失われた右腕と希望の先に

瑪瑙 鼎

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第12章 終焉

218:終焉

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「…か、開門!開門!ハヌマーンどもが浮足立っている。全軍、突撃しろ!」

 ロックドラゴンの陰に隠れ、美香の攻撃を免れたハヌマーン達が逃げ出す姿を見て、物見櫓の兵達が大声を発する。木製の重厚な駐屯地の扉が開かれ、中から多くの騎兵が飛び出し、ハヌマーン達を追い始めた。多数の兵士達が塀に折り重なっているハヌマーン達に止めを刺し、消火活動を始める中、コルネリウス達がオズワルド達の許へと駆け寄っていく。

「ミカ殿は、ご無事かっ!?」
「御使い様!ミカ殿!」

 一行の中からコルネリウスが飛び出し、ヴィルヘルムが足を引き摺りながら駆け寄って、オズワルドに抱えられた美香の顔を覗き込む。美香は二人の呼び声に応えず、目を閉じたまま人形の様に動きを止めていた。不安気な表情を浮かべる二人にレティシアが近づき、目に涙を浮かべながら答える。

「ご安心下さい、彼女は眠っているだけです。遅くとも、明日には目を覚ます事でしょう。ただ、暫くの間は手足が動かず、寝たきりになろうかと…」
「何という事だ…」
「嗚呼、ミカ殿、おいたわしや…!」

 レティシアの言葉を聞いたコルネリウスは絶句し、ヴィルヘルムの顔が涙で歪む。ヴィルヘルムが動かない美香に手を伸ばして繰り返し頬を撫でる中、コルネリウスは一歩後ろに下がり、直立したまま深々と頭を下げ、暫くの間そのまま動かなくなる。

 そして、コルネリウスの後ろでは兵士達が一堂に並び、コルネリウスに倣って美香に頭を下げたまま、動きを止めていた。



「ゴメンよ、アンタ。ついカッとなって、ハルバードを投げちまった」
「ああ、いや、気にしないでくれ」

 やがてコルネリウス達が頭を上げ、ゲルダが槍の直撃を受けて真っ二つに折れたハルバードを手にして持ち主に頭を下げていると、駐屯地から出て来た複数の騎馬が一行へと駆け寄って来た。先頭の騎士が馬から降りてコルネリウスの前に立つと、右腕を胸に添え、喜びの声を上げる。

「閣下、ご無事で!」
「ユリウス、久しぶりだな。元気でやっておったか?」
「お蔭様で、閣下のとばっちりを受け、無聊ぶりょうかこっておりました!上が顰蹙ひんしゅくを買うと、やる事がなくていけませんな!」

 ユリウスと呼ばれた男は口の端を釣り上げ、コルネリウスに向かって憎まれ口を叩く。彼は、クリストフの言う「コルネリウスの信奉者」の一人であり、そのためクリストフに疎まれ、駐屯地に押し込められていた。コルネリウスは、ユリウスの物言いに鼻で笑うと、口を開く。

「で、お前のところの兵は、役に立つか?」
「地方からの寄せ集めではありますが、一通り仕込んでおきました!使い物にはなるかと!」
「いいだろう。全部借りるぞ?」
「ええ!喜んで、閣下!」

 ユリウスはコルネリウスの言葉に破顔し、さも当然の如くコルネリウスの後ろを追う。ユリウスを引き連れたコルネリウスは、オズワルドの前へと向かうと、未だ眠ったままの美香をユリウスに引き合わせた。

「ユリウス、御使い様のために、寝所を拵えてくれ。我々を救うために『ロザリアの槍』を幾度も放ち、その反動で眠っておられる」
「こんな小さな御方が!?」

 驚きの声を上げるユリウスだったが、コルネリウスが重々しく頷くと再び美香の方を向き、右腕を胸に添え、厳粛な面持ちで一礼する。そして再び頭を上げると背後に並ぶ部下を呼び、次々に指示を発していった。



 慌ただしく消火活動を済ませ、兵団の編成を進めていたコルネリウスの許に、追撃を行っていた騎士達が戻って来た。彼らはコルネリウスの前に進み出ると、皆一様に報告する。

「…ハヌマーンが、何処にもおりません」
「何だと?」

 コルネリウスが傍らに立つユリウスと顔を見合わせ、再び騎士達へと顔を向ける。

「…いえ、全く居ない、と言うわけではありません。数頭毎のグループに分かれて潜み、狭い路地から襲い掛かってはきます。ですが、それだけです。北部を制圧するほどの大軍は、何処にも見当たりません。…少なくとも、生きている者は」
「どういう意味だ?」

