失われた右腕と希望の先に

瑪瑙 鼎

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第12章 終焉

221:廃村の戦い

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「□×〇〇$ ▽÷%% \〇% □+!」
「×\#□ %&&〇 ▽× △〇\&&!」
「うおおおおお!」

 降りしきる雨の中、身の丈にも届く高い草むらのあちらこちらで怒声と剣戟が鳴り響き、斬り飛ばされた草葉と共に血や肉が飛び散る。雨と生い茂る草木が視覚と嗅覚と聴覚を阻害し、どちらも手探りに近い状態で敵を求めて彷徨い、目の前に現れた敵に見境なく得物を振り下ろす。廃村の中で繰り広げられる戦いは、戦術や指揮の及ばない、乱戦の様相を呈してきた。

 逐次投入の愚を覚悟の上で後続の兵を次々に戦場へと送り込んでいたユリウスが、違和感を覚え、呟く。

「…ハヌマーンの動きが鈍い。疲弊しているのか?」

 人族はハヌマーンと比べ、体格が一回り小さい。その分体力も劣り、人族はその不利を技術や戦術、魔法で補ってきた。そのため今回の様な乱戦となるとハヌマーンが有利であり、ユリウスの頭の中では先ほどからジリ貧のアラートがけたたましく鳴り続けていた。

 だが戦いの様子を見ていると、戦況は決して楽観できないものの、自軍が押している様に見える。時折敵方の優れた個体の登場によって一時的に盛り返される局面も見られるが、兵士間の連携で抑え込みに成功すると、ジリジリと戦域を前に進める事ができていた。ユリウスは好機と見て、続々と到着する友軍を編成し、狭い戦場の中で苦労しつつも的確に兵を入れ替え、次第に頑強な戦陣を構築して戦線を押し上げる。

 崖の下を流れる川に沿って南北に細長く広がる廃村で繰り広げられる戦いは、その激しさが些かも衰えぬまま、少しずつ少しずつ南へと移動していた。



 ***

「…〇□×…×%…$$%〇…□△*$\ 〇□%!」
「…〇×%&&…□$\\…□ ×□%$$# □+!」

 熱にうなされ、白濁した世界を彷徨っていた聖者を何度も呼ぶ声が微かに聞こえ、彼は薄っすらと目を開く。彼の頭の中では痛みを伴う鐘の音が鳴り響き、意識は朦朧とし、その体は火に炙られたかのように熱く、その至る所を悪寒が駆け巡る。聖者は霞む目を動かし、彼を不安そうに見つめる同胞達へと向け、耳を傾ける。彼の忠実な供回りは、彼の容態を気遣いながらも、不吉な報告を齎した。

「@@% □△%&&〇 #$×◇ 〇\ △&×□□▽ $%%〇×…」

 人族が襲い掛かって来ました。もう、これ以上は持ちません。急ぎ退避をなさって下さい。

 聖者と数頭の供回り達は、廃村の南端に佇む、半壊した廃屋の中に潜み、雨風を凌いでいた。だが、廃村は人族の攻撃によって次第に奪われ、すでに聖者の居る廃屋からも、人族の声と剣戟の音が聞こえていた。聖者は、背筋を走る悪寒に鳥肌を立て、歯を鳴らしながら口を開く。

「…□×%% △#$$@ 〇\\△\×$ 〇□×&?」

 …策が、効かなかったのか?

 聖者に問われた男は、唇を噛み、目を逸らす。

「×□%$$@ *&$$〇□ $##▽◇ 〇\ &++〇\…」

 聖者様がお目覚めになられませんでしたので、未だ誰も発せようとはせず…。

 男の答えを聞いた聖者は身を起こし、激しく咳き込みながら叱り付ける。

「□×○○$ \〇&%% 〇×□□# □% ×\%&&$ ▽〇…」
「□&&#▽ 〇□$$%」

 駄目ではないか、私が居なくとも頃合いを見て、誰かが声を上げなければ…。

 申し訳ございませぬ。

 身を縮め恐縮する男を前に、聖者は荒い息をつき、同胞達に背中を擦られながら、掠れた声を上げる。

「□×%$$ △#$$@ □△\\…」
「%%〇 #$!」

 急ぎ、策を発せよ。

 はっ!

 聖者の言葉を聞いた男は頭を下げ、身を翻して外へと飛び出していく。聖者はその後ろ姿を見届ける事なく再び咳き込み、体中を駆け巡る悪寒から逃れるように身を縮めた。その姿を見た供回り達は慌てて聖者に身を寄せ、自らの体温を聖者へと与えようと鮨詰めとなる。

 やがて、外の剣戟の音が次第に大きくなるのに気づいた供回り達は、再び意識を失った聖者を抱え、廃屋を出て降りしきる雨の中へと飛び出して行った。



 聖者の言葉を聞いた男は、雨の中で仁王立ちすると、肺に空気を取り込み、あらん限りの雄叫びを発する。

「□\〇$$$▽%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%!」

 その雄叫びは、廃村の至る所に次々と伝播し、廃村の北に広がる森の中からも聞こえて来る。

「□\〇$$$▽%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%!」
「□\〇$$$▽%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%!」
「□\〇$$$▽%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%!」

