失われた右腕と希望の先に

瑪瑙 鼎

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第14章 想像できない未来に向けて

262:それぞれの想い

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『――― 遺伝子情報適合。有資格者を確認。初めまして、システム・カエリアにようこそ。ユーザ登録を開始します』

 菌糸と粘糸に塗れた中央のパネルが瞬き、スキャンシートに左掌を置いた男の許に女性の声が降り注いだ。

『これより、ユーザ登録を開始します。あなたのお名前をお教え下さい』
「笠間木柊也」



「これが…ガリエル…」

 シモンは、壁際に立つ男の背中とその上で点滅を繰り返すパネルを交互に見やりながら、感慨に耽る。

 ガリエル。神話の中で三姉妹を羨み世界を凍らせ、ハヌマーンと魔物を率いて死と恐怖を撒き散らす、悪の権化。ロザリアの下で三種族が一致団結して戦いを続け、それでも残された最後の地中原が脅かされるほどの力を持つ、氷の王。



 ――― そう言い伝えられてきた相手が目の前に居て、愛する男の傘下に加わろうとしている。

 ――― そう教えられてきた相手が、実は三姉妹と起源と志を同じくする、血を分けた姉妹きょうだいだった。

 ――― そう信じてきた相手と繰り広げてきた永遠とも言える戦いが、実は全くの無意味なものであり、ただ自分の愛する男の語り掛けでしか解決する事ができないものだった。



 3年半前、男と知り合う前まで信じていた事柄が、男と人生を共にした事で全てが覆った。

 3年半前、男と知り合えた事で、自分は「命」を得て、「父」を得て、「妹」を得て、「世界中原」を飛び出し、そして今、「真実」に立ち会っている。

 3年半前、もし、男と知り合えなかったら…。



 彼女は、自分に背を向けたまま、壁際に佇む男の背中を見つめながら、胸中に湧き上がる熱い想いを抑えきれず、胸に手を当て小さく呟いた。

「…トウヤ、ありがとう。私を選んでくれて、私を連れて来てくれて、本当にありがとう…」



 ***

「…サーリア様…」

 セレーネは、壁際に立つ男の背中とその上で点滅を繰り返すパネルを交互に見やりながら、感傷にひたる。

 サーリア様。神話で語り継がれる三姉妹の三女で、自分達エルフを生み出した、至高の御方。エミリア様を守ろうとガリエルとハヌマーンの前に立ち塞がって非業の死を遂げたとされ、エルフの間では死を受け入れられずに長い眠りに就いたと頑なに信じられてきた、エルフにとって最も大切な存在。



 ――― その言い伝えに縋り、死を否定してきた自分達の願いに応え、男はサーリア様を目覚めさせてくれた。

 ――― 共に並び立つ事がないと信じられてきたサーリア様とガリエルが、実は血を分けた姉妹きょうだいだった。

 ――― そして男は、一人袂を分かった姉妹をサーリア様に引き合わせ、遥か太古の彼方から続く不幸な行き違いを、正そうとしている。



 2年半前、男と出逢う前まで信じていた願いが、男の手によってついに叶えられた。

 2年半前、男と出逢えた事で、自分は「命」を救われ、「故郷」を救われ、「最も大切な存在」を救われ、「世界の果て」を知り、そして今、「四姉妹」と「世界」を救おうとしている。

 2年半前、もし、男と出逢えなかったら…。



 彼女は、自分に背を向けたまま、壁際に佇む男の背中を見つめながら、高鳴る鼓動を抑えきれず、慎ましやかな胸の前で両手を組んで小さく呟いた。

「…これからも、私はあなたと共に。マイ・マスター…」



 ***

『シュウヤ様、お待たせいたしました。ただ今を持ちまして、ユーザ登録が完了いたしました。続けて、管理者就任手続きに入ります。シュウヤ様、恐れ入りますが、お部屋の中央までご移動下さい』
「あ、やっべ」

 パネルから降り注ぐ女性の声と共に、部屋の中央に置かれたガスコンロとフライパンがせり上がる。二人の女性が潤んだ目を向ける中、柊也は慌てて部屋の中央へと駆け寄り、ガスコンロとフライパンを脇に置いて台座の前に立ち、再び左掌を台座の上に翳した。