 コルネリウスに目を向けられた一人の騎士が息を呑み、やがて覚悟を決めたかのような表情で口を開いた。



「――― 皆、死んでいます」



「何!?」
「本当か!?」

 コルネリウスとユリウスに詰め寄られ、騎士は自分を納得させるように頷く。

「大聖堂の広場から北に、ハヌマーンどもの死体が溢れています。北部に通ずる3本の大通りも、全て死体で埋め尽くされていました。街の至る所に『ロザリアの槍』が転がり、『槍』によって穴だらけになったロックドラゴンも、十頭以上確認されております」
「閣下、如何しますか?」
「…」

 ユリウスに目を向けられ、コルネリウスは暫くの間腕を組んで押し黙っていたが、やがて決断する。

「…進もう。夜になるのが問題だが、一刻も早く王城を確認したい。生存者を一人でも多く救出せねばな」
「畏まりました」

 コルネリウスの意を酌んだユリウスが指令を発する傍ら、コルネリウスは一人の騎士を呼び止める。

「ヴィルヘルム殿とレティシア殿に伝令。御使い様がお休みのところ申し訳ないが、これより我が軍は北部へと進軍する。馬車を用意するので、ご同行いただきたい、とな」



 コルネリウスは兵を三分し、1,000に駐屯地の防衛と救護所の設営を指示すると、ユリウスとともに北上を開始する。大兵力の展開が難しい市街戦を考慮し、コルネリウスとユリウスは各々3,000の兵を率い、南北に連なる2本の大通りを並走するように北上した。

 コルネリウスは美香の乗る馬車を中心に据え、頻繁に索敵を繰り返しながら、ゆっくりと大通りを北上する。美香は未だ目を覚まさず、戦力としては全く役に立たないが、コルネリウスはそれでも美香を手元に置きたかった。今や彼女はエーデルシュタインにとって、最後の希望の光である。彼女が傍に居るだけで、士気の面で雲泥の差があった。

 すでに日は沈み、漆黒の夜空には星が瞬いていたが、そこかしこから吹き上がる炎が周囲を照らし、大通りは不吉な明るさを保っている。兵達は繰り返し大声を上げ、生存者の確認を行ったが、呼びかけに応える声は驚くほど少なかった。兵達も一刻も早く王城へと進む必要があり、本格的な捜索は行う余裕はなく、彼らは後ろ髪を引かれる思いで、その場を後にする。兵達の前に立ちはだかるハヌマーンは数えるほどであり、その度に先行する索敵部隊の手によって斬り伏せられていった。

 やがて両軍はヴェルツブルグの中央、大聖堂を東端として東西に伸びる広場で合流するが、眼前に飛び込んで来た光景を目にした途端、立ち竦んでしまう。

 今朝まで石畳が真っ直ぐに敷き詰められ、白を基調とした石造りの建物が整然と並び、その終着たる東端に壮麗なロザリア教の大聖堂が佇んでいた美しい広場は、最早見る影もなかった。石畳は血と肉と炭で塗りつぶされ、西半分に至っては石畳が粉々に砕かれ、地面が掘り返されて土砂の山がそこかしこに出現しており、両脇に並ぶ建物の多くが崩壊して瓦礫の山と化している。そして炭化し、土砂に埋もれたハヌマーン達の死体が至る所に転がり、西の端には串刺しになったロックドラゴンが3頭、炭化した体を横たえている。そのあらゆる場所に巨大な黒槍が突き立って炎を噴き上げ、一変した広場を煌々と照らし上げていた。

 北に目を向けると、北部へと通ずる中央の大通りを塞ぐように3頭のロックドラゴンが蹲り、深々と突き刺さった黒槍が周囲を赤く照らしている。そして東に目を向けると、穴だらけになった3頭のロックドラゴンが燃え上がり、その奥で北半分が崩落した大聖堂に映し出された炎のスクリーンには、巨大な黒槍の尾部が黒々と描かれていた。

 唖然としたままのコルネリウスの許に騎士が駆け寄り、報告する。

「西の大通りは、駄目です。石畳は全て『ロザリアの槍』によって掘り返され、土砂で埋まり、通行できません」
「東の大通りは辛うじて進めますが、至る所で建物が崩落しており、かなりの危険を伴います」
「…」

 二人の騎士から報告を聞いたコルネリウスは、北に伸びる中央大通りを塞ぐ3頭のロックドラゴンを眺めた後、傍らに立つレティシアの顔を見て尋ねる。

「…これを全て、御使い様が?」
「え、ええ…」

 コルネリウスに問われたレティシアは視線を逸らし、口の端を引きつらせながら答える。馬車に残った美香とオズワルドに代わってレティシアの護衛を買って出たゲルダが、下唇を突き出してぼやいた。

