失われた右腕と希望の先に

瑪瑙 鼎

文字の大きさ
上 下
245 / 299
第13章 忘恩の徒

243:任命式

しおりを挟む
 翌日は、頂点に立った美香から臣下に対する任命式が、行われた。



 昨日と同じ王城跡の更地を囲い込むかのように陣幕が張られ、中に大勢の人々が整然と立ち並んでいる。彼らの視線の先には仮設の階段が置かれ、その上に設置された玉座には美香が腰を下ろし、一同を見下ろしていた。

 脇に佇むアデーレが耳元で囁く言葉を聞いて美香は頷き、一同を見渡して口を開く。

「フリッツ・オイゲン・フォン・ディークマイアー!」
「はっ!」

 一同の中からフリッツが進み出て階段の下で跪き、首を垂れる。美香は玉座に腰を下ろしたまま、フリッツを見下ろし、言葉を続ける。

「フリッツ、あなたを執政官に任命します。わたくしに代わってこの国の舵を取り、正しく導きなさい」
「はっ!一命に代えましても!」

 美香の言葉にフリッツが深々と頭を下げ、やがて立ち上がって左胸に拳を添えもう一度深く頭を下げると、一同の許へと戻って行く。再びアデーレが耳元で囁き、それに基づいて美香が言葉を発した。

「コルネリウス・フォン・レンバッハ!」
「はっ!」

 一同の中からコルネリウスが進み出て階段の下で跪き、首を垂れる。美香は玉座に腰を下ろしたまま、コルネリウスを見下ろし、言葉を続けた。

「コルネリウス、あなたを軍務総監、並びに大将軍に任命します。わたくしに代わって兵を率い、この国と民を護る盾となりなさい」
「はっ!一命に代えましても!」

 美香の言葉にコルネリウスが深々と頭を下げ、立ち上がって左胸に拳を添えもう一度深く頭を下げると、一同の下へと戻って行く。美香は耳元で囁かれるアデーレの言葉に従い、ヴィルヘルム、テオドールと、順に名を呼んでいく。

「ヴィルヘルム、あなたを副執政官、並びに法務総監に任命します。フリッツの持つ舵を支え、わたくしに代わって規範となり、国民のかがみを指し示しなさい」
「テオドール、あなたを内務総監に任命します。わたくしに代わって国をおこし、民に豊かさを齎しなさい」

 ヴィルヘルムとテオドールは、フリッツ達に倣って美香の前で首を垂れ、任命を受ける。日頃いい加減なテオドールでさえもこの時ばかりは厳粛な面持ちで臨み、体型による行動の制限を除けば完璧な作法を見せた。

「アデーレ・フォン・ディークマイアー!」
「はい」

 テオドールが一同の許に戻ると、美香に名を呼ばれたアデーレが、階段を大きく回り込んで美香の許で跪く。

「アデーレ、あなたを宮内くない総監に任命します。わたくしに代わって儀典を極め、我が国に相応しい饗応きょうおうを整えなさい」
「はい、一命に代えましても」

 美香の言葉に、アデーレはドレスの端を指で摘まみ、優雅に頭を下げた。



 アデーレの任命を終えた後も、美香はアデーレの囁きに従って次々に名を呼び続けた。名を呼ばれた者は前に出て美香の許で跪くと、美香の任命を受け、元の場所へと戻って行く。美香の呼び声は数十回にも及び、その都度名を呼ばれた者の拝命の声以外、他の者は一切声を上げず、式は厳かな雰囲気で進んでいった。

 やがて、主だった官職の任命を全て終えた美香は玉座から立ち上がり、階段の上から一同の顔を見渡して、口を開く。

「これより5年間、あなた方にこの国のまつりごとを預けます。皆の者、執政官の言葉をわたくしの言葉と理解し、執政官の下でおのが責務を全うしなさい」
「はっ!これより我ら一同、陛下の御国おくにをお預かりし、5年の後、一点の曇りもなく、益々隆盛たる姿をもってお返しいたす事を、此処に誓います!」
「「「誓います!」」」

 美香の言葉を受け、一同を代表してフリッツが宣誓し、皆が一斉に唱和する。

 こうして任命式は無事に閉式を迎え、フリッツを執政官とする最初の政権が発足した。



 ***

「ふわぁぁぁぁ…、何とか無事に終わったぁ…」

 ディークマイアーの館に戻って来た美香は、ソファに身を投げ出し、両拳を掲げて大きく背伸びをする。ソファの後ろに立ったアデーレが、美香を見下ろしつつ労わりの声を掛けた。

