられる通り、彼女の一撃でハヌマーンを止め、その勢いを駆って逆撃する他にありません」
「しかし、一撃でハヌマーンが止まるのか?」

 オズワルドはニコラウスに疑問を呈し、後ろを振り返る。雲霞の如く草原を覆い尽くす、6,000にも及ぶハヌマーンの群れ。その群れに対し、美香が撃てるのは、たったの一発。失敗もやり直しも試射も利かない、たったの一発。「ロザリアの槍」は貫通力に富むが、面攻撃には向かない。ライツハウゼンで見た「花火」は、火力が足らない。

 そんなオズワルドの危惧に、ニコラウスが表情を和らげる。

「ミカ様を信じましょう。…いえ、ミカ様に、我々の将来を託しましょう。それで、もしミカ様が結果を出せなかった時には、――― 



 ――― 我々が、責任をもって刺し違えれば良いのです。そもそも、これは彼女の戦いではありません。私達の戦いです」



「…わかった」

 ニコラウスの達観した発言に、オズワルドは覚悟を決め、前を向く。どのみち、逡巡している暇はない。決断をすべきなのは指揮官であるオズワルドであり、決断したのであれば、その責任はオズワルドが負う。美香が負う事ではない。

「ニコラウス殿、輜重の取り纏めと、迎撃地点の選定を頼む!私は、第1第4を取り纏める!」
「わかりました!」

 ニコラウスは馬の速度を上げて先行し、オズワルドは時間稼ぎのための第3射の準備に取り掛かった。



 ***

 美香は馬車を降り、護衛小隊に囲まれたまま、ヨナの川へと通ずる道の手前に佇んでいた。これまで駆け抜けていた草原が此処で急速に狭まり、両側には森が生い茂っている。輜重部隊は、護衛小隊を置き去りにして後方に下がり、草原の縁にへばりつく様にして待機していた。輜重を引く馬達の体はびっしょりと汗をかいて喘ぐように息をしており、すぐさま走れるような状態ではなかった。

 ほどなくして護衛小隊の許に第1第4の騎士達が次々と到着するが、彼らは護衛小隊の脇を通り抜け、後方の輜重部隊まで後退する。護衛小隊は、渓流の真ん中に居座って流れに逆らう岩の様に、両側を駆け抜ける騎馬団の中心に佇んでいる。

 やがて、馬を降りたオズワルドが美香の許に駆け寄り、大きな手で美香の二の腕を挟み込むと悔むように顔を歪める。

「ミカ、すまない。また君に全てを託してしまう事になってしまった。これも全て、私の責任だ」
「オズワルドさん、一人でそんな思い詰めないで下さい」

 美香は、目の前で悲し気な表情を浮かべるオズワルドに対し、困った様な笑みを見せる。

「どうせ私は、たまにしか仕事しませんし。しかも1回仕事したら、寝込みますし。オズワルドさんの方が、よっぽど大変だと思いますよ?」
「ミカ…」

 美香の茶化すような言葉に、オズワルドは口を閉ざす。召喚によって一方的に押し付けられた境遇にも関わらず自分を省みず、周りを気遣う美香の姿にオズワルドは色々と言いたかったが、時間がない。ハヌマーンは目前に迫っており、すぐに逆撃の準備を整えなければならない。

「オズワルド!」

 二人が佇む所にゲルダが駆け寄る。

「オズワルド!アンタは、軍を率いろ!アタシがミカを守る!」
「ゲルダ?」

 眉を上げたオズワルドに対し、ゲルダは日頃の何事にも動じない人を食った笑みを捨て、真っすぐにオズワルドの目を見る。

「アンタの方が兵の扱いが上手い!アタシの方が頑丈だ!ここは、適材適所で当たろうじゃないの!」
「…わかった。ミカを頼むぞ」
「あいよ、任せときな!」
「ミカ、それでは、武運を祈る」
「はい、オズワルドさんも気を付けて」