「こりゃ、アイツの首に縄を付けておいた方が良かったな。自重と言うものを覚えさせないと、国の一つくらいは滅ぼしかねないぞ」
「…」

 二人の言葉を聞いたコルネリウスは、中央通りの真ん中で燃えさかるロックドラゴンを眺めながら、思案に沈む。レティシアが言い淀むのも、止むを得まい。いくら御使い様の魔法を目の当たりにしても、この惨状を見れば、己の記憶に自信が持てなくなるのも理解できる。この、幾度も凄惨な戦場を経験した自分でさえも、先の御使い様の魔法は未だに信じられないのだから。コルネリウスは後ろを向き、背後に佇む騎士達に指示を出した。

「ユリウスに伝令。ユリウス隊を先頭に、全軍、東の大通りを北上。王城へと進軍する」



 ***

 王城は、ヴェルツブルグ北部を煌々と照らす、篝火と化していた。

 コルネリウスは王城を取り囲んで消火活動を実施しようとしたが、あまりにも火勢が強く、消火隊に負傷者が続出したため、遠巻きに王城の最期を見届ける他なかった。唇を噛みながら火柱を眺めるコルネリウスの許に、報告が次々に齎される。

「ヴェルツブルグ全域の索敵が完了しました。狭隘な路地の奥や屋内にハヌマーンが潜んでおりますが、いずれも孤立しており、組織的抵抗は終了しております」
「ユリウス、兵3,000を率い、掃討戦を指揮しろ」
「はっ!」
「ロックドラゴンは、ヴェルツブルグ全域で16頭を確認。いずれも『ロザリアの槍』によって死亡しております」
「訂正、ヴェルツブルグ北東門の外に17頭目を確認。こちらも沈黙しております」
「陛下、並びにクリストフ殿下の行方は、未だ不明です。ただ、生存者の証言によると、未だ王城内に閉じ込められているものと思われます。…おそらくは…もう…」
「…」

 コルネリウスは齎される報告に次々と指令を発するが、王家の消息に関しては何も言わず、報告者を下がらせると、報告から逃げるようにその場を後にする。彼は少し離れた場所に停車している馬車へと向かうと、馬車の脇に立って王城を眺めていた大柄な男に、声を掛けた。

「…オズワルド、頼みがある」
「何なりと、閣下」



「――― 少しの間、御使い様を抱かせてくれぬか?」



 男は頷き、腕の中で眠る少女をコルネリウスへと差し出す。コルネリウスは男から少女を受け取ると、ぎこちない動きで横抱きに抱え上げた。コルネリウスの逞しい腕の中で、少女は赤ん坊の様に涎を垂らし、眠っている。

「…ふぇ、特大で…」
「…」

 コルネリウスには、娘が居た。いや、正確には居なかったと言うべきかも知れない。長く子供に恵まれなかった夫婦にとっての待望の娘は、結局、死産となったから。幸い、妻は一命を取り留めたが、子を産めない体となった。今は領地に一人で残り、夫の帰りを待っている。

 だから、王家に剣を捧げた。だから、国のために、民のために、殉じようとした。

 子を失い、未来を託せなくなった彼にとって、それが最後の心の拠り所だった。

 だが、王家は彼の期待を裏切って醜悪な同士討ちを繰り広げ、守るべき国は荒廃し、民は暴力に踏みにじられ、絶望とともに路頭へと放り出された。そして今日、王家が突然の終焉を迎え、劫火の下で滅びようとする故国の姿を、使い手を失った「大剣」は唇を噛み、為す術もなく眺める他なかった。



 ――― そこに、一人の少女が現れた。



 彼の娘が生きていれば同じくらいであろう、その少女は、この世界に何の身寄りも持たない、一介の町娘だった。まつりごとを知らず、剣を振るう事もできず、それでいながらロザリア様から不釣り合いなほど強大な力を授かり、それを持て余した、一介の町娘だった。

 だが、その少女の生き様は一途で、ひたむきで、誰よりも眩しく、光り輝いていた。知らない事を素直に尋ね、過ちを詫び、それでいて卑屈にもならずに顔を上げ、希望を胸に前へと歩み続けた。そして心の底から民を想い、己を顧みず民を守り抜いた。その姿は彼にとって、まさに託すべき未来の姿であり、託すべき「使い手」だった。



 彼の腕の中で、少女は涎を垂らしながら、静かに寝息を立てている。彼は少女の寝顔を見つめたまま躊躇いがちに口を開き、ついに呼ぶ事の叶わなかった名を呟く。

「――― コルネリア」

 途端、彼の心は激しく揺さぶられ、彼の目から大粒の涙が溢れ、次々と少女の服に落ちて大きな染みが広がった。エーデルシュタイン王国最後の大将軍となった彼は、煌々と燃えさかる王城の前で、少女を抱いた両腕を震わせ、涙を拭く事もできずに喉元から溢れる激情を堪え、歯を食いしばる。

「…う…ぐ…ぅぅ…」



 中原暦6626年ロザリアの第1月21日。この日、エーデルシュタイン王国は、63代、979年の歴史を閉じ、滅亡した。
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