「お疲れ様、ミカさん。良く頑張ったわね」
「お母さんが脇でサポートしてくれましたから。あんな大勢の名前と官職、覚えられるわけがありません」
「ええ、そういう事はみんな、お母さんに任せてね」
「はい、ありがとうございます」

 美香はソファから身を乗り出し、万歳をして天井を眺めたまま、視界の隅に映るアデーレに向けて満面の笑みを浮かべた。



 聖王国における行政組織は、執政官の下に置かれた幾つかの省庁によって構成される。各省庁のトップに当たるのが、総監である。この他に大将軍をはじめ数多くの官職が、前王朝から踏襲された。ちなみに大将軍は、総監と同格である。副執政官は執政官の補佐役で総監と同格だが、執政官が職務を遂行できなくなった際にはその権限を引き継ぐ事になっていた。この世界の政治思想に倣って三権分立は行われず、執政官の下に司法も立法も集中している。

 任期は5年。各官職は貴族同士の投票を経て決められるが、王朝成立直後の今回に限り投票は行わず、フリッツ達が人事案を提出し、それを元に美香が任命を行った。



 アデーレとの会話に花を咲かせる美香の隣にレティシアが腰を下ろし、ティーカップを手渡す。

「はい、ミカ、紅茶でも飲んで一息入れて」
「あ、ありがとう、レティシア」

 美香はレティシアに礼を言ってカップを受け取ると、口をつける。紅茶の味と共にほのかな柑橘系の香りが、口の中に広がった。レティシアが、美香の飲む様子を横から眺めている。

「一休憩して昼食を摂ったら、午後から予定されている直轄軍の閲兵式に向かわないとね」
「うん、明日は市民への参賀もあるし、目白押しだぁ」

 美香の向かいに座り、二人の会話を聞いていたコルネリウスが、そこで話に割り込んだ。

「ミカ、直轄軍の名は決まったかい?」
「あ、はい、お父さん。こんなのは如何でしょう?」

 コルネリウスの問いに美香はティーカップを置き、近くにあった紙を取って、ペンを走らせた。



 美香は聖王国の政治体制を創造するに当たって天皇制を参考にしたが、結局実権の放棄には至らなかった。あくまで主権は自分にあり、それを5年間、政権に預ける。それを繰り返す事で、近似的な体制を作り出したのである。そのため、フリッツ達の進言を受けて美香直轄の軍を編成する事になり、ハーデンブルグから連れて来た第1大隊、親衛部隊、ミュンヒハウゼン傭兵団他の計11個大隊が、充当される事になった。

 美香はペンを置き、コルネリウスに向けて紙を掲げる。同じテーブルを囲んでいたフリッツやオズワルドは勿論、アデーレやレティシアも脇から顔を出して、紙に書かれた文字を覗き込んだ。



 ――― 近衛 ―――



「「「ガーズ…」」」
「え?」

 五人が一斉に同じ呟きを発し、それを聞いた美香が目を瞬かせる。

「…ああ、自動翻訳のせいですね。私の国では、これで『コノエ』と呼びます」
「「「コノエ…」」」

 美香が発した言葉を、五人が一斉になぞらえる。すると、五人の視線の先で紙に書かれた文字が変形し、奇怪な模様が浮かび上がった。

「…何か、物凄く難解な文字を使っているのね、あなたの国って」
「まぁね」

 漢字を見たレティシアが眉を顰め、それを見た美香は苦笑する。だが、腕を組んで眺めていたオズワルドが、顔を綻ばせた。

「だが…コノエ…良い響きだ。文字も何処か勇ましく感じられる。どうだ、ミカ。この文字を旗印にしてみては?」
「え?」

 後日、美香の直轄軍として発足した近衛師団が掲げる軍旗には、美香が大量の紙屑を量産して書き上げた渾身の「近衛」の二文字が書家によって再現され、旗の中で黒い尾を引き、悠々とたなびく事になった。



 ***

「ただいま戻りましたー。…あれ?お父さん達、随分と渋い顔をしていますね?」

 夕方、直轄軍の閲兵式から戻って来た美香達が部屋に顔を出すと、フリッツとコルネリウスの二人が、眉間に皴を寄せ、考え込んでいた。美香が声をかけると二人は表情を緩め、手を挙げて出迎える。

