失われた右腕と希望の先に

瑪瑙 鼎

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第13章 忘恩の徒

248:死神を前にして

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「一体何だ、あの男は!?無礼なのにも程がある!」

 自分の十八番おはこを奪われ、散々振り回された挙句に体よく放り出されたセドリックが憤慨しながらリヒャルトの許に戻って来ると、そこには先客がいた。

「セドリック殿、彼奴きゃつらの様子は如何でございましたか?」
「ジャクリーヌ猊下、わざわざこの様な前線までお出にならなくとも…」

 天幕へと入ったセドリックは、リヒャルトとの対話を中断して後ろを振り返った女性の姿を認めると、面を改め、深々と頭を下げる。ジャクリーヌと呼ばれた女性は、40代の年齢を感じさせないすらりとした肢体をセドリックへと向け、目鼻立ちの整った顔に厳しい表情を浮かべ、張り詰めた声で答えた。

「此度のリヒャルト殿下の親征は、私どもロザリア教にとっても他人事ではございませぬ。ガリエルの尖兵たるハヌマーンどもがエーデルシュタインを蹂躙しカラディナへと押し寄せてから、はや半年。その間、ロザリア教の聖地たるヴェルツブルグとの連絡は、断たれたままでございます。全能たるロザリア様がハヌマーンごときに屈するとは思いませぬが、教皇猊下並びにヴェルブルグを預かる枢機卿の方々の行方は未だ知れず。教皇猊下より枢機卿に任じられ、カラディナ共和国の教会を託されたこの私といたしましては、猊下のご無事を願わずにはいられませぬ」

 ジャクリーヌ・レアンドルは焦燥気味にセドリックに言い放つと、リヒャルトに詰め寄る。

「殿下、何故彼奴らを即座に蹴散らさないのですか?殿下の才覚とカラディナの精兵をもってすれば、あのような雑兵を蹴散らすなど、雑作もないはず。ガリエルの魔の手から聖地を救う正義の御旗の前に立ちはだかる者など、手心を加えるべきではありませぬ」
「お待ち下さい、猊下。そのために今、敵情視察から戻ってきたセドリックの報告を聞くところです。…セドリック、それでどうだ?報告してくれ」
「はっ」

 ジャクリーヌの剣幕にリヒャルトは内心で辟易しながらバトンをセドリックへと放り投げ、不本意ながらバトンを受け取ってしまったセドリックは、顔に浮かんだ表情を隠す様に頭を下げた。

 …はぁ。この御仁、随分と焦っておられる。

 ジャクリーヌは、確かに40代という若さ、しかも女性でありながら枢機卿に任じられるだけあって、優れた人物である。しかし、やはり40代という若さと女性である事が不利に働き、他の枢機卿に比べると格が落ちる。通常であれば、教皇の座に就く事など、一生叶わないであろう。

 だが、ここに来て、通常ではない事態が起きた。エーデルシュタイン王国がハヌマーンどもに蹂躙され、ヴェルツブルグとの連絡が途絶えたのだ。断片的に入って来る情報を総合すると、ヴェルツブルグはハヌマーンの攻撃に前に陥落したと判断せざるを得ない。そして半年経った今も、教皇及び3人のヴェルツブルグの枢機卿の全員が、行方不明となっている。

 現在、ロザリア教で健在な枢機卿は、ジャクリーヌの他には、遥か西のサンタ・デ・ロマハに居るセント=ヌーヴェル統括のみ。この両者のうち、いち早くヴェルツブルグに乗り込み混乱を治めた方が、新たな教皇に選出される可能性が高いと言えよう。セドリックは、千載一遇とも言えるチャンスに噛り付き手離そうとしないジャクリーヌにうんざりし、顔を伏せたまま報告する。

「残念ながら前方の軍は、見せかけではございませんでした。首謀者はテオドール・ヨアヒム・フォン・ミュンヒハウゼンを名乗り、自分の娘が王位に就いたと述べておりました」
「テオドール!?…あの『甕』がか?」

 セドリックの報告にリヒャルトは目を見開き、困惑の表情を浮かべるギュンターと顔を見合わせる。セドリックが顔を上げ、リヒャルトに尋ねた。

「殿下、テオドールと言うのは…やはり、あの『甕』でございますか?」
「ああ、そうだ、セドリック殿。エーデルシュタインの田舎者の代名詞とも言える、あの『甕』だ。…しかし、あそこに娘なんて居たか?」
「テオドールの前妻は、ヴァレンシュタイン公爵家に連なる者でした。彼の家から王家の血を引く娘を買い取ったのかも知れませんね」
「幼子を傀儡かいらいに立てたか…『甕』如きが王を名乗るなど、身の程知らずが!」