『それでは、各種権限付与手続きに入ります』

 正面の壁に掲げられたパネルが瞬き、円筒形の壁を様々な色の光の帯が縦横無尽に走り回る。

『…メインシステムのモード変更権限付与…完了…各ユーザへの認可権限付与…完了…ナノシステムの全操作権限付与…完了…ナノシステム使用時の代償支払義務免除…完了…』

 左掌を台座に翳し女性の声を聞き流しながら、柊也は思案に沈む。

 これで、MAHOを構成する4つのシステム全てを掌握する事ができた。後は、このシステムをどうやり繰りして、寒冷化を食い止めるべきか。カエリアの地で浪費されていたエネルギー供給を停止するだけでコトが済めば万々歳だが、それが叶わなかった時、何を犠牲にしなければならないのか。自分の判断が地球の未来を左右する事態を前にして、だが柊也の心は呑まれない。



 自分は、すでに幾度も取捨選択を繰り返し、その都度、己の手を血で汚し、何かを失ってきたのだから。



 自分の命を守るために、襲い掛かる魔物の命を奪った。シモンを救うために200人を超えるハンターに銃を向け、躊躇いもなく引き金を引いた。セレーネの故郷と家族を守るために、2万のエルフに誇りを捨てさせ、5万を超える人族の水を断ち、毒を盛って地獄へと突き落とした。

 自分は常に何かを救うために、意図して残りを切り捨てた。残された者達の無念や絶望、悲痛を無視し、一方的に結果だけを押し付け、耳を塞いだ。そして、これからもそれを繰り返すであろう。何故なら、自分は神などではなく、一介の隻腕の男なのだから。



 ――― 一人の男として、自分の愛する世界を守るためなら、残りは全て切り捨てる。



『…お待たせしました、シュウヤ様。管理者就任手続きが、完了いたしました。シュウヤ様には、システム・カエリアに対する全権限が付与されました』

 前方のパネルから女性の声が降り注ぎ、柊也は思考を中断して頭を上げる。

『なお、シュウヤ様の下に、ガイドコンソール・ウンディーネを付けます。今後、システム・カエリアへのご用命の際は、このガイドコンソール・ウンディーネをご利用下さい』
「ウンディーネ…」

 柊也の呟きと共に空中に青い光が灯り、やがて人魚の姿を形作ると、柊也の周囲を泳ぎ回る。柊也が、目の前で身を翻し方向転換するウンディーネを目で追っていると、前方のパネルが再び瞬き、カエリアの声が聞こえて来た。

『以上を持ちまして、全ての手続きが完了いたしました。他に何か、ご質問はございませんでしょうか?』
「カエリア、ハッキングの影響はどんな状況だ?」
『システム・ロザリアより提供されたワクチンによって原因となったウィルスが検知され、隔離されております。残り1,428秒ほどで、駆除が完了します。ウィルスの侵入経路も判明しており、駆除と並行して遮断処理を進めております』
「カエリアの稼働状況は?」
『システム・ロザリアと同じく、通常モード及びエマージェンシー・モードが発動中です。これに加え、ウィルスの影響と推測されるエネルギーの移送命令が継続しており、現在、管轄地内の総エネルギーの46.22%がメインシステム周辺に集約されております。移送命令は管理者権限によって解除が可能ですが、如何しますか?』
「暫くそのまま継続してくれ」
『畏まりました』

 カエリアに一通り指示を済ませると、柊也は二人に振り返って口を開く。

「ドームから出て、ボクサーの中に入ろう。この温暖の元を切って、エネルギー収支の調整に取り掛かる」
「わかった」
「あ、トウヤさん!その前に、お風呂に入りませんか!?この寒さの中で、ずっと入れていませんから!」
「あ、それは良い案だな!久しぶりに一風呂浴びるか!」
「はい!」

 北極圏での移動が続き、車内で体を拭く事しかできない事にウンザリしていたセレーネがここぞとばかりに提案し、柊也も喜んで同意する。提案が受け入れられ、機嫌良く鼻唄を交えながら扉の警戒に向かうセレーネの後姿に柊也は顔を綻ばせ、後ろを向いてカエリアに声を掛けた。

「カエリア、それじゃ、後でウンディーネを介して声を掛ける。それとこの後、この舞茸に火をつけるから、耐火防備をよろしくな」
『畏まりました、マスター。これから、よろしくお願いします』
「ああ、よろしく、カエリア」

 柊也は光瞬くパネルに向かって左手を上げ、一行は多くの蟻の死骸が転がるメインフロアを後にした。
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