「おかえり、ミカ。式典は問題なかったか?」
「はい、つつがなく」

 フリッツの問いに答えながら、美香はソファに腰を下ろす。

「それで、お父さん達、何かお悩みですか?」
「ああ…」

 美香の質問に、フリッツが躊躇いがちに口を開いた。

「…西部の決着のつけ方が、しっくりこなくてな。武力による制圧は止むを得ないにしても、元はと言えば、旧王家の内乱が原因だ。王家の命によって西誅に参加した者も居るし、内乱によって困窮し、止むを得ず手を汚した者も居るだろう。そう言った者達を犯罪者として一律に処断する事が、果たして正しいのか、確信が持てないのだ」
「そう言う事ですか…」

 フリッツの言葉を聞き、美香の声が沈む。フリッツの言葉は、この世界の貴族としては、稀有と言える。文明のレベルが中世と大差のないこの世界では、人の生命に貴賤があり、軽んじられている。通常の貴族であれば自分の領民でもなく、しかも犯罪者であれば、その背景を配慮する事なく、斬首や奴隷等の厳罰に処するであろう。だが、フリッツにしろコルネリウスにしろ、美香を支える面々は奇跡的にもそう言った固定観念に縛られておらず、立ち止まってくれている。美香は、自分の信頼する人々が自分と同じ思想や価値観を持っている事に、内心でかけがえのない温もりを覚えた。

 暫くの間、美香は考えに沈んでいたが、やがて顔を上げ、躊躇いがちに口を開いた。

「…あの、お父さん。私の考えを述べても良いですか?」

 美香の言葉に、コルネリウスが顔を綻ばせる。

「ああ、勿論だとも。何といっても、此処は君の国だ。君に考えがあれば、遠慮なく言ってくれ」
「ありがとうございます、お父さん。では…」

 美香は頭を下げ、二人に対し意見を述べ始めた。



 ***

 美香が説明を終えて口を閉ざすと、部屋の中に沈黙が広がる。美香の視線の先では、フリッツとコルネリウスの二人が腕を組み、考え込んでいた。その二人の眉間には、先ほどよりも深い皴が寄っている様にも見える。

「…あの、やっぱり、無謀な考えでしょうか?」
「「…」」

 美香の自信なさそうな問いに、二人はすぐには答えない。やがて、フリッツが眉間に皴を寄せたまま、言葉を選ぶように口を開く。

「…いや、ミカの言いたい事は分かった。共感もできる。…だが、ミカ、君は本当にそれができると思っているのか?」

 フリッツの疑わし気な視線を受け、美香は姿勢を正し、自分に言い聞かせるように答える。

「これは、私がしなければならない事だと思います。他の誰でもなく、この国の頂点に立った自分が直接しないと、彼らも受け入れてくれないと思います」
「…」

 美香の決意の姿を、フリッツもコルネリウスも感情を面に出さず、黙って見つめる。やがて、フリッツが自分の心にケリをつけるかの様に、溜息をついた。

「…わかった。ミカの意見を取り入れ、対応を協議しよう。だがミカ、君の決断は、生半可な覚悟では乗り越えられないものだという事を、肝に銘じておいてくれ」
「はい。お父さん、よろしくお願いします」
「ミカ…」

 フリッツの言葉に、美香は深々と頭を下げる。その美香の膝の上にはレティシアの手が置かれ、彼女は悲壮とも言える決断をした愛する少女の横顔を、気遣わし気に見つめていた。
しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

神隠しだと思ったら、異世界に召喚された!

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:28pt お気に入り:33

運命の番を見つけることがわかっている婚約者に尽くした結果

恋愛 / 完結 24h.ポイント:15,529pt お気に入り:261

お高い魔術師様は、今日も侍女に憎まれ口を叩く。

恋愛 / 完結 24h.ポイント:262pt お気に入り:120

怪人ヤッラーの禁断の恋

BL / 完結 24h.ポイント:0pt お気に入り:15

最初に私を蔑ろにしたのは殿下の方でしょう?

恋愛 / 完結 24h.ポイント:1,741pt お気に入り:1,958

壊れた玩具と伝説の狼

BL / 連載中 24h.ポイント:21pt お気に入り:81

堅物監察官は、転生聖女に振り回される。

恋愛 / 完結 24h.ポイント:142pt お気に入り:147

夜の帝王の一途な愛

恋愛 / 完結 24h.ポイント:411pt お気に入り:85

【AI小説】うっかり刑事

大衆娯楽 / 完結 24h.ポイント:0pt お気に入り:0

桔梗の花の咲く場所〜幼妻は歳上夫に溺愛される〜

恋愛 / 完結 24h.ポイント:113pt お気に入り:117

処理中です...