 男は次々と沸き起こる雄叫びの中、得物を構えると、同胞達と斬り結んでいる人族の許へと飛び込んで行った。



 ***

「□\〇$$$▽%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%!」
「□\〇$$$▽%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%!」
「□\〇$$$▽%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%!」
「いかんっ!全軍左翼警戒!ハヌマーンが来る!」

 未だ廃村へと続く街道の途中に居たコルネリウスは、左手に広がる森の中から次々と上がる雄叫びを聞き、顔色を変えた。

 ハヌマーンが、策を弄した。

 この事実は、コルネリウスはおろか、中原に住む全ての人族にとって、雷に撃たれるほどの衝撃であった。

 確かにハヌマーンはオークやリザードマンと同じく、原始的な社会を営み、その行動には知性の片鱗が見られる。頻繁に集団で中原へと押し寄せる姿は、明らかに侵略しようとする意志が窺え、ハヌマーンが他の魔物とは一線を画す存在である事は、周知の事実であった。

 だが、その知性は人族と比べて明らかに低く、彼らの戦い方は力押しが基本であり、知恵を回したとしても狩りの延長、せいぜい待ち伏せや挟み撃ち程度に留まっていた。そのため、コルネリウスはリーデンドルフに進入するにあたって待ち伏せを警戒し、入口を念入りに偵察したのである。

 だが振り返って見れば、此度のハヌマーンの攻撃は、明らかに以前と異なっていた。ここ100年以上例のないほどの大軍をもって幾度もなくハーデンブルグへと押し寄せ、ロックドラゴンという攻城兵器まで連れて来た。そして、美香の頑強な抵抗によってハーデンブルグが陥落しないと見るや、一転してラディナ湖西岸へと兵を向け、ヴェルツブルグに対して完璧とも言える奇襲を成功させた。我々が内戦にうつつを抜かし、敵を顧みなかっただけで、彼らは明らかにこれまでと違っていた。

 そして、これほどまでに機を見計らい、我々に勘付かれぬよう兵を伏せ、誰一人先走る事なく息を潜めさせる、見事なまでの手腕。



 ――― ハヌマーンに、知者が居る。



 怖気を走らせるコルネリウスを嘲笑うかの様に、空から無数のハヌマーンが降って来た。



 ***

「うわああああああああああ!」
「ハ、ハヌマーンが!」
「て、敵襲!」

 街道に沿って南北に細長く連なる兵達のあちらこちらで悲鳴が上がり、コルネリウス隊は大混乱に陥った。

 街道の左手に連なる森から次々とハヌマーンが飛び出し、人族の軍列へと飛び込むと、棍棒や原始的な剣を振り回し、兵士達をなぎ倒す。この突然の事態に立ち竦み、ハヌマーンに背を向け、密集する同僚達を掻き分けて逃れようとする兵が続出した。

 聖者が埋伏したハヌマーンの数は、300。コルネリウス軍5,000と比較すると明らかに寡兵である。だがその奇襲は完全に成功し、しかもハヌマーン達は己を顧みず、死兵と化して一人でも多くの人族を道連れにしようとする。狭い街道の中に突如出現した阿鼻叫喚が混乱に拍車をかけ、多くの兵が仲間に突き飛ばされて、崖下の川へと転落していった。



「畜生!猿共め、ふざけやがって!」

 ゲルダはハルバードの柄を掲げ、目の前に振り下ろされた棍棒を受け止めると、勢いに逆らわずに尻餅をつき、そのまま右足を蹴り上げる。左手の森から飛び出し、空から降るようにゲルダへと襲い掛かったハヌマーンは自らの勢いを殺しきれず、ゲルダの剛脚によって蹴り飛ばされると、そのまま街道を横切り、崖下へと落ちていった。

 街道に尻餅をついたゲルダは、即座に身を起こし、辺りを見渡す。美香とレティシアの乗る馬車は、ゲルダの後方で20人程の騎士に守られ、停車している。そして、その周囲には3頭のハヌマーンが飛び込み、周囲の兵士に向けて得物を振り回していた。折悪くオズワルドも混乱に巻き込まれ、馬車から少し離れた後方で、別のハヌマーンと剣を交えている。

「マズい!ミカ!レティシア様!馬車から降りろ!」

 ゲルダは、新たに襲い掛かって来たハヌマーンと矛を交えながら、馬車に向かって怒鳴り声を上げる。ゲルダの声が聞こえたのか、付近に居る騎士達が馬車の山側の扉を開け、中に居るレティシアの手を引いて連れ出すのが見えた。反対側の扉も開いて、中から美香が降りて来る。

 だが、その直後。

「危ない!」

 馬車の傍で暴れていたハヌマーンの剣が横なぎに振るわれ、2頭立ての馬車を牽く片方の馬に鮮血が舞った。馬は悲鳴を上げながら横倒しとなり、崖側を歩くもう1頭の馬が驚いて棹立ちとなる。馬車は崖側へと傾き、山側の車輪が宙に浮いて、馬がたたらを踏む。

「ミカ!」

 悲鳴を上げるゲルダの視線の先で、ハヌマーンが馬車を横蹴りし、馬車が崖側へと押し出された。驚いた表情を浮かべる美香の姿が、横滑りする馬車の陰に隠れる。

 そして、崖際で踏み止まった馬車に弾き飛ばされて再び現れた美香の姿は馬体の陰へ吸い込まれて見えなくなり、その後には、降り注ぐ雨と川の向こう岸に広がる森だけが、映し出されていた。
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