 リヒャルトが声を荒げ、吐き捨てる。ギュンターが眉間に皴を寄せ、懸念を表明した。

「しかし、ミュンヒハウゼン領はラディナ湖東部中央。それが西まで出張って来たとなると、相当大きな勢力に育っておりますな」
「あそこは資力が桁違いだからな。金に物を言わせて、傘下に収めたのだろう。求心力のない今のうちに突き崩さないと、後々面倒だ。セドリック殿、カラディナ軍司令に伝令を。貴軍にも手伝っていただく」
「しかし、殿下。あの軍は、容易には崩せませぬぞ!?」

 実際に敵陣を目にしたセドリックが、警鐘を鳴らす。それに対し、リヒャルトは覚悟を決めた表情を向け、断言した。

「あの『甕』の中には金しか詰まっておらず、人望と軍才は空っぽだ。寄せ集めの今なら、何とかなる。いずれにせよ、奴らに地盤を固める暇を与えるわけには、いかん。一撃をもって蹴散らすぞ」
「何と頼もしいお言葉。このような厄災の中で私欲に走り簒奪を企むなど、ロザリア様がお許しになるはずがありません。正義は必ずや我々と共に在って我々の力となり、愚か者どもを討ち滅ぼす事でしょう」

 リヒャルトの決断とジャクリーヌの支持を耳にして、セドリックも腹を括る。いずれにせよ、リヒャルトをヴェルツブルグまで無事に送り届けないと、友好条約は空手形と化す。空手形を持ち帰る権限は、セドリックには与えられていなかった。



 ***

 リヒャルトの決断の下、軍の展開を終えたギュンターは全軍に前進を指示し、両翼をカラディナ軍に守られたリヒャルト軍は中央の厚い魚鱗の陣で少しずつ敵陣へと近づいた。敵はリヒャルト軍とは逆に中央が左右より引いた鶴翼の陣を敷いており、今のところ目立った動きが見られない。受け身なのは、やはりテオドールの軍才の乏しさと配下を掌握しきれていない証左か?ギュンターはそう推測する。

 やがて彼我の距離が250メルドほどになり、弓の有効射程距離が近づいて来た。有効射程距離に入る直前に、突撃を敢行しなければならない。逸る気持ちを抑え、慎重に距離を計るギュンターの視線の先で敵の中央に些細な動きが見え、二人の人物が姿を現した。

 距離が遠すぎて顔の判別がつかないが、どうやら二人ともこの世界では珍しい黒髪を持つ、若い男女と見られる。この期に及んで、主義主張か?いぶかるギュンターの耳に、リヒャルトの呟きが聞こえて来た。

「…ミカ?」
「え?」



 ――― そして、リヒャルト・カラディナ連合軍26,000の兵士達は、その光景を目にする。



 敵陣の中央に佇む、二人の男女。その手前に地面から黒い靄が立ち昇り、渦を巻いて次第に黒槍を形作っていく。その数、およそ30。人の身長の遥かに巨大な、3メルドほどの巨体を横たえ、男女を中心に扇形を描く様に並べられた30本の黒槍は、時折橙色に滲み輝き、青炎と白煙を吹き上げながら凶悪な尖端を兵士達へと向ける。死と恐怖を纏わりつかせた禍々しい死神の槍を向けられ、リヒャルト・カラディナ連合軍の兵士達の足が止まり、体が硬直する。

 その直後、死神の槍は一瞬で消え去り、兵士達の真上を黒い帯が駆け抜け、彼らは上空から降り注いだ空気の壁に押し潰され、薙ぎ倒された。



「うわあっ!」
「ぎゃあ!」
「な、何だ!」

 リヒャルト・カラディナ連合軍は30本の空気の帯によって分断され、兵士達がそこかしこで転倒していた。多くの騎馬が暴れ回り、騎士達が落馬している。そして、背後で凄まじい地響きが沸き起こり、慌てて振り向いた兵士達の視線の先には、膨大な土飛沫を撒き上げ、回転しながら急速に遠ざかる黒槍の群れが、映し出されていた。

 死者こそ出ていないが連合軍には負傷者が続出しており、無事な者達は皆真っ青になって、恐怖で顔が引き攣っている。黒槍は、連合軍の命こそ奪わなかったが、兵士達の戦意を根こそぎ刈り取ってしまった。

 やがて、恐る恐る前方へと目を向けた兵士達は、その光景を目にする。



 ――― 再び男女の前に黒い靄が立ち昇り、渦を巻いて次第に黒槍を形作っていく、その姿を。



「…う、うわああああああああああああああああ!」
「に、逃げろ!逃げるんだ!」
「た、助けてくれええええええええええええええ!」

 連合軍の兵士達は一斉に背を向け、国境へと向かって駆け出した。取る物もとりあえず同僚達を掻き分け、指揮官の制止の声も聞かず、我先に逃げ出して行く。前方に展開された黒槍から少しでも離れようと、敵軍の両翼が黒槍を迂回するように自軍へと突撃してくるのも構わず、壊乱し逃げ惑う。



 中原暦6627年ガリエルの第4月3日。

 後に「第2次オストラの戦い」と呼ばれる戦いは、刃を交える前に勝敗が決した。
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