 オズワルドは即断すると、美香の肩を軽く叩いて、馬に乗って後方へと駆け出す。

「ミカ…お願い、無事に帰って来てね」
「うん、大丈夫よ。ゲルダさんに守ってもらうから」

 レティシアは涙を流しながら美香に顔を寄せると、小鳥が啄むように唇を重ねる。

「ん…」

 レティシアの唇はすぐに離れ、彼女は1秒でも長く美香の顔を眺めようと、一瞬動きを止めた後、馬車へと駆け戻る。そして護衛小隊とともに後方へと走り出した馬車を、美香は愛おしそうに眺めていた。

「…さ、ミカ、そろそろろうか」
「…ゲルダさん、今の表現、間違っていませんか?」

 美香と共にたった二人で残されたゲルダが、美香の肩に手を置く。労わるように笑みを浮かべるゲルダに、美香は苦笑し、そして前方へと目を向けた。その視線の先には、刻一刻と大きくなる、ハヌマーンの茶色の絨毯が広がっている。

 美香は立ったままハヌマーンに向け、右腕を上げて左手を添える。ゲルダが片膝をついて2mに近い巨体を丸め、美香の体に腕を回す。

「…胸、揉まないで下さいよ?」
「その方が集中できるなら、するけど?」
「しなくていいから」

 前を向いたまま二人は軽口を叩き、そして美香の詠唱が始まる。



「汝に命ずる。大地より鉄を吸い上げ、灼熱を抱いて鋼の錘を成せ。錘は長さ3m、底の直径75cmとし、その数は54。我の前方10m、高さ1.5m、幅200mの間に等間隔で横列を成し、各々が青炎を纏いて我に従え」

 美香の詠唱に応じ、地面から黒色の靄が立ち上がる。靄は美香の前方に立ち昇ると、渦を巻いて次第に54本の黒槍を形成していく。黒槍は二人の前方に等間隔で一線に横並び、橙と黒の斑に輝いて青炎と白煙を吹き上げる。

 美香は目の前に居並ぶ黒槍を見て、内心で安堵する。よし、まだ自分の足で立っている。これまでの黒槍とは、長さが3分の2、底の直径は半分。体積比で見れば、6分の1。期待した通り、その分、数を6倍しても耐えられた。

 美香は、自分の魔法が、薄っすらと理解できるようになっていた。自分の力をごっそり持っていかれ、気を失う恐れがあるのは、2回ある。「形成」と「射出」だ。「射出」で気を失うのは構わないが、「形成」で気を失うわけにはいかない。そして火力を上げるには、「形成」でどれだけ数を揃えられるかにかかっている。

 今揃えたのは、54本。ロックドラゴンとは異なり、硬くないハヌマーンなら、体積が6分の1でも貫通力は十分だが、問題は数。6,000に対し、54本では全く足らない。だから、底上げする。美香は気を引き締め、口を開く。



「汝に命ずる。礫を束ねて直径10cmの岩を成せ。その数、――― 」

 美香は再び詠唱を繰り返し、地面から礫が舞い上がる。「一日の奇跡」は、「一日に一度だけ全ての属性魔法が使える」だが、先の詠唱はまだ完了していない。だから「一日の奇跡」は終わっておらず、重ね掛けが可能。

 そして、ここが最大の難所。ここで間違えるわけには、いかない。いくつだ、いくつまでなら耐えられる?ライツハウゼンの3,750が、事実上の限界。そのうち、黒槍の54本でいくつ使った?…ええい、ままよ!

「その数、――― 1,000。我の前方10m、高さ1.5mに、幅200mで等間隔に並び、炎を纏いて我に従え」

 その途端、美香の体からごっそりと力が抜け、チアノーゼを起こして唇が真っ青になる。美香は遠のく意識を必死に引き留めようと、口の中を噛み切った。頬の内側に痛みが走り、口の中に鉄の味が広がる。

「ミカ!しっかりおし!」

 誰だろう、誰かが自分の名前を呼んでいる。美香は急速に小さくなる周りの音を耳にしながら、ぼんやりと考え、だが疑問はすぐに掻き消える。それより、さっき決めた言葉を口に出さないと。何のために言葉を発するのか美香は良く分からないまま、誰かの腕の中で霞む視界を閉じつつ、唇を動かした。



「…全弾…音速、で…水平…斉射。彼…の…者を…穿ち…食い…破…れ…」
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